表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/31

ひとさじの記憶

 森の夜は、静かで、そしてあたたかい。

 まるでひとつの大きな呼吸のように、風が木々のあいだをやさしく巡っていました。

 葉のざわめきが音楽になり、土の香りが空に溶けていく….

 そのすべてが、生き返った森の鼓動でした。


 森が目を覚ました次の夜、古の木の根元で、ミミとノノは並んで腰を下ろしていました。

 ふたりの手はしっかりとつながれています。

 頭上には満月が浮かび、星々が光の輪のようにふたりを包みこんでいました。

「森が……生き返ったね」

 ミミは小さな声で言いました。夢を見ているような響きでした。

 ノノはうなずきました。けれど、その表情はどこか寂しげでした。

「うん。だけど……」

 ミミはノノの様子に気づいて顔を上げます。

 ノノの瞳の奥には、光と影が揺れていました。

「ミミ……本当は、かたちが変わるだけじゃない。もう、ぼくは森に帰らなきゃいけないんだ」

 その言葉は、まるで風のように静かに、でもはっきりとミミの胸に届きました。

 夜の森が一瞬、呼吸を止めたように感じられました。

「……知ってた」

 ミミはゆっくりとつぶやきました。

「うすうす、わかってたよ。森が元気を取り戻したら、もう魔法は必要なくなるって」

 ノノは少し驚いたように目を見開き、それからやさしく笑いました。

「……ぼくら小さなひとは、“ひとさじの魔法”の間だけ、人の世界にいられるんだ」

「じゃあ……今度は、いつ会えるの?」

 ミミの声はかすかに震えていました。

 ノノは小さく首をふりました。

「たぶん……もう会えない。でもね、ミミ。ぼくたちは、忘れない」

 そう言って、ノノはポケットから小さな金色のスプーンを取り出しました。

 それは、初めて出会った日に太陽にかざして見せてくれた、“ひとさじの光”のスプーン。

「これを持っていて。もう魔法の力は残ってないけど、ミミとの時間が、この中にぎゅっと詰まってる。きっと、何度でも思い出せるよ」

 ミミはそっと両手を差し出し、そのスプーンを受け取りました。

 それは小さくて軽いのに、なぜか手のひらがじんわりとあたたかくなりました。

 涙がにじみ、月明かりの中できらりと光ります。

「ありがとう、ノノ」

 ふたりは静かに抱き合いました。

 ノノの小さな体が、葉っぱのマントとどんぐりの帽子ごと、ふんわりと森の香りに包まれています。

 ミミは目を閉じて、そのぬくもりを胸いっぱいに焼きつけました。

「わたし、忘れないよ。ノノのことも、森のことも、今日のことも。ずっとずっと、大人になっても」

 ノノは少し涙ぐみながら笑いました。

「ぼくも。ミミの笑い声も、おにぎりの味も、マッチ箱のベッドも」

 ふたりはもう一度、手を握りあいました。

 けれど、やがて指先がそっと離れると、ノノの体は風のようにふわりと浮かび、森の中へと光とともに溶けていきました。

 葉っぱがやさしく揺れ、小さな光がいくつも舞い上がります。

 ノノの姿はもう見えません。けれど、ミミは確かに感じていました。

 風の中に、ノノの声が残っている。

「ありがとう、ミミ」

 森は再び静かになり、満月の光だけが、二人のいた場所を照らしていました。


 それから、何年もの月日が流れました。

 ミミは高校生になっていました。

 背は伸び、髪も少し長くなりました。

 けれど、その目の奥には、あの日と同じやわらかな光が宿っています。

 放課後、彼女はひとりで森へ向かいました。

 季節はまた秋。木の葉が金色に輝き、空はどこまでも澄んでいます。

 あの古井戸の前に立つと、風が頬をなでました。

 木々がさざめき、まるで懐かしい誰かの声が混じっているように聞こえました。

 ミミはポケットに手を入れました。

 そこには、あの日の金色のスプーン。

 少しだけ色あせているけれど、光にかざすと、今もかすかに輝きを返してくれます。

「ノノ……元気にしてる?」

 ミミは空を見上げました。

 満月が浮かび、星たちがあの夜のように瞬いています。

 森は、静かに応えるように葉を鳴らしました。

 風が吹き抜け、どこか懐かしい音が耳に届きます。

 ミミは微笑みました。

「うん、私も元気。ちゃんと覚えてるよ。全部」

 その瞬間、遠くの方で、小さな鈴の音が聞こえました。

 それは風のせいだったのかもしれない。

 でも、ミミは確かに感じました。


「ミミ、ありがとう」


 月の光がミミの頬を照らし、風が髪をやさしく揺らします。

 ミミはスプーンを胸に抱きしめ、目を閉じました。

 あたたかい光が心の奥から広がっていく。

 まるで森の息づかいが、自分の中で続いているように感じました。

 それは、たったひとさじぶんの魔法。

 けれど、その魔法は、ふたりの心を永遠に結ぶほどの力を持っていました。


 そしてその記憶は、いつまでも、いつまでも、ミミの中で、生き続けていくのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ