26◇勇者様の添い寝フレンド(後)
私はそれから彼の所属するパーティーの映像を全て入手した。
何度も何度も繰り返し見て、他のパーティーが同じダンジョンを攻略する映像と見比べたりもした。
なるほど、素人目には到底見抜けない。というか見抜かれたら困るから、見抜けないレベルで彼が黒魔法を使っているのだ。
たとえば攻撃。
【聖騎士】ラークが盾で敵を弾き、壁に叩きつけて退場させるとする。
そこで防御力を下げ過ぎてしまうと、他のパーティーの【聖騎士】が同じことをした時に敵が退場しなかった場合、違和感を覚える者がいるかもしれない。
そりゃあまったく同じ状況には中々ならないし、そこまでに魔力体が負っていたダメージを細かく導く方法は視聴者にはないし、シールドバッシュのダメージ量を明確に比較するのは難しいが、疑問に思う者は出てくる、かもしれない。
現に私のように細かく見比べた者がいるわけだし。
だから彼はそういう時に、そういう使い方をしないのだ。
あくまでラークを優れた【聖騎士】に見せることを優先する。
混乱か空白か闇か速度低下か、敵の攻撃をほんの僅か、半歩分ほどずらす。
さすがに半歩ではほとんどの者が気づかないだろうし、気付いたところでどう問題視できよう。
ラークも優秀な冒険者なわけだから、『最適』から半歩ズレた敵の攻撃を盾で巧みに受け流し、そこから盾で弾くということが出来る。
ラークと戦う相手だと、攻撃を下げられていることが多いのかもしれない。速度にほとんど変化がなければ、傍目には分からない。他の者が吹っ飛ぶ攻撃に耐えたり、あるいは受け流したりしても、やはりラークがすごいのだと視聴者は判断する。
ラークもあくまで自分の判断で動き、それが上手く行っているのだからそこに他者の功績を想像出来ないだろう。
黒魔法があんなにも自由で、強力だと知らないのだから。
私の推測だって、あの日見た彼の魔法を知っているから出来るだけだ。
自分も彼を無能だと勘違いしていた者なのだ。
逆に珍しいもの、アルバの魔法剣などは動きがとにかく派手でいかにも攻撃力が高そう、かつ同じ魔法剣を持つ冒険者が極めて少ないので、敵の防御力を下げているようだ。
後は軌道上に上手く敵を誘導しているのでは、とも思った。
そうすることで、彼が振り回す魔法剣の軌道上にいる者が気持ちよく引き裂かれ、吹き飛び、全て退場するという、視聴者が喝采したくなるような攻撃が成立する。
リリーの矢が凄まじい精度で命中するのも、彼女の腕に見せかけたレメさんのサポートに違いない。
そして私は気付いた。
きっとフェニクスだけは、レメさんの力に気付いている。
親友だからじゃなかったのだ。
親友が素晴らしい【黒魔導士】だと知っているから、一緒に組んでいるのだ。
自分の勘違いを恥じながらも、私は彼らの攻略映像を見続けた。
なるほど【炎の勇者】、人類最強に相応しい強さだ。
だが彼がこうも分かりやすく人気を博しているのは、やはりレメさんのサポートがあるからなのではないか。
というのも、彼は炎の精霊にとって実に百三十年ぶりの契約者。過去の契約者は歴史上の人物なわけだ。
かつての契約者の強さを知っていて生きている人間は、いない。
そしてダンジョンにおけるフェニクスの攻撃は、その全てがほとんど一撃必殺なのだ。
これは人気が出るに決まっている。どんな敵でも、攻撃を当てれば一撃で倒してしまう。
憧れる者がいるのも頷けるというもの。
しかしそう上手くいくものだろうか?
もしかするとレメさんは、親友を最強の【勇者】だと印象付ける為に、彼の敵に対しては全力で黒魔法を使っているのかもしれない。
炎の精霊だけは誰も再現出来ないから、疑われることもない。
レメさんは編集後の動画でどの場面がどう使われるかまで考えて動いている、と私は確信している。
彼らが魔王城に入ってからは全て見られるようになったので気づけた。
敵全員に黒魔法を掛けている時も、パーティーから遠い者には混乱や速度低下などを強めに掛ける。基本的にパーティーの近くを上手く撮れている映像が採用されるので、パーティーに到達するのを邪魔したこれも『画面外の出来事』になるわけだ。
どのタイミングでどれだけの敵がどう仲間に迫り、どのような攻撃でどのようにして退場するか。
彼はその全てを計算し、それが決して自分の力によるものだと明かすことなく、また他のパーティーの攻略と比べられても視聴者が違和感を抱かぬように立ち回っていた。
必然、膨大な思考と絶え間ない黒魔法の発動・継続・調整によって彼の肉体的な動きは少なくなり、視聴者からは『突っ立っているだけ』という評価になってしまう。
彼にはそれだけ、実力が露見しては困る理由があり。
その上で、決して手を抜かずに仲間を勝利に導いているのだ。
服が破けたことでローブを借りることが出来、そのことで幸運にも気付けたが、そうでもなければレメさんだと気づくことはなかっただろう。黒魔法を連想することも出来なかった筈だ。
誰にどれだけ馬鹿にされても。
ただ人を助け、ただ仲間を助け、ただ友を助け、勝利を築く。
この人が勇者でないなら、この世の誰にも勇者を名乗る資格はあるまい。
そんなわけで、レメさんが凄まじい【黒魔導士】であると確信した私は、彼のアドバイスに従ってクソ上司の元を去り、魔王様に出逢い四天王にまで上り詰め、レメさんと再会した。
彼がパーティーを追い出されたと聞き、憤りと同時に期待も抱いてしまった。
何故隠しているか、分からないけれど。
私なら……私達魔物なら、貴方の力を知っているからこそ正当に評価出来る。
いや、もしかすると私は、ただ彼に逢いたかっただけなのかもしれない。
◇
ミラさんの牙が迫る。
「み、ミラさん……? 少し怖いんですけど」
「そ、そんな焦らさないでください。じゃあほら、先っぽだけですから。ね? 牙の先っぽだけ少し沈めさせてください」
明らかに理性の飛んだミラさんが、僕の首筋に牙を立てた。
「あむっ」
ぴりっ、と皮膚が貫かれる感触。ずぶ、ぬぷぷっと牙が僕の中に入ってくる。確かに痛かったのは一瞬だった。吸われる筈が、何か注入される感覚。
というか、先っぽだけじゃないじゃないか。全部入れたじゃないか……!
「んっ……」
お風呂に入った時みたいな、ポカポカした感じだ。温かいものに包まれ、疲れが溶け出していくような快感がある。
それにミラさんに密着しているので実際温かいし、すごく柔らかいし、理性を殺すような甘い匂いもする。
「んくっ、んくっ、ごくっ……」
何かがどんどん出ていく。血か。あぁ、でもまずい。これは良すぎる。血を抜かれるなんて体に良くないことを、吸血鬼が獲物に受け入れさせる為の何かなのだろう。
視界が明滅する。
なのに自然と手が彼女の頭に伸び、撫でたり、かと思えば首筋に押し付けたりする。
自分でも意味が分からないくらいに目の前の存在への愛おしさが膨れ上がり、気が狂いそうだった。
「らめれす、レメしゃん。これいじょー、すったら」
彼女が僕の手を掴み、首筋から顔を離す。
つぅ、と血の糸が彼女の牙に引く。
「ぷはっ……これ……だめ……おいしすぎて……だめ……。魔力……量、多くて、それに濃くて、とても人間だとは思えない……すごすぎます、レメさん……」
ミラさんは恍惚とした顔をしながらも、なんとか自分を律しようとしていた。
だが僕の方が限界だった。
「ミラさん!」
今度はこちらが彼女を押し倒す。
「きゃ」
彼女の美しい金色の髪が、白いシーツにぱらぱらと広がる。大きな胸がたゆんと揺れた。
瞳も唇も濡れているように見える。
「れ、レメさん。聞いてください。吸血は被吸血者に多幸感と、酷い高揚を与えます。今、貴方が私に抱いている気持ちは、私の牙から分泌されたものの効果で、まやかしです」
そんなことはどうでもよかった。
今はただ、目の前の美しい女性を――。
「私は貴方がしたいなら、応じます。でもこういうのはきっと、互いをよく知り、深く求め合った時に最高のものとなるのでしょう。ですから、私はその時を待ちたい」
ミラさんは、僕の目を見据えていた。
「でも貴方が我慢出来ないなら、私が貴方を吸血したように、この身体を好きに貪ってください。貴方が守ってくれなければ、とうに失われていたものなのですから」
その身体が、二年前や今朝酔っぱらいに襲われた時のように、震えていて。
僕は冷水を浴びせられたように、正気を取り戻すことが出来た。
ぐぐぐ、と理性を壊そうとする情動を抑えつける。
師匠の地獄の訓練に耐えられたのだ、性欲くらいどうにか出来ずにどうする!
どれくらい経っただろうか。
僕は彼女の上から下り、その隣にぽふっと身体を落とした。
「ごめんなさい……ミラさん」
「いいえ、私が先に説明すべきでした。私ばかり思うままに行動してしまって、申し訳ないです」
「いや、僕が吸っていいって言ったわけだし」
「でも、レメさんだけがお辛いままでしょう?」
まぁ、それはそうかもしれない。
ベッドの上で、互いに向かい合う。
「離れた方が……よいですか?」
手を伸ばせば届く距離に、彼女がいる。
「……いや、よければもう少し、このままで」
ミラさんは少し驚いたような顔をした後、ほんとうに自然に、はにかんだ。
「よいのですか?」
「僕に襲われたら、撃退していいからね。あぁでも……あれが使い物にならなくなるのは困るな」
「うふふ、そんなことはしませんよ。私も困ってしまうではないですか」
「…………ミラさん」
「ごめんなさい、失言でした」
頑張って抑えているというのに。
それから僕らは、互いの二年間に何があったかをぽつぽつと話した。
ミラさんは二年前のことを本当に大切な記憶として持っていてくれて、そこから僕のファンになり、魔王軍に勧誘してくれることになった。
そろそろ宿を出る時間が近くなってきた時。
「そういえば、レメさん」
「うん」
「こういう、一緒に寝るけれど性的な行為に及ばない人のことを、ソフレと言うらしいですよ」
「どういう意味なの?」
「添い寝フレンド、という意味のようです。えっちなことはしないけれど、距離感は普通の友人よりも近いのだとか」
「へぇ……なるほど?」
「今のところは、私達ソフレということにしましょう」
「あー」
今の状態は確かに、添い寝が近い。そのものかも。
「私としては、『添い寝』の部分を『ガール』に変えたいところですが。恋人へのジョブチェンジはまだ早い気がしますので」
そう言ってミラさんは僕の胸を人差し指でつんつんと突いた。
「レメさんの判断で、私達の現状を変えてくださいね」
「僕が決めるんだ」
「こういうのは、殿方が決めるものです」
「男とか女とかで分けられるの、嫌いじゃなかった?」
「嫌いですよ? 貴方だけが例外で、貴方だけが特別なのです。だめですか?」
それはずるい、と僕は思う。
決まりきった答えを、僕は返す。
「だめじゃないです」




