また書斎
書斎に入ると、アルフォンスがソファに寝転がったまま、怪訝な顔で俺を見た。
どうもアルフォンスも暇だったらしい。
「ん、どうした? また撫でて欲しいのか?」
「たしかにさっきのは気持ちよかったですけど、そうではなくてですね」
「なんだ?」
男が身体を起こして、こちらに向き直った。
「い、いや……今更なんですけど、ちょっと私仕事してないかなーって」
「ん?」
男が首をかしげる。
「なんか、マリーを見ていると一人で全部手際よくこなすから、私とか特に居なくてもいいなぁとか……」
って、何を言っているんだ。
こんな愚痴を言っても仕方が無い。
「いやいや、なんでもないです」
「はっはっ、まぁ、マリーは優秀だからな。でも、レベッカとコレットは……俺が言うのもなんだがアレだろ」
男が軽く笑った。
「え?」
「当人達の前では言えないが、レベッカは昔から掃除をよくさぼっていたし、コレットは洗濯物に土をつけて逆に汚していたからな。今では多少マシだが」
「へー……そうなんですか」
言われてみれば、レベッカは掃除とか不真面目だったし、コレットの洗濯も見ていてかなりまどろっこしい。
そうか、俺は別に全然ダメじゃ無い。
でも、ダメじゃ無いんだけど……。
「うーん……ちょっと自信は回復しましたけど、でもやっぱこれじゃだめかなーと。もっとなにかした方がいいんじゃないかなと……」
そう言うと男は首をかしげた。
「ん? お前、ダニエル達と前の世界にある物を作るって言ってなかったか?」
その言葉が理解に至るまで、数秒かかった。
「あ、ああ、そうだった!」
「……忘れてたのか?」
「う、うっかり」
しっかりしろ、自分。
自分の頬を叩いた。
どういうわけだが、目の前の日常にあっという間になれてしまって、それ以外のことをあっさり忘れてしまう。
だから、前の世界に変えるという目標をうっかり忘れてメイドとしての仕事に没頭してしまうし、ダニエルやギュスターヴと話した内容も数日経つうちにあっという間に昔の記憶になってしまった。
おいおい、駄目じゃん自分!
日本に帰るんじゃ無かったのか!
「す、すみません。我に返りました。本当は仕事がないから、もっと用事が無いか聞きに来たんですけど、もっとやることがありました」
「そうか。でも、ダニエルが技師を連れてくるまでは特段やることはないんだろう?」
「でも、絵を描くくらいのことはしないと」
ダニエルと前の世界の物の絵を描くという話をしていた。
「そうか。ちょうどいい。ここで描いてみろ。俺も暇だ」
「そうですか? なら……」
アルフォンスの書斎の椅子に座って、ペンを借りて白紙をにらみつけた。
「アリスが住んでいた世界の物か……そういえば前の世界の話はあまり聞いていなかったな」
男が横からのぞき込んでくる。
「あんまり見ないでくださいよ。絵は下手なんだから」
とりあえず車の絵を描いてみよう。
えーと、タイヤがあって、窓があって……あ、あれ?
「ん、んん……」
自分で描いた丸や四角を見る。
線はガタガタ。
丸は変な楕円。
四角形もおかしな形。
大きさも思っていたのと違う。
確かに絵は下手だったが、そういう次元の下手さでは無い。
「お前……絵が下手だな」
「そうみたいですね……。自分でびっくりした……」
直線すらまともに描けないとは壊滅的だ。
あとで練習しよう。
「や、やっぱり、止めます」
「諦めるのはやいな」
男があきれた顔をする。
「後で一人で描きます。見られてたら描きにくいですからっ」
描きかけた紙をぐちゃっと潰してゴミ箱に投げ入れる。
「おいおい……大丈夫か」
男がため息を吐いた。
「なんとかします!」
「しかし、お前が他の世界から来たというのは信じているが、それにしてもお前はその世界の話をしないな」
男がじっと俺を見た。
「まぁ……そうですね」
「最初の頃、変な目で見られそうで怖いとか言っていたが、今でもそんなに俺たちのことを信じられないか?」
「そういう……わけじゃないんですけどね。ん……なんでだろう?」
なんとなく、屋敷に居るときはあんまり前の世界の話をする気にならない。
ダニエルやギュスターヴなど、外の人と会ったときは結構話す気になったのに、不思議な物だ。
なんでだ……?
「あー……自分でも意識してなかったけど、多分普通にみんなになじみたいんだと思います」
「ん?」
「正直、前の世界から比べると、この世界は遅れているので……」
「ああ、あの時計を見ても分かる。……そうだろうな」
男がちょっと渋い顔をした。
「別の世界から来たからみんなが知らないことを知ってるとか、ここが遅れてるとか、そういうことを言ったらすごく偉そうじゃ無いですか」
「まぁ……それはそうかもな」
「だから、あまりそういう話はせずに、あくまで新人メイドとしてこの環境になじんだ方がいいかな、と心の底で感じているんじゃ無いかな……って感じます。実際には、なんとなく話す気にならなかっただけなんですけどね」
「なるほど、まぁ、その気持ちは分かるな。でも、俺は別の世界の話とやらも聞いてみたいが」
「んー……それは……まぁ、出かけたときとかにしましょう。あまりここで話す気にならないです」
「そうか……」
男は残念そうな表情を浮かべたが、ふと気がついたように顔を上げた。
「ん、それはデートのお誘いか?」
「……は?」
男の言いたいことがわからずにしばらく考えた。
あ。
「い、いや、違いますよ!」
顔が赤くなってくる。
なんで顔が赤くなる?!
さっきも変な雰囲気になったし、だ、駄目だ駄目だ!
「ちょ、ちょっとすいません! 嫌なのは分かってますけど、男言葉にします」
息を整えて、目を数秒瞑ってから、口を開く。
「お、俺……お、男だから」
「ん、あぁ……そうだな」
男がすこし気まずそうな顔をする。
男言葉を使うと、男も冷静になるようだ。
よし、大丈夫だ。
「お、男だってこと忘れないでくださいよ。俺のこと、あんまり変にいじらないでください」
「あぁ……」
と、男が変な顔で俺を見た。
「な、なんですか?」
「ん……気のせいかもしれないが、仕草が女っぽいままだと思ってな」
「え……?」
ふと、自分の身体を見る。
たしかに、姿勢も崩してないし、乱雑な動きもしていない。
あれ、男っぽい仕草ってどういう感じだっけ……?
「お、おかしいな。とっさのことだったので、うまく変わらなかったかな……」
「口調が男なだけなら、そんなに悪くないな」
と、男が笑った。
「は!? 悪くないって……」
また顔が赤くなってくる。
うう、くそぉ!
男言葉にしただけじゃ男モードにならない。
気持ちも男にしなきゃいけないけど、こんな状態ではうまく切り替えられない。
「だ、だから、そうやってからかわないでください! 俺は男! じゃ、部屋で絵を描くんで、失礼します!」
「あぁ」
慌てている俺を見て笑っている男を残して、俺は書斎を飛び出した。
「く、くそ……」
男言葉だけじゃ駄目か。
態度まで男に変えないとアルフォンスは引いてくれないようだ。
いや、落ち着け落ち着け。
なんか昨日から調子が崩れっぱなしだ。
その後、自分の部屋に籠もって、夕食の時間まで白紙と格闘した。
そして、その日は特に何事もなく平和に終わったのであった。




