森のちずとこびとの道
葉っぱの楽団の夜が明けてからというもの、ミミの心はどこか遠くを漂っているようでした。
学校の帰り道にも、授業のあいまにも、ふと窓の外を見つめてしまう。
森の中には、まだ知らない場所がある。
そして、ノノたちはそこへ通じる道を知っている。
その思いが、ミミの胸の奥で、ひっそりと光のように灯りつづけていたのです。
ある日の午後。
風もなく、空には薄い雲がふんわりとひろがっていました。
ミミは、どこかで名前を呼ばれた気がして、ランドセルをおろすと、長ぐつをはいて森へ向かいました。
空気の中には、あのときと同じ“魔法の気配”がかすかにただよっていました。
井戸のそばに着くと、ノノがもう来ていました。
膝の上には、古びた紙のようなものが広げられています。
「なにしてるの?」
ミミがのぞきこむと、ノノは顔をあげて、うれしそうに言いました。
「これね、ぼくの家の屋根裏で見つけた“森のちず”なんだ。ずっと前の森の姿が描かれていて、いまはもう誰も知らない場所もあるんだって」
その紙は、葉っぱの繊維を編みこんだような、ふしぎな手ざわりをしていました。
年月のにおいがして、線も記号も、とても細かい。
ミミには、とても読めそうにありません。
「ここが“こびとの道”。こっちが“ひかりのすきま”。そして、ここに——“なきいしの庭”」
ノノの指先が、地図の一点をそっとなぞります。
「……“なきいしの庭”? なんだか、悲しい名前」
「ぼくも聞いたことない。でもね、この地図には、こう書いてあるんだ。“ふたりでないと開かない道”って」
「ふたりで?」
「うん。人間と小さなひと。どちらか片方じゃ、道が見えないのかもしれない」
ミミは一瞬、息をのんで、それからゆっくりとうなずきました。
「行ってみよう」
ノノは笑顔になり、地図をくるりと巻いて、小さなかばんにしまいました。
ふたりは並んで歩きだします。
見なれた小道をはずれると、森は少しずつ表情を変えていきました。
草は高く、葉の重なりは濃く、光はやわらかく屈折して、まるで水の底を歩いているようです。
足もとはしっとりとしていて、どこからか甘い香りがただよってきました。
やがて、ノノが立ち止まりました。
「ここ、“かくし口”って書いてある」
でも、そこには何も見えません。
ただ、太い木の根が地面に張り、苔がふかふかに広がっているだけ。
ミミはしゃがみこみ、苔の上にそっと手をのばしました。
すると、ひやりとした風が足もとをすりぬけ、苔の間から小さな光がひとつ、またひとつとあらわれました。
「……見えた!」
ミミが顔をあげると、ノノはにっこり笑いました。
「ひらいたね。これが“こびとの道”。音もなく、目にも見えず、でも気配だけで開く扉」
ふたりはその光の間をくぐり、森の奥へと足をふみいれました。
道はどんどん細くなり、木々が壁のようにせまってきます。
けれど、不思議と怖くはありませんでした。
鳥でも風でもない、ことばのような気配が、ずっとふたりについてきていたからです。
しばらく歩くと、森がふっとひらけました。
そこには、円を描くように石が並んでいます。
石のまわりには、小さな白い花が咲き、空気が少ししんとしていました。
「……ここが、“なきいしの庭”」
ノノが静かにつぶやきました。
石の表面には、かすかな線が刻まれていました。
まるで、だれかが指でひっかいたような跡。
風が吹くたび、草がこすれあって、音もなく歌っているように聞こえます。
「ここはね、昔、迷子になったちいさなひとたちが、帰ってこれなかったときのために作られた場所なんだって。森がその子たちを忘れないようにって」
ミミは、そっとしゃがみこみました。
ひとつの石に手をそえると、ひんやりとして、でも、どこかあたたかい。
そのぬくもりは、まるで“記憶”の体温のようでした。
「きっと……森って、生きてるんだね」
「うん。そして覚えてる。忘れられたものも、ちゃんと」
ふたりは、しばらく何も言わずに立っていました。
風が葉をふるわせ、木々の影がゆっくり揺れています。
森の時間が、静かに流れていました。
帰り道、ミミはぽつりと言いました。
「ねえ、また行こう。この森の“忘れられた場所”、もっと知りたい」
ノノは笑ってうなずきました。
「もちろん。森の地図には、まだまだ“空白”がある。きっと、それを埋めるのが、ぼくらのしごとなんだ」
ふたりは並んで歩きながら、地図を胸にしまいました。
その地図は、ただの紙ではありません。
森の記憶を、ふたりの心とつなぐ“鍵”のようなものになっていたのです。
その夜、ミミは机の上にノートをひらき、新しいページにこう書きました。
『森の道は、ひとりでは見えない。
でも、ふたりで歩けば、きっと光になる。』




