5.佐倉という少女④
佐倉智美は公務員の母と官僚の父の間に生まれた長女だ。上に3つ離れた兄がいて大学の医学部に進学している。
「あたしは兄貴ほど頭がよくなくって……高校も進学校へ行けって言われてたけど、偏差値が全然足らなかった」
いろいろ探した中で、市船のハンターコースを見つけた。佐倉の学力でも、ぎりぎり届きそうだった。
「別に、ハンターになりたいわけじゃなかったんだけど」
メンツなのか、母親からは進学校に行けと言われ続けていた。ノイローゼになりそうだったが、学校の友達に愚痴ることで何とか乗り越えた。
大学進学は諦めた。
そもそもやりたいことがあるわけでもなく、ただ漠然と進学するイメージしか持てていなかった。
「だって中学生だもん」
市船のハンターコースの話をしてからというもの、親から言われるのは「兄は出来がいいのに」という言葉。チクチク心に刺さる。
頑張って勉強した甲斐があり、市船に受かった。
ハンターになるには体力も頭も必要だという方針のもと、大変な高校生活が始まった。
成績は中の下。たまに赤点をとることもあった。
進級も、ギリギリだった。
市船のハンターコースは厳しい方針の副作用として退学者が多い。2年生になる前に1割が消えた。3年生に上がるときには、半分になっていた。
「あたしにはこれしかなかったから」
努力もあって最終学年へと進級した。
来年からはハンターとして働く学生ゆえに、在学中にハンターになるべくダンジョンへ入りスキルを得ることになっている。
「友達と一緒に講習を受けたんだけど、スキルが微妙で……」
講習後に授業で船橋ダンジョンに行ったが役立たずで終わる。アンデッド特効なスキルゆえに、生物の魔物には効果がなかった。
「佐倉のスキルって、なんの役に立つの?」
一緒にダンジョンにいったクラスメイトからの何気ない一言が痛かった。答えられない佐倉は苦笑いで返した。
先が見通せなくなった佐倉は悩んだ。ハンターとしての教育を受けているので普通科に転校することもかなわなかった。
もう後戻りができない。佐倉は学校を休んだ。
母親からは「選んだ道なのだから」と言われ、追い詰められた。
そんなある日、学校に行けなかった佐倉は船橋ギルドを訪れていた。勝浦に、どうすればよいかの相談をしに行ったのだ。
ところが、勝浦と小湊が異動したと言われた。相談できそうな相手はもういない。
「あれ、もしかして詰んじゃってる、あたし」
あははは、と涙も出なかった。
でも異動先は教えてもらえた。住所を調べたけど、ダンジョンもギルドもない場所だった。
「どうしたらいいんだろう」
いっそ家出して転がり込んでしまえ。佐倉は自暴自棄になっていた。スーツケースに私物を詰め込んで、家を出た。
涙を流しながら、佐倉ちゃんは滔々と語った。
この場にいるのは、俺、父さん、勝浦さんと小湊さん、そして佐倉ちゃんだ。佐倉ちゃんは勝浦さんに抱きしめられている。
「ご迷惑とは思いますが、私に居場所をもらえないでしょうか」
佐倉ちゃんが深々と頭を下げた。
「わたしからも願いします」
「おなじく、この子に救済を」
勝浦さんと小湊さんは頭を下げたまま動かない。
俺としては、家出同然で押しかけてきたこの子を見捨てられない。俺も進学は諦めた口だけど、なりたい坊主には関係なかったから。何とかしないと、この子は家に戻され壊れてしまう。
だが、いまだ親の保護下にある俺には決定はない。
判断に困った俺は父さんを見た。
「守、駆け込み寺って言葉を知ってるか?」
父さんが問うてきた。目は真剣だ。おそらく、父さんは答えを持ってる。父さんの意外な言葉に3人が顔を上げた。
「逃げ場所ってイメージだけど」
「まぁそうだな」
父さんがお茶で口を湿らせた。
「駆け込み寺といわれていた寺は実在した。元々は江戸時代に女性側から縁を切るための寺だったんだ。当時は今よりもずっと男性社会だったからな、夫からのいわれない暴力とか、逃げたい理由があっても逃げられない時代だったんだよ。そこで、特定の寺が裁定を行える権利を持って、女性を保護したんだ。ま、男女の仲は様々だからな、一様に男が悪かったとは限らなかったが、そういう寺の存在が、心の助けになっていたんだ。ここも寺だ。時代は違うが、逃げ場所にしても良いんじゃないかと、父さんは思うんだ」
「……逃げ場所か」
「そう、逃げ場所だ。逃げる場所がなくなった人がとる行動は限られている。多くが、自ら命を断つ」
場の空気が5℃ほど冷えた。みな父さんの話から逃れられないでいる。
「逃げることで命をつなげることができれば。逃げたい環境がなくなれば。将来を軽く言うことはできないが、光が見えてくるかもしれない。仏様の教えは、死んだら極楽浄土へ行けると思われがちだけど、仏様は決して自死を薦めたりはしない。守、仏教とはなんだ?」
「……幸せの探求だね」
「ふむ、よく学んでいるようだな。そう、すべての人が本当の幸せになるための教えだ」
「幸せのためなら逃げるのも吉か」
「うむ。幸せはその人にとっての幸せであり、そこへいたる道も様々だ。個人的にだがな、どんな人も幸せになれる絶対的な方法などないから、仏の教えを守り極楽浄土へ至ることが幸せだと教えたんだろうなと思うことがある。世は無常だ」
「なんだか、それも逃げな気がするなぁ」
「逃げても幸せをつかめれば、それでいいじゃないか。なぁ佐倉さん」
父さんが佐倉ちゃんに向く。佐倉ちゃんが背筋を伸ばし姿勢を正した。大事な話だと分かる賢い子だ。
「うちでよければいつでもおいで。時間がたってやりたいことができるかもしれない。それまでの羽休めの場所と思ってくれればいい」
「……あ、あの! 佐倉智美です、お世話になります!」
佐倉ちゃんがまた頭を下げた。
「もっとも、寝起きは隣にしてくれると助かるがね。ここは男所帯なのでねハハハ」
さらっと母屋はダメっていうあたり、勝浦さんと小湊さんへの牽制なんだろう。佐倉ちゃんを受け入れちゃうと、なし崩し的にふたりも転がり込んでくるだろうしね。
くわばらくわばら。
「食事は用意するからうちで食べたらいいよ」
食事はうちが用意すべきだ。誘ったのはうちだし。それに、彼女たちが自炊できるとは思えないんだよなー。
「わたしもお願いしたくー!」
「私も守君の手料理が!」
しゅたっと手を挙げるおふたり。予想はしてたさ。っていうか、今もそうだけど。
「便乗してるお姉さま方はお金を取ります!」
「「お代は身体で!」」
「却下!」
「「えぇぇぇ!」」
怨嗟の声を発する大人の横で、佐倉ちゃんはスマホアプリで通学可能な時間を調べていた。
「東金駅を7時に出れば8時に東船橋につく。よし、ギリ間に合う。駅までは自転車飛ばせば15分で行けないかな。いや行く。自転車も持ってこないと」
この子、優秀じゃん。俺なんかよりよっぽど。ハンターコースとはいえ市船には入れてるんだから地頭はいいんよ。
「必要なものは俺がそろえるよ。その代わり、今日みたいなダンジョンの掃除を手伝ってもらうけど」
24時間365日ずっとダンジョン監視はできないからさ。買い物とかあるし。
「掃除してレベルが上がる手伝いなら、やる!」
「よしよし、いい返事だ」
いい顔になったな。
でも、問題を解決するためには親御さんとのお話合いが必須でしょ。今のままだと家出なわけだし。うちが拉致したと言いがかりも可能だ。そのためには何が必要なのかをリストアップしないと。
ともあれ、我が寺に居候が誕生した。




