マッチ箱の図書館
それは、ある静かな午後のことでした。
風はほとんどなく、空はすりガラスのようにやわらかく、光が淡くひろがっていました。
ミミはランドセルをおろすなり、おやつもそこそこに長ぐつをはいて、森へ向かいました。
空気のなかに、ふんわりと“魔法の気配”が漂っていたのです。
井戸の前にたどり着くと、ノノはすでに待っていました。
どんぐりの帽子の上には、小さな羽根が飾られています。
「やあ、来たね。今日はね、“ものしりの木”に行ってみようと思ってたんだ」
「ものしりの木?」
ミミが聞き返すと、ノノはにっこりして、肩にかけていた小さな袋からなにかを取り出しました。
それは、マッチ箱のような四角い箱。けれど、よく見ると側面にちいさな模様や文字が描かれています。
「これは“としょかん”なんだよ。ぼくたち小さなひとの間では、こうして記憶やお話を“箱”にしまって保存するんだ」
ミミは目を丸くしました。
ノノはそのマッチ箱をそっと開けます。すると中には、折りたたまれた紙のようなものがいくつも入っていて、それぞれに小さな手書きの文字がびっしりと並んでいました。
「これは、“ひかりの作りかた”の巻。“森のくすり草”の巻。それから、“葉っぱで作る楽器”の巻。どれも、森の長老たちがのこした知識なんだ」
「それ、読めるの? あんな小さな文字……」
ミミがのぞきこむと、ノノはにやりと笑いました。
「ぼくたちの目は、人間よりもっとこまかいところが見えるんだ。だから、ちいさな世界では、ちいさな文字がちょうどいい」
「でも……」
ミミはふと思いつきました。
「人間にも読める本、つくれないかな。たとえば、もっと大きな箱にして、紙をひらいたり、絵をかいたりしたら……」
ノノはしばらく考え、それから真剣な顔になりました。
「それは、おもしろいね。じゃあ、交かんしようよ。きみが人間の世界のことを“本”にしてくれたら、ぼくも森の秘密をひとつずつマッチ箱に詰めて持ってくる」
ミミはうなずきました。
「じゃあ、わたしも“としょかん”をつくるね。ミミ・としょかん!」
その言葉を聞いて、ノノはうれしそうに笑いました。
ミミは家に帰ると、工作箱から紙を切り、表紙をつけて、小さなノートを作りました。
タイトルは「人間のせかい・その1」。
そこには、自分の部屋のこと、学校でのこと、おかあさんが作るケーキのレシピ、そしておばあちゃんの話も少し書きこみました。
ノノに話したいことが、どんどんあふれて止まらなかったのです。
次にノノと会った日、ミミはそのノートをそっと渡しました。
ノノは丁寧にページをめくって、うっとりとした顔で言いました。
「すごい……人間の世界には、こんなにいろんな“しきたり”があるのか。“あさごはん”を食べてから出かけるとか、“学校”ってところでみんな同じ時間に学ぶとか……ぼくたちには、ない習慣ばかりだ」
「ふしぎ?」
「うん。とってもおもしろい。」
その日から、ふたりの“としょかん”ははじまりました。
ノノが次に持ってきたマッチ箱には、「ことばの葉」の秘密が書かれていました。
風にゆれる葉っぱの音を聞きとって、森のことばを読みとる方法についての記録です。
ミミはそれをもとに、庭の木の葉をひとつ持ち帰り、自分なりに解読ノートをつくりました。
「葉っぱの音=たぶん『こんにちは』」
「三回ふるえる=たぶん『ようこそ』」
ページのすみに、小さなメモがどんどん増えていきます。
ふたりの図書館は、少しずつ、でも確かに大きくなっていきました。
ノノが語る森の知恵と、ミミが描く人間の世界。
そのあいだを、風と光がそっと行き来していました。
ある日、ノノはポツリと言いました。
「このあいだ、村の長老に話したんだ。『人間の子と本の交かんをしてる』って」
ミミは少し不安になりました。
「怒られた……?」
「ううん。ちょっとびっくりしてたけど、こう言ってた。『それは、新しい時代のしるしかもしれないな』って」
ミミは、それを聞いて胸があたたかくなりました。
「じゃあ、もっと本、作らなきゃね」
「うん。そしていつか、ミミ・としょかんとノノ・としょかんを合体させて、“とっておきの図書館”を作ろう」
ふたりは、森の光がさす葉っぱの下で、ちいさく手を重ねあいました。
その上を、風がそっと通りすぎていきます。
その夜。
ミミは机の上のノートをひらき、新しいページにこう書きこみました。
『本は、魔法のかけら。
ひとさじの知恵が、心の森をひらく。』
書き終えると、窓の外にひとすじの風が吹きました。
木の葉がふるえて、どこかで小さな声がささやきます。
ーーおやすみ、ちいさな司書さん。




