19.柏葉子の話①
小湊は車で柏の家に向かっていた。彼女の家は馬込沢にある。少し離れているが大きな霊園がある土地だ。
先ほどの電話で彼女はだいぶ混乱していて、「おばあちゃんがおばあちゃんが」「きゅーきゅーしゃで運ばれて」「どうしよう」「入院だって」「スケにいが」「お金がいるって」と断片的にしか情報を出せないでいた。だから小湊は現地で話を聞くのが最適と判断した。
「ビッチさんには失礼なことになってしまいましたが、そこは瀬奈先輩にお任せです」
小湊は連絡の後すぐに出てしまい、来客を放置したことにになってしまった形だ。緊急事態と察した上野が「よほどの事態でしょう、お行きなさい」と送り出してくれたことが唯一の救いだ、と小湊は感じている。後で賄賂を追加せねば。
小湊は知らないことだが、そのあと「こんな暗いのに可愛い女の子を駅でサヨナラなんて危ないですわ」と言い始めた上野によって寄居らはそれぞれ自宅まで送られていた。一番自宅が近かった寄居が一番後回しにされ、一番上野と楽しい時間を過ごしていたのだがそれはまた別なお話で。
「このあたりなはずですが」
車は畑が散見される道を走っている。暗いからこそ家の明かりが遠くにあるのがわかり、畑の広さが知れる。このあたりはまだ農家が多いようだ。
「ここ、かな」
小湊が運転する車は農家らしき敷地に入った。小さいが木の門があり、それなりな歴史がある農家だとわかる。平屋の家屋の前にスペースがあるのでそこに車を止めると、古めかしい玄関から柏が飛び出してきた。小湊は急いで車を降り、走ってきた柏を抱きとめた。
「パイセンどうしようアーシどうしたらいいかワカラナイ!」
「少し落ち着きましょう。それから話をしてください」
「ウン、ワカッタ……」
柏をなだめつつ小湊は家に入る。玄関の戸は木製で横にスライドするタイプだ。古い日本家屋にある仕組みで、農家が多い。玄関は三和土で、黒電話があった。入ってすぐのふすまを開けると4畳半の狭い居間がある。ふすまの奥には廊下が伸びて台所や縁側につながっている。
人の気配はなく、ものすごく静かだ。
4畳半の部屋にちゃぶ台があるのでそこで話を聞くことにした。
持ってきたお茶を紙コップに入れ、ちゃぶ台に乗せる。なお、柏は小湊に抱き着いたままだ。混乱していて何かに抱き着いていないと心の平穏が保てないのかもしれない。
「柏、話はできそう?」
小湊は幼児に諭すように、やさしいトーンで語り掛ける。柏は小さくうなずいた。
「さっきばーちゃんが倒れて、救急車で運こバレテ」
「それは大変でしたね」
小湊は柏の頭をなでながら先を促す。
「スケ兄が一緒に病院に行って、そしたらばーちゃんは手術が必要だって、お金がカカルッテ」
「お兄さんがいるのですね。ご両親はまだお仕事ですか?」
「かーちゃんは何年も前に病気で死んじゃって、とーちゃんは海外に転勤でイナイ」
「……そうですか。それは心細かったですね」
柏を抱く力を強めた。
小湊の脳がフル回転する。今の柏のおかれている状況を整理し始めた。
母親は死去、父は海外で不在。祖母と兄と生活している。その祖母が倒れたことでパニックになったのだと。助けを求めてきたのだと理解した。
「お金が沢山いるって、スケ兄から電話がキタ。アーシ、頑張って働くから、お金がホシイ」
「手術でお金が必要なのですね。どれくらいかわかりますか?」
「何百万ってイッテタ」
「大金ですね」
柏にとっては、という言葉は口の中で溶かした。いまの小湊が扱っている金額に比べればかわいいものであるが高校生の柏にとっては大金に違いはない。
「高校やめてハタラク!」
柏の叫びを聞いた小湊は、なでていた手を止め、ポムっと頭をやんわりとたたいた。
「その程度のお金で高校を辞めてしまうのは大変もったいないことです。智や四街道とも会えなくなってしまいますよ?」
「でででも、アーシが稼がないとお金ガ」
柏は自分がやらないとと決めつけている。確かに海外にいる父親には連絡を取りにくいのかもしれないが全く金がないわけではないだろう。それに兄がいるといったではないか。
「お兄さんは学生なのですか?」
「スケ兄は……」
柏が言いよどむ。小湊は柏の頭をなでながら次の言葉を待った。急いてもいい結果にはならない。
「スケ兄は、大学に入れなくって、自信を無くしちゃって、家に引きこもっちゃって、ソノ……でも、中学からこうだったアーシはいろいろ言われてて、だけどスケ兄はそんなアーシを助けてくれて、カッコイインダ!」
「いいお兄さんなのですね」
「血はつながってないけど、アーシをかばってくれて……今は、今は落ち込んでるけど、きっと元のスケ兄にモドルカラ!」
「血はつながってないけど柏を大事に思ってくれているいいお兄さんなのですね」
複雑な家庭のようなので小湊はそこを聞いてみた。
「アーシが小さいときにかーちゃんととーちゃんが別れて、アーシはかーちゃんと一緒に暮らしてて、少ししたら今のとーちゃんと結婚して、とーちゃんとスケ兄がデキタ。でもかーちゃんは病気で死んじゃって、とーちゃんは海外に行っちゃって、スケ兄とアーシはばーちゃんの家でクラシテル」
柏が語る内容は衝撃的だった。柏はいま、血縁関係のない家庭にいるのだ。柏がこのようなしゃべり方になったのも、心の負担が引き起こしているのかもしれない。小湊はそう感じた。
その柏の精神的な支えだったのがスケ兄なのだろう。そして引きこもってしまったヒーローの代わりが自分なのかもしれない。縋るものが欲しかったのだ。そう思うと幼子の様に抱き着いているこの子が不憫でならない。
何とかするのが大人の役目です。
小湊は語りかける。
「お金の心配は無用です。何とでもなります。おばあさまの容態はどうなのですか?」
「ワカンナイ。スケ兄が『僕が対応するから』って」
引きこもっている兄が出ていく事態。それとも不安を隠せない妹を落ち着かせるためか。どちらにしても妹は頼れる人をなくしパニックになってしまった。海外にいる義理の父親は心の距離が遠いのだろう。
「今日は私がここにいます。明日は学校もありますしもう寝ましょう。もちろん私と一緒です」
布団を用意して小湊と一緒に横になった柏はすぐに寝息を立ててしまう。疲れ切っていたのだろう。
小湊は彼女の頭をなでながらスマホで勝浦にメールを打つ。今の状況。今日は帰れないこと。明日の学校では佐倉に柏の面倒を見てもらうこと。守には心配はいらないと伝えてもらうこと。
「うちにくる子は不憫な子が多いですね」
自分たちもそうだったなと思いだした小湊は苦笑した。
翌朝、寝ぼけ眼の柏を宥めすかして登校の用意をさせているところに車のエンジン音が聞こえた。表に出てみると、知らない軽自動車が止まっている。運転しているのは男性だ。
「スケ兄!」
まだ支度途中の柏が駆けていくので小湊もついていく。シャツのボタンを締め切っておらずブラが見えてしまっている。
困惑顔の男性が車から降りてきた。彼は丸顔で、ほっそり目の柏とは似ていない。体形は、運動不足からかややふっくらめだ。着ている服もスウェットとモサイ。彼がスケ兄らしい。
「ようちゃんと……メイドさん?」
スケ兄がつぶやく。小湊はメイド服だった。
「初めまして、小湊と申します。少々お話がしたいので、まずは部屋に入りませんか?」




