52◇吸血鬼のエプロンと、この前の防衛について
ミラさんが部屋を出て行ってから数分遅れて、僕は洗面所へと向かった。
まだ手に、柔らかさと温かさの感覚が残っている気がする。
邪念を追い払い、冷たい水で顔を洗った。
リビングに顔を出すと、対面キッチン越しにミラさんの姿が確認出来た。
彼女はいつの間にか自分の部屋着に着替えており、その上に白いエプロンを着用。長い髪はヘアゴムで一つに纏められ、後ろに垂らしている。
なんというか、健全な美しさがあると思う。
彼女はドキッとさせるアプローチを好むが、どちらかというと自然体な姿の方が良いような。
「何か手伝おうか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です、映像板でも観て待っていて下さいな」
【料理人】持ちでなくとも、料理自体は可能。あくまで家庭の味レベルまでしか上達出来ず、金をとるには一歩足りない、というところで成長が止まるらしい。
とはいえ、僕は別に繊細な舌の持ち主ではないし、ミラさんは充分料理上手だと思う。
ちなみに師匠に師事していた時、最初は食事まで僕が作る筈だったのだが、最初の一日で「やめろ、儂がやる。才能が無いというレベルではない」と叱られてから料理は作っていない。
そんな酷かったかなぁ。
ミラさんも最初の一回は「一緒に料理だなんて素敵ですね」と言ってくれたのに、その二分後には「一から十まで私が作ったものをご馳走したいので、やっぱりリビングで待っていて下さい」と僕をキッチンから追い出した。
それ以来、何も手伝わせてくれない。
今度こっそり練習でもしてみようかな。
そんなことを思いながら、映像板を点ける。薄型で映像も綺麗だ。田舎にあった箱型でノイズ混じりのとは違う。
ニュースにチャンネルを合わせると、見覚えのある冒険者が映っていた。正確には、冒険者の攻略映像だ。
魔王城第十層に、フェニクスパーティーが挑戦した際の映像である。
丁度昨日放映されたのだ。
ダンジョン攻略が映像板放映される際、基本全て特番として作られる。
フェニクスパーティーの魔王城攻略は一層につき一枠を用意し、全十一回予定とかなり気合いが入っていた。
【恋情の悪魔】シトリーさんがフロアボスを務める第五層・【夢魔】の領域は極短時間で攻略が終わった。
そこで【水域の支配者】ウェパルさん率いる第六層の攻略と同時に放送。
逆に【雄弁なる鶫公】カイムさんが治める空と試練の領域第七層は、攻略が長時間に及んだので二週に跨って放送された。
ここで帳尻が合った。以降は一層につき一枠で放送を続け、第十層。
実際の攻略時間はかなり短かったが、開始前・終了後のインタビューや別に撮っていたパーティーの訓練風景、これまでの振り返りなどでなんとか間は繋いでいた。
普通そう露骨に引き伸ばすと不興を買うものだが、攻略映像と結果の方が余程衝撃的だったらしく、その点に触れる者は稀だった。
来週はフェニクスパーティーに密着したドキュメンタリーが放送されるらしい。
こういうのは元々万が一の事態を想定しているので、映像素材や代案が豊富に用意されている。
『いやぁ、衝撃的でしたねぇ』
冒険者の活動に詳しいという、ミノタウロスのコメンテーターが語り出す。
『【炎の勇者】フェニクス氏は公式に発表された全てのダンジョン攻略において退場無しだったわけですから、観ている人は本当に驚かれたと思いますよ』
『肝心の戦闘映像が無いのが本当に惜しいよね。ただこれさ、ダンジョン内のカメラってのは当然対魔力処理がしてあるわけでしょ? 魔法がぶつかっても壊れないようにって』
有名なコメディアンであるドワーフの言葉に、ミノさんが頷く。
『そうなんですよね。それを全て溶かしてしまった。炎が映らずに壊れたカメラもありましたから、これはそれだけ高密度高純度の魔力による魔法――精霊術だったと考えられます』
『カメラが入った時のダンジョンったらすごかったもんね。もうなんもないの。で、二人だけ立ってる。あぁなった経緯はすごく気になるけど、闇魔導師だっけ? レメゲトン。魔王軍参謀さんね、あの人はどーしてカメラみたいに溶け……言い方が悪いね、あの炎に耐えられたんだろ』
『彼は魔人ですからね。魔人の角は魔力を溜められるのですが、精霊術のように魔力の質を高める性質があるんですよ。精霊術と同質の魔力で、身体を守ったのでしょうね』
『ははぁ、なるほどね。じゃああれか、参謀さんはすんごい魔力溜めてたのかな。そうしたらあれじゃない? 溜めとくものなら使えば無くなるってことでしょう? 次から行く人有利なんじゃないの?』
『そう考えるのも無理はありませんが、そこで思い出して欲しいのが一騎打ち前のレメゲトン氏の動きです。彼は【戦士】アルバ氏の攻撃を利用したところを除けば、部下を使って巧みに敵を落とし、その後部下とフェニクス氏の一騎打ちを認め、ようやく自ら動き出しています』
『そうだったね。途中まですんごいスマートな立ち回りでさ、部下なんかも上手く使ってる印象だったけど、フェニクスだけになってから方針? 変わったみたいだったね』
『そこなんですよね。実際、【地獄の番犬】ナベリウス氏や【人狼の首領】マルコシアス氏などは明確に一騎打ちを許可されたと発言しています。【死霊統べし勇将】キマリス氏は【氷の勇者】ベーラ氏の魔力体を求め、その配下【闇疵の狩人】レラージェ氏は【狩人】リリー氏への執着を見せていました』
『あー言われてみれば。じゃあ何? 参謀さんは部下の気持ちを作戦に組み込んだってこと? だから、途中から効率を無視した?』
『そう思います。フェニクス氏に魔力を使わせるという意図もあったでしょうが、それさえもより効果的な方法はあったでしょう。映像から確認出来るレメゲトン氏の手腕を思えば、そう考える方が自然です』
『つまりあれだね。フェニクスに一撃でやられて悔しい思いをした人と、メンバーに因縁とか興味とか持った人に好きにさせたから、フェニクスとの戦いで自分の角を使うことになった。他の冒険者がもし来たら、角を使わないで済む作戦を考えるってこと?』
『その場合も、冒険者がどのように十層まで辿り着いたかで配下への命令は変わるでしょうが、角の魔力が足りないなら、それを念頭に勝利への策を組み立てるでしょうね。観た限りでは、彼は純粋に魔力器官性能が高いようですから』
『一度に五体召喚してたよね。あれは角の魔力じゃないんだ?』
『違うでしょうね。フェニクスパーティー――特にフェニクス氏ですが、彼らの反応は召喚後だったでしょう? もし角を使ったなら、召喚の前段階でその魔力に驚いていた筈です』
『ははぁ。じゃあ素の魔力もすごいんだね。一体何者かね、四大精霊持ちの本気に勝っちゃうなんて。片角なんだから、先々代魔王とか?』
『体格や戦い方が違いますし、彼が戻るとはとても……。本来は二本角で、魔力体では片角を隠しているのかもしれませんね。理由は分かりませんが』
『闇魔導師っていうから【黒魔導士】なのかと思ったらさ、魔法剣避けたり逆に使ったり、フェニクスを拳で倒したりさ、めちゃくちゃだよね。でもあれじゃないの。フロアボスたくさん召喚するのズルイ! みたいに言う人も出そうだけど』
『そういう意見も確かにありますが、召喚術の対価は契約者の強さ――複雑なので敢えてこう言いますが――に応じて高くなります。実際、召喚術を行使する魔物は強い配下単体か、弱い配下複数という使い方が主なものです。フロアボス相当を同時に五体となると、これはもう讃えるしかないですよ』
『そういうものかぁ。まぁそれを言うなら精霊持ちの【勇者】をずるいって言う人もいるもんなぁ』
『ですね。重要なのは力をどう使うかです。そのあたり、レメゲトン氏は上手かった』
『ベタ褒めだねぇ。逆にフェニクスパーティーはどうなの? 五層くらいかな? 【黒魔導士】が抜けてからちょっと調子悪そうだったけど』
『正直フェニクスパーティーには厳しい意見も集まっていますね。【勇者】二名はともかく、他の三人は五層以降あまり良いところを見せられませんでしたから』
『ちょっと持ち直したかなって思ったのが、えぇと……何層だっけ』
『第七層でしょうか。分かりやすいのは第八層からですね』
と、他の人も交えて話題はフェニクスパーティーへと移る。
「良い評論家ですね。彼のことは覚えておきましょう」
朝食を運んできたミラさんが、上機嫌で言った。
「あぁも褒められると、照れくさいね」
「正当な評価です。レメゲトン様だけでなく、レメさんとしても世間に認めてもらいたいものですが」
「うーん、それは難しいんじゃないかなぁ」
魔物として働きながら冒険者もやるのは、かなり難しい。
魔物は待ち構える職だが、冒険者は世界を回る職だからだ。
冒険者として活躍するにはどこかのパーティーに所属してダンジョンを攻略する必要があるが、それがそもそも出来ない。
魔王城から日帰り出来るダンジョンしか攻略出来ない冒険者、しかも【黒魔導士】なんて誰が欲しがるというのだ。さすがにその条件だと、僕でも欲しくない。
正攻法で【黒魔導士】レメが再評価される未来は、見えなかった。
「何かある筈なのです……なにか」
「そこまで考えてくれてすごく嬉しいよ。でも、いいんだ。ミラさんみたいに気づいてくれた人がいて、魔王城のみんなみたいに認めてくれる人がいた。フェニクスやエアリアルさんみたいに、一線級の冒険者も分かってくれてる。それ以上を望もうとか、今の僕には思えないよ」
「レメさんは謙虚過ぎます。世界に掌返しさせるくらいの野望を持って頂いてもいいんですよ? 私、人生を掛けてお手伝いしますから」
「あ、ありがとう……」
推しの良さを分かってくれ! というファン魂を感じた。
少々気持ちが強すぎるが、想いそのものはありがたい。
「それじゃあ、えぇと、ご飯を頂こうかな」
「えぇ、召し上がれ」
ミラさんとニュースの続きを観ながら、朝食を食べる。




