第42話
「何がしたいの?」
全く悪夢でしかないね。まだここにきて万夢を縛り付けるなんて。
キレたら排除されるのは目に見えている。ここの支配権は奴にあって、俺はゲストとして呼ばれているに過ぎない。
「さあ。でも俺は彼女にとても興味があるんだ」
感情を抑えないといけないといけないと自分に言い聞かせた矢先に、あいつが万夢にキスしようとなんてするから、とっさに俺は間に入って、そいつを殴り倒してしまった。
「触るな!」
ぐったりとなった彼女を支えて怒鳴る。人の彼女に手を出すとか。全く、勘弁できる訳無いでしょ!
「ってー、ててて凄い意思力。でもいいの?こんなことしても。
これからお前の見る夢見る夢全部悪夢になるかもしれないよ?」
「別にいい!
この先眠れなくなろうがなんだろうが、万夢を好きになった気持ちを忘れてしまうなら、それはずっと悪夢を見ていることと同じなんだ!」
きっとこいつに喧嘩を売っている俺は世界一の大馬鹿者だろう。でも……でも……
「だから……連れて行かないでよ」
お願いだから。
彼女を夢の鎖につなぐのはもうやめてよ。
そうして手に入れたものを、お前は愛しいだなんて思えるのか?
誰かを傷つけて、それで楽しい?
やっと笑えるようになったんだ。ずっと、ずっと、ずっと笑うことができなかったんだ。
こんな能力のせいで、彼女を覚えている人は少ししかいなくて、孤独で、寂しくて、覚えている人間も彼女を「夢見」としか見ていなくて。
全ては目が醒めると消えてしまうような儚い現実。
でも現実も悪くないって、そう思ってもらえるよう少しずつ努力してきた。やっと笑ってくれるようになったんだ。見ているものが幸せになるくらい綺麗な微笑で。
これは俺の凄い我がままで、一方的な気持ちで、押し付けで、自己満足。だけど隣でずっと見ていたいなんて思ってしまったのだから仕方ない。どうか、連れて行かないでよ。
「万夢は君のことを覚えていないよ?」
ぎゅっと万夢を抱きしめて離そうとしない俺に、そいつは喉の奥で笑った。
「構わないよ」
「思い出さないよ?」
「……いいんだ」
俺のことを忘れていてもいい。
もう一度最初からやり直すだけ。
目を閉じる。
なんだ。覚悟なんてとっくにできていたじゃないか。
「万夢の代わりに俺がなれないかな?」
「……面白い奴」
酔狂じゃない。本気でなきゃ、そんな申し出なんて出来ない。
「いいよ。最近甘い夢ばかり見ようとする奴が増えて退屈していたんだ」
俺はしばらく彼女がいない現実という悪夢を見ていたよ。
「ただしお前から彼女に話したりするのは禁止だよ? いいの?」
構わない。
「ふーん、じゃあ、帰してあげよう。……現実の世界へ」
目を開けると病室だった。そして、万夢はうっすら目を開けていた。
「……誰?」
ゆっくりと、向けられた俺への視線。全く知らない他人を見ているような瞳。
「良かった。目を覚ましたのね?」
そのとき誰かが部屋に入ってきた。看護師だ。その後ろに万夢に似たおばさんがいる……ということは彼女の母親だろう。
「伴野空太さんから貴方の面倒を見るよう頼まれているものよ。目が覚めたら、うちで貴方を引き取ることになっているの。これからは家族と思ってくれたらいいわ」
そう母親は、親戚の子を預かるといった口調で告げたあと、少し困ったように笑った。見たこともない親戚の面倒を見るように言われて戸惑っているのだろう。
それから、『貴方は誰?』という視線を俺に向ける。
「俺、クラスメートです。ちょっと代表で見舞いに……」
すっくと立ち上がって近すぎる距離を離す。その言い訳を疑うこともせず、彼女の母親はほっとしたように付け加えた。
「まあ、それはありがとう」
「目が覚めてよかった。どうか、お大事に」
今まで近くにいもしなかったくせに。そんな言葉は飲み込んで、俺はさっと病室を出た。
他人を見る眼差しが、ひどく印象に残った。
「……あの人は……だれ?」
扉の奥から聞こえる声を聞いたら、涙が出そうになる。
万夢は帰ってきた。鎖は断ち切った。それだけでいいじゃないか。
何度も言い聞かせる。俺は覚えているんだから、それでいいじゃないか。
でも、割り切れない気持ち。ああ、万夢はいつもこんな気持ちを味わっていたんだ。
何度戻って「思い出してくれ」と言いそうになっただろう。
その唇に触れそうになっただろう。
泣きそうになっただろう。
ぴんと張り詰めていた緊張がどんどん崩れていく。
その日見た夢は最悪だった。
「大丈夫だから」
「大丈夫って顔かそれは!」
あれからずーっと夢見が悪い。全く意地が悪いね、夢の主って奴は。毎日、毎日、大事な人を失う夢を、世界がなくなる夢を、殺される夢を、どうにも出来ずに絶望する夢を見続ける。
これだけ俺に悪夢を見せつづけるとはいい度胸だ。けれど、これは万夢の魂と引き換えたことなのだから、今更やめてくださいなんて、絶対に言ってやらない。
「負けられないんだ!」
心配する夕馬を一喝して、問題集を広げた。




