葉っぱの楽団
ミミが「葉っぱの楽団」という言葉を初めて聞いたのは、満月の前の、静かな晩のことでした。
その夜の森は、まるで息をひそめているように静かで、木々のあいだから差しこむ月の光が、やわらかく地面を照らしていました。
葉の先でしずくが光り、夜露が小さな星みたいに輝いています。
ミミは胸の奥がふっと温かくなるのを感じて、長ぐつをはくと、そっと家を出ました。
ーーノノに会える。
そんな予感が、風の中にひっそりとまざっていたのです。
森の入り口に着くと、すぐに草むらの向こうから聞きなれた声がしました。
「ミミ! 今日は特別な日なんだ。楽団の夜にようこそ!」
「楽団? なにそれ?」
首をかしげるミミに、ノノはにやっと笑って、月の光のなかをひらりと舞い上がりました。
「ついてきて」
ノノのあとを追って、ミミは森の奥へと進みました。
そこは、これまで一度も通ったことのない小道。
葉っぱが天井のように頭上をおおい、足もとには苔むした石がならんでいます。
月明かりがすきまから差しこむたびに、光の粒がふわふわと舞い上がり、空気全体が金色の粉をまとっているようでした。
やがて、木々の間がぽっかりとひらけた広場に出ました。
その真ん中には、つる草と葉っぱで作られた円形の舞台。
まわりには、ちいさな影がいくつも動いています。
「うわ……」
ミミは思わず声をあげました。
そこには、ノノと同じように小さな“ひとたち”が、たくさん集まっていたのです。
どんぐりの帽子をかぶった子。苔のベストを着た子。羽根のマントをひるがえす子。
それぞれが木の実や葉っぱ、小枝で作られた楽器を手にしています。
「今日は、“葉っぱの楽団”の夜。森の中で、風と音のちからを合わせて音楽をつくるんだ」
ノノは誇らしげに言いました。
「でも……わたし、人間だよ? ここにいてもいいの?」
「もちろん。魔法がひらいた夜だからこそ、きみも見られるんだ。めったにないことだよ」
そのとき、ちいさな木の太鼓が「トン」と鳴りました。
空気がぴんと張りつめ、広場がしんと静まり返ります。
一人の老人のような小人が、ゆっくりと舞台にあらわれました。
ノノが耳もとでささやきます。
「モルンじいだよ。森の長老のひとり」
モルンじいは長い白いひげをゆらしながら、ちいさな葉っぱの笛を口にあてました。
ひゅう、と細く澄んだ音が夜の森に広がります。
その音に呼応するように、あちこちから音が重なっていきました。
木の実をころがすようなコロコロという音。
葉っぱをふるわせるシャラシャラという響き。
小枝をこすり合わせるカサカサという拍子。
やがてそれらがひとつの旋律になって、森じゅうに広がっていきました。
風が木々を渡り、枝がゆれ、月の光が音に溶けていくようでした。
それはまるで、森そのものが歌っているような音楽。
ミミは胸の奥がじんわりとあたたかくなり、頬にそっと風が触れるのを感じました。
「楽団の音楽はね、森の調子をととのえるんだ」
ノノが小声で言いました。
「森がつかれていたら、やさしくさすってあげる。森がはしゃいでいたら、なだめてあげる。そんなふうにね」
ミミは目を閉じて、音の波に耳をすませました。
すると、風が髪をくすぐり、遠くで鳥の羽ばたく気配がしました。
音と風と光が、ひとつに溶けあってゆく。
それは、森の心臓の鼓動のようにも思えました。
やがてミミのそばに、ひとりの小さな女の子が立っていました。
長い髪をツルで結び、どんぐりの殻で作られたマラカスを持っています。
「あなたが、ミミ?」
「うん……あなたは?」
「わたしはメメ。ノノのいとこ。あなたのこと、たくさん聞いてるよ」
ミミはちょっと照れくさくなって、でもうれしそうに笑いました。
メメはマラカスをそっと鳴らして、静かに言いました。
「人間がこの音楽を聴いたのって、百年ぶりかも。今日は、特別な夜なんだよ」
その言葉に、ミミは胸がふるえました。
耳をすませば、葉っぱのひとつひとつが息をしているような気がします。
楽団の音楽は、夜の深まりとともに、ゆっくりと優しい調べへと変わっていきました。
やがて最後の音が消えるころ、ノノが小さな木の箱をミミの手にそっとのせました。
「これ、今日の演奏をとじこめた“音の箱”だよ。耳をあてると、また聴こえるんだ。夜、ひとりで聴くと、きっと森のことを思い出せる」
ミミはその箱を両手で包みこみました。
木のぬくもりと、ほんのりした光が、指先に伝わります。
「ありがとう、ノノ……森の音、ぜったい忘れない」
帰り道、森はしんと静まり返っていました。
けれどミミの胸の奥では、あのやさしい音がまだ鳴りつづけていました。
家に着くころ、月はもう森の向こうへ沈みかけていました。
ミミは窓辺に“音の箱”を置き、そっと耳をあてました。
かすかに、笛の音が聴こえた気がしました。
風のように透きとおった、森のこえ。
その音を聴きながら、ミミは静かに目を閉じました。
夢の中で、葉っぱたちはまた歌っていました。
今度は、ミミもその中で、ちいさなマラカスをふっていたのです。




