17話 まつろわぬ災害2
† † †
「――ま、そんな“偶然”ある訳ないじゃろ」
千代田区。とある高層ビルの屋上、その縁に腰掛けて地上の光景を見下ろしていた黒セーラー服の少女が笑う。丸縁サングラスを指先で少しズラし、少女は携帯端末へと言った。
「なに、ぬしらは知らんじゃろうが帝都地下秘密路線計画というのがちょっと前に――ああ、一四〇年くらい前かの? あったのよ。そこに儂が口を挟んだことがあってなぁ……なに、年寄りの秘密基地ゴッコみたいなもんじゃ」
クカカ、ととっておきの悪戯を明かす少女は無邪気に笑い声を上げる。携帯端末の向こう側の相手が沈黙したのを楽しみながら、少女は続けた。
「“先”の二件とこの“本命”は元は同じよ。土蜘蛛八十女、一度に八〇体の同胞を操る土蜘蛛の首領の名じゃ」
一時間前に起きた二件の“スタンビード”、それは三〇体ずつの土蜘蛛が地下の知られていない秘密通路を使い、表に噴出したに過ぎない。そこから敢えて目立つように陽動、上位の探索者たちを引きつけてから、本命の二〇体を引き連れた土蜘蛛八十女が動き出したのだ。
「――無論、上位の探索者相手には土蜘蛛程度では役者不足であろうよ。じゃからな」
少女が空いている左腕を振るう――五指を使って描くのは、横五本縦四本の格子形の線からなる九字紋だ。
「――急急如律令」
九字紋から、二つの影が飛び出す。ひゅるぉ、と高い声を上げて飛び出したのは、ニ体の猿の顔に狸の胴、虎の四つ足に蛇の尾を持つ異形――モンスター鵺だ。
「ん? なにをしたかじゃと? “さーびす”じゃよ、“さーびす”。先の二箇所に鵺を放ったのよ」
『――――』
「なに、無料じゃよ。この分はあくまで儂の楽しみじゃからなぁ」
少女は目を細める――おそらく、先の二箇所は阿鼻叫喚の地獄絵図となるだろう。なにせ鵺はAランクに認定されるモンスター。Cランクの討伐かと思ったところに、それが足元にも及ばない脅威が出現するのだ。それがいかほどの絶望か――惜しむらくは、直接見てやれないことである。
「今の儂はそれより興味深いことがあるからのぉ。なぁ? 最新の《百鬼夜行》の小僧っ子よ」
† † †
その頃、完全武装した御堂沢氷雨が千代田区の街中を駆けていた。すでに二箇所で騒ぎが起きていたため、避難は終わっている――無人の街だ。しかし、それはあくまで新たに出現した土蜘蛛の“スタンピード”が無かった場合のみ……それが拡散すれば、避難所とて無事にはすまない。
『いいか! 決して戦おうと思うな! 発見したら報告、応援をすぐに呼べ!』
氷雨が街に駆け出した時、臨時パーティの仲間はそう言っていた。確かに単独では土蜘蛛に氷雨は敵わないだろう。しかし、なにかできることはあるはずだ。
(いち早く発見し、報告する。それを元に上位の探索者がたどり着けば――)
氷雨の【DLV】は10ながら、保有スキルのBランク《身体強化》は凄まじい。それこそ一〇〇メートルを五秒弱で走り切る脚力を持つ――高速道路を走れる女、などとからかわれはするものの、今はこの脚力こそ重要だ。
「――!」
不意に氷雨は立ち止まる。ひっくり返った数台の自動車、それが道を塞いでいたからだ。明らかに人ならざるモノに破壊され、ひっくり返された痕跡がボディの至るところに残されていた。
『キキ!!』
上、と氷雨が気配を察し、見上げた瞬間だ。ビルの外壁、そこに張り付いていた黒いモヤで生み出された巨大な蜘蛛がいたのを見つけ、氷雨は携帯端末へ叫ぶ。
「――土蜘蛛を発見した! こちら丸の内一丁目――」
氷雨が応援要請を仕切るよりも早く、退避しようとした道をもう一体の土蜘蛛がビルの屋上から落ちてきた立ちはだかった。それを見て氷雨は、すぐに逆方向――自動車で塞がれた方に走り出した。
(あの程度、飛び越えられる!)
普通の人間なら無理でも、《身体強化》した氷雨からすればひとっ飛びだ。まず安全を確保してから、より正確な位置をと思い、氷雨がひっくり返った車を飛び越えたその時だ。
『キキィ!!』
壁に張り付いていた土蜘蛛が放った白い糸が、車を貫く。強化された氷雨の目は、その光景を捉えていた――バチン、と自動車から火花が散る瞬間を。
「まさ――」
二〇五〇年代、ガソリン車から電気自動車への移行が遅れに遅れていたこの時期。双方のハイブリット車がほとんどだ――だからこそ、ガソリンを使っていたその自動車は引火し――。
『――間に合った』
携帯端末からした、若い少年の声。それと同時に上空から高速で飛んできたのは、悪魔を模した像ガーゴイルだった。明確にそんな速度がでるような形状ではないはずだ。しかし、風を操り大気を切り裂くように飛ぶその飛行方法が、ありえない速度を可能としていた。
だから、間に合う。引火直前の自動車をガーゴイルは自身の飛び蹴りの右足に集めた風圧を利用して、道を塞いでいた方の土蜘蛛に蹴り飛ばした。
一回、二回、三回目で土蜘蛛と激突し、爆発! その爆風は氷雨に届く前に拡散した。固く太い腕が氷雨を抱きとめ、旋風の防壁が爆風を受け流したからだ。
『ははは! こいつぁいい、主! この風っての、気に入ったぜ!』
ガリガリガリ! とアスファルトを削りガーゴイルは着地に成功する。氷雨を空中でキャッチしたガーゴイルは地上に彼女を降ろす。そして、肩に乗っていた黒犬の仮面をつけた黒ずくめもよろよろと降り立った。
「――サ、《召喚》ッ」
黒ずくめが“魔導書”の表紙に手を置き、召喚する。光の粒子と共に、牛頭鬼と馬頭鬼、ミノタウロスに似たアイアンゴーレムと通常のアイアンゴーレムがその姿を現した。
ガーゴイルを合わせれば、Dランクモンスター五体が揃い踏みだ。その場にアイアンミノタウロスとアイアンゴーレムを残し、牛頭馬頭が地面を走り爆発に巻き込まれた土蜘蛛を、ガーゴイルが飛び上がり壁に張り付いた土蜘蛛へそれぞれ挑みかかった。
「だ、大丈夫……?」
そう訊ねてくる黒ずくめに、氷雨は見覚えがあった。かつて、Dランクダンジョン『六道迷宮』の一階で出会った、あの召喚者だ。
「あ、あなたは、あの時の……?」
「え、いや――あれ?」
氷雨に指摘され、ようやく岩井駿吾も思い出す。まさかまた会うことになるとは思わなかったが、驚いている暇はない。今はとにかく逃げるのが先決だ。
「ほ、他の土蜘蛛が集まる前に、に、逃げよう……」
「ですが、あなたのような上位探索者の方なら――」
「ボク、Fランクなんで!」
「はい?」
駿吾が正直に答えると、自分と同じランクの探索者そう聞いて氷雨は耳を疑い呆然とした。
† † †
「クカカ、逃しはせんよ?」
† † †
『あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
その時だ、地下にいたその頭の部分に生えた鬼女の上半身が生えた巨大な土蜘蛛――八十女が叫びを上げる。土蜘蛛八十女――八〇の土蜘蛛を従えたというまつろわぬ民の女頭領の名を授かった土蜘蛛が、自身の配下へと命じたのだ。
――殺せ、ただただ鏖殺せよ、と。
その使命を帯びた土蜘蛛たちは強化される。一時的なブースト、それは過剰に魔力を消費することにより、諸刃の刃だ。しかし、構わない。そうせよ、と命じられればそうするだけ――射撃された銃弾が、なぜ自分の意志で止まれようものか?
そして、本隊が“本命”へと殺到していく。気配は主によってよく教え込まれている。一度知覚すれば、いかなる位置にいようと逃がすものか――土蜘蛛たちが、一斉に動き出した。
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