349話 ここにいる、生きてる、まだ 2《We’re NoT》
「ノア居住区に敵反応無数! 各施設にて防衛チームが戦闘を開始しています!!」
「敵の襲来が広範囲すぎるためノアの防衛設備稼働率75%にまで上昇中です!!」
「フレクスバリアーの再稼働開始に伴い移民船倉充填フレックス24%にまで低下しました!!」
管理棟内は混迷と悲鳴の如き慟哭によって逼迫していた。
立ち止まる暇もなく駆けずり回る。コンソールから無限に送られてくる膨大なデータに眼を縛られている。
バリア内に流入した敵と戦闘する実働チームを的確に援護しなければならない。外が戦場ならばこちらの支援チームもまた火中の栗を拾うようなもの。
そしてここ艦橋地区管理棟作戦司令室は、作戦すべての脳を司っていた。
「非戦闘民の護衛を徹底させろ!! チーム全員に攻めるのではなく守りながら敵の数を減らすよう伝えなさい!!」
情報の暴風のなか。それでもミスティ・ルートヴィッヒは一輪の花弁の如く指揮を飛ばす。
たった2分。強襲揚陸チームを発たせるためにかかった時間が、120秒ジャスト。
抜かりはなかったし、迅速を極めていた。それなのにバリアを解除したたかが2分で盤面が崩壊しかかっている。
「バリア内に侵入してきた敵の数およそ7000と判明しました!!」
「7000をノアの牢獄に閉じこめたか! ならば強襲揚陸チームの発ったバリア外はどうなっている!」
危機は承知だったし、事態も最悪ではなかった。
もとよりこちらが木偶。ノアに敵を引きつけることが目的である。
少しでも多くこちら側に敵の集団を引きつけられさえすれば、策は成るはずだった。
「よ、4万……なおも……増幅中」
算出されたデータを読み上げる声は、凍えそうなほど震えていた。
オペレーターの女性はモニターに絶望の眼差しを落としている。
「バカなッ!? こちらに7000を引きつけてなお残4万だというのかッ!?」
ダァン、という秩序なき鮮烈が司令室に響き渡った。
激情をそのまま落とした手のひらは、焼けるように熱い。
「観測データによるとバリア再稼働直前に多くの敵勢反応が異常行動を開始! 分隊の如く別れ強襲揚陸チームの方角へと向きを変更したようです!」
完全なる裏目だった。
狙いが宙間移民船であるならばこちらの方へ多くの敵の目が向く。その隙を縫って強襲揚陸チームが敵の狭間を掻い潜る、はずだった。
しかし大型モニターに表示された敵の行動結果は、まるで逆。バリアに閉じこめられる直前で身を翻す。強襲揚陸チームの方角へ狙いを変更している。
「ヤツらの狙いはノアのはずだろうに!? それなのになぜ唐突に強襲揚陸チーム側へ進路を変える!?」
モニターを見上げたミスティの全身に雷撃の如く悪寒が巡った。
前髪の奥にヌルつく汗が滴るのがわかる。臓物の奥に不快と不安が同時に渦を巻く。
コンソールの上に落とした拳を手汗ごと握りしめる。混濁する脳を無理矢理フル回転させ、次の展開を予測する。
「もう1度バリアを解除することは可能か!?」
「この短時間でのバリア再起動は無茶です!! もし自発的に解除すればオーバーヒートにより再起動まで数分を要することになります!!」
「くっ――」
息を呑む。奥歯を噛み締める。
もしこちらへ誘導成功してもバリアがなければ濁流は止められない。そうなれば強襲揚陸チームが敵大型の討伐に成功させてとて、先に宙間移民船が墜ちてしまう。
予測不能の事態が予断を許さない。それどころか人類は刻一刻と追い詰められつつある。
――ダメか!? 本当にダメなのか!? 我々人類はもうここで!?
成功率が幾パーセントか、なんて。知るものか。
しかし腐敗は香っていた。はじめから勝ち目という希望は見えていない。
だが座したまま滅ぶという選択肢なんてありはしない。だから今作戦こそが人類種にとって滅亡と生存を天秤に乗せた最後の賭けだった。
『こちら強襲揚陸チーム総括の焔源馬だ。いますぐ作戦司令部より現状の確認をお願いしたい』
するとその時、泥濘の如き暗雲を切り裂くように司令室へと通信が届く。
それは一片の希望の声である。ミスティは即座に伏し目を上げて応答する。
「こちら司令部ミスティ・ルートヴィッヒ。宙間移民船はバリアを再起動し侵入してきた敵勢存在の駆除を行っている。万全でもなく楽観視できる状態ではないがいまのところ被害は抑えられているぞ」
端的に必要な情報のみを脳内で模索し、伝えていく。
現在焔源馬は、強襲揚陸チームの総指揮をまとめ上げる。
タイミング的に考えて現場では把握できない情報こそ彼の必要としているもののはず。
「ララ・ラーラ・ララが総合システムとリンクして的確に敵を迎撃してくれているおかげだ。彼女を強襲ではなく防衛として残す君の采配は見事だった」
『フッ。あれは無口だがやることだけはやってくれる女だ。しかしララだけではそうもつまい、様子を見つつ上手く回してやってくれ』
「防衛チームもフル稼働で彼女の援護に奔走してくれている。想定より被害が少ないのは侵入した敵の数が下振れたからだろう」
『なるほど……いまの言葉ですべてを察した。どうりでこちらの損壊が予想を遙かに上回るわけだ』
ミスティは、源馬の声がワントーン落ちたことを聞き逃さなかった。
遠回しに作戦は失敗したことを伝える。戦火で互いの士気を下げぬ応急処置だった。
しかし悪いことばかりではない。強襲揚陸チームのリーダーである源馬がこうして生きていることなによりの至宝。
それで、と。紡ぎかけて1度吐息を刻む。そうしてワンクッション置いてもう1度モニターを睨み付ける。
「そちらの状況はどうなっている?」
『俺含め四柱祭司は3名ともに生存だ。他にも敵の総攻撃を耐えきっているチームもそれなりにいるとだけ伝えておこう』
源馬の報告する声が明らかに暗かった。
互いの士気を下げぬ応急処置。
ミスティは、神経質そうに眉根を寄せる。
「……たどり着けるのか?」
『一部なら、あるいは』
心して彼の言葉に耳を貸す。
逆をいえば司令室に籠もっている身では、それしかもうできることがなにもない。
口惜しい。ミスティは、忸怩たる思いで胸が張り裂けそうだった。
『作戦開始20分で2割の揚陸船の反応消失した。以降もかなりの数の船が敵によって破壊されている』
残酷。もはやこれは悲劇だった。
宙で命の爆ぜる色は、赫い。
いまなお司令室のモニターには撃墜される映像がリアルタイムで映しだされている。
『だが幸か不幸かやや厄介な現象が起きている。揚陸船は破壊されているのだが生体反応のみ残存しているのだ』
「迎撃されているのに生存しているだと!? それはいったいどういうことだ!?」
ミスティは、源馬からの信じ難い言葉に思わず声が裏返った。
揚陸船が破壊される。なのに生体反応はある。そんな矛盾があるものか。
『敵は宇宙に放りだされた人間を次々に捕獲しているとの報告があった。Alecナノマシンの反応を追ってもらえればそちらでも確認可能だと思ってな。その確証を得るためにいまこうしてそちら側へ通信を送っているというわけだ』
源馬が言い終わる間に優秀なオペレーターたちは動いている。
コンソールを叩く指はまさに怒濤の如く。司令室には管理棟を任されるほど熟練した技術者のみ集う。
その英傑たちのなかで主任を担当する男もまた目ざとい。
「情報の統合と確認がとれました。大型モニターに詳細を送りますのでご覧ください」
藪畑笹音は、優雅な所作でミスティに礼をした。
この状況に至ってなお眉尻ひとつ変わらない。鼻につくニヤけ面で丁寧に役割をこなしている。
「どうやら……源馬殿の懸念は当たっていたようです」
モニターに表示されたのは宙域のマップと生命反応だった。
船という大地を失い放りだされた人間たち。そして人間に群れ、掴み、去って行く敵が映しだされている。
詳細ではないが、おおよそ。だが未知の生命体が人を狙うという事象が確定した瞬間でもあった。
司令室内が絶句に囚われている。すると今度は源馬とは別の声が大音量で司令部に響き渡る。
『俺の妹が亀裂のなかに攫われたんだ!! あの虫連中に捕まって引きずりこまれていった!!』
声の荒げようからかなり憔悴していることがわかった。
青年と思わしき慌てふためく声が司令室に爆音で割って入る。
そのあまりの声量にオペレーターたちも驚いて耳を塞ぐ。
『近くで戦いっていた船が敵の攻撃で撃墜されたんだよ!! そしたら妹がなにもない宇宙空間に放りだされたんだ!! それを俺が助けに行こうとしたら突然妹に敵が覆い被さってあっという間に戦線から離れていっちまった!!』
さも、必死だった。
いますぐにでも駆けだしたいという衝動が声と吐息に滲む。
目の前で妹を攫われたというリアルが、こちらの耳に届くほどだった。
『俺に小型でいいから船を貸してくれ!! 早く妹を助けに行ってやらないと!!』
『血縁が心配なのはわかるが落ち着け!! 同じチームの友すら危険に晒して身勝手に振る舞うつもりか!!』
青年と交代するように源馬の叱咤が飛ぶ。
現状青年に宛てられる船はない。格納庫のあるノアはバリアのなか、揚陸船を1機貸すわけにもいくまい。
ゆえに源馬の覇気ある説得にのみ、利がある。青年が妹の元へ辿り着く手段は、ない。
『それに単身で向かったところでなにができようものか!! 冷静にいまここで可能な処置を考えろ!!』
『知るモンかせめて死ぬなら俺は妹と一緒の場所で死ぬ!!!!! どうせこの作戦自体はじめから死ぬようなモンだっただろがァ!!!!!』
『く、口を慎め!! 命を冒涜するな!!』
熱狂する通信に対し、冷え切っていた。
司令室内は、凍りつくほどに時を止める。
オペレーターたちは青年の訴えに手を止めていた。モニターを見上げて入るみたいに、宛てのない先を扇ぎながら唇を震わせている。
はじめから成功する、なんて。ここにいる精鋭たちの脳に欠片としてあっただろうか。
いまこうして無茶無謀をとり仕切ることで、生きているという実感を得ているに過ぎない。
やがて烈火と燃えた生命は、線香花火の如くぽとり、と墜つる。残るのは灰のみ。今日を終える頃に、1つの種が壊滅する。
『冒涜しているのはお前らだろオオオ!!! 俺らを戦場で戦わせるためだけに生きる希望なんてないモン見せやがってエエエ!!! けっきょく死ぬってンのならこんな場所じゃなくてもっと穏やかな死にかたを選んだ――』
唐突にブツリ、と。切断された。
オペレーターたちの誰かが回線を強制的に切断したのだ。
激情の余韻残す静寂に嗚咽が漏れる。1つや2つではない。
啜る音、喘ぐ音、囁く声。慟哭。人々の惑っていた心が最悪の一方向を定めてしまう。
ミスティ・ルートヴィッヒは、勇敢な足どりで白裾をたなびかせ、翻す。
「まだ、戦えるもののみ、ここに残るといい。未だ人の可能性に未来と希望を託せるもののみで戦いつづけるとしよう」
「8代目艦長は如何なされるおつもりで?」
笹音は肩をすくめて是非を問う。
愚問だ。わかっていて問うているのだからなおのこと、愚か。
ミスティは、純粋な美貌で鮮やかに微笑む。
「私は、まだ少しだけ人の可能性を信じたいと思うのさ。あの日に見た光が未だ私の胸中で残り火のように灯っているうちは……」
啜り泣きを置いてオペレーターたちが次々に退出していく。
残るものはいたが、そう多くはない。光なき航路に嫌気が差しすべてを諦め去って行く。
「どうせなので僕も最後の瞬間までご一緒致しますよ、8代目艦長」
「フッ、残業代を期待してくれるなよ」
★★ ★★ ★★ ????????




