13話 名付けるということ、名乗るということ
† † †
そのEランクダンジョン『猛毒道』は、東京都の下水道にたまに生まれる不人気ダンジョンである。
『出てくるモンスターがこれだけってんじゃなぁ』
ガーゴイルは自分の足元に迫る、紫色のゲル状の生物――通称猛毒スライムを踏み潰して消していく。もちろん、岩井駿吾に雫でもかからないように細心の注意を払いながら。
† † †
【個体名】なし
【種族名】スライム
【ランク】F
筋 力:F-
敏 捷:F-
耐 久:F-
知 力:‐
生命力:F
精神力:F-
種族スキル
《粘液の身体》
固体スキル
《猛毒》:F
† † †
下水道という環境で生まれ育つスライムが、個体スキルとして《猛毒》を得たものだ。最弱と言っていいほど弱く、だというのに触れたり飛び散った雫から毒を受けてしまうという厄介さ。魔石の稼ぎの悪さに対して面倒さが圧倒的に勝るという、百害あって一利もないダンジョンである。
そのことから探索者の間では不人気NO1ダンジョンの座を不動としており、破壊対象となる時は探索者協会から追加報酬が用意されるという始末である。
『本当によろしいんですか? あまり稼ぎになりませんし面倒なだけで美味しくないダンジョンですよ?』
「ん、人がいないと全部出しても目立たないから、ボクには都合がいいくらいだよ」
ピロリン、と『ツーカー』に飛んできた藤林紫鶴のメッセージに、駿吾は答える。追加報酬が約束されても不人気ということが、本当に受けてくれる人がいないということだ――探索者協会で調べた時、紫鶴はそう伝えたのだが駿吾は意にも介さなかった。
『オレらガーゴイルは《擬態・石像》のスキルのおかげで毒が効かねぇからな。レッサーどもには安全に稼げる相手だろ?』
駿吾はここでは万が一を考えて紫鶴には魔石拾いもしなくていいと伝えている。そのため見えないし気配も感じないが、紫鶴は少し後ろにいるはずだ。そんな駿吾と紫鶴の前後をスケルトンたちで守り、それに加えてガーゴイルまで護衛についているのだ。万が一もない布陣である。
「ねぇ、ガーゴイル聞いてもいいかな?」
『ん? なんだ?』
レッサーガーゴイル一五体が一発一発丁寧に猛毒スライムを殺していく光景から視線を外さず、ガーゴイルは答える。“魔導書”を開きながら、駿吾は【個体名】のところを指差して、訊ねた。
「この【個体名】って項目なんだけど、スキルの分類から見ると一体一体に名前がつけられるって認識でいいのかな?」
『……ようやく聞いてきたか。ま、名前のセンスに自信がないから避けてきたってとこだろうが』
「――――」
正解である。人の心を読まないでほしい、と無言で仮面越しに見上げてくる駿吾にガーゴイルは笑って答えた。
『その認識で合ってるがね、オレとしてはオススメしないぜ?』
† † †
「――――」
ガーゴイルの言葉に、紫鶴は《隠身》で姿を隠したまま耳を傾ける。彼女が知っている個体名というのはいわば、ニックネームのような認識だ。召喚者が自分のお気に入りのモンスターに名前を与える、そうすることでより明確にそのモンスターを認識できるようになり、個体スキルが発現しやすくなるというメリットがある。
大体、デメリットがないので召喚者は名付けを気楽に行なうものだが――《覚醒種》という自我を持ったモンスター視点で名付けをどう考えているのか、というのは興味深い話題だった。
『名前ってのは一種の情報だ。例えば主だったら種族は人間で、個体名は岩井駿吾になる訳だ』
「うん」
『別に普通の生き物なら、アレだ。それこそ今、主の名前がポチとかタマになっても主の姿形や今まで岩井駿吾として生きてきた人生は変わらない。当然だな、主体は情報じゃなくて肉体にある訳だ』
ガーゴイルは言葉をひとつひとつ選びながら、駿吾の理解度を測りながら語る。紫鶴? 主が理解できれば理解できるだろう、ダンジョンやモンスターへの造詣は彼女の方が深いのだから。
『だが、モンスターはそうじゃない。魔石という核に情報を纏った、ある意味で情報生命体と言うべきモノがオレたちモンスターだ。主体が情報の方にあるから肉体もそっちの影響を受けるのさ』
紫鶴が考えているように、個体名というのは自分がそのモンスターの中でもそういう名前の個体だ、と認識することにより個体スキルを発現しやすくなるという面がある。召喚者にとってはデメリットはないが――名付けられた方は、まったく違う。
『ようは、こうであれ、こうなれって情報にその個体の方向性が決められちまうのが名付けって行為なのさ。良きにせよ、悪きにせよ、その影響からモンスターは逃れられなくなる……オレとしては、その責任が取れるって覚悟ができるまでは止めておいた方がいいと思うね』
「……責任か」
『おう。契約したモンスターの在り方に責任を取るってのは、どう向き合うかって迷わないってこった』
ポンポン、とガーゴイルは、駿吾の背中を軽く叩く。そして人の悪い笑みで言った。
『少なくともオレとレッサーどもの区別がつきにくいなー、ぐらいの心持ちなら止めとけってこった』
「う……っ」
それも図星である。レッサーガーゴイルとガーゴイルの名前での区別がつきにくいから、と思ったのだが……こう言われては、安易に名付けられない。
ひとりと一体のやり取りを紫鶴は眺め、小首を傾げる。
(……不思議な関係、ですね)
召喚者と召喚モンスター、そういう関係のはずだ。しかし、このガーゴイルの言葉はすんなりと駿吾の耳に届き、心に染みている。まるで守るということは生命や身体だけではなく、心や精神も含まれるというような……いや、実際ガーゴイルにとってそうなのだろう。
人とモンスターといういびつなはずの組み合わせが、人と人よりもずっと正常で正しく機能しているのは、あまりにも皮肉というべき光景だ。紫鶴などは、そう思うしかなく――。
「――ッ!」
『――――』
紫鶴とガーゴイルが、不意に同じ方向を見た。それは同時にひとつの気配を感じたからだ。ガーゴイルが急に視線を変えた、そのことだけに気づいた駿吾が問いかける。
「……どうかした?」
『いや、この近くでダンジョンが破壊されたっぽくってな――おい、小娘』
姿も気配もない虚空にガーゴイルが呼びかける。ピロリン、と『ツーカー』にメッセージ。それを見て、駿吾はガーゴイルに携帯端末を掲げた。
『ここから少し離れた場所に、調査中の推定Cランクダンジョンがありました>ガーゴイル殿』
『おそらくは、この気配はそのダンジョンが破壊されたからだと思います>ガーゴイル殿』
ガーゴイルは紫鶴の報告を確認し、顎を撫でる。別にダンジョンが破壊されるのはいいのだが――。
『……調査中なのに、破壊していいのか?』
『いえ、探索者協会でも推奨される行為ではありません>ガーゴイル殿』
出現するモンスターや得られる採集物によっては、保護される可能性さえあるのがダンジョンだ。その判断のための調査が終わる前に破壊するなど、探索者協会が許す訳がない。
『ふうん……っと。今はこっちを先に片付けるか』
ずるり、と奥の通路からそれこそ見上げんばかりに巨大な紫色のスライムが姿を現した。そのサイズから間違いない、このダンジョンのダンジョン・マスターだ。
『下がってろ、あのでかさだとそれなりに飛び散るぞ』
「う、うん……」
ガーゴイルが腕を回しながら前に出る。レッサーガーゴイルたちを従え、ガーゴイルは巨大スライムへと挑みかかった。
† † †
その頃、ひとつのダンジョンが終焉を迎えようとしていた。蜘蛛の巣によって固められた下水道、それが紅蓮の炎によって舐めるように燃えていく。
「クカカ! このように妖物が溢れる世が再びくるとは! 残ってみるものよな」
そう笑ったのは、ひとりの少女だ。年の頃なら一〇代半ばほどか、黒いセーラー服に黒タイツおかっぱ頭と前世紀の女学生を思わせる格好だ。その愛らしいはずの顔に悪鬼羅刹のような笑みを浮かべ、胡散臭い丸縁サングラス越しに足元に転がるボーリングのボールサイズはある魔石を爪先で蹴り上げた。
そして、それを広げた白紙の巻物で受け止めると少女は言った。
「――急急如律令」
光の粒子となって消えた粒子は、すぐに先程までの姿を取り戻す。それは身の丈一五〇あるかないかの鬼だった。ただし、その手足は異常に長くその周囲に渦巻く瘴気が八本の蜘蛛脚のように蠢いていた――Cランクモンスターである土蜘蛛である。
『ギギ』
土蜘蛛は少女に平伏する。それは暴君に仕える臣下のそれだ。少女はそれにふさわしい傲岸不遜さで、燃える床に頭をこすりつける土蜘蛛に告げる。
「ぬしの名は……そうじゃな。土蜘蛛八十女じゃ」
『イギ――ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ!?』
平伏していた土蜘蛛を、大量の瘴気が飲み込んでいく。ミシミシミシ、と身体が軋み、姿形が強引に作り変えられる――現代の術者は、なにもわかっていない、そう少女は笑う。
名付けとは呪だ。そうであれ、と存在そのものを縛る呪いに他ならない――それを理解している者が行えば、ほれこの通り。
『あ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああ――!』
「うむ、急造にしては良い出来よ」
それは巨大な黒い瘴気の蜘蛛だ。その頭の部分に生えた鬼女の上半身が、苦痛に暴れる。体高だけで二メートル近いそれを見上げ、少女は邪悪に笑って言った。
「前報酬は弾んでもらっておるからの。存分に働いてもらうぞい、八十女や」
蠱惑的な猫なで声で言う少女と頭を垂れる異形――もしもこの場に第三者がいれば、どちらが怪異であったか尋ねれば一〇人が一〇人、少女の方であったと答えただろう。それほどまでに、少女は魂から異形の化け物であった。
† † †
異形とは姿ではなく、有り様にこそ使うべき言葉なのかもしれません。
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