67、蝮と鷹
弘治元年(1555年)十月
上田城城下
「お久しぶりです。どうぞここをお好きにお使いください。この者達は使用人ですのでお好きにどうぞ。後監視と護衛は付けさせて頂きます。義龍との約束ですので」
俺(義照)はそう道三に伝えた。道三は以前程の覇気は無く、本当に隠居した老人になっていた。
「貴様の言う通りになったな。どこまでお前の手の平か?」
前言撤回。やっぱり美濃の蝮は健在だった。
道三の目力はやっぱり恐ろしい...。
蛇睨みとはこういうものだと改めて感じた。
「さて、どうでしょう?ただ、一つ楽しみにしているのは天に昇った美濃の龍(義龍)と尾張の麒麟(信長)、どちらが勝つか見物ですね」
「そして貴様が漁夫の利で美濃と尾張どちらも喰らう気か?やはり貴様は仏じゃのうて閻魔じゃな...」
「ハハハ...。渾名の通りと言うことですか?」
前の武田との戦のせいで俺には二つの渾名があるそうだ。
仏の義照、信州の閻魔
仏の義照とは民や家臣、山萵や河原者と誰にでも優しく接し、領地に居る者は極楽のように安心して暮らせると言うことで付けられたようだ。
一方の信州の閻魔とは、敵には血も涙もなく凶悪で残虐な人間であると言うことで付けられたらしい。ちなみに信州とは信濃のことだ。
何故凶悪で残虐かと言うと、敵とは言え一瞬で数千の兵士を殺したことと、甲斐で針山地獄(槍で串刺しにし晒したこと)と灼熱地獄(生きたまま焼いたこと)を作ったかららしい。指示したのは俺だがやったのは忍軍なんだけどな~。
「まぁ、民や家臣を傷つけるなら容赦はいたしませんがね...」
俺が微笑むと道三は引いていた。何故?
「そうか...。では世話になるぞ。新五郎についてはここで学ばせる。まぁ、元服後はお主の好きにさせる。小姓にでもすればいい」
道三はそう言うと末っ子と屋敷に入って行った。
これで一つ面倒ごとは片付いた。
新五郎こと後の斎藤利治は道三の希望でここにいる他の子供(人質等)と一緒に学ばせることになった。一応監視は付けることになっている。
しかし、尾張と美濃は色々と荒れていた。
まず、美濃は道三を追放したことにより道三によって無理やり土地を奪われた者や土岐家の家臣だった者達、道三によって利益を奪われた寺の僧侶が稲葉山城に駆け込んで取り戻そうとしているそうだ。
その対応に義龍は追われているそうだ。義龍としても予想外のことだったようだ。道三の残した負の遺産だろう。
だが、家臣達の方は印象が良いようだ。と言うのも、道三に付いた者達から血判書と人質を取ったが、暫くして「今回の騒動は親子(義龍と道三)の問題で皆を巻き込んだ責があるので人質を解放する。美濃をより良くする為に協力してくれ」と人質を解放したのだ。その為、道三に付いた者達も義龍への評価を変えたようだ。誰かの入れ知恵かもしれないが義龍が考え付いたなら凄いな..。
そして、織田には正式に同盟破棄を突き付け、帰蝶に関しては弟二人を誑かし美濃を混乱させたとして追放とし織田に渡すなり好きにしろと通告した。
次に尾張の織田は斎藤家(義龍)が正式に同盟破棄を突き付けたことによって反信長派が息を吹き返して信長に戦を仕掛けているそうだ。人質の価値が無くなった帰蝶はそのまま正室として残っている。だが、義龍が「帰蝶が美濃を乱したことも破棄の理由」と伝えた為、内情を知らない織田家臣から蔑まれ肩身の狭い思いをしているようだ。
信長は一つずつ確実に叩いているがいつまでもやれるか分からなかった。ただ、救いなのはまた三河で今川家に対して反乱が起こったのでその鎮圧に精を出してるので尾張に構う時間が無かったのだ。
「来年はゆっくりしたいな~」
俺は千と娘の輝夜、岩、それに今年産まれた娘とのんびりしていた。
岩の娘で次女の紅葉と名付けた。
俺だって男だしやることはやってんだよ!
それと、俺の次男千丸は九条稙通に取られた...。
七歳なので遅くなったが傅役を付けようとしたら「九条家に男児がおらず跡取りが居ないのでこの子をくれぬか?」と言われた。
千と相談した上で認めることにしたのだ。
千丸は「じーじ(稙通)といる!!」と嬉しそうにしていた....。俺は親として寂しかった...。
やはり、小さい頃から相手をしていないといけないと凄く分かった。
稙通は朝廷に報告するために京に行っている。勿論息子(千丸)を連れてだ。
陽炎衆五十人に護衛させている。それに途中の店(拠点)からも通過する際は護衛を付けて貰っている。大事な息子だからだ。
稙通が言うには和歌の才能があるようだと言っていた。
まぁ俺は全く駄目で試しにやったがその場に居た者達全員に憐れみの目で見られてしまった。二度とやるか!!
そうそう。今川との同盟についてはまとまり、来年の四月に婚儀が行われ俺に義元の次女福が側室で入ることが決まった。
歳の差十五歳・・・辛い。
でも、考えてみればそれ以上の歳の差の夫婦が史実にはいた。勝頼と北条夫人だ。その差十八歳である。
弘治二年(1556年)一月
上田城
新年の挨拶がありその後、父義清によって親族衆(木曾、仁科等)、義清譜代重臣、義照重臣が集められた。
葛尾城を最低限修復したのにここが気に入ったのか今だに父上や母上はここの屋敷にいる。
こんなことなら修復しなければ良かった。全く、金の無駄使いだ。
「ワシは今川との同盟が結ばれた後隠居する!」
父の隠居が発表された。やっと、邪魔されずに自由にやっていける。
「次の当主は義照とする。だが、ワシの家臣団は源吾(国清)に継がせる」
これには聞いていなかった俺や親族衆は驚いた。しかし、譜代重臣達は静かに座っていた。恐らく前から聞いていたのかもしれない。
「殿(義清)、それで国が分かれる可能性があるのではないですか?殿の譜代重臣と義照殿の重臣達と派閥争いが起きるのでは?それに反感も多く、国清を担ぎ上げ国二つに割れ荒れるのではないでしょうか?」
「それを防ぐために源吾に与えるのだ。皆、それについては承諾しておる」
父が言うと、重臣達が頷いていた。
一体どうやって納得させたんだ?
「....分かりました」
質問した木曾義康はそれなら問題無いと考えたようだ。俺としては理解できないが、重臣達が納得しているなら口出しはしない。
さて、当主になるが、金は採れるも米は殆ど獲れず、泥かぶれ(日本住血吸虫症)もある甲斐の統治はしたくない。
ぶっちゃけ、今川に押し付けたい。
俺達と今川との交渉で武田は甲斐三郡を手放すので家臣達の多くが土地を失うことになった。その者達をどうするかと言うことになったが、雪斎に代わり交渉相手となった庵原が幸隆と交渉した結果、希望すれば一部のみ受け入れることになった。ただし、土地は渡さず銭払いだ。文句があるなら来なければいい。
俺が今後のことを考えていると、父から隠居先の城を作れと俺は命じられた。葛尾城さえ無駄に修復したので屋敷でいいやんと思ったが父は上田城のような城が欲しいそうだ。
一体どこにそんな金があるのやら...。
金を出すこと(俺は一切出さない)、上田城のように大きくないことを条件に了承した。
場所は葛尾城の北、松代に作ることにした。ようは山本勘助が作った松代城(海津城)を作ることにしたのだ。
評定の後、久し振りに兄弟三人(義照、義勝、国清)集まって話をした。木曽での戦の様子を聞こうと思ったからだ。だが、その話をすることはなかった。
馬鹿兄が娘の話を始めたからだ。
・・・馬鹿兄に娘が産まれたことを初めて知り名前は凪と言うらしい。
しかも、馬鹿兄が滅茶苦茶語ってくる。
あの、猪突猛進を体現したような兄が娘にデレデレなのだ。流石に俺達は引いてしまった。娘は誰にもやらんと言い、半刻近く一方的に語りだし、俺と国清は疲れ果てるのだった。
天文二十五年(1556年)三月
上田城城下の屋敷
道三はある人物が会いたいというのである屋敷に向かっていた。
(いつ見ても我が城(稲葉山城)より栄えておるな...。しかしワシを呼び出すとは一体誰じゃ?)
道三は不思議がりながらも一つの屋敷に着いた。庭には鷹狩りをするのか鷹小屋があった。
「ようこそお越しくださいました。主は奥に居られます」
「其方らの主は誰じゃ?」
道三は聞いたが答えられないと言われた。そのまま奥に案内されていく。
そこでは一人の男が絵を描いていた。
「斎藤道三様がお越しになられました」
「ほう、来たか」
案内人が言うと男は絵を描くのを止めた。
「お、御主は!」
道三の目の前にいたのは自分がかつて追放した土岐頼芸だった。
「なぜ、貴様がここにおる!!」
道三は驚きつつも警戒する。
「なに、義龍のお陰じゃよ。近江にいるワシを信濃で預かってくれと頼んだようでな。こうして悠々自適に過ごしておる」
頼芸はニヤニヤ微笑んでいた。
道三としてはいつの間にと思った。自分が追放したのに義龍によって保護されていたからだ。
「しかし、御主も追放されるとは因果応報じゃの...。フフフ..」
「貴様に言われとうない!ただの鷹好きの貴様にはな!」
道三は帰ろうとしたが頼芸の護衛が道を防いだ。
道三の見張り兼護衛は動かなかった。
「そう直ぐに帰らんで良かろう。まぁ、茶でも飲んで落ち着け」
そう言うと頼芸はお茶を準備させた。
道三は逃げることが出来ないので座り直した。茶は頼芸が自ら入れた。道三は出された茶をじっくりと観察した。
と言うのも、道三は毒が入っているのではないかと思ったからだ。実際追放したのは邪魔になったのと、道三を毒殺しようとしたからだった。
すると目の前の頼芸が注がれた茶を飲んだ。
「なぁーに、貴様じゃないから毒なんぞ入れてはおらぬ。貴様を殺してはワシはここの暮らしを捨て放浪せねばならなくなるしな」
頼芸はその後また、茶を入れ差し出した。
すると道三は一気に茶を飲んだ。
「ワシとて毎回する訳でないわ!」
「道三、ワシはここでの生活を気に入っておる。邪魔をするでないぞ」
頼芸はそう言うと道を塞いでいた護衛を退けるのだった。
(最早貴様(頼芸)など殺す価値すら無いわ...。二度と来るか!)
道三はその後、直ぐに屋敷を出て自身の屋敷に戻るのだった。
頼芸は道三が帰ったのを確認すると、直ぐに隠していた薬を飲んだ。
先程の茶に毒は入っていなかったが、別の物が入れられていた。
村上家特製の下剤である。
元々、義照が嫌がらせで使うつもりで作らせた物なので効果を発揮するのに半日かかり薬を飲めば直ぐに収まるのだが、飲まなければ1日は厠に籠もることになる代物だった。
頼芸は道三へ最後の意趣返しをしたのだ。
そして、それを知らない道三は頼芸の思惑通り厠に籠もることになるのだった。




