344話 勝者《Be light》
「クッ……! クソみてぇな威圧だしやがってウザってぇ……!」
女帝の威圧にレティレシアさえたじろいだ。
言葉だけではない。一族を代表する龍の王による裁定。彼女が語るからこそそこに意は生まれる。
「なによりもしミナトくんの相手が白龍じゃなかったら僕らは負けてるんだよ。龍族のなかで種族の2手2足をもっと上手く扱えるのが彼女だからね」
蠱惑な微笑と柔軟で滑らかなひれ尾が揺らめいた。
救世主たちの垣根を縫うように海龍スードラ・ニール・ハルクレートが姿を現す。
「そんな白龍をあそこまで追い詰めてみせたんだ。あれだけやった彼の実力を疑うなんて野暮ってモンさ」
人を食ったような小癪な視線が順繰りに巡った。
ターコイズブルーの瞳に見初められた救世主たちは慌てて視線を逸らす。
王でさえ、龍でさえ、最強でさえ、承認しているという異例の事態だった。
そこへさらにずいっ、と。リリティアは口惜しげに歯がみするレティレシアに身をもたれかかる。
「でも、アナタも十二分に楽しみましたよね?」
「う”ッ!?」
反応は速かった。
レティレシアは、迫るにんまりとした笑顔から逃げるように顔を背けた。
しかし逃がさぬとばかりにリリティアは笑みを貼りつけたまま、追従する。
「想定を超え道理さえ翻そうとする勇士に愉悦を覚えましたよね?」
細やかながら圧を秘めていた。
リリティアは有無を言うわせず、詰めていく。
「後半なんて乙女みたいな眼でほっぺたを紅潮させながら立ち上がっちゃってましたよね?」
「べ、別にそこまでは墜ちたわけじゃねェ!? 勝手に事実をねじ曲げて現実を偽装しやがんなよなァ!?」
ここに在る事実がレティレシアを追い詰めつつあった。
彼女は、大いに、楽しんだ。なぜなら決闘の秒針を握っていたのは彼女なのだから。
ヨルナは意を決したように燕尾のマントを波立たせ、1歩を踏み入る。
「レティレシアは最後まで決闘を止めようとはしなかった。ことミナトくんが大地に伏すそのときまで傍観に徹していた」
ルハーヴも彼女の意を汲み後につづいた。
「つまるところ退屈したら終いって状況にもかかわらず最後の最後まで楽しみ尽くしたってことだぜ」
「そしてその道理をとり決めたのも冥府の巫女レティレシア。この領域の頂点である貴方のはず」
エリーゼまで加わってからというもの完全に流れが変わりつつあった。
救世主たちが次々に主の意を反していく。
「おいいい加減顔を上げやがれってんだ。オメェはそのていどでくたばるタマじゃねぇだろ。なにせこの西方の勇者を超えたんだからなぁ」
強引に腕を引かれて初めてミナトは世界を見上げた。
はじめは全員が敵だった。イージスのから譲り受けた呪いの入れ物としか思われていなかった。
「みんな……どうして……」
とてもではないが信じ難い光景だった。
赤く腫れた眼の先。蒼が消失し光さえ閉ざされた世界の向こう側。
ぞろぞろ、と。救世主たちがミナトの側に集っている。
勇ましくも信のある瞳が群れなす。老若男女たちが主の意に反してたった1人の側に立つ。
そしてあっという間にレティレシアの側には、それほど多くない数しか残らなかった。
唖然と見上げるミナトの肩にシロツメクサのような手が触れる。
「キミの成したことを僕たちは決して忘れない。なぜなら僕らは棺の間に選定された救世主、英雄のなり損ないなんだから」
優しい友の声が頬をかすめた。
微笑むと美しい少年のようで、愛らしい少女のように曖昧。器用なのに恥ずかしがり屋で、勝手に気を揉む苦労屋でもある。
ミナトにとって欠かせない存在だった。なぜならこの世界に降りたって初めてできた大切な友だち。
そしてまるで反発する1団を背負うかのようだった。救世主という強力な景色を背に、剣聖リリティアは儀礼剣を掲げる。
「私は、この限りあるいまを投資してたった1人の描く未来を見てみたいです。そしてそれは私の娘であるイージスの望んだ世界でもあるのですから」
この場での総意が宣言された。
救世主たちに否を唱えるものは1人としていない。
ただ採決を下す行使力のある冥府の巫女へと、その真意を測る。
もう指先さえ動かないほど疲弊していた。しかし次の瞬間、身勝手に身体が動いている。
「頼む!!!!! オレに力を貸してくれ!!!!!!」
己でさえ平頭する、身と喉を裂かん、力の懇願だった。
ここで動かねば未来永劫後悔する気がした。だからミナトは最後の力を振り絞ってレティレシアの靴先に平伏した。
半年という長くもなければ短くもない年月を経て、2度目の構図だった。あのときはたしか、大鎌で肩を抉られた時だったか。
しかしいまは少しだけ過去と異なっている。なぜならいまのミナトはあのときのように1人ぼっちではない。多くの救世主たちと友が後ろに集っていた。
ここにいるのは証明された力に見惚れた強者たち。逆をいえばここにいる全員が強者だからこそ届いたともいえる。この光景こそそんな荒くれた無頼漢どもが1人の少年を認めた証明だった。
裁量は如何に。期待の視線がレティレシアへのみを中心に注がれる。
「チッ、んなもん投資じゃなくて投棄じゃねぇかよ」
彼女の口から不満が飛びだすのはいつものこと。
それと一緒に山羊角の生えた頭を長い爪でガシガシと掻きむしった。
そんななかリリティアは、ミナトに手を差し伸べて立ち上がらせる。
「この子は人種族を救いイージスを連れて帰るといいました。イージスの信じた彼を私たちも信じてみるのも小気味よい話じゃないですか」
「バカなガキの語るチープな夢物語を信じろってか。最強の剣士剣聖もガキをこさえて丸くなったもんだぜ」
「あら。私は200年も昔から人間さんのこと大好きですよ。たった1人と胡蝶の夢。愛したあの人と歩む道のりが重なった幸せを1日として忘れたことはありません」
紅はいつしか金色へと戻っていた。
勇壮だったはずの微笑も、慈愛に満ちあふれる。
そうしてリリティアは金色の眼の片側を閉ざし唇の前で指を立てた。
母の笑みに当てられたレティレシアは、複雑そうに口端を歪ませる。
ひとことでいうならば、横柄。それでいて暴力的。なのに色を芳す扇情さを身にまとう。
そんな彼女こそが棺の間の主。なにからなにまで無茶苦茶。話も通じなければ行動に脈絡もない規格外の女性だった。
だが、いまその風向きは変わろうとしている。不動だった古い歯車を回すみたいにゆっくりと、確実に羽を回すかのように。
しばし目を閉じる「ふぅぅ~……」と吐ききる。実りの房が肺に引き上げられて、首を落とす。
「しゃーねーなカスがァ! うちの救世主どもを勝手に口説き落としやがってクソッタレがァ!」
急遽手放された大鎌が大地に寝転んだ。
「余に忠誠を誓ってるくせに簡単に墜ちてんじゃねェ! それだとまるで余のほうが、信念曲げて、駄々捏ねてるみてぇだろうがァ!」
血色の三日月が艶容な孤を描く。
睨むというより常、見下す。救世主たちを睥睨しながら地団駄を踏み鳴らす。
「おい朽ちてる溝鼠野郎! 耳の穴かっぽじってよく訊いとけや!」
「あ? ああ……」
立てられた白い指が不躾に鼻先を射止める。
勢いが勢いなだけにミナトは眼をぱちくりと瞬くしかない。
いっぽうで開き直るレティレシアの様子は通常とは言い難いかった。
「余が数百年と溜めたマナのほんっっっっっっっの一部、パンの耳ていど、マナのカスゴミをテメェにくれてやる!」
唇尖らせ視線は行方不明だった。
幅広い腰で暴れる尾を摘まむ。短い毛の生えた蝙蝠状の羽の先端が忙しなく羽ばたいている。
開き直っているようで、パニックになっているような。そんな主を見つめる救世主たちはむず痒そうに眉を寄せていた。
「オレ……魔法使えないから別にいらないんだけど?」
「テメェが使うんじゃねぇクソアホがァ! 余みずからがテメェら人種族のために行使してやるつってんだよボケェ!」
さすがにこれでは要領を得ない。
ミナトは暴言に晒されながら首を横に捻る。
やけに饒舌なレティレシアを眺めながら砂臭い指で頬を掻くしかできない。
「最強種族のてっぺん様にもこの話に乗ってもらうぜ」
「無論だ。なによりその男の子には借りと貸しが山のようにある。次は母として恩義と報償を支払う手番であるだろう」
ヒドイ顔をしたミナトを置き去りだった。
あれよあれよ、と。勝手に話が進んでいく。
突拍子もないはず。なのに場の全員がレティレシアの言に頷き、納得している。
「必要なものはなんだ。これを期に終末への憂いを断ちたい。可能であれば狭間の殲滅を望む」
「足場がねぇと戦えねェから龍どもはとにかく数を揃えろ。騎乗するのはうちの精鋭どもだから役に不足はねぇ」
まるで迷路に迷いこんだ迷子だった。
そこへさらにリリティアやユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッドたちも加わっていく。
「おそらく今回の発生にも核が存在しているはずです。どうにかしてあれを倒さないとイタチごっこになるでしょうね」
「200年前の防衛戦争と同じね。シックスティーンアイズ率いるアンレジデントとの戦いは記憶に深く刻まれているわ」
「あのときは大陸種族全員での大捕物でしたけど、今回はあれだけの戦力を揃えられません」
人にはわからないなにかが爆発的速度で組み合っていく。
ルスラウス大陸種族たちは、さも当然のように、そのなにかを熟知している。
治療役として待機していたユエラや傍観していたスードラでさえ例外ではない。
「でもシックスティーンアイズ相手に死に体の人種族を投じて希望があるのかしら?」
「僕ら龍族でさえ手を焼く難敵だからねぇ。ハッキリいっちゃうとまず勝ち目なんてないだろうねぇ」
しばしの難航模様だった。
種族たちはしかめ面に険を集めて無を扇ぐ。
するとそこへ紅の三日月が浮かぶ。レティレシアは羽根を広げて中空に座すと偉そうに足を組む。
「バカいってんじゃねぇ誰が好き好んで尻の奥まで拭いてやるかよ。ウチらがやるのはあくまで雑魚散らしの露払いだ」
「でもそれだと詰めの部分で火力が足りないよ? もしデカブツを放置でもしたらまた増えちゃうわけだし?」
スードラが口を挟む余地はなかった。
レティレシアはしたり顔で彼を見下す。
「んなもんコイツにやらせりゃいいだろ」
そして雑に1人を指名する。
不思議なことにそれだけで周囲から感嘆の吐息が漏れた。
リリティアがぽんと手を打ち、呼応するようレティレシアが笑みを広げる。
「確かに絶大な蒼力をぶつければやれるかもですねっ」
「解呪後の刹那にコイツが使いこなせるかは知ったことじゃねぇけどな」
腫れた瞼で呆然と1人佇む。
ミナトには戸惑う時間すら与えてもらえていなかった。
事態に置いていかれている。途方もない情報が濁流の如く奮起して、とにかく状況について行けない。
だから八方より注がれる視線にたじろぎながらたった1つを、問う。
「ってことはつまり……オレのかちでいいのか?」
るっせェ! 返答は横暴だった。
レティレシアは不服に唇を歪めながら長く美しい足を組み替える。
「勝ち負けとか関係なくテメェみてぇなじゃじゃ馬飼い慣らすのが面倒臭くなったってだけだ。だからこの誓約決闘は――」
流転する。
誰もが不可能だと口にした。
翻る。神の憶測も、現実さえも。
「ミナト・ティールの勝利とするゥ!!!」
棺の間に主の宣告が高らかに響き渡った。
誰もが予測しなかった、夢にも思わなかった。人と龍の果たし合いは見事、想定を超越した収束を迎える。
次の瞬間。今日一番の歓声が一斉に勝者の身体を叩いたのだった。
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