アルフォンスとお出かけ その3
「さて、用事も済んだし、どうするかな?」
男は快活な笑顔を浮かべて、通りの真ん中をずんずん歩いて行く。
「そろそろお昼ですけど、ご主人様外食とかするんですか……?」
なんとなく人目を気にしながら歩いて行くが、メイドと貴族の組み合わせはそれほど珍しいわけではないらしく、メイド服そのものに驚いているような視線は感じない。
ただ、偶然に俺を見た通行人たちはじっくりと俺の顔を吟味してくるので、それはさすがに気になる。
やっぱり、美人って目立つなぁ。
疲れるなぁ。
アルフォンスは顎を撫でながら答えた。
「正直、あまり外食はしないな。お前のおすすめの場所があったらそこに行こう」
無茶ぶりすぎる。
「い、いやいや、地方貴族の端くれでも一応貴族をつれて行くようなオシャレな場所知らないですよ。ジャンと行ったのは、大衆食堂みたいなところだったし」
「また、ジャンか……」
ジャンの名前が出た途端にアルフォンスが不機嫌な顔をした。
「そういう顔しないでくださいよ……。そもそも、そんな焼き餅焼かれても困りますよ。ジャンとは普通に男友達ですからね」
「男友達なぁ……」
男が俺の顔をしげしげと見る。
「な、なんですか?」
あんまりじっくりと見られたので、ちょっとひるんだ。
「お前、自分の外見を自覚しろ」
「じ、自覚してますよ、うるさいなぁ」
ぷいっと横を向く。
たしかにジャンも俺を女の子として見ている所は感じるが、ジャンは他に好きな女の子がいるから大丈夫だろう。
時々ジャンが怪しいとか言ったら、間違いなくジャンはクビになるだろう。
それは気の毒すぎる。
「しかし、本当に昼のことを考えてなかったな。どうするかな」
男がうーんとうなって商店街を見回している。
自信たっぷりな雰囲気は出ているが、本当にどうしていいか分からないらしい。
アルフォンスはいろいろ考えていそうなちょっと知的な雰囲気があるが、中身は結構行き当たりばったりな性格だ。
「ご主人様も全然店を知らないんですか? ご主人様も運動のためにもっと外に出ていろいろ見て回った方がいいんじゃないですか?」
「……俺だって好きで屋敷にこもってるわけじゃない。結構大変なんだぞ」
男がちょっとうんざりした顔をした。
そういえばこの前ギュスターヴに愚痴ってたし、本当に大変なんだろう。
「それは……すみませんでした。じゃあ、適当な店に入ってみましょうよ。まずかったら全部食べてもらうんで」
「都合がいいな、お前」
アルフォンスは苦笑しつつも頷いた。
「といっても、私はメイド服ですから、大衆食堂みたいな所に入ると激しく浮きますね」
ジャンと入った店を思い出すと、あきらかに一般市民しかいなかった。
あそこに仕立てのいい服を着た男とメイド服の組み合わせが入ったら、ものすごく目立つ。
「あまり目立ちたくないな……」
男も頷いた。
庶民的な商店街とはいえ、たまに仕立てのいい服を着た男も歩いている。
貴族か一般市民か分からないが、そういう人たちが食事を取るところに行けば、自分たちも浮かないはずだ。
そう思って、辺りを見回していると50前後と思われる仕立てのいい服を着たおじさんが、建物の陰に曲がって消えていくのが見えた。
「あっち行ってみません?」
アルフォンスと一緒にその建物の陰に行くと、ちょっとした石畳の階段があった。
その階段を降りると、裏通りが広がっていた。
地面の高さが違うせいか、表通りの喧噪がほとんど聞こえてこない。
表通りと違って、小さな店がポツポツと並んだ感じでちょっと寂しい。
そして、階段のすぐ横に大きな窓の店があった。
中がなんとなく見えて、中には雰囲気の良さそうな空間が広がっている。
この世界の喫茶店に入ったことはないが、雰囲気や看板からして間違いなく喫茶店だろう。
「あの店なら、大丈夫そうじゃありませんか? 食堂という雰囲気ではないし」
「まぁ、少なくとも人は少ないみたいだから気まずい思いはしないか……」
二人で扉を開けて、中に入る。
自分が知っている喫茶店と全く違う店だったらどうしようと少し緊張したが、入ってみると「ザ・喫茶店」だった。
シックな内装に、コーヒーのいい匂い。
6つほどのテーブルのうち2つだけに客がいる。
そのうちの1つにさきほどのおじさんが座っていた。
あのおじさんをつけてきて正解だった。
「あ、でも、食事あるかなぁ……」
「とりあえず座ろう」
アルフォンスに促されて席に座る。
しかし、店員が全く見えない。
おかしいな、と思っていると、扉が開いて女性が出てきた。
その女性は、二十代後半と思われるが、かなりの美人、そして銀髪だった。
「珍しいな。お前と同じ銀髪か」
男がつぶやく。
「そうですね……クロエ以外で初めて見ました」
街中を何度か歩いたが、自分と同じ銀髪の人を見た記憶が無い。
その銀髪の美人は手元で何かをしていたが、ふと顔を上げてこちらをみて、自分と同じように驚いた顔をした。
そして、洗練された所作でカウンターを越えて、俺たちの前に立った。
「いらっしゃいませ。うちは初めてですね?」
「はい。えーと、食事は……」
「ありますよ。ただ、ちょっと高めですよ」
と、女性は俺では無くアルフォンスを見て微笑んだ。
お金を払うのはそっちだからと分かって言っているようだ。
「あぁ、構わない」
男がメニューを受け取って眺める。
こちらのメニューは文字しか書いていないので、自分にはなにがなんだかよくわからない。
ちらっと値段を見ると、たしかに大衆食堂よりは高いが、常識外れな値段では無さそうだ。
「なんでもいいですけど、辛くない奴にしてください」
「あぁ。まぁ、これでいいだろ」
アルフォンスが何か料理の名前を言って、銀髪の女性が頷く。
そして、その女性が俺を見た。
「めずらしいわね。その銀髪、あなたも東メキシカの血が入ってるのかしら?」
「え」
なんと返していいのか分からず、視線を左右に泳がせた。
出身とか聞かれても困る。
やっぱりここは定番のネタで……
「い、いえ、孤児院出身なんですよ。血筋とかよくわからないんですよね」
孤児院設定でごまかした。
男が微妙な顔をしたが、無視する。
「孤児院? 全然そんな風に見えないわね」
銀髪の女性がしっかりと俺の顔を見てきた。
ここの文化だと顔をじっと見るのが失礼ではないので、日本と感覚がちょっと違う。
「よ、よく言われます」
「本当はどこかのお姫様じゃないかしら?」
「そ、そんな、褒めすぎですよ」
ぶっちゃけ、褒めすぎじゃない。
この顔は無表情でも超絶美少女で、表情をつければ馬鹿みたいにかわいい。
多分リアルのお姫様よりもよほどかわいい。
「しばらくお待ちください。お姫様」
女性は軽く笑って下がった。
「変わった人……」
「そうだな」
男が頷いた。
他に店員はいない。
この昼の時間にも客がこれしかいないのに、特に焦っている様子もない。
なんか商売っ気がない店だ。
「ふえー」
店内を見回すと、かなりお金のかかっていそうな内装だ。
とてもこんな客数でやっていけるとは思えない。
裏でなにか違う商売でもしているのだろうか、とか考えてしまうくらい儲ける気が感じられない。
「あ、お時間かかりますので、ゆっくりお待ちください」
カウンターの向こうから声をかけられた。
「ああ」
アルフォンスが鷹揚に頷く。
「なかなか雰囲気がいいな」
アルフォンスも店内を見回してつぶやいた。
「ですよねー。なかなかセンスいいですよね」
「そうだな」
アルフォンスが頷く。
そのままなんとなく無言になって数分経ったが、料理が出てくる雰囲気は全く無い。
そんなすぐに出てくるはずはないが、しかし作っているのか心配になるほど出てきそうな雰囲気がない。
無言に飽きて、口を開いた。
「あのー……やっぱり仕事って大変なんですか?」
そう聞くと、男はポカンと口を開けて間抜けそうな顔をした後に頷いた。
「ん、あ、あぁ……」
そういうことを聞かれると思っていなくて虚を突かれた感じだった。
ものすごく素な感じになっている。
「へぇ……」
「このまえ俺がダニエルたちに愚痴を吐いているのを聞いただろ。あんな感じだ……」
といって、深いため息を吐いた。
やっぱり屋敷に居るときはメイドやフィリップに舐められないように気を張っているのだろうか。
今の男は、いつもよりも素を感じさせる。
「はぁ……本音を言えば……リボレーに帰りたいんだ。だが、父親とは顔を合わせたくないしな……」
男がぶつぶつと本音っぽい愚痴を吐いた。
「そんなにきついんですか?」
そう聞くと、男は覇気の無い顔を上げた。
「そんな大げさな物じゃないが……都に出る前に思っていたよりもつまらないものでな。時々故郷に帰りたくなる。向こうには古い友人もたくさんいる。都に出ればもう少し楽しい物かと思っていたが……」
「な、なんですか。さっきまで元気そうだったのに。つまらないっていいますけど、今でもたまにはサロンに顔を出しているんじゃないんですか?」
「まぁ、それはそうなんだが……逆に言うとそれくらいだ。どうもぱっとしない」
男がつぶやく。
毎日なにか書類を書いているが、あの生活は本人にとっても不満があるようだ。
「ま、まぁ、そんな毎日刺激に満ちた生活している人なんて、そうそう居ませんよ。私はなんか……刺激多過ぎですけど」
「まぁ、お前はな。メイドたちともいちゃついてるものな」
と、男が軽く笑った。
「俺の故郷のリボレーは田舎でな。こんな風に建物も人も密集していない。のどかだがつまらないところだ。だから都に来ればそれなりに楽しいことがあると思っていたんだ。王都の噂話は子供の頃からなんども聞かされたし、子供の頃に来たときはここは輝いて見えた」
「そうなんですね」
そっか、アルフォンスにも都会に憧れるような時があったのか。
「ところが、来てみたら初日から書類の山だ。なんなんだ、あの意味不明な書類の山は……。都に来たのに、遊び歩くどころじゃないぞ。地方貴族を虐めるためにあるとしか思えん! あぁ、あれを考えると腹が立つ」
アルフォンスの表情が険しくなった。
ギュスターヴにも文句を言っていたように、かなり大変なのだろう。
「そ、それは大変ですね……。たしかに毎日書類書いてますもんね」
「しかも直筆じゃないといけないものが多いから、ガストンに任せるわけにも行かない。本当に……なんなんだあれは」
男が頭を抱える。
とても愚痴を言いたい気分らしい。
まぁ、それくらいは聞いてあげよう。
「で、でも、この前ギュスターヴが代筆の人を紹介してくれるって言っていたじゃないですか」
「あぁ……あれは助かる。だが、そうそう何度も使えないな。うちの父親は出費にうるさいから、『自分が楽するために公費を浪費するとは何事か!』と雷が落ちるよ。本当に間に合いそうにない時や病気の時でもないと使うに使えない」
「あー……なるほど……」
屋敷では偉そうにしてるけど、お金を自由に使えないのか。
それは大変そうだ。
「で、でも、いいじゃないですか。マリーとかレベッカとか……あとちょっと変わってるけどコレットとか、とにかく若い女の子に囲まれてるわけで。ダニエルが本当にうらやましがってましたよ」
「あぁ、それか……。いや……それがあんまり良くなくてな」
だろうと思った。
アルフォンスの普段の真面目な性格だと、若い女の子が居ると楽しむよりも気を使うストレスの方が大きいだろう。
それに、アルフォンスはメイドたちとそれほど仲が良くない。
「たしかに私以外とはあまり仲良くないですよね」
「あぁ……やはり立場も年齢も違うからな……」
男がなんとも情けない顔をする。
仲良くしたいけど仲良く出来ないという葛藤が見て取れる。
そりゃあ、若い男が女の子に囲まれていたら仲良くしたくないわけがない。
でも、真面目な性格が災いして距離を詰められないのだろう。
「その距離感は分かりますけどね。でも、マリーとかすごく美人じゃないですか。よく今までうっかり手を出したりしませんでしたね」
と、男として思うことを言うと、アルフォンスが視線を動かした。
ん?
「そ、その話か……」
あ、なにか言いたそう。
「……なんですか? 言うなら言ってください」
「なら……お、お前を男と見込んで話をするが、聞いてくれるか?」
男が声を落とした。
「聞きますけど。なんです?」
「お、俺もマリーはすごく美人だと思う……最初にあったときは驚いてな……」
男が罪悪感を感じているような表情で言った。
そういうことを堂々と言える性格じゃないから距離を詰められないのだろう。
「そ、そうですね。最初にあったときにあまりに顔が整ってる美人さんで驚きました。それで……?」
「お前が来る前に居たアーニャという年かさのメイドがマリーを見つけてきて雇ったんだ。だがアーニャが心配して、俺とマリーが近づかないようにあの手この手で妨害したから、最初の頃はマリーと会話することもほとんどなかったんだ」
「へ、へー……そ、そんなことが。そんな心配をするならあんな美人を雇わなければいいのに、なんなんでしょうね」
「なんでもマリーの母親と知り合いらしい。俺も詳しくは知らない」
なるほど、そういうツテでマリーがやってきたのか。
「そしてそのアーニャさんが居なくなった後は……? 積極的にアプローチをしたと?」
「そ、その……したつもりなんだが……」
男が言いにくそうに言う。
アルフォンスがマリーにアプローチしたの?
今の二人を見ていると全くそんな雰囲気はないけど、過去にはそういうこともあったのか。
「と、とにかく、あれだけの美人だ。少しでも仲良くなりたいと思うのは、男なら誰でもそうだろう。お、お前も男なら分かるだろ?」
男は怒られるのを恐れているみたいな様子で聞いてきた。
「まぁ、分かりますけどね。あんな美人が身近にいたら気が気じゃないですよね」
「そうだろう?」
いいたいことは分かるんだけど、なんだか訳が分からないほど腹が立ってきたんだけど。
俺のことを婚約者なんだとか言っておいて、その前はマリーに気があったのかよ。
「それで……?」
「好きなものを聞いてみたり、世間話を振ってみたりしたのだが……お、おい、怒ってるのか?」
男が俺の顔を見て動揺した。
む、今そんなに怒っている顔をしているのだろうか。
「べ、別に……。いいから話を続けてくださいよ」
「怒ってないか……? マリーはあれで男をあしらうのがうまくてな。美人だから男に言い寄られるのが慣れているんだろうな。なにをどうやっても事務的にながされるんでとりつく島がなくてな……。逆にマリーはうまく受け流すから、関係が悪くなったりはしなかったのだが、全く仲良くなれなくてな……」
アルフォンスの言葉を聞いていて、なにか身体がむずむずしてきた。
「じゃ、じゃあ、何もなかったんですね?」
とっさに聞くと、男がぎこちなく頷いた。
「あ、あぁ、当たり前だろ。お、怒ってるだろ?」
男が機嫌を伺うような顔で俺を見る。
「怒ってませんよ!」
「やっぱり怒ってるだろ……お、落ち着け」
そんなに怒っているのだろうか。
自覚がないけど、少し深呼吸をして気持ちを落ち着けるようにした。
「やっぱりマリーは男をあしらうのがうまいんですね。だから、私は無防備だって言われるんですかね」
「あぁ、お前は完全に無防備だ。少しはマリーを見習え」
「……そんなに無防備ですかね?」
「俺が簡単に付け入れると思うほどにな。マリーは俺が話しかけても受け流すが、お前は俺が話しかける前から抱きついてくるからな」
と、男がちらりと俺を見た。
「い、いや、あれは最初の頃不安だったから……」
「分かってる。だが、その後も身体を触れとか言ってきたし」
「そ、それは私がご主人様のことを信頼して……」
と言いかけて、なんか恥ずかしいことになりそうに感じたので言葉を止めた。
すると、アルフォンスもなんか黙った。
え、なにこの無言の空間。
やや間があってから、男が口を開いた。
「とにかく、夢を見て都に出てみたが、思ったよりも灰色な日常でうんざりしていたんだ。若いメイドに囲まれていると言っても、あしらわれていちゃ寂しいだけだ。話し相手もフィリップぐらいしかないなかったからな。とにかく、お前が来てくれて良かった」
男がちょっと笑って、なんか恥ずかしそうに言った。
え、なにそれ。
なんか、こっちも恥ずかしいんだけど。
「い、いえ、私もご主人様に拾われて良かったです……」
そういうと、男がちらっとこっちの顔を見て、まだ恥ずかしそうに顔をそらした。
あれ、なにこれ?
変な雰囲気になっていると、俺とアルフォンスの間を何かが遮った。
「はいはい、こちらパーニャストロイカ二人前です。お熱くなってるから気をつけてくださいね~。あら、お二人もお熱いようですね」
先ほどの銀髪の店主が料理を持ってきたのだった。
女店主は笑いながら、皿を机に置いた。
「い、いや、別になんにもないですけど……」
「はいはい。ごゆっくり~」
店主は笑みを浮かべながらカウンターの奥に消えていってしまった。
テーブルの上にはドリアのような料理が置かれている。
というか、ほとんどドリアだ。
「た、食べましょうか……」
しばらく黙ってドリアを食べる。
といっても、熱いのでそうそう食べられない。
冷ましながらゆっくり食べていると、男が口を開いた。
「なにか、欲しいものとかあるか?」
「ふぇ?」
ドリアを飲み込む。
「とりあえず、ゲストルームのソファが買えたのでよかったです。あとはいろいろ調度品もそろえたいですけど、お金が際限なくかかりますよね。とくに二階は酷い有様だし」
「二階は使う予定がないからいいだろう。あれでも根腐れとかしないように、最低限ペンキを塗ったりはしているんだ。そうではなく、欲しいものというのは屋敷の話じゃなくて、お前が欲しいもののことだ」
と、男が落ち着かない様子で聞いてきた。
「え? んー、なんでしょうね……。とりあえずお金があるからそれほど困ってないですけど」
「アクセサリーとかどうだ? 指輪とかネックレスとか……」
「ん?」
なんか買ってくれそうな雰囲気が漂っている。
というか、買ってもらういわれはないのだが。
ただでさえ婚約者だとか言ってぐいぐいくるのに、さらにぐいぐい来られてはこちらが困る。
いろいろと拒否できなくなってしまう。
実のところをいうと、買ってくれるとか言われると内心うれしいのだが、その申し出を受けるわけには行かない。
「い、いえ、別にいいですってば……」
「そう言うな。俺の気持ちだ。なにかないか?」
い、いや、気持ちって……
なんでそういう人の心を惑わすセリフばかり言うんだろう。
「だから、いいですってば。そ、その、男ですから変に勘違いして貢がないでください」
周りに聞こえないようにささやき声で言う。
「貢ぐって、お前……。俺の感謝の気持ちだから受け取ってくれよ」
「感謝って……なんの感謝ですか?」
顔が赤くなっていないか心配しながら聞くと、男はふざけたように笑った。
「まぁ、俺の所に来てくれたことと、あとは甘えてくれるところかな」
「い、いや、甘えてるつもりは……」
「あれでか?」
男が笑った。
そう言われると返す言葉がない。
あれだけ頻繁に頭撫でられて、身体をなすりつけていたら、なんの言い訳も出来ない。
「言い訳はしませんけど……も、もう頭は撫でろとか言わないから安心してください」
「おいおい、そりゃないだろ……。いいだろ、頭撫でられるぐらい」
男が意気消沈した顔で、ドリアにスプーンを突き刺す。
「無防備だって散々文句を言っておいて……」
「俺相手ならいいだろ別に」
「い、いや、よくないでしょ。形ばかりの婚約者だって言ってるのに、なんか本気になってるし……」
むーっと男をにらみつけると、男はたじろいだ。
「お前、そういうこというなよ。少しは俺に甘くなってくれよ」
「だって……そういうことになると本当に困るんですけど。私、完全に女になる気は無いですからね」
「いや……もう十分に女だと思うが。最初の頃はたまに男っぽいときあったけど、最近はそういうこともないし」
「そんなことないですよ。たまに男言葉を使っていますし」
「でも、態度が女のままだからなぁ……お前も諦めろよ」
「んぐっ」
ドリアが気管の方に行きそうになった。
そういえば、最近あまり男になりきれていないかも。
男言葉を使っても、仕草が乱暴になったりしていない。
これはかなりまずい。
俺は男……俺は男!
もっと男の本性を思い出せ!
ついうっかり女っぽく振る舞っちゃうからアルフォンスもジャンも面白がってからかうんだ。
「あ、あの……俺、男ですから」
男言葉を出すと、男が苦い顔をした。
「おい、一応外だ。あまり男言葉つかうなよ」
「わ、分かってますよ……」
あーもー。
屋敷に帰ったら思いっきり男言葉にして、態度も男に戻して、俺が男だと言うことを散々分からせてやろう。
「とにかく、宝石とかはいりませんから」
「そうか……」
男がなんか寂しそうな顔をする。
そういう顔をされるとかわいそうになってしまうからやめて欲しい。
「待て、アリス。お前名目上とはいえ、俺の婚約者だろ?」
男がなにかを気がついたようにいった。
「だから、それは変な男が言い寄ってきたときに断るための方便ですよね」
「そこだ。そのときに婚約者から受け取ったものくらい身につけてないと説得力が無いだろう」
「あー……なるほど……って、別にいいですよ! そんなものなくても大丈夫でしょう!」
「いやいや、説得力が大事だ。ほら、買ってやろうじゃないか」
「お金を無駄遣いすると父親が怖いって言ってたじゃないですか! それに、万が一そんな小道具が必要だとしても自分で買うから大丈夫です!」
これ以上、アルフォンスに借りを作るわけにはいかない。
「お前、何でも顔に出るだろう。自分で買った物を俺にもらった物だと堂々と言えるか?」
「それは……」
多分、かなり不自然になる。
「だから、俺が買ってやる。男を追い払うための方便だと思えばお前も腹が立たないだろう」
男は自分で納得したらしく、勝手に満足した顔で残ったドリアを食べきった。
「んー……」
アルフォンスに高価な物を買ってもらうと絶対に後で負い目になって、ろくなことにならない。
それは分かっているのだが、どう断っていいかわからない。
「無難に行くなら婚約指輪だな」
その言葉に、口の中のものを吹き出しそうになった。
「婚約指輪!? いや、それはちょっと……仕事するときも邪魔ですし」
そんなものをもらってしまったら、どんどんアルフォンスの色に染まってしまう。
ここはなんとか断らないといけない。
「出かけるときにつけるだけでもいいじゃないか」
男が気楽に言う。
それって、出かける度に婚約していることを意識させられるじゃないか。
絶対にダメだ。
「だ、ダメです! 婚約指輪だけはやめてください!」
「そうか?」
男ががっかりした顔をする。
そんな顔をしてもダメな物はダメ!
「あーら、お熱いですね」
その声のした方向を見ると、銀髪の女店主だった。
「普段はお客様同士の会話に口を挟むことはしないんだけれど、あなたがあんまりかわいくて」
と笑う。
い、いや、なんでそんなみんなでかわいいかわいい言うんだよ。
あーもー!
「そんなにうれしそうな顔をして断っても説得力無いわよ」
う、うれしそうな顔!?
そんな顔をしてるつもり無いけど!
慌てて自分の顔を触る。
しかし、自分で触ってもどんな顔をしているかなんて分からない。
「べ、別にうれしくなんてないです。困るだけで……」
「あらあら。ちょっとお邪魔してもいいかしら?」
と、女店主がアルフォンスに話を振ると、アルフォンスが少しあっけにとられながらも頷いた。
女店主は椅子を引きずってきて、底に座った。
俺とアルフォンスが向き合っているところに、横から女店主が覗き込んでいる形だ。
「それにしてもあなた本当に孤児院出身なの? とてもそうは見えないけど」
女店主は興味深そうに俺の顔を覗き込んできた。
「い、いや……」
困っていると、男が口を挟んできた。
「あぁ、こいつは訳ありなんだ」
「そうでしょうね。そうとしか思えないもの」
女性が頷いて、しげしげを俺の顔を見る。
た、食べにくい。
アルフォンスは食べ終えたが、俺はまだ食べきっていないんだ。
「深くは聞かないけれど、いろいろ訳があるんでしょうね。ふーん……」
じーっと見つめられて非常に落ち着かない。
「その訳ありの女の子にアプローチしてる訳ねぇ……あともうちょっとでいけるんじゃないかしら」
女店主がアルフォンスに笑って言う。
ものすごく勝手なことを言われている。
「い、いや、ちょっと! 何を言うんですか!」
すると女性はにっと笑って、人差し指を立てた。
「東メキシカの女、とくに銀髪の女は、一度惚れると情熱的だって言うからね」
「い、いや、東メキシカとか関係ないから! あ、あんまりからかわないでください!」
焦って強めに言うと、女性は屈託なく笑った。
「本当にかわいいわねぇ。あなた、そんなにかわいいのに、褒められるのもいじれるのも全然慣れてないのね。ということは、町娘じゃないわね。元々は箱入り娘かしら? どういう境遇なのか興味があるわ」
女性が俺の目を覗き込むように俺を見た。
う……圧がある。
「はっはっはっ、たしかにこいつは無防備だからな」
アルフォンスまで話に乗って笑った。
元々男だったんだから、褒められるのが慣れているわけがない。
「もお……」
「でも心配になるのもわかるわね。そんなに男のあしらいになれてないなら、一人で街中を歩いたりしちゃだめよ。変な男に掴まっちゃうからね」
店主は少し真面目な顔でいった。
「そ、そうですね。気をつけます。誰かと行くようにしますよ」
そういえば、この前も変な酔っ払いの男に絡まれた。
ジャンが居なかったら危なかったかもしれない。
「さて、仕事に戻りましょうか。あなた、名前はなんていうの? 私はここの店主をしているセレスティナよ。もちろん東メキシカ出身」
「えっと、アリスと言います」
「次に来たときは、同じ銀髪同士、いろいろ話をしましょう。できれば食事時を避けてくれるとゆっくり話が出来るから」
「え? は、はい……」
曖昧に返事をすると、セレスティナは笑って立ち上がるとカウンターの方に消えていった。
「なんだか随分と気に入られたな」
と、男がつぶやく。
「そう……みたいですね。たしかに銀髪は珍しいですもんね」
「そうだな。銀髪が二人並ぶとなかなか美しいな……」
男がつぶやく。
褒められているのか、自分一人ではイマイチ映えないとけなしているのかよくわからない。
まぁ、いいか。
「はぁ……なんか出かけると疲れますね。もう帰りますか?」
自分のドリアもすでに空になっている。
「折角外に出たんだ、どうせならもう少し回ろう。とりあえずそこらの宝石店に入ってみよう」
「だから、本当にいりませんって! 変な気を使わなくていいですから」
「見るだけだ。お前もそういうのは好きだろう? この前ジャラジャラアクセサリーの山を持っていたじゃないか」
おそらくクロエと一緒に買い物をしたときに買ってもらった物だろう。
安物ばかりだが何個も買ってもらったので総額は結構行っていると思う。
ちなみに、女になったことで宝石とかアクセサリーを見るのは結構楽しく感じるのだが、それを身につける習慣がないのでタンスの奥に眠っている状態だ。
「まぁ、見るのは好きですけど……」
「ならいいだろ」
支払いをしてから店を出ると、男は表通りに戻って本当に店を探し出した。
本気で買うわけ……?




