73話 キミラコエ、ボクノイバショ《Song A Song》
わりと切実な相談だった。
これに関しては思い当たる節が多い。そのため実際にノアの民であるミスティに聞くのがもっとも手早くもある。
するとミスティはミナトの疑問に神妙な鋭角の眉根を寄せた。
「なぜそう思うのか理由を聞かせてはくれまいか?」
「近ごろ近辺に視線を感じる機会が多いのにノアの民は語りかけてくることもないし距離を縮めてくる素振りすらない。どう考えても腫れ物を遠ざけている感じなんですよね」
ミナトはノアで暮らしはじめて多くの人々から奇異な扱いを受けている。
なによりこの身は、アザーの死神だ。当然といえば当然であろう。大量の人間、あるいは民の親の命を引き換えとしてこの場に有るといってもいい。
とにかく犠牲――数多の死を足場に生き残っていた。
「正直もっと色々な人から侮辱や侮蔑を浴びせられるかと思ってたんです。そして……その覚悟もしていた」
ミナトは、己のやったことを1度と許したことがない。
証拠に今も夜な夜な夢で大量の見た顔を見る。
未来を閉ざされ絶望に喘ぎ報復を歌う憎悪が自身の足下を這う、そんな悪夢を。
「他人の寿命を食って生きたこの呪いは必ず精算という報復が追いついてくる。だからオレはアザー開拓の任務も進んで参加し、少しでも帳尻合わせの精算――償いをしている。当然報酬をもらっても使うつもりは一切ない」
痩せて骨の浮いた身体は罪を食らった代償だった。
追いこんだ人間がのうのうと生きてしまっている。それだけで魑魅魍魎たる有様なのに幸福なんて願えるわけもない。
「オレは死にたいわけじゃない、ただ生きて償いをしつづけたい。奪われた人たちができる限り幸せになれるよう努力しつづけたい。でも、でも……オレは大切な家族を奪った報復なら甘んじて受けるつもりでもあります」
ミナトは怯えていた。
報復に怯える。アザーで絶命したのは誰かの父だったかもしれない。または恋人、あるいは夫、それとも祖父だったか。
そして今ここに復讐の対象がノアに昇ってきている。
なのにノアの民たちは責めることもせず傍観という立場を崩そうとしない。あるいはヒカリや源馬やリーリコのように良くしてくれる人間もいた。
「…………」
「…………」
ミナトが語り終えると、しばし互いの間に沈黙が流れた。
ミスティはなにもいわず、音の逃げない空間で少年の肩を眺めつづけている。
つづきを待っているのかもしれないし、答えを模索しているのかもしれない。ただ視線は真っ直ぐミナトのことを見ているし、感情の揺らぎすらない。
そして彼女は静かに艶めいた吐息をひとつ吐いた。
「君の相談は本当にそれだけなのかい? 私にはそれを私にいわねば耐えられぬといった心境が窺えている」
「……そのせいでチームのみんなには迷惑を掛けっぱなしで申し訳ないんですよ。……なのにオレには力が宿らない!」
ミナトは語気を荒げ剥きだした歯を全力で噛み締めた。
もう痛まない拳を露出させ硬く握りしめる。
許せない。なにより無力な自分が。力さえ使えればアザーに落とされた人々さえ救えたはずなのに。
それから顔を上げる。仮面を被り直すようにしてフッ、と乾いた笑みで怒りを塗りつぶす。
若き靑き若者からの密な相談だった。なのだが直後にふわりと優しい温度が少年の全身を包み込む。
「なに、を……!」
ミナトは慌てふためきながらかっと頬を赤らめた。
白裾が流れる。彼女の中央からとくん、とくんと鼓動が響く。
ヘルメットを被っていないためリアルがそのままに伝わってきてしまう。
甘いフレーバーが鼻腔いっぱいに広がって脳がくらりと揺れる。
そうしてミスティはしばしの間少年の頭部を丸ごと胸におさめるよう抱きしめた。
「君はよほど自分に自信がないのだな。あれだけの啖呵を切ってそこそこ肝入りかと思っていたのだが、どうやら私の勘違いだったらしい」
身体が離され、ふふと花がほころぶ。
茹だったように呆然としたミナトだったが、首を振って気を入れ直す。
「こ、こっちとしてはわりと真剣に聞いているんで笑い事じゃないんですが……!」
「これは失礼。なにを唐突にいうのかと思えば存外愛くるしくて、ついな」
「あ、ああ、あいくる……っ!」
再度頭にカッと血が上っていく。
この女性には上手ばかりをとられており、しかも虚を突かれつづけていた。
ミナトは内心破裂しそうな思いだったし、穴があったら入ってしばらく籠もっていたい心もち。未だ頬に烈火の如き血流を感じながらぎりぎり冷静を装っている。
「分不相応な劣勢の地に追いやられながらにして年相応。それだけに君が抱える悩みも常人とは異なって歪ということなのかもしれないな」
そしてミスティは非常にイタズラ好きな笑顔をしていた。
それも蠱惑で艶容。思春期に当てられるなら毒でしかない。
「こっちは真面目な現実の話をしているんです! このまま生殺しみたいな状態で生きるならもういっそのこと罰則でもなんでも――」
と、いきなり《ALECナノコンピューター》の画面が視界端に開き、言葉を遮る。
どうやらミスティから送られてきたもののようだ。画面には眼が滑りそうなほどあらゆる文字と情報が羅列されていた。
ミナトは驚きながらもモニターに書かれた文字を「……ALECネット?」たどたどしく読み上げる。
「ならば君はもっと眼を凝らして現実を見てみると良い。そこに書かれている言葉こそノアの民の声そのものだ」
ミスティは、ミナトの手首を掴むとモニターの前に誘導した。
それから指を画面に沿わせてフォーラムの文字列をスクロールさせていく。
「もの凄い数の人が参加してる? これって誰かがリアルタイムで現状を報告し合ってるんですか?」
「ノアの民が使用するコミュニティの場だよ。SNS、ソーシャルメディアネットワーク、ALECネット、と呼び方は様々あるがな」
そう言ってミスティは数あるスレッドのなかから1つを選んでタッチした。
件名には、リベレイターと書かれている。
「読んでごらん」
「は、はい。そりゃこんな項目なら読みますけど……」
ミナトは促されながら開いた頁に目を通していく。
ここには数多くの人々が参加しているようで、すでに書き込みはゆうに25000を越えている。
項目の流れを追うと、そのすべてが新参者に関して語り合っていることがすぐにわかった。
「…………」
ミナトは顎に手を添えて一心不乱にノアに住まう民の声を読み進めていく。
リベレイターが管理棟に入っていたっぽい、あとを着けるのNGだぞ。どうやらこれは位置の把握のやりとり。
アザー生まれって響きがヤバい、さっきベンチで柔軟してたぞ、たまに地べたで寝てるぜ、さすがアザー育ち! これは発見報告か。
それからもずっとだ。ノアの民がミナトという新参者の話題でしきりに盛り上がっている。
「……ぁ」
ふと1点の書きこみに目が吸い寄せられた。
まだ声かけたら怯えさせちゃうかな? という書きこみからはじまりとなっている。
誰だよアザーが流刑地だっていってたほら吹きは。 そう教えられてたんだからしょうがないだろ。 私だってそうだよマジ腹立つ。
もう論点そこじゃないって。 どうやったら誤解がとけるかだよ。 それな。 それそれ。
そのなかには 親父の骨が見つかったぞ! というやりとりまであった。アザーで回収された遺骨が家族の元に帰った報告だ。
「……っ」
ミナトは耐えられずモニターから顔ごと目を逸らしてしまう。
それでも見なければならないという使命感に駆られながらノアの民の声を食い入るように読み進めていく。
親父は革命の矢を立派に守ったんだ! という書かれた文字に、ふざけるなという感情がこみ上げた。
「ばか、いってんじゃねーよ……! オレが守り切れなかっただけだ……!」
見たかよ! 俺の親父はリベレイターを、革命の矢を守り抜いて俺たちに届けてくれたんだ!
「違う! それはオレが見捨てて殺しただけなんだ!」
見ていられない。でも見なければならない。
どうして視界がこれほど紗がかるのか。
ミナトは、目元にへばりつく余分な水を、首を振って宇宙に逃がす。
親父は遠く離れたアザーで俺たちを守りってくれたんだ! だから俺は――親父を誇りに思う!
「止めてくれそんな良いように風に解釈するんじゃねぇ……! オレはただ生きるためにお前らの家族を惨たらしく殺しただけに過ぎない……! だから――そんな言い逃れるような道をオレに用意するなよッ!!」
髪をかき乱し書かれた誰か知らぬ声を否定しつづける。
なのにそこからもALECネットの書きこみは――ノアの民たちは、ミナトのすべてを肯定していくのだ。
だからもうたまらない。啜っても拭ってもしどと感情があふれてきてしまう。
感情を殺すことには慣れていた。そのはずなのに芽生えつつある光に似た暖かさを殺したくはなかった。
だから……だから俺は悔やまない。親父の継いでくれたこの命を無駄になんて絶対にしない。
ありがとう親父、ありがとうリベレイター。そう、この書きこみは締めくくられて数多くの励ましと反応があとにつづいている。
「ふざけるなオレはそんな善人じゃない!! お前の親父はオレが殺したんだ!! こんなもので散々やってきた罪が許されてたまるかッ!!」
ミナトは読み終えた刹那に勢いよく宙を振り仰いだ。
肯定を肯定することが難しい。己の罪を自身で消してしまうことがもっとも怖かったから、卑怯だと思うから。
ミスティは漂うみたいにしてミナトのすぐ横に並ぶ。
「確かに君は死という下してはならぬ決断を幾度となく迫られ強行してきたのだろう。だが、これらを守ったも君の決断だということを忘れてはならないのではないかな」
そうやって震え嗚咽する肩に手を添えた。
「そんなの……言い訳でしかない! 人の恨みはいずれ数珠のように繋がってどこかに膿ませるはずだ……! きっとこのなかにも同調しないで滾らせてるヤツがいるに決まってる……!」
「言い訳なものか。君は間違いなく私たちに勇気と覚悟を示し、やり遂げたのだ。それとも君は私たちの心の声でも聴けるというのかな?」
ひと思いにミスティの手を振りほどくも、そこまで。
震える喉が言葉を詰まらせしゃくりをあげる。
どうしようもなく熱くて心地の良いモノの流入を止めきれず、全身を強ばらせた。
「そう。光無く生きながらに死していた私たちの前に現れた小さな光、光無く生きていたノアの民に熱い渇望にも似た生への執着を思いださせてくれたのはミナト・ティール、君なのだよ」
見てごらん。ミスティの指し示す先には1文が書かれている。
お友だちになれるかな? というただひとことだけがぽつんと書かれている。
「ノアの民たちはとうに君を許容する準備が整っている。あとは死の星で摩耗してしまった君の心が癒えるのを、今か今かと待っているところなのだよ」
耳元に囁かれ、ミナトは跳ねるようにして抱えたヘルメットを被り直した。
最後の1文を見た瞬間なんでかもっと泣きそうになった。だって……まったく同じ思いをノアの民に重ねていたから。
それでも簡単ではない。当然死神という引け目が許容を許せないでいる。
「それでも……オレは許容される立場じゃない……!」
意固地、わがまま。なんといわれようとも曲げられるものではなかった。
と、なるほどな。ミスティはウェーブがかった長髪の毛先を指先に巻いてくるくる、とする。
「ではこの私が大人として、人類総督として、輪に入れずにいる奥手な少年を救うためにとっておきの言葉を教えてあげようじゃないか」
「……とっておきの言葉? そんなもの……なにをいわれたって慰めにもならない……」
そして人類総督は幅広い丸い腰に両手を添える。
青二才を前に威張るような。しかしどこかふざけているかのような、だ。
それからミスティは、その主張する体勢のまま腰を曲げて前に屈む。
「それはそれ! 君は死の星で生きるために必死だった!」
あれだけ頑なだったミナトの全身から一気にすとん、と力が抜けた。
射止められる。否、言い負かされる。そして負けを認めるしかなくなった。
対して彼女はにっこりと太陽のように振り切って笑んでいる。
「これはこれ! 私たちはそんな君に未来を貰えたことを心の底から感謝している!」
ミスティの口にしているのは説得なんて甘やかすものではない。
もっと身勝手を極めて、貫く。
「以上だ! うだうだというものじゃないぞ! 少年!」
そんな圧倒的大人の強硬手段だった。
下を見れば人々の織りなすとりどりの光が瞬きつづけている。
――……暖かい。
なぜかもう胸は痛まなくなっていた。
瞳に映すのは、星々と、踊る命の輝きたち。
ここはきっと1人ぼっちが帰る場所。
そんな勇敢で優しい世界、蒼の世界。
★ ★ ★ ★ ★ ……




