星空の音楽祭
雨があがってから、いくつかの日が過ぎました。
森はまだしっとりと濡れたままで、木々の葉のあいだからは、ときどき水の雫が、ぽとり、と静かに落ちてきます。
けれど夜になると、空いっぱいに、星たちが息をひそめるように瞬きはじめました。
空の奥には、見えない川が流れているみたいに、ゆるやかに光がつながっていました。
ミミは夕ごはんを終えると、いつもの長ぐつを履き、マフラーを首に巻きなおしました。
胸の奥が、どこかそわそわして落ち着きません。
(今日は、きっと何かがはじまる)
そんな予感がしたのです。
「今夜は星空の音楽祭だよ」
ノノが小声でそう教えてくれたのは、夕暮れの森の入り口でした。
年に一度だけ、森の奥にひそむ妖精たちが開くという、秘密の夜の宴。
「みんなで音楽を奏でて、星に歌を届けるんだ」
ノノの声は、少しだけ誇らしげでした。
ミミは胸の高鳴りを抑えきれず、森の小道を駆け出しました。
夜の森は、昼間とはまるで違いました。
しっとりとした空気の中に、どこか透明な冷たさが混じっています。
葉のうえにはまだ雨の名残のしずくが光り、ホタルのように小さな光が、あちこちでふわりと揺れていました。
「ほら、あそこ」
ノノが指さした先に、木々の合間の小さな広場が見えました。
そこはまるで夢の中のように灯りがともっていて、花びらで作られたランプが並び、木の枝を組んだ楽器たちが円を描くように置かれていました。
その真ん中で、メメが静かに立っていました。
青い葉っぱのマントをまとい、手には透明な鈴をひとつ、そっと抱くように持っています。
ほかにも、葉のドレスをまとった妖精、どんぐりの帽子をかぶった小人、苔の上で眠そうにしている子ウサギまで、森の生きものたちがひとり、またひとりと集まってきました。
「みんな、ようこそ」
メメの声に合わせて、
どこからか笛の音がひとつ、ふう、と吹かれました。
その音が夜の空気を震わせ、音楽祭の幕がそっと上がったのです。
最初は、静かな旋律でした。
木の枝で叩く音が、遠い太鼓のように響き、葉っぱをこすり合わせる音が、やわらかい風のように流れていく。
その音にまじって、土の下から、虫の羽音が低く鳴りはじめました。
森が、歌っている。
ミミはそう思いました。
星の光が葉の上で反射して、音のひとつひとつに小さな光が宿っているようでした。
ミミはそっと目を閉じ、深く息を吸い込みました。
音が体の奥を通り抜けていく。
胸の中の何かが、少しずつほどけていくような感覚。
やがて、演奏は少しずつ力を増していきました。
どんぐりの太鼓が森の心臓のように響き、メメの鈴の音は、夜空の星そのもののように澄みわたります。
ノノの笛の音は、風の彼方から届く便りのように優しく流れていきました。
「星はぼくたちの友だち。この歌は、遠い空にいる星たちへの贈り物なんだ」
ノノがミミの耳元でささやきます。
ミミはゆっくりと目を開けました。
夜空には、数えきれない星が瞬き、まるで音楽に合わせて踊っているように見えました。
光が音に、音が光に、境目がなくなっていく。
そのとき、ふいにミミの胸の奥で、ぽつりと温かいものが灯りました。
(わたしも、何かを届けたい)
気づけば、ミミの口から自然に小さな歌がこぼれていました。
その声は星のきらめきとまじり、森の風に乗って広がっていきます。
みんなが顔を上げ、笑顔のまま、音を重ねていきました。
それは、ことばのいらない祈りのような歌。
空に届く音の花束。
いつまでも続いてほしい夜でした。
けれど、やがて最後の音がふうっと消えると、森は再び静けさに包まれました。
それでも、空の星たちは光をやめませんでした。
むしろ、さっきよりも少しだけ明るく、あたたかく輝いているように見えました。
「こんな夜は、ずっと忘れたくないな」
ミミは小さくつぶやき、胸の前で手を組みました。
誰もいない広場には、まだ音楽の余韻が残っています。
葉っぱの上をすべる風が、まるで「おやすみ」と囁いたようでした。
ミミは帰り道、森の小道をゆっくりと歩きました。
星空は、木々のすきまから何度も顔をのぞかせ、そのたびに、ミミの心の奥であの音楽がそっと鳴りました。
夜の風は少し冷たく、けれど心はぽかぽかと温かくて、
ミミは思いました。
魔法は、見えないところで、いつも私たちをつないでいる。
その夜、ミミは机の上に小さなノートをひろげました。
そして、ペンを握りしめ、そっと書きはじめます。
題名は「星空の音楽祭」。
その文字の下で、ミミの胸の中の旋律が、またひとつ、静かに、あたたかく、奏でられていました。




