19.柏葉子の話③
その柏兄妹は、隣家の葉子用の部屋にいた。
8畳の部屋で、ベッドはないので布団だがその代わりにローテーブルがある。押し入れを改造してクローゼットにしてある。最低限の家具しかないが毎日泊るわけでもないのに用意されている待遇に葉介は驚いていた。
ふたりはローテーブルに向かいあって座る。
「立派な部屋だね」
「アーシが使っていい部屋ナンダ。ミナも部屋があるヨ」
「友達もここに泊まったりするんだね」
「合宿みたいで楽しーヨ!」
葉介がいるからか、葉子の顔にも笑みもこぼれる。
「隣で建ててる家もそうなの?」
「あっちは寮みたいにしてプライベートを確保するってオニーサンがイッテタ! 卒業したらアーシらみんなあっちに引っ越して、この家を改造するんダッテ」
「すごいなぁ」
家にかかる金額を大まかだが知っている葉介は驚くばかりだ。小さな寺でギルド員も3人しかいないと聞いたが、建てている家を含めて先を見据えた動きだと感心している。
「アーシ、ハンターになって稼グヨ! たくさん稼ぐから、大丈夫ダヨ!」
葉子の屈託のない笑顔を向けられ、葉介の胸が痛む。
自分が躊躇している間に大切な妹は決心をしている。しかも無駄飯ぐらいの自分の生活もみると、暗に言っているのだ。
ハンターで生活するというのは、やはり危険なことだろう。稼ぐというからには、無理をしてしまうかもしれない。
僕はようちゃんが大事なんじゃないのか? 何を優先するべきなのか。何が最優先なのか。
「……実は、さっきここのギルドで働かないかって誘われてね。働きながら勉強して司法試験を受けてもいいんじゃないかって」
「エ!?」
「知らないことだらけ、というか知らないことしかないんだけど、それは自分も同じだって坂場君に言われてさ。そうしたら生活費も稼げるし。ようちゃんは、その、どうかな?」
葉介は、自信なさげな顔を向ける。
「スケ兄がここで働くの? そしたら、アーシは一緒にイラレル? ひとりにナラナイ?」
「大丈夫、僕がいるから。ようちゃんが大変なことに巻き込まれたら、僕が助けるから」
「スケ兄!」
葉子はローテーブルを飛び越えて葉介に抱き着いた。
夕飯の配膳をしていると柏兄妹が部屋から出てきた。すっきりした顔をしているので、話はできたようだ。柏兄妹がちゃぶ台につくと、すすっと忍び寄った京香さんが書類を渡した。
「現在のギルド職員の給与規定です。基本は年棒で、それプラス魔石の売り上げのボーナスがつきます年棒が480万円となっていますがこれに魔石ボーナスが乗ると1000万円を超えます。これがギルド規約と契約書になります。よく読んでおいてください。職員は通いと住み込みのどちらかになります」
「パイセン! あのね、スケ兄がね、ギルドで働くっテ!」
「そうですか、よかったですね」
京香さんにくりくり頭を撫でられ、柏ちゃんはニヘーという顔をする。智と四街道ちゃんは黙って見守ってるけど、表情には安堵も見えた。親友と言えど入れない場所はあるのだ。
その日はふたりともうちに泊って行った。その数日後、おばあさんの容体が悪化し、結局亡くなってしまった。
慌ただしく通夜と葬儀が執り行われた。葬儀を終え、遺骨とともに帰宅した柏兄妹は静まり返った家に無言になってしまった。
「スケ兄。静かダネ」
葉子がポツリとこぼす。葉子は何げなく言ったつもりだったが、葉介は違う受け止めをした。
妹は知らないが父はもういない。つまり、ふたりボッチになってしまったのだ。
「そうだね。でも僕がいるから大丈夫だよ」
「もうアーシにはスケ兄しかイナイ」
葉子は兄をじっと見つめる。葉介は、わかっているんだよ、と言われているような錯覚を覚えた。
「とーちゃん、もういないんデショ?」
「どどどうしてそれを!」
葉介は誤魔化すことも忘れ、問うてしまった。
「だって、月に一回は『元気でやってるかい』ってメールが来てたけど、春から来なくナッタ。また捨てられちゃったカナッテ」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
葉介は叫びたかったが、ぎりぎりで踏みとどまった。父が死んでしまったからいないのであって、捨てたわけではない。だがこれを説明すると、また葉子がパニックになってしまうかもしれない。
悩んだ挙句、葉介は説明することにした。パニックになっても自分がいることで、安心させるしかない。それが兄としての役目だと。
「実はね――」
葉介は丁寧に説明した。端折ることで兄への信頼を損ないたくなかった。
「そうだったんダ」
葉介の予想を裏切り、葉子は取り乱すことはなかった。捨てられていると思っていたことが原因だ。
だからこそ、祖母が倒れた時にパニックになったのだ。
「スケ兄は、アーシを捨てないデネ」
「大丈夫、僕はずっとようちゃんと一緒にいるから」
そう言って抱きしめてやることしかできなかった。
柏兄妹は実家に残ることになった。土地の相続とか色々あるので、朝は柏ちゃんを駅まで送ってそのまま車で通勤して、帰りは柏ちゃんがこっちに来て、夕飯を食べてから一緒に帰るという生活をするようだ。
ただ、柏ちゃんが卒業したらふたりでこっちに来るとも聞いた。土地は俺が買い取る方向だ。
瀬奈さんが「古い家柄で、土地を手放すと地元と拗れるかもしれない」と心配したからだ。
それと、柏姓がふたりになってしかも名前も似ているので、葉子ちゃんと葉介さん、という呼び方に変えた。そのうちカクさんが加わるかもしれない。
なんてことを本堂前で考えながらぼんやり空を眺めていた。
秋空にはいわし雲。夏も終わりらしい。
「後夜無常偈とは言うけど、変わってほしくないものもあるんだよなぁ……」
空に浮かぶ雲に文句をぶつけた。
「んー、守くんが難しいことを言ってるぞー」
厚めの生地に変わった茶色のマタニティ服の瀬奈さんが歩いてくる。妊婦さんになっても可愛い。
「時の流れは速くて、気が付いた時はもう明け方。常に“死”という無常の中で我々は生きていて、そうした中で我々は仏法を学び、勤めて涅槃の境地に至るべきであるって意味なんですよ。無常ってのは生きるということは常に変化を続けること。それは人間関係でもあるし、最終的に死を迎えることなんですよ」
「難しくておねーさんにはわからないなー」
瀬奈さんが俺の頭をぎゅっとしてきたマシュマロおっぱいがマシュマロでこのまま昇天しそうだ。
「幸せな時間は、変わってほしくないですよね」
「そうねー。わたしもいまは幸せだから、いまがずっと続けばいーなーって」
でも、幸せもまた無常で、それすらも変わっていく。
「守くんは頑張ったね。お疲れ様でしたー」
頭をいい子いい子される。
俺は何かできたんだろうか。
結局、柏家の問題は柏家が解決するほかなくって。俺は少しでも手伝いができたんだろうか。
「人はそれぞれ問題を抱えて生きてるんだなって。勉強になりました」
「ふふ、疲れた時はわたしたちにあまえていーんだからねー。そこにふたりも隠れてるしー。でもいまはわたしが独り占めー」
むぎゅぎゅと抱かれる。心配かけてばかりですみません。
「……つわりは、収まってきました?」
「ぼちぼちかなー。守くんが食べられそうなものを作ってくれてるからねー。いつもありがとう」
瀬奈さんだって辛いときもあるだろうに。明るくふるまってお姉さんを演じてる。
「……幸せも変わってしまうなら、別な幸せになってほしいなぁ」
そう思いながら、瀬奈さんを抱きしめた。
数日後の朝。今日が葉介の初出勤日だ。初めて着るスーツと白いシャツにネクタイ。バッサリ髪を切り、髭を剃った葉介は清潔感も出た。葉介は鏡の前で不安げな顔をしている。
「こんなんで大丈夫かなぁ。守君は『制服なんてないんで、何でもいいですよ』とは言ってくれたけど
ど」
「スケ兄が昔みたいにカッコイイゾ!」
ニパっと笑顔の葉子。
「そっか。ようちゃんがカッコいいと言ってくれるならこれでいっか」
「ん、ネクタイが曲がッテル」
葉子がちょっと背伸びをしてネクタイを直す。
「コレデヨシ」
葉子はそのままチューっと頬にキス。
「ちゃんと稼いできテネ」
「……おおおお、やる気が出てきたぁぁ!」
突然の暴挙に唖然としていた葉介だが葉子のひとことで顔が引き締まる。男はちょろいのだ。
葉子がこんな行動をしたのにはもちろん裏がある。黒幕は小湊だ。
「葉子に耳よりな情報です。実は、血の繋がりのない兄妹の結婚は可能なんです」
「ファッ!?」
「葉子の頑張りしだいですが。好きな男は躊躇なく落とすべし、です。ガチ恋がしたいのでしょう?」
「ヤヤヤヤッタルー!」
という入れ知恵をされていたのだ。
だが恋愛などしたことがない葉子ではこれが精いっぱい。精いっぱいだが兄には通用したどころかやる気に着火できた。
なんとかなるかな。
そんな淡い思いをいだきつつ、葉介は家を出た。
佐倉、柏と掘りましたが四街道は道のりが長いです……物語の最終段階でしか解決しないので……




