第26話 舐めて
(ピンポ~ンッ♪)
帰宅し、学生らしく今日出された宿題がほぼ終わった所で、家のインターホンが鳴った。
「はい、どうぞ~」
インターホンモニターで、1階フロア入口のオートロックの開錠ボタンを押す。
学習机の整理をして、宿題を通学カバンの中に戻した所で、玄関ドアの方のインターホンが鳴った。
「開いてるから入ってきていいですよ~」
玄関に向かって声をかけると、バーンッ!と扉が開く。
「はぁはぁ……お邪魔します」
パンツスーツ姿のエッちゃん先生が息を切らしながら入ってくる。
「いらっしゃい、エッちゃん先生。残業おつかれさまでした」
そう言って、エッちゃん先生の通勤カバンを受け取る。
今の時間は夜の8時くらいだ。
「あ、ありがとう橘……。ゴメンな、待たせてしまって。どうしても今日は残業しなきゃいけなくて」
「ううん。仕事だもん、大変だよね」
そう言って、俺はエッちゃん先生を労う。
ほんと、今日は残業なしで帰れる穏やかな一日だなと思ってたら、終業時間間際に飛び込んでくる仕事のヤベェ連絡とかあるもんね社会人には……。
分かる分かる。
「橘は学生なのに、なんて物わかりがいいんだ……。理想の旦那さんか」
「俺は仕事を頑張ってる人は尊敬してるから。あ、上着はこっちのハンガーにかけるね」
「そんな事までしてくれるのか? 本来は、私が橘の世話を焼くのに」
「これくらい普通だよ。まぁ今日は座ってて」
笑いながら、俺はエッちゃん先生から上着を受け取りクローゼットに仕舞う。
「あ、そういえば格好。今日は部屋着なんだな」
「さすがに、この時間じゃね。ゴメンね、Tシャツにハーフパンツの抜けた格好で」
「いやいや、何を言う橘。男の子の部屋着なんて貴重なものを見せてもらえて眼福だぞ。部屋着なんてそれこそ、心の甲冑を脱ぐ事と同意な訳で、本来は信頼するパートナーしか拝むことが出来ないもので」
「めっちゃ語るじゃん」
笑いながら、俺はエッちゃん先生の前でクルッとバレェ選手のように一回転してみせる。
ゴクリッとエッちゃん先生が生唾を飲み込む音が聞こえた。
ほんと、この人は分かりやすいな。
「さて、夕飯は下ごしらえはしてあるから、後はメインの肉料理を作れば完成だよ」
「橘は料理も出来るのか⁉」
「実はね。だって、さすがに残業で疲れてるエッちゃん先生に料理を作らせるのは忍びないし。温かい料理を一緒に食べたいじゃない」
「じゃあ、私の存在意義は……」
ありゃ?
感謝されるかと思ったが、己の存在意義を奪われてしまった形になって、エッちゃん先生があからさまに凹む。
ふむ、前世でも男に尽くす事でゾクゾクするタイプもいるらしかったから、エッちゃん先生もその手の安い女なのか?
だが、性癖はそれぞれだしな。
「じゃあ、エッちゃん先生には掃除をお願いしようかな」
ここは、固辞するのも悪いかと思いなおした俺はオーダーを出した。エッちゃん先生的には、何かしら任せる方がエッちゃん的には気持ちいいのだろうと思い直したのだ。
「ホントか⁉ じゃ、じゃあ向こうでちょっと着替えてくる」
パァッと明るい顔になったエッちゃん先生は、脱衣場の方にカバンを持って行ってしまった。
まったく、子供みたいにはしゃいじゃって。
これで、前回の母さん急訪による寸止めについては多少罪滅ぼしは出来ただろうか。
しかし、着替えってなんだろう?
前回みたいにスーツの上にエプロンじゃないのかしら?
メインの肉料理の方だが、大方完成の段階まで来てしまったが。まだ部屋から出てこない。
着替えに時間かかり過ぎじゃね?
「お待たせ」
そんな疑問は、脱衣場から出てきたエッちゃん先生の姿を見て一瞬で、解が示された。
「これは、メイド服……」
「男の人って、こういうの好きかな……?」
「はい、大好きです!」
即答するくらい、エッちゃん先生の正統派メイド姿は似合っていた。
『もういっぱしの社会人の年齢の自分が、こういう格好をするのは……』と、逡巡と羞恥が入り混じって恥かしそうにしているのもポイントが高い。
「よかった……。エプロン姿はこの間やったからと思って。じゃあ、掃除するな」
そう言って、エッちゃん先生がいそいそと掃除を始めるので、俺も鍋に火をかけ、仕上げに料理の上に乗せる用の万能ねぎを包丁で刻む。今日は、鶏肉ときのこのクリーム煮で、いろどりに緑が欲しいのだ。
俺が横で料理をしているので、掃除機やはたきなど、埃が舞ってしまうのは避けて、雑巾がけなどの拭き掃除を行っている。
───エッちゃん先生って、結構気遣いのできるタイプだよな……。
まぁ、この世界の共学校の担任教師なんて、エリート中のエリートだからな。
周囲、特に世間的に貴重な男子生徒への気遣いの細やかさは、当然のように備わっているのだろう。
そんな有能な大人の女性が、自分の気まぐれに右往左往したり、頑張ってメイド服を着てきたりしてこちらの気を引こうとするなんて、いじらしくて可愛いんだよな。
「アイテッ!」
と、担任のメイド服姿に目を奪われて手元への注意がお留守になっており、万能ねぎの束を抑える猫の手の移動が甘くて指を包丁で傷つけてしまった。
パックリ切れた指先から血が滲み出る。
まぁ、傷はそんなに深くないようだが、切ったのが敏感な指先なので思わず声が出てしまった。
「だ、大丈夫か⁉ 橘!」
俺の漏れ出た声に、血相を変えたエッちゃん先生が俺の元に駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ。ちょっと切っただけだし」
「で、でも、男の子の綺麗な指先に傷が! 私は、なんてことを……」
沈痛な面立ちで、エッちゃん先生がハンカチを俺の指先に押し当てる。
「大げさだよエッちゃん先生」
「いや……私が、つい男の子に手料理を振る舞ってもらえるという女の夢シチュエーションの前に目がくらんで、つい自分の欲望を優先してしまったせいだ……。私が、料理もちゃんとやれば……」
半べそのエッちゃん先生に思わずたじろぐ俺。
俺が、5歳児とかならともかく、今の俺は高校生なので大騒ぎが過ぎる。
「課外で男子生徒にケガを負わせてしまった……。報告書を山のように書いて、各所へ報告連絡もしないと。減給や戒告は避けられないな……」
って、更にエッちゃん先生の話が大げさになっていく⁉
大体、報告書って何を書くんだよ。
真実は、俺が担任の女教師のメイド姿にグッと来て、料理中についついよそ見して手元を見ずに万能ねぎを刻んでいたせいで、包丁で切り傷を負ったってだけだぞ。
完全に俺のせいなのに、エッちゃん先生に累が及ぶのは嫌だな……。
っていうかエッちゃん先生ってば、メイドのコス衣装を着てるくせに、すっかり言動が仕事モードになっちゃってるじゃん。
こんなの嫌だ。
「ん~。じゃあ、傷なんてなかったことにしないとね」
「いや、無かったことにって、そんな……むぐっ⁉」
抗議の声を上げかけたエッちゃん先生の口を物理的に黙らせる。
エッちゃん先生の口腔内に、さっきケガした俺の指を突っ込んで。
「舐めて」
最初は自分の口腔内に異物が入った驚き、その次はそれが男の指だと知った紅潮、そして生徒に命令された悦楽。
コロコロと表情が変わるエッちゃん先生。
そして、俺の命令を受けて目を閉じて愛おしそうに、指を頬張った中で舌が動く。
「ふふっ。くすぐったい」
敏感な指先は、先ほどの切り傷の痛みなんて忘れて、人の舌の温かさがぬたうつ感触に神経が持っていかれる。
これ、やばいな。
「ほら、血は止まった」
キュポンッと音を立てながら、俺の指がエッちゃん先生の口腔内から引き出される。
温かい口腔内から外に出ると、エッちゃん先生の唾液で濡れた指は少しの寒さを感じた。
「橘……私……」
まるでお預けを食らったワンコのように、ベロをこちらに出して物欲しそうに俺の名前を呼ぶエッちゃん先生は、床にへたり込んでしまっている。
もう、準備は整った。これで……。
(ピンポ~ンッ♪)
無情なインターホンの音が響いた。
「…………」
「…………」
俺とエッちゃん先生に駆け抜けていく、前回の母親乱入の忌まわしき記憶。
しばらくの静寂の後、俺は、おそるおそるインターホンのディスプレイで応答ボタンを押す。
「はい」
『夜分遅くにすいません。多々良浜です』
1階のエントランスホールのインターホンに立っていたのは多々良浜さんだった。
「ど、どうしたの? 多々良浜さん」
『ちょっと話したいことが……。こんな時間にご迷惑なのは重々承知なのですが』
申し訳なさそうな多々良浜さん。
先日、晴飛と自宅で遊ぶために一緒に護衛名目で来たので、俺の部屋番号を把握しているのは不思議じゃない。
だが、彼女はキャラ的に克己心が強く、男の住所を知ったからと言って、むやみに押しかけてくるタイプではないように思っていたのだが。
さて、どうするか?
このままでは、我が家でクラスの学級委員長と、メイド服姿のクラス担任が鉢合わせることになる。
うん。
『家庭訪問で~』とかいう理由で逃げ切ることは、時間帯的にも服装的にも無理そうだ。
ここで、俺は瞬時に脳をフル回転させる。
「じゃ、じゃあ俺が1階に降りていくよ。ホールで待ってて」
『……分かりました』
そう言って、俺はインターホンの画面を閉じる。
「エッちゃん先生! 俺が多々良浜さんを外に連れ出すから、隙をついてマンションから出て!」
「生徒バレ……。淫行教師……。記者発表……。メイド服姿で送検される様子がお茶の間報道に……」
慌ててエッちゃん先生に指示を出す間男ムーブの俺。
そして、またしても、エッチなことができる直前にお預けを喰らってからの、社会的地位の危機というジェットコースターのような目まぐるしい浮き沈みを前に、茫然自失のエッちゃん先生。
そんなエッちゃん先生の尻を叩きつつ、俺は階下にいる多々良浜さんの元へ向かうのであった。
はい、寸止め~(2回目)
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