夜の森の秘密
その夜。
魔法の花の光に包まれた草原をあとにして、ミミはゆっくりと家へ帰りました。
歩くたびに、スカートの裾から小さな光がこぼれ落ちるような気がして、ミミは何度も足もとを見つめました。
胸の中はぽかぽかして、まだ夢の続きを歩いているようでした。
窓の外には月がのぼり、風がカーテンを揺らしています。
ミミはベッドの上でひとり、小さくつぶやきました。
「森の花って、本当に生きてるみたい……」
その声に応えるように、風がそっと頬をなでました。
まるで「またおいで」と言われたような気がして、ミミは微笑みながら眠りにつきました。
翌朝、空は雲ひとつなく澄みきっていました。
鳥たちが軽やかに歌い、森の木々は朝の光を浴びてきらきらと光っています。
ミミは小さなかばんを背負い、いつもの長ぐつを履いて家を飛び出しました。
「おはよう、ノノ!」
古井戸のそばにたたずむ小さな影を見つけて、ミミは駆け寄りました。
ノノは葉っぱのマントをふわりとはためかせ、にっこり笑いました。
「おはよう、ミミ! 今日もいい風だね。さあ、今日は“夜の森”の秘密を教えてあげる」
「夜の森?」
ミミはぱちぱちとまばたきをしました。
「夜って、真っ暗だよ? なにか見えるの?」
ノノは目を細め、森の奥を指さしました。
「夜になるとね、森の中に“光の精”たちが現れるんだ。それは、森の魔法を守る小さな番人たち。彼らが森を包むことで、夜の闇は怖くなくなるんだ」
「光の精……星みたいなの?」
「うん。もっと小さくて、もっとあたたかい星みたいなものかな。森の呼吸そのものなんだよ」
ミミはわくわくして、両手を胸の前でぎゅっと握りました。
「見てみたい! どうしたら会えるの?」
ノノは小さな袋を取り出して言いました。
「夜まで森にいる準備をしよう。これは“眠りのハーブ”。森の仲間がくれたんだ。長い一日を元気に過ごせるようにね」
ミミは袋を受け取ると、甘くすこし涼しい香りにうっとりしました。
「ノノの森の匂いがする……ありがとう」
午後。
太陽が高くのぼると、森は少しずつ静けさを取り戻していきました。
鳥の声が遠のき、代わりに木々の葉のざわめきがゆるやかに響きます。
ふと、ミミはノノに尋ねました。
「ねえ、夜の森って、ちょっと怖くない?」
ノノは笑って首をふりました。
「森はね、昼も夜も同じように生きてる。夜になれば、昼間眠っていた生きものたちが目を覚ますだけ。森はどんなときも、ぼくらを見守ってくれてるんだ」
ミミはその言葉を聞いて、ほっと息をつきました。
「そうか……森は眠らないんだね」
ノノはうなずき、少し照れくさそうに言いました。
「森は“生きてる家”みたいなものさ。ミミも、もうその一部だよ」
ミミの胸がほんのりと熱くなりました。
ノノにそう言われると、自分も森の仲間になれた気がして、うれしくて仕方がありませんでした。
やがて夕方がやってきました。
空はオレンジから金色、そしてゆっくりと紫に染まっていきます。
森の奥には薄い靄が立ちこめ、葉の先に小さな露がきらめいていました。
「そろそろ行こう」
ノノが手を差し出します。
ミミはその手をしっかり握り、ふたりで森の奥へと歩き出しました。
木々の間を抜け、枝のトンネルをくぐり抜けると、ひらけた場所にたどり着きました。
そこには大きな樫の木があり、幹は何百年も生きてきたように太く、根が大地を包むように広がっています。
「ここが、“夜の森の心臓”だよ」
ノノの声は小さく、まるで森と話しているかのようでした。
ミミは木の根もとに腰を下ろし、あたりを見回しました。
空にはもう星が輝きはじめています。
「本当にここに光の精たちが来るの?」
「静かにしてごらん。もうすぐだ」
ノノの言葉に、ミミは息を止めました。
森の音がゆっくりと消えていきます。
風も、鳥の声も、虫の音も、すべてがひとつの大きな呼吸のように静まっていきました。
そのとき。
木々の間で、ふわりと小さな光がひとつ、灯りました。
それはやがて二つ、三つと増えていき、森の奥全体が星空のように輝きはじめました。
「わあ……!」
ミミの口から小さな声がもれました。
光の精たちは、まるで透明な羽をもつ小さな生きもののよう。
宙をふわふわと漂いながら、木々の枝をなでるように舞っています。
青、金、桃、緑ーー光の色はさまざまで、森を淡く染めあげていきました。
「これが、森を守る光の精たち」
ノノはそっとささやきました。
「彼らは森の魔法そのものなんだ。悲しみがあるときは光が弱くなり、喜びがあるときはこんなふうにたくさん現れる」
ミミはそっと手を伸ばしました。
ひとつの光が、まるで彼女の指先に引き寄せられるように近づいてきました。
光の精はミミの手のひらにふわりと乗り、そこからやわらかな熱が伝わってきました。
「……あったかい」
ミミは目を細めました。
胸の奥まで光が溶けこんでいくようで、涙が出そうになりました。
「ノノ、私も……この森を守りたい」
ノノはミミを見つめ、ゆっくりとうなずきました。
「ミミならできるよ。森を想うその気持ちが、もう魔法のひとつなんだ」
ミミは笑いました。
「じゃあ、わたしも光の精の仲間かな?」
「もちろんさ。君の心はもう、森の灯のひとつだよ」
ふたりの頭上で、光の精たちが輪を描くように飛びまわり、まるで祝福するかのように輝きました。
見上げれば、夜空には満天の星。
空の星と、森の光の精たちが混ざり合い、世界全体がひとつの光の海になっていました。
風が木々を揺らし、葉がささやきます。
それは、森の深い声。
『ありがとう』
『ようこそ』
そんな言葉が風の中に溶けて聞こえたような気がしました。
ミミは両手を胸の前で組み、そっと目を閉じました。
「これからも、ずっと森といっしょにいられますように」
その祈りのような言葉に応えるように、ひときわ大きな光の精がミミの肩にとまり、ほのかに輝きながら消えていきました。
夜はやさしく更けていきます。
森は静かに息づき、光の波がゆらめきながら。
まるでミミの新しい決意を包み込むように、いつまでもやさしく寄り添っていました。




