第10章「歌姫の編入」
とある日の夜九時。
高級ホテルの一室、煌めく夜景を背に、セナ=フォスターはベッドの端に腰を下ろしていた。
今日のライブ会場は新さいたまスーパーアリーナ。五万人を熱狂させるはずだった舞台は、彼女にとって屈辱の場となった。
「……最低最悪。プロ失格よ」
化粧も落とさず呟く声は、いつもの華やかな響きを失っている。序盤から歌詞を飛ばし、心はどこか上の空。拍手も歓声も、彼女の胸には虚しく響くだけだった。
「もう!あいつのせい!」
立ち上がったセナはカーテンを閉め切り、両手で顔を覆った。頭をよぎるのは――映画の撮影で出会った少年、レイ。
祭りで一緒に踊ったこと。演技の告白の言葉に、心が揺れたこと。
「そんなはずない!私は“情熱の歌姫”セナ=フォスターよ!」
強がるように叫んだが、胸の奥のざわめきは消えない。自分が惹かれつつあるなど、絶対に認められなかった。乱暴に髪をかき上げる。
“情熱の歌姫”が、男ひとりに心を乱されてどうする。プライドがその事実を許さなかった。そして決心する。
携帯を取り出し、マネージャーの番号を押す。
呼び出し音のあと、相手が応答する。
「……キサ?私!来週から夕陽ヶ丘高校に編入するわ。ダンス科よ。すぐに手配して」
「えっ!? ちょっ……?!セ、セナ!? 今、なんて――」
マネージャーのキサの言葉を遮るかのように電話を切った瞬間、セナの瞳に炎が宿った。
「レイはただの下僕だって証明してみせる!私が本気を出せば、あんな奴、逆に私にメロメロなんだから!」
それは誇り高き歌姫の意地か、それとも――認めたくない感情の裏返しか……いずれにしろ『情熱の歌姫』セナ=フォスターはレイ達のいる学校へと編入することになるのだった。
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一週間後の朝。
朝のチャイムが鳴る直前。
夕陽ヶ丘高校ダンス科の教室は、ざわめきに包まれていた。
「今日から編入生が来るらしいぞ」
「え、今の時期に? しかもダンス科?」
「どんなやつだろ……」
期待と好奇心が入り混じる中、教室のドアがゆっくりと開いた。扉が開いた瞬間、空気が変わった。
燃え上がる炎のような鮮烈な赤いロングヘアを揺らし、少女は堂々と教壇へ歩み出る。
「セナ=フォスターよ!普段は歌手をやってるわ!ここでは、ただの生徒として――でも、誰より輝くつもり!」
一瞬の沈黙ののち、教室はざわめきで満ちた。
「え、本物!?テレビに出てたあのセナ……?」
「嘘だろ……なんでこんなとこに……」
生徒たちの視線を独り占めにしながら、セナは顎を上げる。
その目は、自分を見て凍り付いているレイの姿を捉え――すぐに逸らした。
「……以上よ!みんなよろしくね?」
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!!』
男子生徒は大盛りだった。まるでステージの幕開けのように。
ダンス科の教室は一瞬にして彼女の色に染められていった。
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その日の授業は午前で終わり、放課後の教室はざわめきに包まれていた。編入生のセナ=フォスターの周囲には、人の輪が絶えない。
「本当にセナ=フォスターなの?」
「どうしてうちの学校に?」
「歌、ちょっとだけでも聴かせて!」
次々と投げかけられる質問。
セナは顎をわずかに上げ、余裕を見せながら答えていった。
「焦らないで。質問は一人ずつね。……全員に答えてあげるから」
その声音は女王そのもの。高飛車なのに、不思議と人を惹きつけて離さない。
だがふと、セナの瞳が窓際の一点に止まった。
周囲から距離を置き、ただ黙ってその光景を見ているレイ。
「――あなた、来なさい」
「はぁ?!な、なんだよ?」
唐突に告げると、セナは迷わずレイの手を取った。
驚くレイを気にも留めず、優雅に、けれど有無を言わせぬ強さで教室を出ていく。
「くっく……まさかセナ=フォスターが編入しとくるとはね!これは面白くなってきたぜ!アルヴァン!ステラちゃんとアオイに知らせるぞ!」
「ユ、ユーリ君、絶対に楽しんでるよね……?」
セナの突発的な行動に面白がるユーリとやれやれといった顔をするアルヴァン。
――残された教室のざわめきを背に、セナとレイの二人は屋上へ。
午後の風が吹き抜け、赤い髪が燃えるように揺れる。
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屋上中央で繰り広げられる二人のやり取りを、扉の影から四人の視線が盗み見ていた。
「おーおー、始まった始まった。こりゃ面白ぇな」
楽しそうに小声で笑ったのはユーリ。眼鏡を押し上げながら、まるで舞台の観客のように身を乗り出す。
「へぇ……やっぱりあの二人できてるの?怪しいとは思ってたけど……とりあえずまぁ……ステラ!」
「な、なに?」
「どんまいっ!!」
「な、な、なぁっ……?!勘違いしないでよ!ア、アオイのバカっ!」
そうステラをからかうアオイも興奮気味でニヤニヤしていた。ユーリとは妙に意気投合している。
「二人とも……覗いて楽しんでる場合じゃ……」
アルヴァンは額に手を当てるが、結局自分も視線を外せない。
「な、なんの話をしているんだろう……?」
ステラは不安そうにそう呟く。
視線の先で笑みを浮かべるセナと、困惑するレイ。その姿に胸が締めつけられるのだった。
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昼下がりの屋上。
爽やかな風が吹き抜け、セナの赤いロングヘアが炎のように揺れた。
「――な、何よ! あんた、意外と落ち着いてるじゃない!」
セナは少し顔を赤らめながらも、腕を組んで強気な口調を崩さない。
「私が編入してきたっていうのに……全然動じないなんて、生意気よ!」
突然の言葉に、レイは目を瞬かせる。
「いや、あまりにも突然のことにびっくりしてただけだ!それにしてもなんで編入してきたんだ? しかもダンス科に!お前歌手だろ?」
ようやく問いかけると、セナは得意げに髪をかき上げ、赤らんだ頬を隠すようにそっぽを向いた。
「ふ、フン……歌手はね、踊りながら歌うこともあるの。表現力を磨くにはダンスが欠かせないのよ!この前の映画の撮影で私がダンス苦手なのわかったでしょ?だから……!」
「ふぅーん……結構負けず嫌いなんだな!ま、でもそういう理由ならいいかもな!頑張れよ!それじゃ……!」
レイが背を向けかけ逃げようとした瞬間、セナの声が屋上に響いた。
「待ちなさいっ!」
赤い髪をなびかせ、セナは顔を赤らめながら睨みつける。
「勝手に終わらせないでよ! あんたが――私のダンスの先生をするの!」
「……はぁ?先生って、俺が?」
レイは振り返り、呆れたように目を瞬かせる。
セナは胸を張り、ぐいっと指を突きつけた。
「そうよ!先生から聞いたわ、あんた超意外だけど主席なんでしょ? だったら当然、私に教えるのが義務じゃない!」
「義務って……俺は教師じゃないんだけどな……」
「フンッ! だったら――下僕だと思ってやりなさい!」
「なぁっ?!……だ、だから下僕はやめろって!」
「そうよ!レイは私の下僕よ!私のために踊りを教える栄誉をあげるんだから、ありがたくひざまずきなさい!」
堂々と宣言しながらも、セナの耳はほんのり赤く染まっている。
レイは額を押さえ、半ば呆れていた。
「……お前なんで素直にお願いできないの?バカなの?」
「バ、バカ?!と、当然でしょ?私は“情熱の歌姫”なんだから!プライドがあるわ!!」
「はぁ……まぁやる気とプロ意識に免じていいよ!こうなったらとことん教えてやるよ!」
「ほ、本当に?!やったぁ!!ふふっ……頑張ったらまたチューしてあげるわよ!下僕君!!」
「い、いらねーよ!」
夕陽を背に立つセナは、炎のような赤髪と頬の紅
潮を輝かせ、まるで本物の女王のように見えるのだった。




