91◇その日、彼が、彼自身の力で、冒険者として、初めて
僕が次に使うのは――毒。
「……っ」
毒は本当に地味だ。相手の身体を中から少しずつ蝕む。
継続ダメージというと頼りになりそうだが、そもそも普通の【黒魔導士】では一分も継続しない。
レラージェさんの使う毒矢のように着弾箇所から腐るというような見た目上の変化も無し。
対象の身体操作感が徐々に狂うという効果もあるのだが、それが機能する前に仲間が魔物を倒すので、そもそもその効果を知らない冒険者ファンも多いのではないか。
『マルク選手、僅かに動きが乱れたように見えましたが……?』
『黒魔法そのものより、レメの意図を計っているのではないでしょうか』
『確かに、今大会におけるレメ選手の積極性には驚かされます』
僕の黒魔法に抗うことは出来る。
白魔法で解毒するのも有効。そうされると僕は継続消費の魔力ではなく、再度魔法を掛け直すところからやり直さなければならず、消費魔力が上がる。
だがフィリップさんへの白魔法継続を優先している為に、黒魔法への対処に全力を注げないのだ。
『【黒魔導士】らしい戦い方というのは、本来サポートに徹することです。敵に鬱陶しいと思わせることが出来れば成功、狙いを自分に移せれば大成功です。無理に突破しようとする敵を倒すことは、万全の敵を倒すより易しい』
『えぇ。少し違いますが、今大会でもレメ選手を狙って突出した者達がベリト選手の壁に阻まれ、結果撃退された例がありましたね。観客の皆様の中には、ご存知の方もおられるかと思います』
予選の映像は、試合間の空き時間や休憩時間、また会場修復の時間などに会場スクリーンに映し出されていた。
『マルク選手は冷静ですね。無理に追うこともレメの黒魔法を無視することもなく、行動の裏にある真意を読み取ろうとしている。これが出来る者は強くなります』
今、彼は立ち止まった僕との距離をじりじり縮めている。
『素人考えですが、突っ込んでしまえばなんとかなるのでは? とも思ってしまいますが、そのあたりはどうなのでしょう?』
『私やヘルヴォールあたりなら、相手が何をするかまで含めて楽しそうだと突っ込んでしまうでしょう。ただこれはオススメ出来ません。やっぱりね、頭は使った方がいいです』
一位と三位の【勇者】ともなれば、僕に限らずどんな強敵にも正面突破を挑めるだろうし、それを笑う者はいないだろう。
『あはは。なるほど、自分に合った対応策を選ぶのが大事、というわけですね』
『マルク選手の実力不足というわけではありませんよ。彼は今もフィリップ選手への白魔法を切らしていません。レメへの抵抗を維持し、体も動いている』
『【清白騎士】には白魔法を伸ばすことを諦める者も多いということですが、彼はそこも怠っていないということですね』
そうであれば、まだ楽だった。
だがマルクさんは違う。
剣にも白魔法にも妥協が見られない。
彼と視線が交わる。
「……済まない、フィリップ」
毒が解けた。
彼が解毒の白魔法を自分に施したのだ。
フィリップさんに掛けていた攻撃力強化は解かれた。
【金剛の勇者】は防御力が特に優れた剣士だ。そこに攻撃力強化が加わることで、ベリトの攻撃に耐え、ベリトの防御を砕く強さが備わってしまった。
強化が解除されたわけだから、ベリトの方は幾分戦いやすくなっただろう。
それは同時に、マルクさんが万全になったということで。
「申し訳ないが、あまり時間は掛けられないのです」
「そうでしょうね」
観客の評価と自己評価のズレ、相棒の強化解除。
彼を急かす理由が一つ増えた。
ここまでは僕の作戦通り。
なんて思った瞬間、僕は驚く。
マルクさんが大盾を――捨てたからだ。
――盾持ちが、盾を捨てた……? いや、そうか。
『おぉ、マルク選手も適応を始めましたね。これは素晴らしい。ダンジョン攻略であれば、盾持ちが盾を捨てることは考えられません。仲間を守る盾役も担う者が、その要を放棄するというのですから』
『先程も出ました通り、これはタッグトーナメントということですね。そこを考慮すると……【黒魔導士】との一騎打ちにおいて大きな盾は自身の機動性を損なうばかりだから、捨てた……というところでしょうか』
『そうですね。急いでレメを倒し、フィリップ選手のサポートに回りたいという思いもあるのでしょう。ベリト選手の横槍はないものと判断したか、フィリップ選手がさせないものと信じているか。どちらにしろ、こちら側の決着は近そうです』
エアリアルさんの言葉を現実にするかのように、マルクさんが迫る。
初撃。振り下ろしと同じ軌道から、ブレるように分岐した胴を薙ぐ一閃。
咄嗟に攻撃力低下を掛けるが、抵抗もあって通りが悪く、防御に使った剣が折れてしまう。それだけでなく、視界が撹拌された。吹き飛ばされたのだ。
地面を転がりながらなんとか勢いを殺し、体勢を整えると――眼前に彼がいた。
――盾を捨てると、速いな。
もちろんそれだけではなく、自身に速度強化を掛けている。
いや、剣も捨てていた。
そりゃあ速いわけだ。
疾走の勢いを乗せた蹴りが僕に近づく。
腕を交差させて防ごうとするも、骨の折れる音と共に衝撃。
背中からフィールドの壁面に激突。
左腕が動かない。右腕は、なんとか手に力が入るし、折れた剣も手放していなかった。
「――――っ」
剣が地面に落ちる。肘から先ごと。
彼が自分の剣を拾い、僕に向かって投擲していたのだ。
突進する勢いで接近する彼の拳は、僕の頭部を狙っていた。
ギリギリのタイミングで、地面に飛び込むようにそれを回避。
壁が陥没する拳打。
僕の右腕を断ち切り壁に突き刺さっていた剣を、彼が抜く。
マルクさんが地を蹴った。
僕も、彼に向かって走り出す。
まだ何かあるのか? 彼の瞳に一瞬迷いが浮かぶ。それを掻き消し、剣を頭上に構える。
黒魔法対策は万全。白魔法もある。僕にはもう杖がない。
彼の攻撃を避ける身体能力はない。
避ける術はない。マルクさんが勝つ。
このままなら。
僕は黒魔法を掛ける。速度低下を掛ける。
――僕に。
急激にその距離を縮める二者のうち、片方に急停止を掛ける形。
僕の方向転換や加速減速くらい、彼も予想していただろう。
だが、自分にデバフを掛けるところまで想像できるだろうか?
僕にとっては、毎日続けている訓練方法。
だが、ほとんどの人間にとっては、想像も出来ない使用法。
前髪がスパッと切られ、切っ先が鼻先を掠める。
そして、その刃が地面を裂いた。
「くっ――」
僕は再び動き出す。彼の剣を踏みつけ、跳躍。
「だが、貴殿には既に何も――」
「貴方がくれたでしょう」
つい先程のことだ。
彼によって、僕の右腕の肘から先が失われた。
露出する骨と肉のどちらも、魔力体なのでぼかされている。肉はすぐに魔力粒子となって散るが、骨は分解までに多少猶予がある。魔力密度が違うのだ。
鋭利な断面のそれは、むき出しの人体に突き刺すには充分。
「まさか」
彼の言葉が続くことは無かった。
その喉を、僕の肘の先、白い骨が貫いていたから。
彼は目を見開いて、数秒呆然としていたが、やがて――笑った。
悔しそうな、申し訳なさそうな、称えるような、そんな笑顔と共に、彼が――退場する。
僕の身体は、地面に転がった。
彼はあの状況で剣を持ち上げ、僕の右足の膝から下を切断していたのだ。
『……い、息を呑む攻防でした。しょ、勝者は――レメ選手です』




