Lv65
「桜ちゃん、嬉しいけどちょっと心配し過ぎじゃない?」
「良いんですよ。ユメ先輩相手には心配しすぎなくらいが。
ドリムさんの実力は多少認めても、やっぱりユメ先輩の方が歌に関しては上ですし、桜はまだあの人をドリムだとは認めたくないです」
桜ちゃんの言い方は刺々しいが桜ちゃんの今までの立場やユメの事を心配してくれているということを考えると下手に注意をすることもできない。
ユメは少し困った顔をしてから口を開いた。
「じゃあ桜ちゃんはどうやったら認めてくれる?」
「そうですね……今から会った後何事もなくユメ先輩が戻って来て、ユメ先輩があの人の事をドリムとして認めたら……そしたら認めます」
「約束だからね」
思っていたよりも簡単だったのか、ユメが安心したように返す。
「さて、ついたわ。ユメさん準備はいいかしら?」
秋葉会長に言われて場所を確認すると連れてこられたのは生徒会室。
中に居るのは舞でそんなに緊張しなくてもいいはずなのにユメの鼓動は妙に早くなる。
念のために適当な歌をワンフレーズだけ歌って頷いた。
冷たいドアノブに手をかけてドアを開けると窓から外を見るように舞が立っていた。
最後の曲のままブレザー姿の舞は音でユメに気が付いたのかクルッと髪を靡かせるように回ってこちらを見る。
「こんにちは。初めまして……ですよね」
ユメが先に口を開いたけれど、舞はそれを無視するように話し始める。
その目は敵意のようなもので染まっていて、変に威圧されてしまった。
「悔しいですけど、今回はわたしの負けだとしか言いようがありません」
「そんな。負けだとか勝ちだとかそんな話は……」
「もちろん、ステージの上ではその事は考えないようにわたしの全てを出し切りました。
でも、勝った貴女がその言葉を言わないでください」
この三日間で初めて見る高圧的な舞の様子にユメはもちろん俺も何も言えなくなる。
今日の朝や一昨日会った舞はどこに行ってしまったのだろうかと本当にそう思えるくらいの変わりよう。
「確かにわたしは貴女には勝てないみたいです。なら、どうして今更になって出てきたの?
そんなにドリムって名前を使われるのが嫌だった? それならもっと早く出てくればよかったのに」
「違う、わたしは初代ドリムなんかじゃ……」
「違うわけない。わたしがドリムになるためにどれくらい聴き込んだと思うの?
貴女が初代ドリムじゃないわけない。それに、初代ドリムじゃないならSAKURAが手を貸すわけない。
初代とSAKURA二人を相手にしてわたしが勝てるはずがない。卑怯だよ」
舞の言葉はどこか的を射ていなくて、でもズシリと来るものがある。
話し方も変わってしまったし、ユメの話を全く聞いてくれそうもない。
それでも話を聞いてほしいからユメは平常心のままで舞に語り掛けた。
「落ち着いて、ね。ドリムさん」
「だからなんだよね? だから遊馬君はわたしのライブに来てくれなかったんだよね?
遊馬君は貴女の味方だから。
貴女は何でも持ってる。歌も仲間も遊馬君だって。わたしが欲しいもの全部」
急に俺の名前が出てきて内心驚いてしまうが、今はそんな風に驚いている暇はない。
このままでは舞が何だか壊れてしまいそうで、でも、ユメが何かを言ったところで逆効果にしかならない事くらいはわかる。
「だったらドリムくらいわたしに頂戴よ。
こんな事ならあの時もっと酷い事コメントしておけばよかった」
「ねえ、あの時っていうのは?」
舞の言葉に俺は嫌な予感しかしなくなる。表に出ていたら確実に動悸が激しかっただろう。
ユメが表に出ている今でもいつも通りというわけではないが、それでも俺だった場合よりも何倍もマシ。
「とぼけないで、わたしが「へたくそ」ってコメントしたからネットから逃げたんでしょ?
こんな事になるなら最初から……」
「黙って」
ユメが今まで見たことがないほど怒った様子で、歌っている時以外では聞いたことない位大きな声を出した。
だけれど、舞の言葉を聞いた瞬間から現実感を失ってしまって、ユメが怒った事に対する現実感がほとんどない。ボケっと見ているだけのようなそんな感じ。
ただずっと解けなかった謎が解けような、妙にすっきりしたようなそんな気もした。
要するに目の前にいる舞が俺から歌を奪った元凶。元凶とまで言わなくても大きく関係していることに間違いはない。
それなのに不思議とユメのように怒ろうという気にはなれなかった。
今はただ考える時間が欲しいというか、放っておいてほしいというか。
「そっか。そうなんだ。だったら舞ちゃんに遊馬がどうって言う資格ないよ」
「資格ってそんなの必要ないでしょ? それになんでわたしの名前……」
「舞ちゃんに教えてあげる。初代ドリムについて」
「それは貴女……」
「いいから黙って。さっきも言ったけど、わたしは初代ドリムじゃないよ。
でも初代ドリムが誰かというのは知ってるの」
「誰なの?」
「舞ちゃんも知っている人。
この学校で舞ちゃんが一番親しくしていて、二代目ドリムだということをコンプレックスに思っている舞ちゃんの事を真剣に考えてくれていた人」
ユメの目に映る舞が何かに気が付いたような顔をして、それから何かを振り払うように首を振った。
「まさか、初代ドリムが遊馬君だっていうの? だって遊馬君は男の子でしょ?」
「だから歌わなくなったし、歌えなくなったんだよ
初代ドリムって低音になると声が小さくなるよね。
舞ちゃんはそれをウィスパーで真似しているみたいだけど、本当は裏声だから低音が出しにくいだけだったんだよ」
「でも、そんな素振り全く見せなかった……」
「「俺はネットでもバッサリ言われたらショックだけどな」って言われたんだよね。
それはたとえ話じゃなくて、遊馬が確かに体験した事なんだよ。ショックを受けて好きだった歌も歌わなくなったの」
「でも、それは……」
「もうこれ以上貴女と話していたくない。じゃあね」
舞の言葉を聞くことをせずユメが生徒会室から出る。
俺は頭の中がぐるぐるしていて何が何だかわからなかったけれど。
生徒会室を出ると待ち伏せていたかのように桜ちゃんが姿を現した。
「ごめんね桜ちゃん。あんなこと言ったのにわたしの方が約束守れなかったよ」
「桜は全然かまいませんよ。むしろ、こうなる可能性も考えて秋ちゃんに話して例の件はどうなるかわからないって言っておきました」
「うん。ありがとう」
「とりあえず音楽室に行きませんか? どうなるにしてもまだ時間はありますし、文化祭の閉幕式には出なくてもいいように秋ちゃんに頼みました」
「秋葉会長に頼ってばかりだね」
「お返しはユメ先輩がしてくださいね。たぶん十五分話すだけで大丈夫だと思いますから」
「それは、嫌だなー……」
そう言ってユメが困った笑いをすると、桜ちゃんが心配そうにユメの顔を覗き込んでくる。
「ユメ先輩大丈夫ですか?」
「わたしは大丈夫だよ」
暗に俺は大丈夫じゃないと言うようなセリフに何かを返さなければいけない衝動に駆られる。
でも、やっぱり何も言えなくて。
「ねえ、桜ちゃん」
「何ですか?」
「出来れば一人にして欲しい……かな」
「嫌です。大体ユメ先輩も遊馬先輩も一人にはなれないじゃないですか」
「それはそうなんだけど……」
「何だったら桜は居ないものとしてくれても構わないですよ」
それを聞いてユメが何か考えるそぶりをしたかと思うと、俺の名前を呼ぶ。
「遊馬ごめんね」
『どうしてユメが謝るんだよ』
「今日はわたしに任せるって言ったのに、わたしじゃ駄目だったから。
でも、舞ちゃんが遊馬を傷つけたんだと思うと今でも嫌な気持ちになるよ」
何でユメがそんなに泣きそうな声で話すのだろう。
もともと俺だったから?
それとも、俺とは別のユメとして悲しそうな声を出すのだろうか?
『なあ、ユメ』
「遊馬どうしたの?」
『ユメはユメが俺だったから怒ったのか? それとも、別の理由があるのか?』
俺が尋ねると、ユメが驚いたように顔を逸らす。それから、恥ずかしそうに声を出した。
「ゆ、遊馬だって、ななゆめのメンバーとか、藍とか結城とか大切な人を傷つけた人だってわかったら怒るよね?
でも、遊馬のためってわけでもないって言うか……わたしが勝手に怒っただけで……」
ユメはそこまで言うと困ったように黙ってしまったけれど、俺は心の奥に確かなものを見つけることが出来た。
「先輩が一人でイチャイチャしている間につきましたよ」
「イチャイチャって……そんな……」
「わかっていますよ。でも、本当に桜置物だなって思いまして意地悪してみました」
「もう、桜ちゃんは……」
呆れた声を出しつつもユメが笑顔になる。
「あ、出来れば遊馬先輩に戻ってもらってもいいですか? 少し話したいことがあるので」
「えっと、その……遊馬大丈夫?」
『ああ、大丈夫』
不安そうに尋ねるユメに出来るだけ躊躇わないように返すと、ユメは安心したように一息つくいて桜ちゃんに「着替えてくるね」と声をかけた。
腕時計はすでに三分前を告げ終っていて、俺に戻るまでにそんなに時間はかからないだろう。
桜ちゃんが話したいことと言うのはわからないけれど、俺としても桜ちゃんに聞きたいことがある。
着替え終わってもユメは何も話してくれなくて、ほどなく俺と入れ替わった。
「それで、桜ちゃんが話したかったことって言うのは?」
準備室から出て、壁を背に座っていた桜ちゃんに尋ねると桜ちゃんがポンポンと自分の隣の床を叩いた。
隣に座れって事なんだろうけれど、後輩の女の子にそれをされるのは何だかちぐはぐな気もする。
かと言って突っ立ていても仕方がないので、肩を並べるように桜ちゃんの隣に座った。
それから、さてどんな事を聞かれるのかなと思っていると桜ちゃんの声が聞こえてくる。
「遊馬先輩って秋ちゃんに抱き付かれたことがあるんですよね」
「な……」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。
桜と秋ちゃんはメル友なんですから」
「ま、まあ。否定はしないけど、なんでそんな事を聞くんだ?」
「秋ちゃんがやったんなら桜もやっていいかなーなんて。冗談ですが」
いつもと変わらない調子で話す桜ちゃんに思わずため息を漏らしてしまう。
桜ちゃんはそれでもかまわず話を続けた。
「それとも抱き着いてほしかったですか?」
「桜ちゃんみたいに可愛い子に抱き付いてもらえるなら男冥利に尽きるけどな。
結局桜ちゃんはどうしたいんだ?」
「遊馬先輩がもしも折れそうなら支えになってあげようかなって思っているだけですよ」
「折れそうってわけじゃないが、結構頭の中がこんがらがっていて……疲れたかな」
「それなら肩を貸してあげましょうか」
桜ちゃんはそういうと、隣にいる俺の頭をグイッと引き寄せ自分の方に乗せた。
やっぱりこれって立場逆なんじゃないかと思うのだけれど、でもこうやって優しくされて悪い気はしないし、何か近くに人がいると実感できて安心する。
「でも、ちょっと予想外ですね」
「予想外?」
「遊馬先輩が思っていたよりは強くて。最悪本当に抱きしめてあげようと思っていたんですけど」
「最近俺ってそんな風に気を使われることが多い気がするんだが、そんなに頼りなさそうに見えるか?」
「後輩に肩を借りている人がそんな事を言ってもって感じがしますよ。
でも、そうですね。頼りなさそうと言うか、平気で自分を押し込めてしまいそうには見えます。
限界まで我慢して、もう手の打ちようがないところまでいってしまうって感じでしょうか」
「そうか?」
首を傾げることが出来ないので、声色だけで疑問を示すと桜ちゃんが呆れた口調で答える。
「そんなだから困るんですよ。
遊馬先輩の場合人にわかってもらうことは難しいかもしれないですけど、たまには愚痴ったりしていいと思いますよ?
それとも、桜じゃ頼りないですか」
「桜ちゃんに言うと茶化されそうだからな」
「確かにそうかもしれないですね」
桜ちゃんがそう言って笑う。顔は見えないのだけれど、多分笑っているのではないかと思う。
今なら聞きたかったことが聞けるかなと思い口を開くことにした。
「桜ちゃんの中で俺ってどんな存在なんだ?」
「少なくとも恋愛対象ではないです」
「バッサリいったな。
まあ、ここで実は好きでしたなんて言われてもそれはそれで困るんだけど。
でも、そう言うことじゃなくて……」
「要するに先輩は自分がユメ先輩の付属品に見られているんじゃないかって思っているんですよね?」
「そこまで言うつもりはないけど、まあ、似たようなものか」
「正直そう見ていた時もありますよ。桜はあくまで初代ドリムの歌が目的だったわけですし。
それに、最初は先輩たち自身が同じ存在だみたいなスタンスでしたし」
「確かにそんな時期もあったな」
「でも、最近はどうでしょうね。少なくとも付属品相手にこうやって肩を貸したりはしないと思います。
ユメ先輩は桜にとってその名前通り夢であり目標です。出来ることなら一生ユメ先輩と音楽をやり続けたいとは思います」
本気なのか冗談なのかわからない感じで桜ちゃんが言ったけれど、あまり本意を考えずに「それは重いな」と軽く返しておく。
桜ちゃんは俺の返答に特に変わった反応を見せることなく前の話に続けるように話し始めた。
「それで、遊馬先輩は同志ってイメージが強いんでしょうね」
「同志?」
「ユメ先輩のために身を犠牲にする同志って感じです。桜は遊馬先輩ほど身は削れないと思いますけどね。
でも、ユメ先輩が歌を続けていけるように精一杯お手伝いさせてもらうつもりです。
そういう意味だとユメ先輩よりも遊馬先輩との方が親しくしたいですね。対等でいてほしいと言いますか」
「それって今でも先輩として見ていないって事じゃないか?」
俺が軽口のつもりそういうと、桜ちゃんがクスクス笑って「気が付いてなかったんですか?」と小馬鹿にしたような口調で言った。
「冗談……とは言わないんだな」
「もちろん、先輩に対して最低限の敬意は払っているつもりですよ?
ただそれ以上に、年齢とか関係なしの御付き合い出来たらなと思っているだけです。
結局、遊馬先輩にもユメ先輩にもいてもらわないと困るのですよ」
桜ちゃんの言葉に妙な安心感を得る。本当に最低限の敬意を払われているかはわからないけれど。
今は新しくできた今の仲間とのユメとの関係を大事にしていく事の方が大切。
ブレちゃいけないのはそこだけで、俺が歌うとかそういうのは二の次で良いはずだったのだ。
歌を諦められないことは今に始まったことじゃない。でも、俺が思っていたよりも俺は歌に執着していたらしい。
諦めないといけないのに諦められなくて、それに対して上手く折り合いをつけることもできない。
だから、歌えなくなったきっかけに遭遇しただけで簡単に自分の中の基準がブレてしまった。
「なるほど。確かに俺は弱いかもしれないな。どんなに隠したつもりでも、俺はユメのように歌いたいのかもしれない」
「それは仕方がないんじゃないですか? 遊馬先輩はいつもあんなに楽しそうに歌うユメ先輩を一番近くで見ているんですから。
それに、遊馬先輩の場合今は無理でも昔は出来たことですからね。簡単に諦めるってわけにはいかないんじゃないですか?」
「そうなんだろうな。でも、ユメが見ている景色を見るのも楽しい事には違いないんだよ。
それに、俺の中で答えは出ているはずなのに、何かもやもやするんだよな」
言い終ってから、こんなこと言うつもりじゃなかったのにと思う。
後輩の女の子に弱音を吐いているような感じがして。でも、桜ちゃんとは先輩だとか後輩だとかそんなことは関係ないんだっけ?
「遊馬先輩とユメ先輩の関係は最終的には先輩の中でどうにかしてもらうしかありませんが、たぶん先輩の気が晴れないのは友達だと思っていた人に裏切られたと思っているからじゃないですか?」
「ああ、なるほど」
舞の言葉は俺の本音を俺自身が知るきっかけにはなったけれど、そもそもの問題は全く別の所にあったと。俺の気持ちの問題と、友達との人間関係の問題。
納得は出来たが、やっぱり心は晴れないまま。ただ、自分の中で一つはっきりしてしまったので先ほどまでのように落ち込むようなこともないが。
「桜はやっぱりあの人が好きになれないので擁護するのは気が引けるんですが、でも、遊馬先輩の友達なんですよね」
「そうだな。お人よしって言われそうな気もするが、今でも友達だと思っているらしい」
「じゃあ仕方がないので少しだけ先輩の気が晴れる事を言ってあげます。
その前に確認なんですが、今のドリムさんが先輩の事をへたくそだと言った張本人ってことで良いんですよね」
「舞の話からするとな」
「でも、それって何年も前の話で先輩と友達になる前の舞さんがやった事なんですよ。
先輩が時効と言う言葉をどう思うかはわかりませんが、先輩なら話くらい聞いてあげようって気になるんじゃないですか?」
「何か理由があるかもしれないと?」
「十中八九嫉妬でしょうね。自分と同じ年くらいの人が自分の得意分野でその上に立っていたんですから。
でも、嫉妬くらいなら遊馬先輩もユメ先輩に抱いたことくらいあるんじゃないですか? 舞さんが先輩に抱いたものの数倍くらいのが」
「そう……だな」
「でも、今は二人仲良しですよね。イチャイチャするくらいですから」
「イチャイチャはしてないけどな」
「数か月でそんな関係になれたんですから、数年たった場合だと当時の事をもう少し目を瞑って話ができるんじゃないですか?」
ここまで桜ちゃんはいつもと同じ雰囲気でいつもと同じようにズバズバと心に刺さる言葉を使うけれど、それでも端々に優しさが見られて。
それでいて、桜ちゃんの言う通りなのではないかと言う気にさせられる。
そう思っていると、音楽室のドアがノックされ桜ちゃんが少し離れて俺の方を見た。
「さて、先輩このまま居留守をしますか? それともドアを開けますか?」
「桜ちゃんは誰が来たのかわかるのか?」
「先輩と話しながら秋ちゃんと連絡とっていましたから。だから、こんなタイミングよく来るんですよ」
全ては桜ちゃんの掌の上。そんな感じのするセリフに溜息が出る。
でも、実際問題として今舞と正面から向き合ってどうなるのか俺には分からない。分からないけれど、ここまでお膳立てされて何もしないわけにはいかないだろうなとも思う。
そうしている間に、もう一度ノックの音が聞こえてきて、桜ちゃんに「さっきのユメとの約束俺ともしないか?」と尋ねた。
「本当に先輩は約束好きですね」
からかうように桜ちゃんはそういうと「わかりました」と返す。
それからドアの方に向かうといつもの調子で「誰ですか~?」とドアを開けた。
「あの、ここに遊馬君がいるって……」
「居ますよ。でも、噂のドリムさんがわざわざ先輩にどんな用事ですか?」
「あ、貴女って確か……」
「まあ、いいでしょう。先輩呼ばれていますよ」
そんな二人の会話の後に桜ちゃんに手招きされてそちらへ向かう。
今さらながらどんな顔をして会えばいいのかサッパリわからない。
そもそも、どんなスタンスで対応すればいいのかすらわからない。
ドアのレールを挟んで舞と顔を合わせると、舞はもじもじと何かを言いたそうにしながらも何も口にしない。それはこちらも大して変わらないだろうけれど。
「……」
「……」
あまりにも話が始まらないので、思い切って声を出すことにした。
「舞のライブ凄かったな。何か二回も衣装替えしてたし、でも、今のブレザー姿が見慣れているせいか一番しっくりくるな」
「ゆ、遊馬君見に来てくれてたの?」
「約束したからな見に行くって。舞から見える位置にはいられなかったけど、こっちからはしっかり見てた。
正直舞を侮っていたからあそこまで引き込まれるなんて思ってなかった」
「それは遊馬君のお蔭。遊馬君が最初の日にわたしに色々言ってくれたから」
舞は未だおどおどしていたけれど、俺の言葉を聞いて少しだけ嬉しそうな表情で俯く。
それから、意を決したように真っ直ぐ俺を見た。
「ねえ、遊馬君。遊馬君が初代ドリムだったって本当?」
「だいぶ昔、たった数日だけだったけどな」
「冗談……じゃないよね?」
「こんな時に冗談を言う趣味はないな」
「じゃあ、わたしが二代目ドリムだってわかっていたのに、優しくしてくれたのはどうして?」
「舞の歌を聞いて勿体ないなと思ったからな。ドリムって名前に縛られているような、そのせいで男の俺の歌を真似て無理しているような感じがしてた。
出来れば自分で気が付いてほしいなって思っていたから言わなかったが。
後は、一緒に文化祭回った時楽しかったから……だな」
俺の返答を聞いて舞の顔が少し歪む。それが、何を意味しているのか深く考えないようにして舞の言葉を待った。
「遊馬君が初代ドリムなら、あのユメっていう子は何なの?」
「俺が見たことのない景色を見せてくれる代わりに名前と歌をあげた人」
俺の答えに舞が複雑そうな顔をする。気持ちはわかるが俺としても真実しか言っていない以上の答えもない。
舞が困った顔で俺を真っ直ぐ見ると、まるで懇願するような目をする。
「ねえ、遊馬君。わたし遊馬君の言うこと信じたい、信じたいんだけど……」
「信じるに足る何かがないって事ですよね」
急に話に入ってきた桜ちゃんに舞が驚いた顔をした。
「貴女は確か軽音楽部のベースの……」
「そうですよ。会うのは二回目ですね」
「あの、出来れば遊馬君と二人で話が……」
「それは駄目です。舞さんにこれ以上先輩虐められたくないですし」
「わ、わたし虐めてなんかないです」
何かいつもの桜ちゃんのペースだなと話において行かれながら、思わず口の端が緩んでしまった。
押され気味の舞と俺の間に半歩足を踏み入れると、桜ちゃんは構わず話し始める。
「とりあえず、遊馬先輩が本物の初代ドリムかどうかですが、先ほどユメ先輩と話しているときに言っていましたよね。
「初代ドリムじゃなければSAKURAが手を貸すわけがない」って。今まさにその状況なんですよ」
「え……? まさか貴女がSAKURAなんですか」
「まさかも何も桜がSAKURAですよ。何なら今からブログを更新しましょうか?」
そう言いながら桜ちゃんが携帯を弄り始める。
それと同時進行で話も続けた。
「あと遊馬先輩が初代だって証拠は、ななゆめの一員だって事でしょうか。
ライブの時に何もやっていないのにこのバンドに居られるのは先輩が初代ドリムだったからです」
俺が初代ドリムじゃなかったらユメは生まれなかっただろうし、現状ユメがいるからななゆめに居られている側面がある以上嘘ではないだろうけれど、なんてグレーゾーンなところを狙うのだろうか。
それから桜ちゃんが携帯を舞に舞に突きつける。
初めはぽかんと見ているだけだった舞だったが、次第に目を丸くしていった。
「う、うん。確かに遊馬君が初代なのは認めます。でも、わたしは遊馬君をいじめてなんかないです」
「遊馬先輩が初代ドリムだと本当はもっと簡単に証明できるはずなんです。ですが、それが出来ないのは舞さんが原因だからなんですよ。
それがどういうことかを説明することが出来ないのも舞さんに責任の一端はあります。
それなのに、それを聞くのは虐めにしか見えないですよ」
「でも、舞はそれを知らないわけだし」
「知らなかったら何をやっていいってわけじゃないんですよ?」
そう言って桜ちゃんが横目で舞を見る。桜ちゃんが舞のこと好きじゃないって言っていたのは本当の事だったんだなと思わなくもない。
舞ははじめ何か言いたそうな顔をしていたけれど、すぐに首を振ってから深呼吸をするように大きくゆっくりと呼吸をした。
「確かにわたしは何も知らないかもしれない。でも、遊馬君が初代だって事は信じる。
だから、遊馬君に一つ聞いてもいい?」
「答えられるものならな」
「遊馬君が歌を投稿しなくなったのはどうしてなの?」
「初めて来たコメントが「へたくそ」で自信を無くしたから……だな」
「……もう一つだけ聞かせて。
そのコメントをしたのがわたしだったとしたら、それでも友達でいてくれる?」
舞の声が少し震えている。
俺も出来ればすぐに頷きたかったけれど、今はそういうわけにはいかない。
俺が音楽室のドアを開けることを桜ちゃんに許可したのはここで聞かないといけないことがあるから。
「俺の質問に対する舞の返答次第……だな」
「うん……何でも答えるよ」
「じゃあ。どうして舞はそんなコメントをしたんだ?」
俺の問いに舞が視線を逸らす。それから、右の二の腕を左の手で掴んだ。
「羨ましかったの。わたしも頑張っているつもりだったけど、同年代の人に抜かれたような気がして、それが嫌で羨ましくって妬ましくって。
偶々投稿した直後だったから、せめてこの人が目立たないようにしようってへたくそってコメントしたの。あとから見た人がわたしのコメントに引っ張られて下手だと思い込むように」
「それで、今はどう思っているんだ?」
「今は……わからないよ。初代ドリムが遊馬君だってわかった今の状況だったらやらなかったらよかったって思ってる。
でも、昨日までならあんまり何も思わなかったと思うよ」
話している間にも舞の声から元気がなくなっていく。
正直ここまで赤裸々に話してくれるとは思っていなかった。思っていなかったからこそ何か裏があるのではないかと言う思考が頭をよぎる。
でも、それじゃあ最初から聞く意味なんてないし、最終的には俺の事を信じてくれた舞の事を信じたい。
「じゃあ、初代ドリムがユメだったとしたら?」
「……やってて良かったよ思うよ。ううん、もっと酷いコメントをしておけばよかったって思う」
舞はそういうと、自嘲気味に「はは……」と笑った。
「自分で言っていて、なんて都合が良いんだろうって思うよ。
こんなじゃ本当にあの子の言った通り遊馬君の友達になりたいなんて無理だよね。ごめんね、時間取らせちゃって。
一昨日も今日もとっても楽しかったよ。
じゃあね」
気丈な笑顔を浮かべて舞が踵を返す。そのまま去ろうとする肩を俺は思わず掴んだ。
こちらを向いた舞の目は目に見えて潤んでいる。
「友達にならないなんて言ってないだろ?」
「でも、質問の答え次第って……」
「誰も舞に非のない答えを聞きたかったわけじゃない」
そもそも、桜ちゃんに十中八九嫉妬と言われていたし。
こんな風に別れるためにわざわざ顔を合わせたわけじゃない。
「なあ、舞。一度でいいから、ドリムじゃない舞としてユメ達と歌ってみないか?」
俺の言葉を聞いて舞が驚いた顔をする。
俺も、多分ユメも舞をどうしたいかなんて分かっていない。でも、舞がドリムと言う名前に踊らされているだけだったなら、これで何かに気が付いてくれるかもしれない。
「遊馬君がそれで、またわたしと友達になってくれる可能性があるなら……
でも、あの子はわたしと一緒になんて歌いたくないんじゃないかな……」
「そんなわけで、はい遊馬先輩。電話しておきましたよ」
こんな雰囲気でもテンションの変わらない桜ちゃんがいてくれるおかげで、深刻になりすぎないんだろうなと感謝しながら桜ちゃんの携帯を受け取る。
しかも、空気が読めていないのではなくわかったうえでの対応なのだろうから恐ろしい。
「ユメ、実はな」
『……わたしはいいよ。でも、これが最後のチャンスだよ?
もし、それで舞ちゃんが何も気が付けなかったら、絶対に遊馬に近づかないで』
「ありがとうユメ。それじゃあ」
「ユメ先輩、なんて言っていましたか?」
電話を切ったふりをして、桜ちゃんに返すと桜ちゃんがそう尋ねてくる。
それに対して俺は桜ちゃんではなく舞の方を向いて答えた。
「一緒には歌うけど、もしも舞がそれで何も気が付けなかったら俺に近づくな……と」
「うん。それでいいよ。それでいつやったらいいの?」
さっきまで落ち込んでいたようだった舞の目に力強さが戻ってくる。
そこまで俺の事を気に入ってくれていたのかと少し驚いたが、それ以上に、確かにやることが決まった今落ち込んでいても意味がないとはいえすぐに立ち直った強さに驚いた。
そうやって驚いていたから、返事が遅れて代わりに桜ちゃんが説明をしてくれる。
「今日の後夜祭です。前々からドリムさんと一緒に歌うんだとユメ先輩と遊馬先輩が計画していましたから、滞りなくいくはずですよ?
まあ、本来はもっと気持ちのいい感じでやりたかったコラボではありましたけどね」
「遊馬君が……? そっか。
それじゃあ、わたしは行くね。たぶん生徒会長さんとかに聞いたら詳しく教えてくれるよね?」
「ああ、たぶんな」
何だか声をかけるのが難しくてそれだけ返すと、舞は音楽室を出て行った。
舞が出て行って少し経った頃、桜ちゃんが不満そうな顔で口を開く。
「結局遊馬先輩も桜との約束守れなかったわけですけど、桜は演奏しなくていいですか?」
「……出来ればして欲しいな」
「じゃあこれでひとつ貸しですからね?」
「ありがとう桜ちゃん」
「いえいえ、桜は先輩を虐める気はないですから」
そう言うなら貸しとか言わなければいいのにと思わなくもないけれど、悪戯っぽく笑う桜ちゃんを見ているとむしろそれがちゃんらしくて、少しだけ笑うことが出来た。




