第20話 橘君は、女の子に都合が良くて最高
「お客様。学校に到着しました。起きてください」
「んが⁉ あ、お? ああ、学校……。ありがとうございます」
運転手さんに起こされた俺は、寝ぼけながらハイヤーから這い出た。
乗った時に寝ようとした意識はなかった。
だが、ハイヤーの後部座席の上質なシートに身体を沈めた瞬間に、意識が飛んだようだ。
感覚的には、秒で学校に到着した感覚だ。
───昨晩の俺は、よくやった……よくやったよ……。
寝ぼけ眼で、まだ覚醒しきってない重い身体を引きずるように歩く俺は、自画自賛しながら一人笑いをしてしまう。
昨日、母さんが帰り際に放った、晴飛の定期報告書の提出期限が翌日までだという爆弾投下により、前夜に秘密の部屋を見つけてソワソワして寝られずに溜まった睡眠負債を解消するという俺の当初予定は、もろくも崩れ去った。
あの後はパソコンを開いて、クラウド上にある定期報告用の文書ファイル様式を探し当て、過去のファイルを参考にそれっぽく作り上げた頃には、窓の外はすでに明るくなっていた。
このままベッドで仮眠なんてしたら、確実に登校時間に起きられないと思った俺は、そのまま制服に着替えて学校へ来たのである。
───徹夜したら会社に早めに行って、机につっぷして寝てれば遅刻はしないという社畜テクニックが、ゲームの世界でも役に立つとはな。
経験値がちがうんだよ、こちとら。
そんな褒められたものではないライフハックを虚空に披露しつつ、俺は教室の扉を開けた。
「あ、橘君⁉ お、おはようございます」
「え、多々良浜さん⁉ おはよう。なんで、こんな朝早くに」
登校時間までまだ1時間以上ある時間で、絶対に誰もいないと思った教室には多々良浜さんがいた。
「学級委員長を任されたのですから、クラスの誰よりも早く登校しているのは当然です」
「え~、別にそんな肩肘はらなくていいのに」
たかが学級委員に、そんな大げさな。
前世の学生時代の俺が学級委員を押し付けられた時は、割と適当にやってたもんだが。
「といっても、教室に何か異変は無いかとか、ゴミは落ちていないかを確認する程度で、後は勉強してます。静かな教室って集中できるので」
「お~、さすがエッちゃん先生が見込んだ女。学級委員になるべくしてなったって感じだね」
「か、からかわないでくださいよ橘君」
恥ずかしそうに多々良浜さんが俯く。
「んじゃ、俺は寝るよ」
「え⁉ 寝……え?」
多々良浜さんが驚いたような声を上げるが、既に今の俺は立っていても寝れるくらい眠気が凄いのだ。
「もう眠気が限界なんだよ……。朝のチャイムが鳴っても起きなかったら起こしてね、多々良浜さ……ん……」
確実に履行されるであろう、信頼度の厚いアラームを頼むことが出来た俺は、安心して自分の席に突っ伏すと、そのまま意識を飛ばした。
◇◇◇◆◇◇◇
【多々良浜みな実─視点】
「本当に寝ちゃった……」
私の目の前で、男の子が……。
私と橘君の2人だけの静まり返った空間に、橘君の寝息だけが響く。
「な、なんで橘君はこんな無防備に……。私の事を女の子だと意識してるんでしょうか、この人は……」
最初に口に出たのは、彼への文句だ。
男の子は常に悪い女の影におびえて、ビクビクドキドキしている人が大半だ。
だから、外の往来ではもちろん、一緒の空間で男女が2人きりなんて絶対にストレスを感じるはずなのに。
「男の人の寝顔なんて初めて見た……」
机につっぷしている橘君ですが、顔を横に向けて寝ているので、必然的に顔の半面が見えています。
スースーと可愛らしい寝息を立てるのと相まって、今にも理性が飛びそうです。
───え、これってひょっとしてオーケイのサイン?
古事記外伝にも書いてありました。
『恥ずかしがり屋男の子のオーケイサインというのは非常に分かりにくい。故に、女の子は男の子のわずかな違いにも気を配り、気持ちを汲んであげるべき』と。
これが、その男の子の分かりにくいサインという奴なのでは⁉
…………。
いえ、違いますね。
橘君と知り合ってからまだ数日ですが、この人にはそういう裏はなさそうです。
何というか、一応は意識しようと思っているけど、元より染み付いた習性のためか、女の子に必要以上に親密に接していしまっているという感じなんですよね。
今も眠いから寝たいだけなのでしょう。
「となると、今の私にとっての最適解は橘君の寝顔を堪能することですよね」
早朝の教室は勉強に集中できるなんて格好つけておきながら、私は勉強を放棄し、隣の席で橘君と同じように机に突っ伏して、橘君の寝顔と向き合う。
隣の席にいる男の子と入学初日に会話して、一緒に学級委員をする事になって、そして今こうして2人きりで顔を向き合わせている。
───ああ……なんて幸運なんでしょう。
そう思いながら、私は自然と微笑んでしまう。
「可愛い顔して……。こんな無防備な顔を女の子の前にさらすなんて、私じゃなければ、大変な事になってるんですからね? 橘君」
笑いながら、橘君の頬をツンツンする。
柔らかく張りのある頬に、私の指先が沈み込む。
「こんな頬っぺたを指ツンツンされるだけじゃ済まないんですよ? 分かってます?」
分かってます? と寝ている橘君に語り掛けているけど、本当の意味で分かっていないのは私の方だ。
この幸運は私の人生において最大級の物だろう。
これ以上を望むのは、きっと神の罰がくだる。
「こんな美味しそうな柔らかい頬を晒している橘君が悪いんですよ?」
分かってる。
分かってるけど、神様……。
止まらないんです……。
「だから、ちょっとくらい……いいですよね……」
自己正当化の詭弁を自分に並べ立てて、私はこれから行う事を正当化しようとする。
私の唇が、橘君の柔らかい部分にもうすぐ触れて……。
「おっはよー! 早いね、みな実っち~!」
「ホギャッ⁉ え、絵里奈ちゃん! う、うん、おはよう」
ガラッと教室の扉が開いて入ってきた音に、飛び跳ねるように私は橘君から離れた。
挨拶してきたのは中学からの友人である絵里奈ちゃんだった。
ギャル系の見た目なのに、なんでこんな朝早く登校するの!
そこは、ギャルっぽく遅刻して2時間目に登校すればいいのに!
「ん? よく見たら橘っちもいる。って、え? 寝てる⁉」
「しーーっ! 橘君が起きちゃいますよ」
さっきまで指でツンツンしていた自分の事は棚に上げて、私は絵里奈ちゃんに口元に人差し指を立てて注意する。
「あ……ごめん」
邪まな私の注意を素直に聞いてお口チャックするギャルの絵里奈ちゃん。
ちょびっと罪悪感です。
「ぐっすり寝てるね」
「ええ。かなりお疲れだったみたいで、席についた途端に寝ちゃいました」
「昨日も眠そうだったもんね。心配だね」
「ええ……」
純粋に橘君のことを心配する絵里奈ちゃんの純粋さに対して、またしても己の欲望を優先させた己の浅ましさにズンと心が沈みます……。
ギャルなのに純粋とか、これ男の子はかなりグッと来るのでは?
「それにしても、橘っちの寝顔、可愛いねー」
「そうなんですよー。隣の席から、同じ目線で見ると、まるで添い寝をしてるような気分になれて最高で」
「みな実っちって、真面目な優等生だけどムッツリスケベだよね」
「私がスケベな事は事実なのですが、ムッツリなんて称号は要らないんですよ。女の子は須らくスケベな生き物で」
「めっちゃ早口で語るねー」
う……。ついムキになって反論してしまいました。
「そんなイジワル言う子は、私の席に座らせてあげませんよ」
「ゴメンてー。座らせてよ」
まったく、調子のいい子なんですから。
でも、絵里奈ちゃんは気さくで自然と憎めないんですよね。
素直に謝ってくれたので、私も素直に橘君の隣の席を絵里奈ちゃんに明け渡します。
「おほー! これは、凄い……ヤバい……」
人の事をムッツリスケベとか言いつつ、ちゃっかり私と同じく机に頬杖をついて、隣の席で寝ている橘君と目線を合わせる絵里奈ちゃん。
「でしょう? 朝チュンのベッドの中を想像してもいいし、もちろん、授業で居眠りしてる男子が起きた所に『おはよ』って、一緒の目線で笑いかけるのもいいですよね」
スケベであることがバレた今、私の妄想の翼の羽ばたきは止まることを知りません。
「うちら、幸せだよね……。クラスの男の子が橘っちで」
「はい。心の底からそう思います」
「大事にしようね」
「はい」
「だから、抜け駆けでチューとかは無しだからね」
「はい。……って、え⁉」
み、見てたんですか⁉ 絵里奈ちゃん!
「おはよう。って、え⁉ 橘君が寝てる!」
「ハワワワッ! 男の子の寝顔、尊い……」
「朝一でいきなり心臓に悪い……」
唐突に釘を刺してきた絵里奈ちゃんに言い訳をしようとしますが、ここで他のクラスメイト達が登校してくる時間になってきました。
「ほらほら静かに。今なら、隣のみな実っちの席で橘君と添い寝体験ができるよ~。1回100円だよ~」
「「「マジか⁉」」」」
だから、そんな大きな声を出したら橘君が起きちゃいますって。っていうか、絵里奈ちゃんは私の席で商売をしようとしないでください!」
結局その後、橘君は本当に始業のチャイムが鳴るまで起きなかったので、2組の子全員が添い寝体験ができました。
やっぱり橘君は、女の子に都合が良くて最高ですね。
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