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Lv90

 大学祭が終わり家に帰りついた後、俺、と言うよりも俺達が妹達にやいのやいのと言われてから早一週間。


 ドリム問題を解決すべく俺と舞と桜ちゃんとでレコーディングスタジオを借りて歌を録音しようと言うことになった。


 それと同時にかつて俺がドリムとして動画を投稿したアカウントが使えるか確認しろと桜ちゃんに言われていたので、この一週間それだけに尽力していたと言っても過言ではない。


 桜ちゃん曰くアカウントが凍結されている訳ではないようだったので、ひとまずログインしてみようと丸一日IDとパスワードを思い出すことに費やし、結局思い出せなかったので『ID、パスワードを忘れた方はこちら』とある所をクリックして今度はメールアドレスを聞かれる。


 幸い俺が使っているメールアドレス何て携帯のそれが一つに、パソコンで今使っているものが一つ、それから昔使おうと思って動画サイトに登録するため以外には結局使わなかった黒歴史が一つ。


 そのメールを開くためのIDは簡単に思い出せた――と言うよりも忘れようもない何せ「dorimu」なのだから――のだがやはりパスワードの方は思い出せなくて結局「パスワードのヒント」なる過去の自分が書いたヒントを見るに至った。


 そこに書いてあったのは「誕生日と電話番号」。


 はたしてそんな、やってはいけない例、のようなパスワードにしただろうかと試しに自分の誕生日と電話番号を複数パターンでいれてみたがやっぱり違っていて。


 その段階ですでに水曜日になっていた。


 パソコンとかインターネットとか普段から使っていればもっと簡単に済んだのかもしれないが、慣れていないのがどうやら仇になったらしい。


 それから家族の誕生日などを試して、違って。ふと、綺歩の誕生日と電話番号を入れてみると受信ボックスに飛ぶことが出来た。


 その時にユメが「なんだか懐かしいね」と笑っていたけれど、特に俺は何も反応しなかった。ユメが言いたかったことも分からなくはないけれど。


 ようやくメールを開けてからは案外簡単で、動画サイトの管理側からパスワード再発行のメールを送ってもらいそこでIDを確認して――「dorimu」ではなく「dori_mu」だった――パスワードを再発行して、投稿動画の情報欄にどうしてこうなったのかと言いたくなるくらい再生数の多い動画がある事を確認した。


 そんな感じで一週間、家ではパソコンと向き合っていて、ようやく日曜日。


 待ち合わせ場所は駅にある喫茶店。


 貸しスタジオに関しては半日借りてあるらしいのだけれど、今日は桜ちゃんが遅れるかもしれないらしく、もしそうなった時に俺と舞だけでは入れないとの事。


 その桜ちゃんを寒空の下待つよりは近くにある喫茶店にでも逃げ込んでいてください、との事なのでこうやって一人慣れぬ喫茶店に入ってカフェオレを頼んだ。


「そう言えばようやく桜ちゃんに勝てたな」


 一応設定してある待ち合わせ時間よりも幾分も早く来てしまったため、カフェオレが運ばれてきた後、手持無沙汰になった俺はユメに何気なく話しかける。


 ユメは急に話しかけられたからか何なのか最初に『ん?』と一度間をおいてから『勝ったってどういう事?』と尋ねてきた。


「桜ちゃん的には俺がもう一度歌うようになることを勝ちだと思っていたみたいだったろ?」


『あー……確かにそうだけど、わたし、その話されると困るんだけどなー……』


「ユメが居なかったらそもそも勝ちとか負けとかなかったわけだからな」


『遊馬って分かっているのに言うよね』


「それはユメも変わらないだろ?」


『そうかもしれないけど……』


 ユメはそう返した後、何やらブツブツと呟いていた。


 そんなユメに俺は気分を改めるために一口カフェオレを飲んでから声をかける。


「たぶん、こんな事も笑って話せるようにならなくちゃいけないと思うんだよ。


 俺は自分の歌よりユメの歌を選んだだけなんだからユメが気にすることは無いし、変に気にされると俺の方が気まずい」


『でも……ううん。分かった。


 じゃあわたしも言うけど、遊馬っていつもあんな風景を見てたんだね』


「あんな風景?」


 考え方はともかく見ているものは一緒のはずなのだけれど、そんな事を考えて首を傾げるとユメが説明を始める。


『歌わずにステージの上に居る感じって言うのかな? 誰よりも近くでライブを楽しんでいるって感じの風景。


 ちょっとズルいなとか思っちゃった』


「確かにユメは初めてだったよな。あの、自分は参加できていないけど誰よりも近くで参加しているって言う感覚は。


 でも、それと歌を歌うの二択だったらユメは歌を取るだろ?」


『それはそうだけど、ちょっと二兎目を追ってみてもいいんじゃないかなとは思ったよ。


 遊馬は歌を選ばなかった……と言うかわたしが居たから選べなかったんだよね?』


「いや、ユメが居たから選ぶ必要が無くなった……って感じだろうな」


『そっか。ありがと』


 何に対してのお礼なのか分からない俺をユメが言ったところで、見知った顔が喫茶店の戸を開けた。


 姿を現した舞は髪をおろし眼鏡をかけていて、それだけだと可愛いけれど地味目な子なのに、コンタクトに変えてツインテールにしたらドリムになるのだから驚きである。


 舞は店員さんと一言、二言話すと俺を見つけて嬉しそうに近寄って来た。


「遊馬君お待たせ」


「見ての通りカフェオレが冷めてしまったな」


「相変わらずだよね」


 そう言って笑いながら舞が俺の向かい側に座る。


 それからやって来た店員にカプチーノを頼むと俺に「遊馬君は新しいの要らない?」とメニューを渡してきた。


 残り少なくなったカップを見てそれを一気に飲んだ後、渡されたメニューに目を通し今度はココアを頼む。


「遅れるって言っていたけど、やっぱり桜さ……桜ちゃんはまだ来てないんだね」


「舞も慣れないな」


 桜ちゃんの名前を言い直した舞にそう言って笑うと舞が困った顔をして頷く。


 それから気分を切り替えるためか一度下を向いてパッとこちらを向いた。


「遊馬君に一つ報告があるの」


「報告?」


「うん。えっとね、年明けからラジオのメインパーソナリティをやることになったの」


「舞が、ラジオを?」


「なんだかこの間翠さんとやったラジオが妙に好評だったみたいでね。やってみないかって話が来たんだ」


「そっか、良かったな」


 うん。本当に良かった。頭の中でユメが『すごいすごい』って煩いけれど、気持ちは分からなくもないからそれを止めようとも思わない。


 舞の方に視線を向けると安心したような顔をしていた。


「遊馬君に喜んでもらえたみたいで良かった。


 ……実はちょっと不安だったんだ」


「不安? どうして?」


「ラジオって別に歌ったり踊ったりするわけじゃないでしょ? それだとちょっと約束と違うかなって思って」


「でも、ラジオで有名になれば歌ったり踊ったりする機会が増えるかもしれないだろ?


 そしたら舞にとっては良い事じゃないか?」


「そうだね。たぶん、本当は遊馬君も一緒に喜んで欲しかったのかも。


 遊馬君がきっかけをくれたみたいなものだし」


「きっかけなんて大げさだと思うけどな」


 俺の返答に何故か舞が嬉しそうな顔をする。


 それに対して首を傾げたが舞は俺の疑問に答えてくれることはせずに別の話題を振って来た。


「そう言えば大学祭での遊馬君の歌聞いたよ」


「あの場にいたんだな」


「何とか最初だけ聞けたって感じだから、ななゆめの直接対決の結果しかわからないんだけどね。


 ユメちゃん達結局どうなったの?」


「難なく優勝したよ」


「やっぱりそうなっちゃうよね。わたしが出ていてもどうなるかわからなかったもん」


「流石に舞が勝つんじゃないか?」


『舞ちゃんが出るとわたしたちがアウェーになっちゃうからね』


「そんな事ないよ。でも、遊馬君たちになら……」


 舞がそこまで言ってやってしまったと言う顔で「ごめんね、そんなつもりじゃ」と謝る。


 考えてみれば舞も大概負けず嫌いだから対抗心は燃やしていても仕方ないだろう。


 むしろ、舞が敵対心をポロリと出してしまった事が可笑しくて声を出して笑ってしまった。大学祭前の俺だったらムッとしていただろうけれど、今なら俺では舞にも追いつけないのだと分かって自分の選択は間違いじゃなかったと言う気になれる。


 そう思っていると舞が少し不服そうな顔で口を開いた。


「何で笑うの?」


「いや、悪い。確かに俺は舞には勝てないよなと思ってな」


「遊馬君って結構意地悪だよね」


「そんなつもりでもないんだが……そうだな。強いていうなら今日を最後に俺が表舞台に立って歌うことはしないつもりだから、舞やユメにはむしろ当たり前のように俺に勝っていてくれないと応援のし甲斐が無いだろ?」


 そう言うと舞が一変して寂しそうな顔をした。


「やっぱり、遊馬君もう歌う気ないんだね。あんなに歌えるのに……」


「そもそも、大学祭だってドリム問題を解決できるくらい俺が歌えるようになるためみたいなものだったからな」


「遊馬君が歌うのはわたしの為って事?」


「そういう事でもあるな」


 舞の為でもユメの為でもある。二人が今の評判を落とさずに自由に活動するためには俺が歌うしかなかったと初めはそう言うわけだったし。


 そうこうしている間に、また見知った顔が喫茶店に入って来た。


「すみません。遅くなりました」


「桜ちゃんお疲れ」


「えっと、桜……ちゃん、お疲れさま」


「舞さんはそろそろ慣れてくれませんか?」


「これでも、頑張っているんだけど」


「努力は認めますけどね」


 そう言って桜ちゃんが舞の隣に座る。


 それからオリジナルブレンドとやらを頼んだ。


「桜ちゃんも飲むんだな」


「桜にはコーヒーを飲む資格はないって言いたいんですか?」


「いや、桜ちゃんが来たらそのままスタジオに行くと思っていたからな」


「桜もそうしたいのは山々ですが、流石に待ち合わせに使っておいて一杯も頼まずに出ていくのは悪い気がしまして」


「それもそうか」


 桜ちゃんの理論に納得して頷くと、桜ちゃんが満足したように話を始めた。


「ところで遊馬先輩はアカウント復活できました?」


「何とかな。えっと、確かメモが……」


 そう言ってIDとパスワードが書いたメモを取り出そうと思ったが、それを桜ちゃんが制した。


「復活したのならいいです。と言うよりも、IDとかパスワードをそう簡単に人に教えようとしないでください」


「そうだよ、遊馬君。その二つだけはちゃんと自分で管理しないと」


「でも、桜ちゃんか舞がやった方が早くないか?」


「それとこれは話が別だよ」


「データの編集等は桜がやりますから、投稿くらい自分でしてください。


 何だかんだで遊馬先輩が蒔いた種なんですから」


 そう言われると俺がやらざるを得ない。結構軽く考えたパスワードだけれど普段やっている二人はその辺しっかりしているなと思う。


「で、先日連絡した通りの曲を二人にはアカペラで歌ってもらいます」


「やっぱりアカペラなんだな」


「ドリムとして歌うのですから当然ですよ」


「舞はアカペラで歌ったことってあるのか?」


「無くはないけど……って感じかな。遊馬君はあるの?」


「あるって言うか何というか、知っての通り投稿したのはアカペラの歌だったし、最近でも道とか歩きながらアカペラで歌うからな、ユメが」


『なんで急にわたしの名前出すの……って言うか遊馬だってやってたでしょ?』


 頭の中に木魂する怒り声に心の中で笑って返す。


「まあ、時間はそれなりにありますから御二人ならそこまで心配することもないでしょう」


 そう言ったところで桜ちゃんの前にカップが置かれて、桜ちゃんがそれをほぼ一気に飲み下す。


 両手でカップをもって、んくんくと飲む姿はあざとさまで感じたが、一向に終わらない動作にわずかにだが戦慄してしまった。


「さて、それじゃあスタジオに向かいましょうか」


 そう言って立ち上がった桜ちゃんの後に続いて立ち上がるのに、俺だけでなく舞もわずかに間が空いてしまったのはきっと同じことを考えていたのだろう。


 二杯飲んだ俺だけが多くお金を払って喫茶店を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「桜ちゃん、よくあれ一気飲みできたな」


 喫茶店を出て見知らぬ建物に入って、板張りの床にガラスで仕切られたもう一つの部屋がある所に通された後、どうしても聞かずにいられなかったので桜ちゃんに尋ねる。


 それに対して桜ちゃんは一瞬何のことかわからないと言った顔をした。


「ああ、喫茶店の話ですか。コーヒーは飲み物なんですから、そんな凄くもないと思いますが」


「そんな水を飲むみたいに言われてもな」


「流石に水とは違いますが、急がないといけない時に急げる能力って大事だと思いますよ?


 アイドルである舞さんなら分かってもらえると思いますが」


 桜ちゃんのそんな一言に舞が反応することは無く、舞を見てみると何やらしきりに辺りを見回しているようだった。


 それを見ると桜ちゃんは音をたてないように気を付けながら舞の後ろに行くと俺にも聞こえるくらいの声を出した。


「こんなに安そうなスタジオを使うのって初めてだなー……ですか?」


 そう言って笑う桜ちゃんとは対照的に舞は「わっ」と驚いたように二、三歩後退ると今度は怒ったような声を出した。


「そんなこと思ってないよ」


「そこで怒ると逆効果だと思うけどな。むしろ桜ちゃんの方が良いスタジオを使っているイメージではあるんだが」


「遊馬君はたぶんスタジオってわたしがラジオを撮った所しか知らないだろうけど、ここも結構良いレコーディングスタジオだよ。


 むしろ、ここって料金高くなるんじゃないかなって思うんだけど……」


「その辺は大丈夫ですよ。桜は此処の店長と知り合いで何かと割引券やら無料券貰っていますし。


 どうせ使い切れないのでたまにこうやって使わないともったいないですから」


 そういう事ならと舞が安心したような顔をしたが、桜ちゃんの事きっと何かあるだろうと思って少し強めの口調で桜ちゃんに問いかける。


「で、いくらくらいするんだ?」


「良いですよ、そんな気にしなくて」


「で、いくらするんだ?」


「分かりましたよ」


 一回目よりも迫力が出るように頑張って問いかけると桜ちゃんが諦めたような顔で首を振る。


 それから「一人三千円くらいです」と言うので、正直痛いなと思いつつ桜ちゃんに三千円差し出す。


 今日のために大目にお金は持ってきてはいたのでまだ余裕はあるけれど。


「舞、急だったけど出せるか?」


「大丈夫だよ。それよりも遊馬君の方が辛いんじゃない?」


「何せこの中で唯一収入無いですからね。口惜しそうな顔してましたよ?」


 桜ちゃんがそう言って笑うが、確かにこの中だと俺が一番ビンボーなのか。


「えっと、桜……ちゃん。一人三千円でも安いよね?」


「だから言ったじゃないですか安くなるって。とは言え今日できるのがボーカルのレコーディングだけって言う事情もありますが」


「なるほど」


 俺には何となくしかわからない会話を二人がするので、基準が欲しくて「普通だったらいくらするんだ?」と尋ねる。


「どれくらいと言われても困りますが、安いところだと一部屋一時間二、三千円ですからこの人数だと一人当たり一時間千円弱でしょうか」


「ここだと?」


「一時間五桁はいくんじゃないですかね? 今回はボーカルだけなので結構安くしてもらっています」


 よくこんな所を桜ちゃんは使えるなと言うのが最初の感想。でも、それくらい桜ちゃんが本気で今の作曲活動なんかをやっているんだと思えても来る。


「一応言っておきますが、流石にそんなにここを使っている訳じゃないですよ? 桜の家にも十分機材は揃っていますから基本は家で終わらせます」


「じゃあ、どういう時にここを使うんだ?」


「この前舞さんに歌ってもらったような大きなお金が動くお仕事を貰った時でしょうか。


 やっぱり環境が違いますし」


 桜ちゃんの言葉に俺が感心していると、桜ちゃんが「それじゃあ、やってみましょうか」と準備を始めた。


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