F級テイマー、策を講じる
「此処が、最上階?」
「あぁ。この先だ」
ついに、私達は塔の最上部に位置する階層までやって来た。
階段を上がると、突然視界が大きく開けた。
フロア一面の壁が全て取っ払われ、残る四方の壁を、大きな燭台の炎が取り囲んでいる。
柔らかな光を放ち、ゆらゆらと揺れる炎が闇の中にあった。
それは、ただ照らすだけではなく、何か神秘的な力を感じさせる。
石畳の床は冷たく硬い材質で、何処までも広がっているように見えた。
「あそこ、何かあるよっ」
そのフロアの奥には、宝箱が鎮座している。
あれが報酬だ!
そう思うとレンは胸が高鳴った…が、直ぐに萎んだ風船のように、そのテンションは沈んだ。
ぽつんと宝箱が置かれているだけだと言うのに、私の心は何処かざわついている。
「や、やりましたねっ!」
「あぁ。だが――油断はするな」
「えっ?」
辺りを注意深く見渡し、ウォルターが背中の剣に手を掛ける。
険しい顔で見渡すその姿は、眼に見えない何かを警戒していた。
「敵は…何処に居るの?」
閉じられた宝箱の存在が、まさしく此処で、敵との立ち回りが起こる事を予感させた。
しかし、不思議な事に、フロアにボスの姿が何処にも見当たらない――
静寂が辺りを包む中、自分の鼓動だけが酷く耳につく。
足元の石畳を踏みしめる音すら、何処か遠くに聞こえる様だ。
緊張が、不安が、徐々に込み上げる。
背中を冷たい嫌な汗が伝うのを感じた。
そして、その瞬間――空気が変わった。
「…来るぞっ!」
ウォルターが皆の先頭に立ち、大剣を引き抜いた。
燭台の炎が大きく揺れ、景色が形を変えた。
何処からともなく風が吹き荒れ、フロアの中央で渦を巻き、集まり出す。
徐々に巨大な形状を造り始めると、其処に見えるのは異形の姿。
敵の姿が完全に姿を成すと、レンは圧倒される様な異様な光景に、思わず息を呑んだ。
「あれって…千手観音っ!?」
それはまるで、千手観音の様に無数の手を持つ、異形の存在だった。
全ての手に無数の剣が握られており、鋭く光る刃が、四方八方に突き出ていた。
腕の数は数えきれないほどで、それぞれが異なる形状の剣を握り締めている。
古代の遺物の様に錆び付いた剣、血のように赤く染まった剣、黒曜石の様に暗く光を吸い込む剣――
全ての剣は異なる力を持ち、どれもが恐るべき力を秘めているようだった。
「何て…数…!!」
『…シンニュウシャ…シンニュウシャ…』
機会のような無機質な声が、敵のーーセンジュの口から洩れた。
鋭く光る眼が、レン達冒険者の姿を捉えている。
その瞳の奥には、底知れぬ敵意が渦巻いているように見えた。
その身体は巨大な石像のように見え、しかしズシン…と、足はしっかりと石畳を踏みしめている。
動くのか、こいつは。
「こいつは――!?」
ウォルターが、驚いた声を上げて言った。
やがてその表情は困惑の色を浮かべ、唇を噛み締める。
「直ぐに逃げるぞっ。こいつは『D級』だっ!」
「えっ!?」
「D級…!?」
『…ケン…ブキ……ホシイ…』
その存在が一歩踏み出す度、無数の剣が微かな音を立てる。
光を反射する剣の刃が、ダンジョンの闇の中で揺らめき、その動きはまるで獲物を狙う捕食者の様だった。
剣が交差する音が静寂を破り、辺りに不気味な緊張感が漂う――
「此処を出るぞ!! 扉まで走れ!」
ウォルターが、敵を警戒しつつ扉に向かって叫んだ。
足がすくみそうになりながらも、私とディーネは急いで扉へと走る。
「あ、開かないっ!?」
しかし、入ってきたはずの扉は重く閉ざされ、一向に開く気配がなかった。
追い付いたウォルターが体当たりをしても、扉はびくともしない。
「くそっ。閉じ込められたか――!」
ズシン、と重い振動がが床を伝って来た。
センジュが一歩を踏み出すと、またもズシン…と揺れ動く。
『…ニンゲン…コロシテ、ウバウ…』
その一歩一歩が地面を震わせ、まるでその一歩でこの空間全てが崩壊しそうな気さえした。
「あ、あぁあ…っ」
その存在に、そして『D級』と言う言葉に畏怖するディーネは、全身で大きく震えていた。
手にしたロッドがカタカタと震えている。
戦意を喪失していると、ウォルターは直感した。
このままでは、不味い…
「ディーネッ!! 君は後方に下がれっ。回復とバリアに集中しろっ」
「…そんな…無理、無理です、こんなの…」
「聞こえないのかっ、ディーネッ!」
「は、はい…!」
はっとして、彼女は震えていたロッドを掲げる。
補助スキルのバリアによってウォルターの身体が淡く光り、防御力が向上した。
「レンはスライムと共に攻撃に回れっ。剣の射程範囲には絶対に入るな! 敵の攻撃は俺が引き受ける!」
「わ、解った!」
先に彼がディーネを叱咤したお陰で、私もはっと現実に引き戻された。
スライムは、強大な敵を前に震えていたが――レンが戦う意思を見せると、自分もその身を奮い立たせてセンジュを見据えた。
「行くぞ…っ!」
ウォルターの脳裏には、過去の記憶が焼きついていた。
同じようにして『D級』のクエストに挑み、散って行った仲間を思い出した。
あの時もこの敵は自分達の前に立ち払い、その無数の剣を振り回し、一人の冒険者の命をあっという間に刈り取った。
センジュが放つ圧倒的な威圧感と、無数の剣が一斉に襲い掛かって来る光景が、今でも思い出される。
全ての剣がパーティの盾となる自分を狙い、避ける事も出来ないような錯覚を抱かせた。
どんなに戦いを経験をしても、襲い掛かる『死の恐怖』には、今も勝てなかった。
そしてそれは錯覚ではなく、まさに現実だった。
「くっ!!」
センジュの顔は無表情で、その冷たさは感情を持たぬただの像の様だった。
腕が一斉に動き出し、剣の束が空を切る。
まるで巨大な風が吹き荒れるかのように、無数の剣が音を立てながら迫り続けていた。
その全てを彼は大剣を使って防いている。
時に剣がその身を切り裂いても、ディーネの補助スキルで防御力は向上している――筈だった。
「か、回復しますっ」
ディーネの慌てたような声で、回復スキルが飛んだ。
傷は回復したが、またしても防ぎきれなかった刃が、ウォルターに襲い掛かる。
その一閃だけで、防御バフを掛けているにも拘らず、彼の体力は見る見る内に減っていた。
「回復が、追い付かない…っ!?」
全ての剣が異なる速度とリズムで動き、完全に予測不能だった。
「スライム、行くよ!」
『う、うんっ!』
攻撃に耐えるウォルターの体力が尽きる前に、レン達も攻撃の手に映る。
内心の恐怖を抑え、ダガーを強く握りしめた。
自分の力では到底敵わないと直感で悟っていたが、引き返す事は許されない。
「■スライムのスキル『おくちてっぽう』に『大岩』が付与されました。▼」
『ん~~~~~ぱっ!!!!』
スライムのおくちから、体よりも倍以上、一回りも二回りも大きな岩が吐き出された。
『初級者クエスト』で手に入れた、道を塞いているあの大岩だ。
しかし、センジュにとっては路傍の石に過ぎなかった。
無数の剣によって、まるで豆腐をサイの目に斬るかのように、大岩だったものが小石へと形を変える。
たった一瞬の出来事だ。
「なんて、速さ…!」
その異常なまでの早さもさることながら、その強さもまた異常だった。
そして気付いた。
真正面からウォルターと対峙している筈のセンジュの顔が、此方にも向けられている。
違う、そうじゃない。
ーー『顔がもう一つある』!
正面から見えていた顔は『無表情』を貫いていたが、横から見る角度の顔は、また別のーー『笑顔』だった。
センジュの『笑顔』はレンの方向を向いている。
しかし、その細められた眼の奥は、決して穏やかなものではない。
その不気味に見える『笑顔』に、私はぞくっと恐怖を抱いた。
「――っ! おくちてっぽう!」
『ぷぷぷぷぷぷぷっ!!』
抱いたを振り払うように、今度は『小石』でセンジュへ攻撃の手を繰り出す。
だが、それも無数の剣が『笑顔』で小石を床へと撃ち落としていた。
それも――ウォルターと戦っている間に、である。
「効かない…!?」
自分が今まで経験してきた戦いが、小さな前哨戦であったかのように、センジュの存在は圧倒的だった。
「こんなの、どうやって倒すの…?」
『ぴぃ…!』
思わず漏れた本音に、スライムもまた困惑した。
「くそっ! やはりレベル差があるか…っ」
防御に身を徹していたウォルターが、攻撃の態勢をとる。
センジュの攻撃に目が慣れて来たのか、無数の剣を防ぎつつ、大剣を振り回した。
攻撃は最大の防御と言うのは、強ち間違っていない。
一方的にやられるだけだった彼が攻撃に転じた事で、センジュの腕が剣を交差し、防御の姿勢を取っていた。
激しく打ち合う剣の音が、辺りに響いた。
ディーネが回復とバリアを交互に使い、何とか彼をサポートしようと奮闘する姿が見える。
彼女が頑張っていると言うのに、自分のこの体たらくは一体何だろうか。
あの激しい動きを繰り返す剣の嵐を、自分が避けきれる自信はまるでなかった。
圧倒的な力を前にして、圧倒的な経験、そして力不足だった。
『ど、どうしよう、レン…っ』
「どうするって言われても――!」
センジュは余りにも強い。
対してスライムの攻撃は、まるで無力だった。
テイマーたる自分の力不足だと言う事は、明白だった。
例え敵がセンジュじゃなかったとしても、レンは今、この状況でどうしていいのか、解らなかった。
「と、とにかく、攻撃しなきゃっ」
おくちてっぽうによる攻撃は、まだ数がある。
一度に撃てば直ぐに小石が枯渇する為、ピンポイントでの狙撃が求められた。
狙撃、ピンポイント。
一点を狙う事に集中したとしても、胴体は剣によって阻まれるし、顔も『笑顔』が此方を見ているから同じ事だ。
注意を逸らすにしたって、そんな事をして何になると言うのか…
センジュは精巧な石の造りをしており、硬い材質で一筋縄ではいかない。
歴戦の猛者でない限り、石を豆腐の様に切り捨てる芸当は出来なかった。
しかし、眼は自然とセンジュの足元に移っている。
其処に何か弱点があるのでは―ーと、直感が告げている。
そして、石で精巧に作られた足が、その巨体を支えるには頼りなく見えた。
「千手観音…石像…石……石?」
ぶつぶつと呟き、記憶を呼び覚ます。
『石には『ロマン』があってだな…』
『はぁ…ロマン、ですか』
何か、何か重要な事を、何処かで聞いたような気がする――
―ー石は丁寧に扱わんとすぐ割れるからな。
―ー新しかろうが古かろうが同じ。
ーーどんな大きな石膏も、一点を集中して力を加えればヒビが出来る。
ーーそうして、いつしか割れる。
「足元だ…」
決断は早かった。
「ウォルター!」
「な、何だ…っ!?」
「策があるのっ。敵の攻撃を引き付けてっ。それで足止めをお願い出来るっ!?」
「…っ。無茶を言う――が、やってみよう…!!」
苦しい表情ながらも、彼は頷いて行動に出た。
『無表情』なセンジュの眼と攻撃の手を引き付けつつ攻撃の手を取り、その場で動かずに攻撃を受け続ける。
攻守を同時進行で行えと言っているのは、無理も承知だった。
下手すれば、ウォルターの身が危険に晒される事は必至である。
悪く言えば、自殺を助長されるのと同じ行為だった。
「ディーネはウォルターに補助呪文を重ねて掛けて! 少しでも守りを厚くするのっ!」
「わ、解りましたっ」
「…スライム! センジュの片足を狙って! 一点集中だよっ!」
『う、うんっ』
スライムが大きく頷くと、センジュの足を一点に見定めた。
センジュはその場から一歩も動く事なく、ウォルターに攻撃し続けている。
苦しそうな彼の声を耳にしながら、レンは叫んだ。
「狙うは『足』よっ! くちてっぽう!」
『ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷっ!!!』
スライムのおくちが、一点を集中して小石を激しく噴き出す。
同時にウォルターが攻撃を仕掛け、センジュの足がピタリと止まった。
スライムの攻撃だけで、簡単に行くとは思っていない。
そして、自身があの無数の攻撃を、避けきれると言う自信もない。
それでも――『行く』しかないと思った。
「レンさんっ!?」
レンはセンジュに向かって走り出す。
その様子に気付いたディーネが慌てたように叫んだが、彼女の足は止まらなかった。
足元に狙いを定め、全力で走る。
するとウォルターもまた、センジュに斬り掛かりながらそれに気付いた様だった。
「レンっ!? 何をーー」
「あいつの足を砕く!!」
策を一から説明している雛なんてなかった。
そして気付いたのは、センジュも同じである。
その手が一斉に動き、私の動きを阻もうとする。
ところが、ウォルターが必至に攻撃を続けている為、センジュの全ての手が、此方に向けられていないのが、不幸中の幸いだ。
今や、センジュの攻撃は、ウォルター、スライム、そして私の三人に注意が分散されている
【■ウォルターが【スキル:友の盾】を発動しました。▼】
身体が淡い光を帯びる。
その光が一本の線となり、ウォルターへと伸びていた。
彼が何かのスキルを使ったのには間違いない。
しかし、その効果が私には解らなかった。
「攻撃は気にするなっ。光が繋がる間に―ー行け!」
目の前に襲い掛かる剣の刃を避け、時に襲い掛かろうとも、不思議な事に自身の身には何の影響もない。
走った。
走り続けた。
身体中の力が漲る――
今ならどんな攻撃でも、耐えられると言う自信があった。
「これで…どうだ!」
足元に向けて、ダガーを振り下ろした。
ガキンと金属音が響き、ダガーの硬い石の表面に食い込んだ。
その瞬間、石の足に小さな日々が走り、其処からまるで蜘蛛の巣の様に、ピシりピシリと亀裂が広がって行く。
次第にそのヒビが大きくなり、一点集中した攻撃によって、ついに片足が大きな音を立てて崩れた。
「割れた!」
センジュは、その無数の手でバランスを取ろうとするものの、片足が崩れる事で巨体の均衡が保てなくなり、ゆっくりと横に傾き始めた。
そしてついに、片足が完全に割れた瞬間、巨大な体が力なく、横倒しに倒れ込んだ。
衝撃で床が揺れ、周囲の燭台の炎も一瞬揺らめく
「や、やった…!」
片足を崩す事に成功した!と、レンは歓喜した。
センジュは横たわったまま一瞬動きを止める。
『無表情』の顔が、まるで何かを考えているかのように見えた。
センジュの正面には『無表情』が。
レンやスライムが居た、向かって左側には『笑顔』があった。
では、その『右側』には、一体どんな顔があるのか――
ぐるん、と回転するようにして、『無表情』だったセンジュの顔が、突然『怒り』へと変わった。
憤怒の様に激しいを怒りを見せ、見るもの全てが悍ましい――
「…い、怒り…!?」
それ眼にした瞬間――逃げられないと、はっきり悟った。
「レン、逃げろっ!!」
叫んだのはウォルターだった
その声が耳に届くや否や、突如として、激しい衝撃がその身を襲う。
気が付くと、レンの身体が宙に浮いていた。
岩壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちた。
「がっ!!!」
「レンさん!! ウォルターさんっ!!!」
何処かで、ディーネの悲痛な叫びを聞いた。
全身が痛みで麻痺し、視界が霞んでいる。
その視界の中には、ウォルターの姿もあった。
彼が着ていた鎧はボロボロに砕け、ジワリと赤い血が少しずつ広がっている。
「ぐっ…!!」
しかしまだその息は、確かにあった
攻撃を受けたのは、レンだ
しかしウォルターもまた、酷いダメージを受けていた
【■『スキル:友の盾』の効果を終了します。▼』
【■『友の盾』…対象のパーティメンバーの一人の攻撃を代わりに受ける。
但し、一部の攻撃・一定以上のダメージは庇う事が出来ない。対象と距離が離れると効果が発揮されない。▼』
センジュの攻撃を、ウォルターが代わりに受けてくれていた…?
しかしそのダメージが一定以上を超えた。
もしくはレンが攻撃によって吹き飛ばされ、彼との距離が広がった為、スキルの効果が切れた。
一撃を受けただけで、こんなにダメージを受けるなんて――…と、目の前に『ステータス』のウィンドウが出現する。
見るまでもなく、HPが著しく低下していた。
呼吸は荒く、レンは直ぐに立ち上がる事が出来ない。
即死じゃないだけ、マシだろうか。
「あ、あああっ、か、回復…っ、そうだ、回復をしないと…っ。でも、どっちを先に…っ!!」
狼狽えるディーネの声が聞こえたが、眼が霞んでいるため、その姿を捉える事が出来ない。
けれど、ガタガタと震えている姿は想像が出来た。
激しい痛みが全身を駆け巡り、意識が薄れかけていた。
ドクドクと紅い血が傷口から流れているのを感じる。
ただ、虚ろな視界の中で、必死に呼吸を整えていた。
上手く、呼吸が出来ない――…
ひゅーひゅーと、空気の抜けるような音が、耳につく。
『レン…っ。レン…っ!!』
ぽよんぽよんと、慌てた様子でスライムが駆け寄ってきた。
泣きそうな顔だ。
身体には、深い傷が無数に刻まれていた。
ウォルターのスキルがあったから、私は即死せずに済んだのだろう。
しかし、指の一本も動かせなかった
「こんな所で死ぬつもりか?」
重い声が、頭上から降って来た。
息が苦しい…
呼吸が出来ない。
言葉の代わりに、激しく咳き込んだ。
言葉の代わりに、血を吐いていた。
「ま、お…さま…」
気付けば、目の前に魔王様が立っている。
その瞳は冷たく、容赦なくレンを見下ろしていた。
お読み頂きありがとうございました。




