Lv37
ライブから二日後。今日は皆で海に行く日。
昨日一日準備をどうするか考えて、結局海パンに黒のTシャツで泳ぐと言う事になった。
Tシャツが黒の理由は透けないように。多少暑いだろうが海に入るのだからその辺は大丈夫だと信じたい。
着て行く服はユメが着ても大丈夫そうな服。要するにいつもと大して変わらない。
「お兄ちゃん準備できた?」
藍と優希がそう言って入ってくる。二人とももう準備は万端と言った感じで、藍は恐らく葉っぱをイメージしているのだろう緑と白のロングサマードレスに水色のカーディガン。外に出たら被るのであろう麦わら帽子を手に持っている。
優希はボーダーのノースリーブにショートパンツ。帽子などは持っていない。
入ってくるなりにこにこしている妹達に「似合ってるな」と声をかけると満面の笑みへと変わる。
実際似合っているのだから訂正したりすることはないのだけれど、去年までは絶対にありえなかった――小さかった頃を除く――状況に妙なくすぐったさをおぼえてしまう。
「兄ちゃんは相変わらずいつも通りなんだね」
「まあ、いつユメと替わると分からないからな」
「そう言えばお兄ちゃん、ユメさんの服ってあるの?」
「あるにはあるが……」
『そう言えばあれ以来着てないね。着る機会がなかったと言えなくもないけれど』
「家を出る時からお姉ちゃんってわけにはいかないから、そんなに持ってないのか」
「いっそのことお母さんにもユメさんのこと教えるのって言うのは駄目なの?」
「駄目じゃないんだろうけど、優希の時の事もあるしな」
「あ、あたしは別に、ちょっと驚いただけで……」
「別に優希を責めているわけじゃなくて、単純にユメの事を話すとなると反応が予想できなくてちょっと怖いんだよな。藍も混乱していたみたいだし」
「えっと……やっぱりユメさんのことをお母さんに言うのは難しいかな」
取り繕うように藍がそう言って話が一段落する。
「遊馬、綺歩ちゃんが来たわよ。早くいらっしゃい」
母さんのそんな声が聞こえて来たので急いで玄関に行くと綺歩が楽しそうな顔で待っていた。
「悪いな待たせて」
「ううん、そんな事無いよ。優希ちゃんに藍ちゃんおはよう」
「綺歩さんおはようございます」
「綺歩ちゃんおはよ」
今日の綺歩の格好はいつかの買い物とあまり変わらない印象を受ける。Tシャツにロングスカート、それからカノチェ。全体の色のイメージは青。
Tシャツを押し上げるそれはユメを含めたこの中の誰よりも大きい。
「綺歩って青が好きだよな」
「うん? そうだね。何かさわやかな感じがして好きかな。それに青系だって水色とかなら可愛いし」
「そんなもんか」
「そんなもんなんだよ」
コロコロと笑う綺歩の背中を押して家を出る。
じりじりと照りつける日差しが今すぐにでも家に引き返せと言わんばかりだが、前を歩く妹を見ているとそう言うわけにもいかない。
「さすがに暑いね」
「夏もまっただ中だからな。去年はずっとクーラーのきいた部屋にいたからだいぶ久しぶりな気がするよ」
「駄目だよ、引きこもったら」
「今年は引きこもりたくても引きこもれなさそうだけどな」
「それもそうか。部活に来ないと稜子に押し掛けられそうだもんね」
「こっちとしては笑い事じゃないんだけどな」
『もとより遊馬が部活に行かなかったら、わたしがうるさくすると思うけどね』
「俺にしか聞こえない分凶悪だな」
「ユメちゃんなんだって?」
「俺が部活に行かなかったらうるさくするんだと」
「ユメちゃんは歌うの好きだもんね」
綺歩が声を出さずに笑う。綺歩にそうやって微笑んで貰えると言う事は北高生として本来諸手を挙げて喜んでいいはずのことであり、俺だって悪い気はしないけれど何となく含みがありそうで、ぎこちなく「ああ、そうだな」と返した。
◇◇◇◇◇◇
夏休み、しかも日曜日の駅と言うのは人が多いもので、そのせいでやや気温が上昇したようにも感じる。
待ち合わせ場所に着く頃には薄らとだが全身に汗をかいてしまっていて団扇か何か持ってきておけばよかったと少し後悔した。
俺たちよりも先に来ていたのは前回の買い物同様桜ちゃんと鼓ちゃん。
桜ちゃんは白のTシャツに中に黒のノースリーブでも来ているのか肩辺りにひものようなものが見えている。
下は腿くらいのデニム生地のパンツ。腰に黒い上着か何かを巻き付けている格好。
鼓ちゃんは藍とは違う黄色を基調にしたサマードレス。帽子は藍のそれよりもつばが二回りほど小さい麦わら帽子。
前を歩いていて先に気がついたのであろう藍と優希が真っ先に二人に声をかける。
「忠海さんに初春さんお待たせしました」
「こんにちは」
「藍ちゃんに優希ちゃん、こんにちは」
「待ち合わせの時間まで後十五分くらいありますし、気にしなくて大丈夫ですよ……で終わらせたいところだったんですが、何やら前回遅かったお二方が既に来ているので先輩方で最後なんですよ」
「その言い方はどこか引っかかるわね桜」
「まあ、実際前回はギリギリだったからねえ」
「それは御崎だけでしょ? アタシは早めに来たわよ」
どこからかぬっと現れた二人は相変わらずラフな格好をしていた。
海までは三駅、三十分と言ったところ。八人と大所帯でボックス席一つでは足りず二つに分かれる事になった。そのため二年生とそれ以外で別れる。
妹達は俺と一緒の方がいいのではと言う話もあったが、一昨日の様子を見ている限り一年生二人となら別に問題ないだろう。
それよりも俺は一つ気になることがある。一誠の荷物。それがどう見ても多すぎるのだ。
「なあ一誠。何持ってきたんだ? 旅行にでも行く気か?」
「何ってそんなネタばらしを今やるわけないだろ? 遊馬」
「それに関してはアタシも聞いては見たんだけど、教えてくれなかったのよね」
「稜子が聞いても駄目なら駄目か」
「まあ、何となく想像はできるけれどね」
確かに海に行くのだから持ってくる物と言えばいくつかしかない。そう言えばライブの帰り桜ちゃんと一誠が何やら企んでいたようだったけれどこれのことだったのだろうか。
一誠なりにこの海で楽しませようとしてくれていたのだろうから、これ以上話を続けるのも野暮だろうと、適当に話を変えた。
ふと窓の外を見ると一年生や妹の向こう側に日の光を反射した海がキラキラと光っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「「海だ~」」
さんさんと日差しの降り注ぐ中、その日差しに負けない声でそう言って両手をあげ駆け出すのは一誠と桜ちゃん。
夏の海水浴場と言う事もあり結構な人がいる中でよくもそんな事が出来るなと思うのだけれど、俺達と同じ電車に乗ってきたのであろう別グループも同じことをやっていた。
一緒に来た残りのメンバーを見て見ると綺歩と藍があらあらと言った感じで二人を眺め、優希と稜子がうずうずしていて、鼓ちゃんがおどおどしている。
『遊馬だって実は誰かに混ざりたいんでしょ?』
「俺がユメだったらあの二人と一緒に駆け出していたかもしれないな」
『じゃあ、駆け出せぱいいのに』
「俺はユメじゃないからな」
そう言って、うずうずしている方の二人組の所に向かう。
「お前達も行きたいなら行ったらいいんじゃないか?」
「なによ遊馬。別に行きたいってわけじゃ……」
「そうだよ兄ちゃん。あたしももう子供じゃないんだから」
「少なくともあの二人は優希より年上だと思うが……じゃあ、俺が行きたいから付き合ってくれ」
「し、仕方ないわね。しょうがなくよ? しょうがなく」
「兄ちゃん一人で行かせるのはかわいそうだもんね」
「それじゃ、せーの」
「「海だー」」
そう言って楽しそうに駆け出す二人を見送ってやっぱりそれを眺めながら微笑んでいる二人の所に行く。
その途中で海の方から「遊馬、騙したわね。後で覚えていなさいよ」「兄ちゃんの嘘つき」と楽しそうな声が聞こえたがそれは無視。
二人の所に着くと綺歩が笑顔で話しかけてきた。
「いいの? 遊君」
「いいんじゃないか?」
「はしゃぎたくなる気持ちも分かるんだけどね」
「そしたら藍も一緒に行けば良かったんじゃないか?」
「そうしたかったんだけど、お弁当持ってきてるから走れなくって」
「いつの間に作ったんだか」
そんな事を話しながら藍と綺歩と、それから鼓ちゃんを呼んで四人で歩きながら皆の所に向かう。
まだ靴は履いているため熱くはないが、白い砂浜に体重をかけると足が沈みこむと言う独特の歩きにくさに手こずってしまった。
ようやくと言った感じで到着すると、レジャーシートの上に何故かビーチパラソルがあった。
「まさか一誠このパラソル持ってきたとか言わないよな?」
「さすがにこんなの持ってこれないって。海の家でレンタルしてたから借りたんよ」
「何か安心したよ」
男二人でそんな話をしていると、桜ちゃんが「それじゃあ、着替えに行きましょうか」と声を出す。
「先輩二人は待っていてくださいね」
「あいあい、いってら~」
「そう言えばここ女子更衣室はあるんだっけか?」
「まあ男は外で着替えてもって感じだろうさ」
言いながら一誠が着替え始めたので、俺も着替え始める。
こういった場面だと水着を中に着てきて帰りに着て行く下着がないなんてよくネタにされるが、今日はそんな事はしていないうえ最悪ユメの着替えも持ってきてはいるので途中までユメで帰れば良い。
幸か不幸か、ここ数か月で極めた着替えスキルがタオルを巻いて多少気が得にくい状況下でも早着替えを可能にしてくれたのでさっさと着替えてレジャーシートに腰掛ける。
日蔭の中とは言え先ほどまで炎天下照らされ続けた砂浜は、その上にレジャーシートを敷いたところでその熱さが隠されることはなく多少我慢しないといけないくらいには熱い。
「こう、海やプールで女子の着替えを待つって定番だよな」
「海に向かって駆け出す然り、本当に定番が好きだよな」
「せっかくだしやっとけってなるだろ?」
「まあ、気持ちは分からなくもないが……」
「せーんぱい。何話しているんですか?」
「桜ちゃん待ってよ」
「二人とも早かったな」
一誠と話していると思った以上に早くやってきた一年生組にそんな声を掛けて振り返る。
すぐ近くに立っていた桜ちゃんを見上げる様に見るとどうですかと言わんばかりの顔をした。
緑で縁取られたドット柄のビキニは確かによく似合っているし、オレンジのワンピースの水着を着ている鼓ちゃんも可愛いと思うのだけれど。
「さすがに我が部の一年生もレベルが高いね」
と一誠のようにすぐに褒められるほど照れに強くない。
それに、目のやり場にだって困る。しかし、桜ちゃんがあくまでもこちらをじっと見てくるので「似合ってると思うよ」と答えた。
『気持ちは分かるけど、堂々としていないと桜ちゃんの思うつぼだと思うよ?』
「そうだよな……」
心の中で一つ溜息をついて、変に意識をしないためにも話をすることに従事することを決めた。
「そう言えば、二人とも着替え早かったな」
「桜は中に着てきましたから」
「あたしはその桜ちゃんが強引に手伝って来たので……」
「鼓ちゃんも大変だよな」
「それは桜に対する挑戦ですか?」
「もう慣れたので大丈夫です。先輩は今日は先輩のままなんですね」
「途中で入れ替わると思うけど、最初の方は俺だな。ユメと変わった方がいいかな?」
「あ、いえ、あたしは遊馬先輩のままで」
慌てたように必死に手と首を振る鼓ちゃんが可愛くてユメの時の感覚で頭を撫でようと思わず手を伸ばしたところで『遊馬』とユメの声がしたので出た手を引っ込める。
代りに鼓ちゃんの首の後ろから、細い手が二本スッと現れて鼓ちゃんを捕まえた。
それと同時に鼓ちゃんが「キャー」と驚いた顔で声をあげる。
「桜を無視して二人で話すなんてひどいですね」
「桜ちゃん!? びっくりした……」
「つつみんが桜を無視するからですよ」
「ごめんね桜ちゃん」
「わかればいいんです。駄目ですよ先輩も。つつみんが可愛いからって桜を無視していい理由にはならないはずです」
「無視されるようなことを言う桜ちゃんの方が駄目じゃないかな?」
「ま、そうとも言いますね。さてそろそろ、皆さん来るころじゃないですか?」
猫のような笑顔作った桜ちゃんがそう言うと遠くから「お待たせ」と言う声が聞こえてきた。
こちらに向かってきながら手を振っていたのは綺歩。青のビキニに下はパレオを付けている。
その後ろに見える稜子は黒の競泳水着。らしいと言えばらしいが、このメンバーの中だとやや浮いているように見えなくもない。まあ、黒のTシャツを着たままの俺が言えた義理はないが。
妹達は色違いのセパーレトの水着。藍が水色で優希が緑。
「それじゃあ、今日は一日遊ぶわよ」
やってくるなり稜子はそう言うと一誠が口を開いた。
「その前に日焼け止めとか塗らないと駄目じゃないのかい?」
「そんなもの着替える時に塗ってきたわよ。そんな事よりも、ボールか何か持ってきているんでしょ?」
「まあ、現実はそんなものかね。ほら、稜子嬢」
思った以上にダメージを受けていない一誠が稜子に何かを投げて渡す。
驚いたようにそれを取った稜子がしげしげと眺めた。
「空気入れよね?」
「手伝いくらいしてくれてもいいだろう?」
「仕方ないわね。これでたいしたもの持ってきていなかったら怒るわよ?」
「その辺はお任せをお嬢様」
ふざけた口調の一誠が大量にある荷物から取り出したのは、まずビーチボール。
それからシャチフロート。
後、水に浮かべるベッドのようなもの。
それを見た稜子が満足したような顔をする。むしろ、子供のように目を光らせているという感じだろうか。
「言うだけあって色々持ってきているのね。感心したわ」
「オレが空気入れるから、稜子嬢は外れないように押さえておいてくれないかい」
「わかったわ」
そう言って二人が作業するのを遠目に見つつ、隣にいる妹達に声をかける。
「藍も優希も行きたいなら行っていいんじゃないか?」
「でも兄ちゃんさっきあたしの事子供っぽいって思ったでしょ?」
「さっきって……ああ。走って言った時な。
むしろ海にまで来てはしゃがない方が勿体ないだろ」
「そんな事言いつつお兄ちゃんさっきは優と稜子さん裏切ってたよね」
「そんな事もあったな。じゃあ今回は俺は行かないから二人で行って来い」
「まあ、兄ちゃんの言い分にも一理あるしね。後ではしゃいでおいたらよかったって言っても知らないからね」
「そんなお兄ちゃんの為に私達が楽しんでこようか優」
「そうだね藍」
そう言って駆け出す二人。すぐに一誠と稜子に追い付いて、手伝いを始めた。
『いっちゃったよ?』
「いっちゃったな」
『はしゃがないと勿体ないんでしょ?』
「それはユメに任せるよ」
『……了解。後悔しても知らないよ?』
「俺はこれでも十分楽しいからな。
それで、ひとつ疑問なんだが……」
ユメとの会話を切り上げて視線をきゃいきゃいはしゃいでいる妹や友人や部長から、先ほどからちらちらと視線に入ってきていた人物に向ける。
「疑問って桜にですか?」
「桜ちゃんならすぐにでもあっちに行くと思ったんだけど?」
「もちろん桜だってすぐにあっちに行きたかったですよ」
「そうやって頬をふくらませるくらいなら最初から行けばいいんじゃないか?」
「だってまだこっちにいた方が楽しい事があるんですから。と、言うわけで早く上脱いじゃってください」
「桜ちゃん何言っているの?」
俺よりも先に綺歩が驚いた声をあげる。鼓ちゃんも驚いた様子でこちらを見ていた。
桜ちゃんは相変わらず何か含みのある笑顔を見せる。
「何って先輩に日焼け止め塗るんですよ。それとも綺歩先輩とつつみんで塗りますか?」
「ひ、日焼け止め?」
「あ、あたしは別にそんな……」
「まあ、桜も遊馬先輩が日に焼けようと知ったところではないですが、遊馬先輩が焼けたらユメ先輩も焼けた事になりますよね?」
『そう言えばそうかも』
「考えていなかったな。でも、俺が一人で勝手に塗ればいいんじゃないのか?」
「嫌ですよ。先輩に日焼け止め貸して「これがあの桜ちゃんの日焼け止めか、ふひひ」なんてされたらたまったもんじゃないですから」
「するわけないだろ?」
「と、言うわけで日焼け止め貸してあげますから、塗られてください」
「それなら私が貸して……」
「綺歩先輩は黙っていてください。それともやっぱり綺歩先輩が塗りますか? それならそれで桜は一向に構いませんが」
「あの……えっと……」
結論何故か俺は綺歩と鼓ちゃんに日焼け止めを塗られると言う意味のわからない状況になっている。
「遊君大丈夫?」
「ああ……うん」
綺歩が心配そうに尋ねながらも、俺の背中に手を滑らせる。背中なんて大して鋭敏ではないだろうと思っていたのだが、指の細さや長さ何かが分かってしまい妙に落ち使いない。
「くすぐったかったら言ってくださいね」
そう言う鼓ちゃんの手は綺歩よりも小さく柔らかい。
反応に困りながらも漸く塗られ終わった時に桜ちゃんが満足したと言った様子で日焼け止めを受け取りに来た事が酷く印象的だった。




