第33話
赤い空はいつしか静まり、夜の空へ。心地よい風はいつしか冷たく凍えていた。
ゆらり……カーテンが揺れる。
一体いつの間に居眠りしていたのだろう。部屋の明かりは全くない状態で目を覚ます。
俺はまだけだるさが残っている目をこすって、腕時計に焦点を合わせた。もう七時半を過ぎている。
布団が掛かっていて気持ちがいい。
暗くなり始めた空からは少しずつ星の光が窓に届く。けれどもそこから吹き込む夜風は冷たくて、ヒラヒラ揺れるカーテンは幻想的であるけれども体を凍えさせていく。
「寒いな」
――沈黙。
あまりに静か過ぎて、世界に自分ただ一人が残されたような錯覚に陥る。顔をあげると何故だか寂しくてたまらなかった。
無意識のうちに隣のシーツに手をやってしまう。誰かいるわけでもないのに。
自分の暗い部屋から見える明かりが温かそうで、つられるように窓際に寄ると、家の前に止まっていた黒塗りの車がどこかへ行くのが見えた。記憶にはないのにその車がひどく懐かしいものに思えてしまう。どんどん遠ざかっていく車のライトが冷たい。
夏の夜は物悲しい。
センチメンタルな気分に浸るなんて俺らしくないけれど、何かぽっかりと心に穴が開いているような気がしてならないんだ。
……窓を閉めよう。
いつまでも眺めていたい気持ちを抑えて窓を閉める。部屋の明かりをつけると少しだけ気分が和らいだ。
こんな時には無性に誰かに会いたくなるね。
それは、家族でもなく、
学校の誰かというわけでもなく、
朝広でも、
夕馬でもない、
――誰か――に
一体誰に会いたいというのだろう。馬鹿馬鹿しい。他に親しい人なんているはずないのに。
下から母さんの声がする。テレビの音が続いて、どうやら父さんも帰っているようだ。
早くコップを片付けて下に行かないと。
そう考えて俺は妙なことに気が付いた。
「あれ?」
小さなテーブルの上にはお茶と、コップが2つ。すっかり氷は溶けて水になっている。
薄まっている「元お茶」を眺めながら俺は首を傾げ、確か俺は“一人で”家に帰ってきたはずなのにと思いつつも、間違って2つ持ってきたのかもしれないと考え直して階段を下りた。
最後に部屋の明かりを消して。
――比留間 英明様
お話したいことがあります。昼休み、屋上にて待っています。
はっきりいって「またか」と思った。
どうして下駄箱に入れるかな? 足蹴にして欲しいのか?
おまけに名前も書いていなければ、日付もない。
多分、今日ってことなんだろうけれど、俺の予定は考慮されないわけ?
思わず一つため息をついてしまう。この4月からカウントして何通目だろう?
同学年・上級生・下級生から毎日のように届くラブレターに、はっきり言って俺は辟易している。これで呼び出された場所に行かないと、授業中に教室まで来て泣かれたり(1回あった)するんだから始末に終えない(怒られるのは俺だ)。
別の学校に通う親友、朝広なんてお気楽に
「すげーな! 英明への手紙攻撃! お前をここまでへこませるなんて!」
と笑うけれど、ここまできたらいじめでしょ? と思わざるをえない。
親友が登校拒否になりかけてるの分かってる?
毎日この手紙の処理、その辺のゴミ箱に捨てるわけにもいかなくて、家に持って帰って捨てて、呼び出された場所に行っては、もはや暗記してしまった「お断り」のセリフをロボットのように繰り返す。そして、何故ダメなのか説明を求められ、直すといわれ、ああ、思い出すのも忌々しい。
ガチャリと屋上への扉を開けた。
外はいい天気で、そりゃあもう泣きそうなくらいいい天気なのに、
――誰もいない。
俺は筋を通したからね。
こう一言だけ心の中で呟いて、俺は屋上への扉をパタンと閉めた。
弁当を食わないと、午後の授業に間に合わないでしょ?
教室に戻ると、4月からずっと空いた席が一つだけ目立っていた。窓際の、前の席。
空いているなら後ろに回せばいいのに。日当たりの良いその席は、多分休校している誰かのものだろう。
そしてそのまま今日は早く帰る。
もうすぐ小テストだから勉強しておこう。なんだかまだ日の高いうちに早く帰るなんて違和感があるけれど、塾に行けばすぐにその違和感も消えるはずだ。
「英明、大丈夫か?」
「なにが?」
「なんだか、元気なさそうだったから」
俺が元気いっぱいの方が大丈夫か?と問いたくなると思うけど? そう返すと、そ、それはまぁそうなんだけどと夕馬は口を濁した。
俺はいつも通りだけどね。
むしろ何も起きていないのに、いつもと変わらないのに、急激にテンションが変わるほど情緒不安定だとも思わない。そう答えると朝広が「お前は安定しすぎだ」とつっこんだ。
そういいつつも、家に帰ってからこっそり電話をかけてくる辺り、朝広も優しいというか何というか。そこまで気にかけてもらうとくすぐったいんだけどね。




