315話 救世主《Not HEROES》
常識を問うみたいな白々しさだった。
そして瞳には色がなく、魂さえ抜けきっている。
「つっ、テメェッ!? 自分の命をなんとも思ってねぇのか!?」
レティレシアはミナトの表情を見るなり肩を揺らし笑みと閉ざす。
それは遙か彼方で苦境を生き抜いたときの死神としての眼差しだった。
「生きている人の未来を守りたい、せめて目に見える範囲の世界を変えたい、そうやって願い足掻くのはそんなに罪なことなのか?」
「力も才能もねぇくせに足掻いたところでなんの意味がありやがる!? ここはテメェのいた世界でもなければ守りたいモノだってねぇだろうが!? なのになぜそんなに知らねぇヤツらの魂を救おうとしやがる!?」
レティレシアがいくら声を荒げようとも、届かなかった。
なぜならそんなことはとうの昔に決まっているから。
「ここにあるのは知らない異世界でも非情な現実世界でもない――誰がなんといおうともオレの世界だッ!!!」
未開惑星に建てられた窮屈なビーコン屋だって、そう。
宙間移民船ノアという科学の推移を詰め込んだ超過技術だって、そう。
そこには守りたい宝物があって。生きている人々がいて。触れずとも温かいものがあって。
それらすべてがミナトという過去を知らぬ少年を構築する世界だった。
「あ~……クソッタレ。いまようやくわかった」
踵を返して去りゆく背に吐息が漏れた。
レティレシアはおもむろに頭巾を剥がすと地面に叩きつける。
「余はテメェのそういうところがクソほど気にくわねぇ……。自分の命を勘定に入れねぇで無駄死にしようとも向かおうとするその生き様がとくにクソだ」
レティレシアは喉が裂けんばかりに忌み言を吐き捨てた。
そして白く美しい足でとん、と。軽やかな1足で飛ぶ。
「……。下がってろ焔龍の娘を危険に晒せねぇからな」
止めるのではなく制す。
ミナトは差し向けられた手と彼女を交互に見る。
「レティレシア?」
「あとで絶対にあの食いもん寄越せよ。1つ2つじゃわりに合わねぇもっと大量にだ」
醜悪を噛み締めるようレティレシアの奥歯がぎりりと軋んだ。
口端が歪むと剥いた牙が晒される。足下で不意にぼこぼこと赤い粒が隆起する。
湧き上がる液体が弾けるたび鉄の如き匂いが広がった。
「はっ!? まさかここであれを使うのかい!?」
発散と同時だった。
ヨルナとルハーヴが異変を察知して目を丸く剥く。
「おいおいおいマジか! そこまでやるのかふつーよぉ!」
大地から噴出するよう赤い渦がわあ、と舞って濁流の如く天へ連なる。
あふれんばかりの血に濡れたレティレシアの身に修道服は飾られていない。
手には夜月さえ切れそうな大鎌を。頭には山羊の角を。腰から蝙蝠の羽が伸びていた。
そして彼女はあろうことかその口で真なる意を紡ぎはじめる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――チッ! らしくねぇ、らしくねぇ、らしくねぇッ!
噛み締めるほど、苛ついている。
脳が痺れる。生まれてはじめてと思えるまでの屈辱が全身を駆け巡る。
冒険者とは身勝手に生き身勝手に死ぬ。この場に集う冒険者たちでさえ相応の覚悟をしているはず。
なのに彼はそういうものと限りを作らなかった。ミナト・ティールという人種族の少年は先駆けをしていた。
それは、誰も死なぬ最高の結末を望むというもの。定量の1歩先を目指す稚拙さ。
――すべてを捨てて余はいまここに在る! 同種も世界の生命すらもすべて捨てて落ち延びた!
その昔、世界があった。
いまは亡き世界。争いの絶えぬ不完全な世界があった。
レティレシアはそこに欲望も執念も夢も、身と心でさえも捧げた。
捧げることでこうして次なる世界で冥界と天界の繋ぎ役を召し使っている。
――なのにコイツは余に甘ったるい夢を見せやがったッ!! なにも出来ねぇ雑魚のくせに汚泥を啜って生きる余の心を平然と乱してきやがるッ!!
胃の腑が裏返ってしまいそうな感情の流出だった。
なにもかもが気に食わない。なにもかもが思い通りにいかない。
意識からはずそうと思えば思っただけ視界にちらつく。まともに見ないと見えないほど、小さな小さな光の粒があった。
――余が……希望なんて粗末なもんを見るわけがねぇ。
心を落ち着け、静寂をとり戻す。
ふと瞳だけで横を確認すると、気に食わないの頂点が呆然と佇んでいた。
傍らにはしょげ顔の子龍を連れる。あまつさえ救世主であるヨルナやルハーヴさえ彼の側に立っている。
「……縁か」
人種族がこうして信頼を得ているのは、とても偶然と言い切れぬ。
彼は救ったのだ。ただひたすらに救うことで縁という絆を繋ぎつづけたのだ。
「お、おい……なにを」
「いいから死にたくねぇなら下がってやがれ」
案じて伸びてくる手を強引に振り払う。
そうしてレティレシアはもう1度はじめから、はじめる。
「《来、来、来。驕り高き痴れ者よ道理に背く不届き者よ》」
それはまるで聞くモノにとっては詩であるかのよう。
静寂に満ちた水面の如く平たくあれば、聡明ささえ染み入る。
「《儡、儡、儡。闇底より這うは百舌の早贄百足の悪名》」
あるいは呪いか、呪物の類いか。
しかして彼女の紡ぐ言葉はそのどちらでもない。
「《頼、頼、頼。死を喰らい生を啜る怠惰な夢は現の大罪》」
それは契約である。
魂で結ばれた血濡られし契約書そのものを意味する。
「《堕ちし魂たちよッ!! 我が血族の盟約に従い其の威信を示せッ!!》」
そう、レティレシアが居丈高に唱えた直後だった。
まっさらな草原にまったく似つかわしくないモノがいつしかそこに顕現していた。
ミナトは後方に現れたソレをあんぐりと見上げる。
「これは、扉か……? なんでこんなものを……?」
詠唱によって呼びだされたのは、漆黒の大扉だった。
どっしりと構える不撓不屈さは存在感が凄まじい。巨大で重厚重圧だった。
ヨルナは現れた扉の横で背を丸くしな垂れる。
「あーあー……やっちゃったぁ。あとで後悔しても僕は知らないからねぇ……」
「ククッ。ここに出口がでちまった以上もう止めようがねぇわなぁ」
知る者は知っている。
このレティレシアの行動が如何に不遜で感情的であるかを。
するとその時遠間から小さな咆吼が大気を伝って響いてくる。
「Krrrrrrrrrrrrrrr……!」
「AAAAAAAAAA……!」
「RORORORORO……!」
まるで仲間の仇でも打たんと地を鳴らす。
3体のダモクレスガーゴイルたちは、天昇の街エンジェルヘイローを真っ直ぐ目指していた。
おそらくは未曾有の大災害級の事態に他ならない。たとえ討伐に慣れているとはいえ3倍量を相手にした歴史はないはず。
ゆえに彼らは遅れてしまう。ただ1匹の討伐にすべてを振り絞ったことで危機的状況を感知できない。
「そんな……嘘だろ」
ひとりのベテラン面をしたエルフでさえ青ざめる。
地平線の向こうから迫る3体を視界に入れてただ固まってしまう。
そう判断を手放している間にも地鳴りは大地を伝って絶望を運んでくる。
「RAAAAAAAAAAA!!!」
「ROEEEEEEEEEE!!!」
「RUUUUUUUUUU!!!」
今度はハッキリと明確に猛りが街を揺らした。
ここにきてようやく熟練も初心も己の愚かさを共有する。
反応は様々。顔を引きつらせ、青ざめ、震え、佇む。与えられた報酬をすげとられたかの如き絶望を体現していた。
もっとも価値ある報酬がなんであるのかを知れ。いままさに平等な生が死へ転じようとしている。
「む、無理だ! 無理だ無理だ無理だ無理だァァァ!」
「お、俺は逃げるぞ! あんなの国が動いてどうとかするレベルじゃねぇか!」
「そんなこといって街はどうするんだ!? ひ、避難指示をださないとうん千が死ぬぞ!?」
「それどころじゃない早く聖都にいって伝えるんだ!! このままだと街どころか都にまで被害が及ぶ!!」
冒険者たちは慟哭の体を成していた。
あるいは成していない。
1手遅れて身を翻し逃げだす。初心ゆえへたりこんで涙を浮かべて腰を抜かす。傷つき顔しかめる仲間の手を強引に引く。
こうなっては冒険者もなにもあったものではない。眼前の脅威に徒党は統制のない烏合の衆と化してしまう。
――これが普通だ。生命は命あるがゆえに我が身惜しさに他者を蹴落とす。
悲鳴を振り払うようにしてレティレシアは、大鎌を薙ぐ。
己の命を迷いなく捨てる。その行為の逸脱具合は万に1も値しない。
ゆえに踊ったのだ。胸の奥深くに隠し留めていたはずの大切なものが。
「ヒーッヒッヒッヒ!!! こうなりゃ終焉の刻の前夜祭だァ!!!」
笑っているのではない。
己が身の矮小さを悔いている。やがて滅ぶこの世界で崇高に生きようと闊歩する者への祝福とする。
ガガ、ガガガ、ガガ。主の猛りに応じ、大扉がその大顎を軋ませながら開いていく。
内側から闇がこぼれる。闇をまといてその身を現す者たちがいる。
ある者は決して折れぬ伝説の剣を携えた。ある者は魔法を極め心を失っていた。ある者は盗賊の頂点に幾100年と君臨していた。
冒険者如きと比べるべくもない。そもそも質も量もケタが違う。
運命の天使が余の崩壊を告げて以降、幾千の夜を越えて集めたとっておき。
「時の軍勢を相手どる前菜だアアア!!! 好きに暴れろ救世主どもオオオ!!!」
血色の大鎌が一気呵成と虚空を薙いだ。
その魂のどれもが無頼であって1級品質の実力者たちで構成されている。
英雄になれなかった棺の救世主たちは、征く。
…… … ☆ … ……




