小さな川のささやき
星さがしの夜から、いくつもの日が過ぎました。
森はすっかり夏の緑に包まれ、葉の影が風といっしょにゆらゆらと踊っています。
木の枝には透明な雫がひとつ、またひとつと光り、鳥たちはその間をすり抜けるように飛び交っていました。
ミミは学校から帰ると、窓の外に見える森の端を見つめました。
ノノとの約束を思い出すたびに、胸の奥が小さく弾むのです。
カバンを置くとすぐに外に出て、麦わら帽子をかぶり、森の小道を歩きはじめました。
森の入り口には、今日もノノがいました。
葉っぱのマントをひらひらとなびかせ、風の音といっしょに歌っているようでした。
「ねえ、ノノ。今日は川まで行ってみない?」
ミミが笑顔で言うと、ノノはぱっと顔を明るくしてうなずきました。
「いいね。川はね、魔法がいちばんたくさん眠っている場所なんだよ」
ふたりは緑のトンネルを抜けて、森の奥へと進みました。
木漏れ日が水のようにこぼれ、足元の草がやさしくミミのくつをくすぐります。
やがて、さらさらと涼やかな音が聞こえてきました。
そして、小さな川が姿をあらわしました。
水面は陽の光を受けて銀色に輝き、流れるたびにきらきらと細かな光を散らします。
ミミは思わず息をのんで立ち止まりました。
「きれい……」
「水の中にもね、小さな魔法が隠れているんだ」
ノノがそう言うと、川辺の石をそっと押しのけ、水草のかげに手を伸ばしました。
すると、透明な水の中から、まるで星くずのような光の粒がふわりと立ちのぼりました。
「わあ……! これ、水の星?」
「うん。川の底に眠る“流れ星”たちさ。森の星たちが夜空を離れて、少しのあいだ水の中で休んでいるんだ」
ミミはそっと手を伸ばし、冷たい流れの中に指先を沈めました。
水はひんやりしているのに、ふしぎと指先があたたかくなります。
その光はミミの手のひらに乗り、まるで小さな生きもののようにゆらゆらと動きました。
「川の星も、願いを叶えてくれるのかな?」
ミミの問いに、ノノはやさしくうなずきました。
「うん。川は流れているだろう?だから、願いも運んでくれるんだ。遠くの町にも、海にも、そして空にも」
「じゃあ……」
ミミは両手を胸の前で組み、小さな声でささやきました。
「どうか、みんなが笑顔でいられますように」
その瞬間、風がそっと吹き抜け、川の水面がひときわまぶしく光りました。
ノノはその様子を見つめながら微笑みました。
「願いは、もう旅をはじめたね。水の星たちがちゃんと運んでくれるよ」
ふたりは川辺の石に腰をおろし、水の流れを眺めながら静かに話を続けました。
「ねえ、ノノは川のほかにも好きな場所ある?」
「うん。ぼくは風の通る場所が好きなんだ。風は自由だから、いろんな話を運んでくれる」
ノノは空を見上げ、葉っぱのマントをひらりとなびかせました。
ミミもつられるように空を仰ぎ、目を細めます。
青の中に、鳥の影がひとつ、ふたつ。
「私も、いろんな場所に行ってみたいな。ノノの村とか、星のあふれる場所とか……」
その言葉に、ノノの瞳がふわりと輝きました。
「じゃあ、今度は風の道をたどってみよう。川の声が導いてくれるはずさ。小さな冒険がまた始まるよ」
川のせせらぎはまるで歌のように聞こえ、ミミは目を閉じて、その音に耳をすませました。
水が石を撫で、木の葉がそよぎ、遠くで鳥が鳴いています。
すべてが一つの音楽になって、心の奥にしみこんでいくようでした。
「ねえノノ、この川の声、なんて言ってるの?」
ミミがたずねると、ノノは静かに答えました。
「“ありがとう”って。森に来てくれて、声を聞いてくれて、願いを託してくれて川はそれをちゃんとわかってるんだよ」
ミミは胸の中がぽかぽかして、思わず微笑みました。
「じゃあ、また話しに来よう。川と、星たちと」
「うん。川もきっと、それを楽しみにしてる」
西の空がゆっくりとオレンジに染まりはじめました。
木々の影が長く伸び、川面の光が金色に変わっていきます。
ふたりは立ち上がり、帰り道のほうを振り返りました。
ノノがそっと言いました。
「川はね、夜になるとまた歌いだすんだ。その歌は、昼に交わした約束を思い出させてくれる歌」
ミミはうなずきながら、流れる水にもう一度手を触れました。
小さな波が手のひらをくすぐり、やさしい声でささやきます。
『ありがとう。また来てね』
森を抜けるころ、空にはもう最初の星がまたたいていました。
ミミはふと振り返り、静かに流れる川を見つめました。
川の光は遠くの空へとつながり、星のようにきらめいています。
風がそっと頬をなでました。
その風の中に、ノノの声がかすかに響きました。
「ミミ、また明日も来よう。川の星たちが待ってるよ」
ミミはにっこりと笑い、森に向かって手を振りました。
その笑顔は、夕暮れの光の中で金色に包まれ、まるで川の流れのように、やさしくきらめいていました。




