それぞれの前夜、明日への決意①
継承式の前夜。
国王は皇子二人を王座の間に招集した。
薄暗い室内に置かれた重々しい玉座の前で、二人の皇子――アルデールとエルヴィンはそれぞれ背筋を伸ばして立っていた。
国王は、長年の統治で国に安定をもたらしてきたが、ここ数年は病や高齢により力を失いつつあった。
しかし、国王の王座は圧倒的に存在感を放っており、国王の威厳を感じさせるものであった。
王座の間に控える騎士達は、皆が同じように厳格な顔と姿勢を見せており、その中にはシリウスの姿もある。
王の前と言う事もあり、今日はより一段とその表情が引き締まっているように思えた。
アルデールとエルヴィンは、それぞれ少し緊張した面持ちで国王を見つめていた。
国王が話し始める前、大広間の中に漂う緊張感は、まるで空気が固まったかのように静まり返っている。
国王は長年、剣王と呼ばれるほどの優れた武人であった。
その剣技は、彼の王国を守る剣であり、数々の戦争でも多くの名誉を得てきた。
彼の息子である兄・アルデールは、その剣の腕を受け継ぎ、強き王として立つ事が期待されていた。
だが、国王の目には、剣士としての力以上に、国を治める力が重要だという思いがあった。
「アルデール、エルヴィン」
国王は、いくつかの燭台に灯された明かりに照らされて、ゆっくりと口を開いた。
その声は深く、穏やかでありながらも、どこか重みを感じさせるものだった。
静かに二人の皇子に視線を向け、言葉を続けた。
「お前達が今、立つ場所に意味がある。王として、また兄弟として、これからこの国を背負っていく覚悟を見せてくれ」
アルデールはその言葉に答える事なく、ただ黙って聞いていた。
「明日の継承式に向けて、私はお前達に伝えたい事がある。」
アルデールとエルヴィンはそれぞれの父親の言葉を待った。
国王が語りかけることは、どんなに些細なことでも重く響く。
それは、彼らが生まれてからずっと見上げてきた存在であり、その言葉一つひとつが、彼らの未来を決定づけるように感じられた。
「アルデール、お前の剣技は父親譲りだ。幾度となく戦場を駆け抜け、数多くの敵を打ち倒してきた。お前には、剣士としての誇りと力が備わっている。」
アルデールは静かに頷いた。
国王の言葉に込められた期待と誇りを強く感じながらも、その言葉が響く度に、内心で重く感じるものがあった。
自分が王になるという覚悟、そしてその背負うべき責任の重さが、肩にのしかかっていた。
「だが、覚えておけ。王としての力は、ただ剣で守るだけでは足りない」
国王の言葉は続く。
「王は民を導き、国を治める者だ。その為には、心の力、智慧、そして慈しみをもって民を守るのだ」
アルデールは暫く黙って聞いていた。
彼の中で、戦場での力を持つ自分が本当に国を治める力があるのか、と感じる瞬間があった。
その自信と疑念が入り混じる心の中で、国王の言葉がさらに深く響く。
国王は、次にエルヴィンに目を向けた。
「エルヴィン、お前の魔法は母親譲り。その魔力は、剣だけしか知らぬこの王国にとって、かけがえのないものだ」
エルヴィンは少しだけ表情を曇らせた。
魔法の力は確かに強力だが、それが王として必要な力であるのか、自信が持てなかった。
彼は、母の期待に応えなければならないという義務感と共に、その重さを感じていた。
「だが、お前もまた、魔法を使うだけでは王になれない」
国王は静かに言葉を続ける。
「魔法の力は、民を守る為に使うものだ。だがその使い方を誤れば、国を滅ぼす力にもなり得る」
「はい、父上」
エルヴィンはその言葉を深く噛みしめた。
自分がまだ未熟であることを痛感していた。
けれど、父の言葉には、エルヴィン自身を奮い立たせる力があった。
「エルヴィン、お前には魔法の力がある。その力をどう使うかで、未来が決まる。」
国王は次にエルヴィンに視線を向ける。
エルヴィンは頷き、父の言葉に耳を傾けた。
エルヴィンは、その魔法の力に自信を持ちながらも、兄のように戦場で名を馳せる事が出来る訳ではないと感じていた。
だが、父はその魔法を、王としての力の源として大きな期待を寄せているのだと理解していた。
「父上、僕はまだ未熟ですが、必ずお力になれるよう精進します」
エルヴィンはそう言って、父に頭を下げた。
国王はその姿を見て、少し微笑みながら頷いた。
「その意気だ、エルヴィン」
そして、再びその場に静けさが戻る。
国王は、二人の息子に向かって重々しい言葉を続けた。
「明日、継承式が行われる。順当に行けば、アルデールが王位を継ぐだろう。しかし、覚えておけ。王位を継ぐ者には責任がある」
「おぉっ…!」
「アルデール様に…!」
国王は、すでにアルデールに次期王の座を譲るつもりである事が解った。
しかし、その言葉には、決して軽々しいものではない。
其処には、重い決意が込められていた。
その言葉の重みは、部屋にいる全ての者が理解していた。
アルデールは胸を張り、父の目をしっかりと見つめていた。
だが、心の中では、少しばかりの不安が湧き上がっていた。
父が信じてくれているのは解る。
しかし、怪しげな影が迫るこの国において、王としての覚悟を持てるのだろうかという疑念もあった。
その時、部屋の隅に立っていた太后は、静かに微笑んでいた。
その微笑みは、何処か計り知れない深さを感じさせるものがあり、アルデールはそれが気になった。
彼女は何も言わず、ただその場に立っているが、表情には薄ら寒さが滲んでいるように感じられた。
太后がなぜこのタイミングで何も言わないのかを理解しようとしながらも、その意図を見抜けない。
「国王陛下、明日の継承式が無事に行われる事を祈っております」
太后は冷静にそう言って、僅かに頭を下げた。
彼女のその言葉には、さながら不自然さを感じる。
「太后」
「はい」
国王は短く彼女に呼びかけた。
「明日の継承式に向けて、全てを整えておいてくれ」
太后は静かに頷き、微笑みをさらに深めた。
「勿論です、国王陛下」
そのやり取りを見て、アルデールは心の中で何かを感じていた。
太后の微笑みが、何か異様に感じられるのだ。
彼女の内心を読み取る事は出来ない。
だが、少なくとも、太后の意図が何処にあるのかを理解しようとする必要がある事を、アルデールは無意識に感じていた。
その後、国王は静かに言葉を続けた。
「明日の継承式が無事に行われ、国の未来が決まるだろう。だが、お前たちが王として歩む道は、今日の決意を超えたものだ」
その言葉に、アルデールもエルヴィンも、強く頷くしかなかった。
「明日の式典は、国の未来を決める重要な瞬間だ。お前たち二人にとっても、これから先の道を決める時だ。」
その言葉に、アルデールとエルヴィンは、しっかりと頷くしかなかった。
二人は今、父から次期王としての重責を受け、さらにその先を見据えて歩むべき道を決めなければならなかった。
部屋に静寂が訪れた後、国王は少し穏やかな表情を見せた。
彼は、息子達に向けて最後にこう言った。
「アルデール。お前が王としての力を持つ事を願っている。勿論、それはエルヴィンもだ。最後には民を思いやり、愛を持ってこの国を治めてくれ。」
その言葉を胸に、アルデールとエルヴィンは、暫く沈黙したままだった。
じっと二人の眼が国王を見つめるものの、二人の視線が交わる事のない様子に、国王は少しだけ肩を落とす。
「アルデール、エルヴィン。今日の話を聞いて、これでお前達もすっきりしただろう?」
しかし、国王には一つの大きな誤解があった。
それは、アルデールとエルヴィンの間に存在する微妙な溝や緊張感を、単なる兄弟喧嘩や、王位継承を巡る争いだと捉えている事だった。
国王は、二人が幼い頃から時折、些細な事で口論をしてはすぐに仲直りしてきた事をよく知っている。
兄弟仲が良い時も悪い時も、結局のところ血の繋がりがある限り、問題はすぐに解決するだろうという信念を持っていた。
だからこそ、今の二人の間に流れる張り詰めた空気を、国王は『ただの兄弟の争い』としか思っていなかった。
彼は兄弟間の緊張を気にすることなく、むしろ二人が心の中でしっかりと話し合い、理解し合ったのだろうと考えていた。
だが、その言葉に対するアルデールとエルヴィンの反応は予想とは異なった。
アルデールは微かに眉を顰め、エルヴィンは言葉を飲み込んだ。
彼らは決して、単なる兄弟喧嘩の延長線上にいるわけではなかった。
王位継承という重大な問題に関して、それぞれが持つ思いや疑念が積み重なり、ただの家庭内の揉め事とは違う重みを持っていることを、国王は全く理解していなかった。
「父上、我々はただの兄弟喧嘩をしているわけではありません」
アルデールが冷静に口を開いた。
「王位継承というものは、国の未来を決定づける問題です」
国王は少し驚いた表情を浮かべ、アルデールの言葉を真剣に受け止めるように聞いた。
だが、それでも彼の思い込みはなかなか払拭されなかった。
「お前達が争う姿を見ていると、まるで子ども同士が取り合っているように見える」
「子ども…ですか」
国王は、あくまで兄弟の争いだと考えている様子で言った。
「これまでもそうだっただろう。お前達が小さい頃から、ちょっとしたことでぶつかり合っては、すぐに仲直りしてきた」
国王は無邪気な笑みを浮かべながら、二人を見ていた。
しかし、アルデールとエルヴィンには、その笑顔が何処か軽く感じられ、痛いほど真剣な心情を伝える事が出来なかった。
エルヴィンは、深く息を吐きながら言った。
「父上。僕達はもう子どもではありません」
その言葉は、彼の中で湧き上がった複雑な感情を吐き出すように発せられた。
「王位継承は、僕達が未来をどう築くかに関わる、大きな問題です」
それでも、国王は『兄弟喧嘩』としての捉え方を捨てきれなかった。
彼は依然として、二人の関係に何か誤解が生じているだけだと考えていた。
「確かに、王位を巡る問題は重大だ。しかし、お前達にとって最も大切なのは、まず家族として、兄弟として支え合うことだろう?」
国王は、息子たちの間にある緊張を打破しようとしていた。
「王位に就く者が最も重視しなければならないのは、民の民に尽力する事だ。それが出来れば、血の繋がりや立場を超えて、王国をうまく導けるだろう」
しかし、この言葉もまた、アルデールとエルヴィンには響かなかった。
二人の胸中には、父の言葉が全く届かないことがはっきりと分かっていた。
「父上が言う通り、俺達は国の為に尽力しなければなりません。しかし、それと同時に俺達の間には、単なる兄弟としての問題では済まされない感情があります」
アルデールは静かに言った。
「俺達の立場が違う以上、この問題を解決するには、それぞれの覚悟が必要なのです」
「アルデール…?」
その言葉に、国王は漸く二人の間にある深刻な溝に気づき始めた。
しかし、それでも彼の中には『兄弟が争う』という理解しかなく、二人が抱えている本当の苦悩に気づくことはなかった。
その後、しばらくの間、室内は重苦しい沈黙に包まれた。
国王は無意識のうちに、自分が誤解しているのではないかという疑念が頭をよぎるが、それでも兄弟間の絆があれば全ては解決するだろうという希望を捨てきれなかった。
「明日の式典が終われば、全てが終わるだろう。お前達も…いや、我ら家族もきっと理解し合える筈だ」
国王はそう言って、少し疲れた様子で二人を見た。
彼の心の中では、二人の間にある深い溝を埋める方法が、見えていないのだった。
アルデールとエルヴィンは、その言葉にそれぞれの感情を抱きながら部屋を後にした。
兄弟としての絆を信じる父の想いと、実際に自分達が抱えている葛藤との間で、二人はそれぞれの道を進む覚悟を決めなければならなかった。
「兄上…父上の話、どう思われますか?」
王座の間を後にした後、エルヴィンがアルデールにそっと近寄った。
「どうとは?」
「僕達を、ただの『兄弟喧嘩』として見ている事ですよ」
それを聞き、アルデールは溜息交じりに答える。
「大方、太后にそう吹き込まれているのだろう」
国王は武人として名を馳せる一方で、人一倍国を想い、民を想っている優しい心の持ち主。
だからこそ、長年の『兄弟喧嘩』に心を痛めているのも頷ける。
しかし、自分の親を悪く言うつもりはない。
ただ、王族として生まれてしまったのが、運の尽きだったのだろう。
父は生まれた時から、厳格な『国王』だった。
けれど、時折見せる『父』の顔はとても優しかったのを覚えている。
互いの立場が立花だけに、垣間見る一面を見る時間は、本当に限られているのだが…
「やはり、そうですよね…では、恐らく父上も母の言いなりに――」
「滅多な事を言うな」
「大丈夫ですよ。もう辺りには彼らしか居ませんから」
アルデールは軽く息を吐き出し、エルヴィンの肩に手を置いた。
いきなりの事に、エルヴィンもレン達も、驚きの表情を見せた。
「エルヴィン。今は多くを語るべき時ではない。敵は身近にいる」
「す、すみません。気を付けます…」
「ただ警戒を怠るな。…それだけだ」
「はい。兄上!」
エルヴィンは頷きつつも、何処か不安げな表情を浮かべたまま、兄の背中を追いかけた。
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