357話【人類VS.】圧縮型惑星間投射亜空砲 シックスティーンアイズ 2
発つ、それは初めて飛翔するように自由だった。
大空に向かって1羽の鳥が羽ばたいている。これまで縛り付けられていた大地をあとにし、蒼き翼で舞い上がる。
羽ばたきはぎこちなくも力強い。まるで新しい世界への期待に満ちているかのようだった。
どこまでもつづくような白いのキャンバスに蒼き自由の奇跡を描く。迷いも、不安も、いまはただ風に溶けていく。
高く、高く――踏みだすたびに軽い。与えられた翼を延ばし、彼はもう振り返ることはない。ただ前へ、未来へ、希望ある世界へと飛びつづけるのみ。
人々は遠く離れたところで茫然自失を噛み締める。
「人が地を離れ空を駆けるというのか……! あれほど自由なフレックスの使いかたを我々は認知していないぞ……!」
吹きすさぶ理解の外だった。
ミナト・ティールの戦う様は常軌を逸している。到底追いつけるものではない。
そのせいで四柱祭司のリーダーでさえ静観を選ばされている。無能のようにぼう、と佇むことを強制されていた。
「信少年。彼は、ミナト少年はいったい……」
大勢が慌ただしく騒ぐなか、ただひとり。
彼は、冷静沈着に友の勇士を眺めている。
「選ばれなかった、選ばれず、捨てられた。もっとも信頼している相手に裏切られ、もっとも必要としている環境に置かれても決して力に目覚めることはなかった」
淡々、と。しかし口元ではこらえる必要のない喜びを形作っていた。
信の声には、まるで陽光が差し込むかのよう。心からの喜びと輝きを孕んでいる。
「残酷だったさアイツの生き様は。嘘を貼りつけながら求めて渇望しつづける日々。だから俺は無駄だとわかっているからこそ死の淵で笑う友を救ってやりたいと、断腸の思いでノアに上がった」
腰鞘にかけた手が震えた。
信の瞳は、蒼く、いまにも走りだしたくなるほどの熱い衝動を秘めていた。しかし体中に静寂を漂わせながらも、踏みだすのを必死にこらえている。
なぜならこれは彼の戦争だからだ。他のモノに入りこむ余地などあるものか。
「そしていまアイツは呪いという鎖を解き放って自由を手に入れたんだ! 絶対に成し遂げられないと定められてしまっていた道理を捻じ曲げ、自由を手に入れた!」
ざまあみやがれ。大空を抱きながら嬉々と忌む。
幸福を讃える視線の先には、空色の蒼が。能力に開花したマテリアル1が巨大な敵をたった1人で圧倒している。
敵の放つ光線を駆け、飛び、舞って避けていく。瞳の下側から襲いくる無数の触腕束さえ彼を捕らえられず。
穿つたび蒼が爆ぜてまるで花火のよう。殴りつけるたび音速の震動がこちらの臓物を響かせる。
人々は、否応なく魂を抜かれたように魅せられる。雲の切れ間から差す天使の梯子が彼の再臨を祝福していた。
「うっひゃー! すっごいことになってますなぁ! あのちっこくてもの凄い速さの光点がミナトくんなんだねぇ!」
「まさかここまでとは予想外! いったいどれほどの私たちの使うフレックスとは完全に別物と断定できてしまう!」
人々は丘の上に立ち、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
そこには現実では決してあり得ないはずの奇跡が繰り広げられている。
空には虹色の光が渦を巻き、大地には空色の光が風を蹴って宙を舞う。戦いは苛烈なれど、人々の眼には希望のみが映っていた。
ウィロメナは、はたと思いだしたかのように肩を揺らす。
「せ、せめて武器を届けなきゃ! あんなに拳を酷使したらあっという間にフレックスが切れちゃう!」
唇を震わせるほど痛む折れた腕を押さえていた。
それでもいてもたってもいれれない、と。膝を折って足下の武器へ手を延ばす。
しかしその労を杏はそっと制する。
「止めておきなさいいまのミナトに扱える武器はないわ。きっとどの武器もひと振りでスクラップになるのがオチよ」
「でもあのまま素手で戦っていたら10分ともたないよ!? あれほど私たちが手を焼いてなおダメージを与えられなかった相手なんだよ!?」
「わかってる……わかってるわよ、そんなことは痛いほどに。だって……私たちじゃ束になっても叶わなかったんだもの」
澄ましているようで、そうではない。
歯を食いしばる。唇を噛みしめる。悔しさが喉を焼き、焦燥が胸をかき乱す。
「このまま見ていることしかできないなんて……最低の極みよ!」
「……杏ちゃん」
言葉の代わりに拳を握りしめるが、力を込めたところでなにも進展しない。
ただ、静かに見守ることしか出来ない。無情にも、目の前の光景はあまりにレベルが違う。
耳を澄ませば震源から聞こえる調べが心を震わせる。それは剛の歌か、あるいは天使たちの囁きか。
人々の視線は固定され、胸のうちは熱くなり、全身を駆け巡る喜びが涙となってあふれそうだった。
「はっはァ。こんな光景が、こんな奇跡が、この世に存在するとは。されど目の前に広がるモノはホンモノで、現実である」
白い羽織を纏った男は、静かに佇んでいた。
まるで風そのもののように、軽やかで、それでいて揺るぎない存在感を放っている。
杏は、佇む中年一瞥し、遠方で着陸しているブルードラグーンに目を細めた。
「……しぶとく生きてたのね。まあ、ミナトが生きているのだから当たり前か」
「久しぶりの再会だというのにずいぶんつれないじゃないか。ミスティは泣いて生還を祝福してくれたというのに冷たいな」
そして杏は、つまらなさそうな視線を東へと仕向ける。
「あれ、あんたが作ったの? やめてよね、私の友だちに変なことするの?」
「面白い冗談だ。お前だってアレの素質を認めていたじゃないか」
以降どちらも視線どころか言葉さえ交わそうとしなかった。
東は静かに遠方で戦う彼へ向かって手を伸ばす。
「…………」
まるで求めたものを見つけた子供のような目。
東だけではない。この場にいる人間たちは勇敢な光に焦がれつづける。
まだ生きている。なおつづいている。たとえこの幻想が消えてしまうとしても――この瞬間だけは、永遠だった。
「翔べ! お前はもう自由に翔べるはずだ!」
「もしミナトくんが負けそうになっても僕たちがいるよ! 僕らは全員でイージスのメンバーなんだから!」
信が叫び、夢矢が鼓舞する。
それから人々は次々に喝采と激励を天に木霊させた。
世界はすでに終わっていた。あるいは、終わる直前だったのかもしれない。
崩れた街並み淀む空気、閉ざされた空、触れれば砕けてしまいそうな心。すべてが静寂となって過去の営みだけが密かに残されていた。
――……それでも。
灰に埋もれながらも、生きている。
かすかな光が、この世界にまだ命がつづいていることを教えてくれる。
遠くで、戦う音が聞こえる。絶え果てた地平でなお歩みを止めず進んでいる者がいる。
暗黒のなかに響くその勇猛な音は、終わりではなくはじまりの鐘のようだった。
この世界は終わったかもしれない。
――……それでも。
人々の心は同じ言葉を刻む。
ここに次が生まれようとしている。
だから、消えゆくモノのなかに宿る光がある限り。
世界は、まだ終わりではない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「いますべてがある! 四肢と脳、血管や体内の血潮さえ1つに感じる! 願えばすべてが叶う気さえする!」
打ち震える。奇跡と形容出来るほどに完結していた。
ミナトの表情は歓喜に溺れている。そして純粋な殺意を牙のように剥いている。
世界から上下という道理が消失した。不敵によってヘックスの個体を踏む。重芯で肉体の質量を反転させれば空はこれほど近い。
ゆえに人は大地に縛る重力と概念そのものを克服する。踏んで蹴った場所が己の立っている場所だった。
「世界はオレのなかにあって、オレ自身も世界の内側にいる!」
それは指先が空を撫でる感触となる。
光が瞼を透かせば心が輝きを増していく。
どこまでも広がる大地は骨であり、絶え間なく流れる時は血となった。
漆黒の殻に拳を叩きつける音も、16の眼から放たれる灼熱でさえ、すべてが彼の声であり、彼の願いだった。
「これが調和! これが蒼の力! 人間の本質!」
だからミナトは疑うことなく願えた。
すべてがひとつに溶け合うこの瞬間が――……永遠につづけ、と。
祈りはやがて隆々と満ちあふれながら身体のなかへ浸透していく。世界はもっとずっと強い輝きを増し、その中心でミナトは微笑む。
個は然であり、然は個だった。すべてだった。だからもう、なにも失うことはなかった。
「――――――――――――――――――――――!!!」
駆け抜けるだけですでに通り過ぎていた。
16の眼から光条が代わる代わる放たれる。崩壊の閃光が瞬くたび地が焼け爛れて、大気が沸騰した。
ノアへの投射なら溜めが必要らしいが、放射ともなればさして時を待たずして乱射可能らしい。
「しかしまあ」
閑話休題。有頂天でも脳は氷水の如く冷静だった。
ミナトは、逆しまな敵の巨躯を遠巻きに目を細める。
そしてどうにもよろしくなくて、頬を掻く。
「……その図体なのに破壊した端から復活するとか生き物として卑怯すぎるだろ……」
とうに初撃を与えた支柱の傷は、完全に治癒しきっていた。
これまでに与えた有効打もすべて致命だったはず。なのに瞬時に甲殻は塞がり傷ひとつ残っていない。
「神様ってのは如何様にしてこれほど人に過酷な試練を与える賜るんだろうな。これじゃあ無限と戦っているような錯覚さえ覚えるぞ」
呆れ果ててため息すら枯れそうだった。
高火力、高耐久、硬質量。加えて自己蘇生能力まで兼ね備えているとは。
「このままだとマジで人間滅ぶ……――っ!」
光の炸裂と高温がほぼ同時に襲いかかった。
地面は容易に溶かされ蒸発した土壌から炊き上がる煙が視界を塞ぐ。
ミナトは1発目の襲来する刹那、身を翻す。爆音を背中で受け流すように上下が逆となった世界を疾走する。
だがすぐさま次の爆撃――頭上から迫る影に気づいた瞬間、横へ跳躍。直後に背後で土煙が舞い上がった。
「……楽には無理か」
爆圧が身体を押し流そうとするが、すでに次の1歩を踏みだす。
炎の壁をすり抜け、瓦礫を蹴り上げながら疾走する。
(区切りなし)




