42◇渾然魔族領域のおもてなし
フェニクス達の前に立ちふさがる魔物がいた。
「出やがったな……」
アルバが呟く。
仲間達はフェニクスが急に笑い出したことに怪訝そうな顔をしたが、直後の言葉で気を引き締め直したようだ。
蝙蝠の亜獣を従える【吸血鬼の女王】カーミラ。
彼女は目許を覆う仮面を着用し、扇情的なドレスを身に纏った妖艶な吸血鬼。
「四天王、ね。一回倒したとはいえ、最大四人も出てくるとなると厄介かな」
ラークがいつものローテンションで言った。
ダンジョンにもよるが、四天王――あるいはそれに相当する幹部クラス――はどの層に配置してもいい。
魔王城だと三層、五層、八層、九層だ。
強さももちろん優れているのだが、幹部指定された魔物は他と明確に違う点がある。
一度だけだが、担当以外の層にも出現していいのだ。
それはダンジョンマスター戦か、その直前であることが多い。
逆に言うと幹部を除くフロアボス相当のレア魔物達は他のフロアに居てはならないので、演説の後でリンクルームに戻ってもらった。
例外は一つ。自ら訪れるのではなく、他者に召喚される場合。
まだフェニクス達は僕の指輪を知らない。
だからまずは、普通の攻略だと思わせる。
――ちなみに、僕は正式には今日参謀に昇進したことになっている。それまでは普通の魔物だったので、第一層や第二層にお手伝いに行けたわけだ。魔王城は誰かが到達するまで階層情報が明かされないということもあって出来た方法である。
「あの黒騎士……フルカスは厄介です。私の矢では鎧を貫けません」
鎧を着込んだフルカスさんは大きい。
偉人の像とかを連想してくれるといいかもしれない。等身大じゃなくて、実物より大きく作られたやつだ。見上げる程に大きくて、どうにも『人』って感じがしないアレ。
そんな【刈除騎士】フルカスは、黒く塗られた槍を構えている。
彼女の背後には、その配下である【龍人】数体が控えていた。人の形に、龍の鱗と頭部を持った武人達だ。
マルコシアスさん配下の【人狼】やナベリウスさん配下の【黒妖犬】など、通常魔物は配置換えという名目で呼んでおくことが出来た。今は隠している。
特に【黒妖犬】達はよく懐いてくれていて、僕の意を汲んで動いてくれる。
「短期決戦を目指すなら、フロアボスを狙うべきですが……」
フロアボスさえ倒せば、攻略完了だからだ。
だが【氷の勇者】ベーラの表情は険しい。
彼女とフェニクスは僕の黒魔法をある程度抵抗出来るが、アルバはモロに食らっているし、【役職】柄少し魔力を持っているラークや、種族の特徴で人間より多くの魔力を生み出せるリリーも苦しげだ。
五人全員に全ての黒魔法を全開で掛けるのは不可能ではないが、あまりに魔力を使い過ぎる。
これはあくまでチーム戦。加減とは言わないが、効力を調整していた。
動けなくはないが動きにくい、万全とはとてもいえない。むしろ不調。そんな感じか。
体感はね。
「……あー、なんなら僕は置いてってくれて構わないよ」
「得策ではありませんわ。どこかのパーティーがそれをきっかけに全滅していたでしょう」
「【雷轟の勇者】ですね。確かにこの低下率と黒魔法の種類はとても個人によるものとは思えません。第一層のように【黒妖犬】だけとは限りませんが、多くの黒魔法使いが隠れていると考えた方が自然でしょう」
さすがの【氷の勇者】も、レメゲトンとレメを結びつけるには至っていないようだ。
まぁ、その方が普通。
「鬱陶しい。観てる奴が面白くねぇだろうが、黒魔法なんざ使ってもよ」
「単体ではそうですが、組み立て次第ではないですか。アルバ先輩も、それはもう分かっているかと」
どうやら彼女が僕の力を認めてくれている、というのは本当のようだ。別にフェニクスを疑っていたわけではないが、実際に聞くとなんとも不思議な感覚である。
【勇者】だからというより、彼女の性質とか観察眼によるものなのだろう。
「ベーラ、テメェよりレメの方がマシなとこがあるぜ。あいつはウダウダ言わねぇんだよな」
「我慢強い人だったんですね」
アルバは舌打ちした。だがそれ以上言い返しはしない。
「……オレに何秒か寄越せ、終わらせてやる」
誰からも異論は出なかった。
数秒任せるくらいならば問題ないと判断したのだろう。
突き出されるフルカスさんの槍をフェニクスが弾いた。
そのまま焼き切れて半ばから断たれた槍だが、フルカスさんは構わず二、三と突きを放つ。
突きの瞬間にはもう、槍は直っていた。
彼女が先代フルカスさんから受け継いだという魔法具だ。
「愚かしくもレメゲトン様に牙を剥いた冒険者共に、血の誅罰を」
ミラさんは魔力体だと爪を伸ばしている。
彼女は鋭い爪で両方の手首を切りつけた。
魔力体での自傷行為で流れるのは血ではなく――魔力。だが吸血鬼の血を操る能力はしっかりと適用される。
流れ出る血は地面に落ちることなく宙に浮き、彼女の周囲で浮遊する幾振りもの剣となる。
蝙蝠達も準備万端とばかりに羽ばたいていた。
「……あの【吸血鬼】、ドSな感じが苦手なんだよね」
言いながら、ラークが前に出る。
「……武闘派の【龍人】さん方には申し訳ないですが、距離のある内に削りましょうかリリー先輩」
「えぇ……! 『神速』は難しいですが、普通に矢を射るくらいなら……!」
リリーが矢を射掛け、ベーラの氷結魔法が展開される。
「どんだけオレが遅くされようが、攻防力が下がろうがなぁ……! 武器に黒魔法は掛けられねぇだろッ!」
アルバは両手で魔法剣の柄を握り、切っ先を僕へと向けた。
直後――剣身が僕に向かって急速に伸びてくる。
そう。彼の力を落としても、これがある。
魔法剣は使用者のイメージに従って動く武器だ。
そして黒魔法は無生物には掛けられない。
剣が僕に迫る速度を遅くすることは出来ない。本来ならば剣とは人が振るうものなので、人を遅くすれば斬撃の速度も遅くなるが、この魔法剣は違う。
剣自体が動くからだ。
敵が僕でなければ、あるいは手傷を負わせられたかもしれない。
でも、僕は君を知っている。
何年一緒に戦ったと思っているんだ。
疾風を置き去りにする速度で迫る魔法剣による『伸びる刺突』。
狙うは僕の頭部。
僕は椅子に腰掛けたままだ。
「余裕ぶったまま死にやがれ!」
確かに、君達を見下していたならば此処で退場していたかもしれない。
それくらい、良い攻撃だ。
けど、そんなことをするわけがないじゃないか。
僕は、剣が頭部を貫く寸前に肘掛けに肘を掛け、そこから伸びる拳に頬を乗せた。
頭部を貫く筈だった剣が、背もたれに突き刺さる。
魔王軍参謀レメゲトンは座ったまま、頬杖をついている。
「な――」
完全に当たる軌道、タイミングで外れたことでアルバが目を剥く。
『良い剣だ』
彼の剣は蛇腹状に展開される。剣の部分と伸縮する部分が継ぎ接ぎになっている形だ。
伸縮する部分に刃はない。
そこを、掴む。
『手を離した方がよいのではないか?』
忠告風の挑発。
アルバが自分のミスに気付いたのは一瞬後だが、その時にはもう遅かった。
彼の魔法剣は攻撃の前の段階で、軌道を決める。
どう動き、どう戻るかだ。
今回の場合は僕の頭部を貫き、その後で手元に戻ってくるよう設定した筈。
でも、戻ってくる時に相手が剣を固定していたら?
魔法剣の戻ろうとする力は設定されたように働くので、双方で引っ張り合いになる。
そこで話を少し戻ろう。
アルバは、僕の黒魔法をモロに食らっている。
剣が戻るタイミングで、彼への魔法を一瞬強化した。
思考に空白が挟まれ、視界不良が悪化。
それで充分。彼がたたらを踏み、剣に引き摺られるようにして仲間から離れてしまう。
「アルバ!」
フェニクスの声。
「ふ、ふざけんじゃ、ねぇ……ッ!」
剣を手放さないことは分かっていた。
魔法剣もまた魔力で一時的に構築されたものだが、それでも元は父親に貰ったもの。
そもそも、【戦士】が剣を失っては終わりだ。
その執着が、アルバに腕を失わせた。
「安心なさい。貴方は余裕を失うまで虐めてから、死なせてあげますからね」
カーミラの『血の剣』だった。
アルバの両腕、その肘から先が失われる。
「貴方の血はどんな味かしら、きっと薄くて水みたいなのでしょうね。私は要りませんから、この子達の餌にしましょうか」
自身の唇を指で撫でながら、カーミラはアルバを嘲笑う。
亜獣が標的に襲いかかる。
……ミラさんは僕への態度に関して、アルバへ並々ならぬ怒りを抱えている。
それが彼への態度に影響を及ぼしている、気がした。
「あぁ、もう……」
ラークが慌ててアルバのフォローに走る。
「来んなッ! 無駄だ!」
そう。アルバは馬鹿じゃないんだよな。自分も駒として考えられる。
もう落ちると分かっていて、仲間に助けてもらおうなどとは思わない。
ただ、考えが少し足りない。いや、普通なら充分なんだけど。
「あら、いいのかしら? ご自慢の魔法剣がない貴方なんて、口が悪いだけの野蛮人でしょう? 仲間に泣きついた方がいいのではなくて?」
「うるせぇよ、一度負けた奴が偉そうに吠えるんじゃねぇ! テメェ如き、両足があれば充分なんだよ」
迫る蝙蝠や血の剣を回避し、時に蹴り飛ばすアルバ。
「負けていないわ。これから勝つの」
「魔物がッ! うちの【勇者】みてぇなことを吠えんな!」
アルバの剣が僕の背後で止まった。
彼の手が離れた時に僕も手を離していたので、当初突き刺さった椅子の背もたれに切っ先が埋まった状態。
柄を握り、引き抜く。
『カーミラ、其奴はまだ落とすな』
僕は階段から下りながら命じる。
「ハッ、レメゲトン様の仰せの通りに」
最新の本体情報が常に必要だが、魔法具も魔力体展開時に再現される。
当人が退場すれば、衣装と同じで付属物として魔力粒子になって砕け散る。
だが本人の魔力体さえ健在なら、他人でも使用することが出来た。
元々、アルバの魔法剣に使用者を選別するような機能がないのは承知済み。
何年間も自慢されていたので、どのようなものでどのように使うかも分かっている。
――魔法剣、起動。




