第10話 貴女という光
東条菊にとって、西園寺恭子はどういう存在なのか。
そう聞かれたら、彼女は迷わず「私の光」と答えるだろう。
すべての始まりは、あの夕焼けに染まった園庭で。
ジャングルジムから転落した菊は、恭子に命を救われた。
その代償として、恭子は今でも右腕に消えない傷を負っている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……恭子……!」
幼い菊は、血だらけになった恭子の右腕を見てポロポロと涙をこぼした。
医者の話では、これで腕が問題なく動いているのが奇蹟だという。
神経や骨に影響がなかったのが不幸中の幸いだと。
恭子はあっけらかんとしていて、「普通に腕が動くからいいよ」と、あっさり菊を許した。
だが、それで罪悪感が消えるわけではないのが人情というもの。
その事件以来、菊は恭子にずっと寄り添ってきた。
菊は毎朝、通学路で恭子に出会うたびホッとする。
その右腕が長袖で隠されているのを見るたびに罪悪感と、自分と恭子の絆を思い知って心がぐちゃぐちゃになる。
あの日、救急車で運ばれた病院の待合室で、菊は恭子の母親に抱きついて泣きじゃくっていた。
「恭子は助かる、大丈夫だから」――何度も何度も繰り返される言葉は、菊の耳に届いていなかった。
診察を終えて右腕に包帯を巻いた恭子が、「ごめん、びっくりさせちゃったね」と笑ったとき、菊の胸の奥で何かが決定的に変わった。
――この子を一生守ろう。どんなことがあっても、絶対に。
その誓いは、彼女にとっては今も変わらない聖なる呪いだった。
「ねえ、恭子」
放課後の教室、あの日と同じ夕焼けに照らされて、菊は恭子の右腕を衣服越しに撫でながら囁いた。
「貴女は私を利用していいの。血も骨も、好きなように使っていいよ」
それは菊にとっては服従と贖罪を意味する。
それでも、恭子はあっさりとそれを拒否する。
「私たち、別に利用し合う関係じゃないでしょ」
恭子が菊を認めてくれるたびに、償いを拒まれるたびに、彼女はたまらない気分になった。
それでも、菊は恭子に恩返しと、罪滅ぼしの機会を探し続けている。
菊にとって、恭子はあまりにもまばゆい光だった。
菊は、恭子の前にカメラとボイスレコーダーを並べる。
「すごい数だね」
「学校中に仕掛ける必要があったからね。恭子の部屋に仕掛けていたものを転用するのは血を吐くような思いだよ」
しれっと恐ろしいことを言いながら、菊はカメラひとつひとつの映像を確認した。
職員室の近くに仕掛けた小型カメラは、放課後のほんの数分間、清掃時間のどさくさに紛れて取り付けたもの。
掃除当番と見せかけてモップを持ちながら、片手で手早くテープを貼る。
わずか十数秒の作業でも、心臓が潰れそうなほど緊張した。
「でも、それだけの価値はある」
恭子を守るためなら、菊には多少の危険などまるで問題ではなかった。
カメラを1つ1つ手にとって撮影された映像を確認する。すべてのカメラが決定的瞬間をおさめているわけではない。魚を捕る網を仕掛けるように、獲物がかかっているか、ひとつずつ丁寧に確認しなければならないのだ。
そして、その「獲物」はたしかに捉えていたのである。それは既に菊のスマホと自宅のPCに保存されており、万が一、富士子や南原にバレてデータを消去されてもコピーはあるということだ。
「証拠は集めた。あとは、これをどう使うかだね」
「菊、一応言っておくけど、法に触れない範囲でね」
「わかってる。私だって、恭子と一緒に学園生活送りたいし」
菊は頷きながら、カメラを撫でた。
――これから、あの富士子と南原の2人は「自業自得」で墜落していくことになるだろう。
恭子に手を出した、あの2人が悪い。生き地獄の中で後悔してもらう。
富士子も南原も知る由がない。
恭子の味方に、東条菊という怒らせてはいけない、とんでもない人物がいたことなど。
たとえこの世界のすべてが恭子を傷つけるなら、菊はそのすべてと戦うだろう。
恭子は、菊を人間にしてくれた光。
ならば、菊はその光を一生かけて守り抜く影でいい。
たとえこの身が陽に焼かれようと、恭子の背に控える影であり続ける――。
それが彼女の覚悟であった。
〈続く〉




