閑話 片岡先生のダンジョン雑学授業1
※軽い、世界観説明回となります。
† † †
それは現代、ここでない場所――無数の幼い妖精たちが集まった森の一角で今、ひとつの授業が始まろうとしていた。
「えっと、片岡さん?」
「なんでしょう? 我が女神」
木の切り株に腰掛けたヘカテの問いかけに、何冊かの絵本を小脇に抱えた片岡玄侑は普段どおり大真面目な表情で答えた。蝶の翼を持つフェアリーや蜻蛉の翼を持つピクシーに囲まれた彼は、とてもメルヘンな光景で、その――。
「に、似合ってるね……?」
「――過分な評価、痛み入ります」
ヘカテの言いにくそうな感想に、玄侑は眉ひとつ動かさず答える。皮肉を返した、のではなく本心からそう思っているのだろう――玄侑という青年が持っている辞書に、冗談という単語は載っていないのだろう。
(……落丁本だね)
「我が女神が、知りたいことがあるというので――どうせなら、と思い時間を取らない形でお教えしようと思いまして」
「ぷっ……うん」
眼鏡をクイと押し上げる玄侑、その真似をする両肩のフェアリーとピクシーにヘカテは思わず吹き出す。悪戯好きな妖精たちがそうするということは、それなりに彼にも思うところはあるのだろうが、女神の前では鉄面皮は決して揺るがなかった。
「まず、ダンジョンが情報の結合体であるというのはご存知ですね?」
「うん、そう教わったよ。片岡さんの先生に」
ヘカテに数多くの知識を教えてくれたモノ――その存在の片鱗を耳にして、少しだけ玄侑の瞳が変わった。その色に気づいて、ヘカテは敢えて気づかない振りをする。
「――そうですか。では、なんと?」
「『この世界には、とても多くのものが記録されている。それは想いであり、知識であり、物語なんだよ。それこそが、ダンジョンの始まりだ』って」
「なるほど、理解しました」
玄侑はそうひとつ頷くと、相手の理解度に合わせて改めて語り始める。
「ダンジョンとはダンジョンコア、世界に記録された情報から生み出されるものです。想い、知識、物語――この三つに共通するものがなにか、おわかりになりますか?」
『はいはーい!』
「――どうぞ、プリンセス」
ヘカテと同じように切り株に座っていたゴブリン・プリンセス、ヨハンナが手を挙げるのに、玄侑は指名する。妖精たちの視線を集めながら、ヨハンナはしっかりと答えた。
『観測、ですわ。見て、聞いて、知って、語る者がいること。それこそがこの世界に蓄積された情報、それを誰かが観測したときに確定するもの。それこそが想いであり、知識であり、物語ですわ』
「良い着眼点です、プリンセス」
おー! と妖精たちが拍手した。むふー、と得意満面のヨハンナに、玄侑はその視点から授業を展開しようとする。
(……片岡さん、正解とは言ってないんだよね)
より正確には、複数ある回答の中から授業を展開しようとしているのだ。計算や科学ではない、むしろ哲学の方面だから間違いはあっても、正解は回答者の数だけあってしかるべき事柄だからだ――驚くほど、片岡玄侑という青年は教えることに慣れている……特に、教え子のやる気を出させることに。
「例えば、我が女神は日本にも魚人ってそんなのいるのか? そう聞かれましたね?」
「うん。あんまり聞かないなって?」
「そうですね、人魚の伝説は多いですが魚人となるとまた変わってくるでしょう」
人魚の肉を食えば不老不死となる――それは人魚の肉を喰らい八〇〇年を生きたという八百比丘尼の伝説に始まり、この国にいくつも残っている伝承だ。
「西洋の例を見れば、バビロニアの昔からさまざまな魚人の伝承が残っています。東洋であれば山海経に四足を持つ人面魚、南方に住んでいたという鮫人の記録もありますね。これも観測という視点から見ると面白いのですが、海や大きな川に面した地ではこのように魚人の伝承は散見されます」
では、この国ではどうか? 玄侑は持っていた一冊の絵本を取り出した――そう、浦島太郎である。
「この国も島国です、ですので海に関する伝承はいくつも残っています。この浦島太郎に出てくる竜宮城がそうですね」
『絵にも描けない美しさ、ですわね?』
「ええ、プリンセス。絵本ですので、頑張って絵になっておりますが」
ヨハンナの言葉に、玄侑はユーモアで返す……ニコリともしないので、笑っていいところか判別が難しい。
「ここでいう乙姫は魚人、という形ではありませんが。一番知っていただきたいのは、竜宮城という言葉が、この浦島太郎の昔話にとどまらないという話です」
例えばこの龍宮城、あるいは竜宮とは一箇所ではない。中国では幾柱もいる竜王によって、さまざまな海域にある宮殿という意味で使われれいる。仏教や道教、陰陽道――実に多くで竜宮城という概念は存在している。
「この国で言うなら、古事記や日本書紀において海神の宮殿として伝わっています」
「あー『晴明も急に龍宮城に行ってきたとか言い出しおってな?』とか、昔、道満ちゃんが言ってたね……」
「ええ、それは陰陽道における伝承ですね」
他には安徳天皇こそが、平清盛の懇願に厳島明神が応えつかわした竜王の娘であるという俗説もある。安徳天皇の壇ノ浦での身投げを、竜宮城へと帰ったのだとする説だ。
「――このように、観測することにより龍宮城という存在はいくつもの意味、側面を得ていきます。観測とはいわば、情報の蓄積。語り継ぐという意味で、正しく物語と呼ぶにふさわしいでしょう」
何冊かの絵本を妖精たちに指し示し、玄侑は言葉を続ける。
「では、この国における魚人とはなんなのか? ここで重要なのは、観測した上での置き換えです」
「置き換え?」
「はい。例えば過去、朝廷に従わなかったまつろわぬ民の一部は土蜘蛛という化生へと押し込まれ、この世界に記録されています」
「……うん、だね」
以前、蘆屋道満が利用した存在。それを思い出し、ヘカテは頷く。
「それと同じように、置き換え記録されれば――という話です。この国には安曇磯良と呼ばれる海神がおりました。その子孫とされ、日本の各地に渡った氏族に安曇氏と呼ばれる者がおりまして――」
「その安曇氏が、魚人として土蜘蛛みたいに置き換えられたの?」
「……ここからが、難しいのですが」
玄侑は表情を引き締める。ここから語ること、それこそがこの“迷宮大災害”のある世界の脅威で重要だからだ。
「よく、日本という国の神道という宗教はさまざまな国の神々などを受け入れるのに優秀な下地を持っている、と言われますが、これは半分正しく、半分違います。より正確には日本にもそのような下地があった、ということです」
宗教観における他宗教や他神話との融合や置き換えなどは、世界中で行われていることだ。それは良きものであれ悪きものであれ、交流があったという証左に他ならない。
「日本、という国で厄介なのはもっと根本――情報伝達の柔軟さです」
「……柔軟さ?」
「はい。プリンセスは観測、と言いました。では、物語を観測するとき、人類はなにを用いるでしょうか?」
玄侑の問いに、妖精たちは黙り込む。なぜなら、それは彼らには縁の薄い文化だからだ。だからこそ、ヘカテが答えた。
「文字、だよね」
「はい、そのとおりです。この日本という国は識字率が高く、またさまざまな世界の知識を自国の言葉に翻訳することに心血を注いだのです」
情報の伝達において、言語や文字は切っても来れない存在だ。その中でも日本は、他国の知識や物語を数多く自国の言葉に翻訳し、置き換えていった――その結果、他国の言語を憶えずとも他国の知識や物語……そこに込められた想いを知れるようになったのだ。
「ええ、ですので。日本における魚人、とはあまり広範囲に及びます。日本がダンジョン大国と呼ばれ、自国だけで凄まじい種族のモンスターを抱えている理由は、そこにあるのです――」
† † †
なぜ、日本のダンジョンに洋の東西を問わないモンスターが出現するのか? わかっていただけるでしょうか……? こういう設定の上で、です。
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