無くさないでと茜色
きっぱりと言ったそれは、誰もが予想出来ないこと。声も出せないでいる大人を落ち着いた様子で見やり、百合はまた口を開いた。
「だから、先生をせめて、ここに置いて下さい」
たとえ二人共にいることがなくても、教師である彼が何の責任も取らない訳にはいかない。処分は必ず下るだろう。けれど、せめて、学校を離れる事態だけはやめて欲しいと、彼女は願う。
「何言ってる! こんな状況なら、普通は大人が責任を」
「普通はでしょ? だけど、私は生徒だからとか、教師だからとか関係ない! 高校にもなれば、何がいけないことで、何を守らなきゃいけないかくらいわかってる! なら、先生だけが責任を負うことなんて許せない!」
「もちろん貴方にもおそらく停学処分が」
「そうじゃないっ! そういうんじゃない!」
必死に叫んで、百合は首を振る。そして、ゆっくりと息を吐いた。もう一度校長の顔を見る。そして、またあの大人びた口調できっぱりと言った。
「それに、中退は既に考えていたことです」
「なっ!」
「私は、進学を諦めて就職しようと考えてます。当ても見つけました。だけどそこは学業より、実績で評価する場所で、更には入りたければ今から入れとも言われました。だから、考えてました」
一気に説明した彼女はゆっくりと頭を下げる。
「こんな勝手なお願い、する立場じゃないことわかってます。だけど、お願いです。私の居場所であるここを、彰がいる学校の空間を無くさないで下さい」
つまらなくて
くるしくて
いみもなかったあのとき
「彰がいたから、私は元の場所に戻れた。ううん、もっと意味のある生活に戻れた。その、温かい居場所を他の人達から取らないで下さい!」
そんなばしょから
たすけてくれた
たとえ、わたしがさいしょからとくべつであっても
あきらは、ほかのひとたちにも
したしまれて
このまれて
ひつようとされてる
だから……
「お願いです。先生を、生徒の気持ちになれる貴重な人を、これ以上なくさないで」
彼女の必死な声に校長と学年主任は顔を見合わせた。
困ったように眉を寄せる二人に、それでも頭を下げるしかなかった。
すっかり空は茜色で結局授業所でもなく、百合は屋上で溜め息をつく。あれから誰にも会っていない。携帯を覗くと何件か電話とメールが入ってるのがわかる。
ちかちかと定期的に光る携帯に嫌気がさして鞄に放る。
「あーぁ、嫌な切っ掛けだな」
本当は、ちゃんと彰に相談して、背中を押してもらうつもりだった。それなのに…。
ふっと苦い笑みを浮かべて、涙を浮かべる。あの時の、彼の表情が忘れられないでいた。勝手に決めて、勝手に押し通した。そんなことすれば誰だって怒るだろう。
「ごめん、ね。彰」
でもわかってほしい。
軽い気持ちで決めたわけじゃないと。
「あ、わかってるか。だから、あの後何も言わなかったんだもんね」
ゆるしてほしい。
わがままを。
「…………だいすき」
「…………知ってるよ」
独り言のように呟いていたそれは実は物陰に座り込んでいた彰に常に向けていたものだった。浮かべていた涙はゆっくりと頬を滑っていく。
「大好き。好き。好きだった! この場所が」
絶対ありえないと思ってたのに
この学校を離れることを躊躇するのが
「彰がいる、みぃちゃんがいる、しおちゃんがいるこの学校が………大好き」
「じゃぁ、馬鹿なこと言うなよ」
「私、言ったよね? 私の居場所は学校じゃなくて、皆の所だって」
濡れたままの顔を彰に向ける。強い瞳と寄せた眉と涙はかなりミスマッチで、けれどそれは彼女の決断の強さの証。
「皆がいてくれるなら、いいの。それに、辞めることは変わらないよ」
「………馬鹿」
同じように泣きそうな表情を彼女に向けて彰はゆっくりと百合を抱き締めた。
茜色に染まりながら。




