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第11章「ゼロから」

『情熱の歌姫』セナ=フォスターが編入してきた日の夜。レイはステラの家に立ち寄っていた。

ステラの家のダイニングは、温かな照明に包まれており、そしてテーブルの上には、手作りのシチューとサラダ、それに香ばしく焼き上げられたパンが並んでいる。両親は海外出張で今いないと聞いていたので、今夜はステラとレイのふたりきりの食卓だった。


「美味しい?初めて作ってたんだけど……」


向かいに座るレイにステラは恥ずかしそうに顔を赤らめながら尋ねる。


「ああ!上手いよ!作ってくれてありがとな!」

「よかった!それにしても今日まさかセナさんが編入してくるなんてね!ダンス科、大騒ぎだったでしょ?」

「まぁな!でも大変なのはこれからなんだ」


レイは苦笑を浮かべてパンをちぎりながらそうこたえる。


「えっ!どういうこと?」


ステラが首をかしげると、レイは少し気まずそうに後頭部をかいた。


「実はさ……セナから半ば強引に頼まれて、しばらく俺がダンスを教えることになったんだ。」

「……は?」


一瞬だけ硬直したステラの顔に、次の瞬間――


「えぇぇぇぇーーーーっ!?!?!?!?」


ドンッと椅子を蹴って立ち上がり、スプーンを持ったままジタバタしだす。シチューのしずくがぴょんぴょん飛び散り、テーブルクロスに小さな染みを作った。


「な、なにそれなにそれなにそれーーっ!? あ、あの“情熱の歌姫”に、レイがマンツーマン!? 近距離で!? ダンスって、ほら、すっごい近づいたりとかするでしょ!?」

「お、おい落ち着けって! ただの練習だから!」

「“ただの練習”って言葉ほど信用できないものはないよ! きっとセナさん、レイのこと見つめながら『すごいわレイくん……あなたのダンス、私の心を震わせる!』とか言い出すんだから!」


ステラは両手で自分の頬を挟み、セナを真似てオーバーにうっとり顔を作る。


「いや、そんなこと言わねぇよ!芸人かよ!」

「絶対言うもん! そしてそのまま――あぁぁー!!!」


頭を抱えてテーブルに突っ伏すステラ。レイは困ったように笑いながら、彼女の頭を軽くつついた。


「お前さ、シチュー冷めるぞ」

「し、シチューなんかより重大事件なんだからぁぁぁ!」


--


翌朝。

ガラリとダンス科の教室の扉が開き、陽光を背負ってセナ=フォスターが入ってくる。炎のような真っ赤な髪がさらりと揺れただけで、周囲の空気が一瞬で華やぐ。教室中の視線が彼女に吸い寄せられ、ざわめきがひそやかな歓声に変わった。


セナは迷うことなくレイの席へとまっすぐ歩いてくる。突然注目を浴びたレイは、思わず椅子を引きながら声をひそめた。


「ん?セナか。」

「レイ!今日どうせ暇よね?!」


セナはレイの机に手を置き、ぐっと顔を近づける。教室中の生徒たちが息を呑むのが分かるほどの迫力だった。


「今日の放課後、星見ヶ丘に来なさい! ダンスの練習するわよ!」

「練習?」


レイが目を丸くすると、セナはふっと微笑み、声を潜めて続ける。


「そっ!二週間後、ネオ幕張アリーナでライブがあるの。そこで新曲を歌うのだけど歌いながらダンスを入れたいのよ! 教えてくれるわよね!」


レイは言葉を失った。教室のあちこちから「えっ!?」「ネオ幕張!?」とざわめきが広がる。


セナは周囲の視線を気にも留めず、腕を組んで高らかに宣言した。


「いやいや、二週間後ってすぐじゃねーか!!」

「関係ないわ!これは命令よ、レイ=ヴァレンタイン!二週間で間に合わせなさい!あなたダンス科の主席でしょ?」

「えぇぇぇーー!?」


ステージの上から観客を魅了する歌声のようにセナの声が響き渡った一方、レイはあまりにも唐突なセナの要求に困惑するのだった。


--

放課後。

星見ヶ丘の草原は、夕陽に染まり黄金色に輝いていた。遠くに見える街並みも赤く染まり、空には薄紫の雲が漂っている。


セナ=フォスターは、両手を腰に当てて不満げに叫んだ。


「で? なんでこんなに人数が集まったのよ! 練習するんだから静かにしてほしいんだけど! やりにくいじゃない!」


長い赤髪が夕陽を受け、炎のように揺れる。だが彼女の鋭い眼差しの先には、レイだけでなく、なぜか仲間たちの姿もあった。


「そりゃあんだけ教室でバカでかい声で話せばこうなるだろ」

「もう……!大失敗ね!こんなの公開処刑じゃない!」


レイが苦笑を浮かべそう答える横で、ステラが胸を張る。


「わ、私は別に! ただ……セナさんがバカレイに変なことされないか、見張りに来ただけだから!」


「変なことってなんだよ……」とレイが呆れる。


その後ろで、長身のユーリが腕を組み、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「いやぁ〜!!俺達はたまたまここを通りかかっただけですよ~それにしても“伝説の歌姫との秘密レッスン♡”……これは見物だね〜!」

「……ガ、ガッツリ跡をつけたよね。ユーリ君、ぼ、僕達やっぱり邪魔者だよ……帰った方がいいんじゃ……」


アルヴァンが慌てて小声で制止する。彼は視線を泳がせていた。


そしてもう一人。ポニーテールを揺らしながら眼鏡を押し上げた少女が、興味津々といった表情で前に出た。


「ふふっ、私も来ちゃった。あ、セナさん!自己紹介するね。私アオイ=ブロウニング、音楽科。よろしくね!」


セナはぱちりと瞬きをし、彼女をじっと見つめる。


「……えっ?!ちょっと待って!アオイ=ブロウニングって!? あの“天才プロピアニスト”の!? え、なに、同じ高校にいたの!?」

「そ。天才ピアニストのアオイよ♡意外?まあ、あなたほど派手じゃないけどね」


セナとアオイがそんな会話をしている中、レイが真剣な表情で声をかける。


「そんなことより時間がない!ライブまで2週間しかないんだろ?セナ!どんな振り付けなんだ? 携帯で動画とか見せられるか?」


その言葉に、セナはぱちりと瞬きをした。


「……え?」


「え?」とレイが聞き返す。


セナはポカンと口を開け、信じられないものを見るような顔でレイを指差した。


「ちょっと待って。何言ってるのよ?あなたが考えるんじゃないの?」


――シン……ッ。


その場に吹いた風の音だけがやけに大きく響く。

ステラも、ユーリも、アルヴァンも、アオイも、一斉に固まっていた。


「……おいおいおいおい……」


真っ先に声を上げたのはユーリだった。額に手を当て、大げさに天を仰ぐ。


「“考えるんじゃないの?”って……! おいセナ嬢! オリジナルの振り付けを作るのがどんだけ大変か、分かってんのか!?」

「えっ……だって……歌に合わせて踊ればいいだけでしょ?」


セナが首をかしげると、ユーリが即座に眼鏡を押し上げる。


「いやそれは甘いぞ?一から振りを作るなんて、簡単にできることじゃないぜ! プロの振付師が何日も徹夜するレベルだ!」


「そ、そうだよ……!」とアルヴァンもおずおず加わる。


「構成とか、ステージの広さとか、見せ場のバランスとか……考えることが山ほど……」


ステラは真っ青になりながらレイを見つめた。


「レ、レイ……ほんとにやるの……?」


レイは頭を抱え、深いため息を吐いた。


「……マジかよ……俺に振り付けから丸投げって……」


セナだけが状況を理解できていないように首をかしげ、のんきに言った。


「なによ、みんなして大げさね。レイならできるって信じてるわ!」


その一言に――

場にいた全員が、一斉に「いやいやいやいや!!」と叫んだ。

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