41、忘れた頃に
葛尾城
「...は?」
俺は父義清に呼ばれて話を聞いたが開いた口が塞がらなかった。
「だから、仁科、木曾を臣従させた。その代わりに木曽からお前に側室が来るから準備しておけ。後、来年には美濃斎藤家との同盟の話をするからな!」
父義清は一方的に言ってきた。周りにいた重臣楽岩寺光氏や馬鹿兄(義勝)の傅役の屋代正重は目を会わせまいと黙って下を見ていた。
ちなみに、俺に三国同盟の署名に行けと言ったのはこっちを優先したからだった。
「....父上、どんな条件にしたのですか?」
俺は馬鹿兄が婿養子になった仁科と孤立している木曾をどういう条件で取り込んだか不思議でならなかった。特に木曾は武田に付いた方が有利だからだ。
「何、木曽は所領安堵にお主に側室として嫁がせ親族衆として扱うことだ。領地に関しては最低限しか口出ししないことを約束している。仁科に関しては...」
「大殿、そこは私が説明しましょう..ゴホッゴホ..」
正重が代わりに説明してくれた。
所領安堵、親族衆と言うのは変わり無いが、飛騨を攻めるので援軍を出すことと飛騨一国を貰うことが条件だそうだ。
しかし、説明してくれた正重は髪も髭も真っ白になっていた。馬鹿兄の面倒を見るのが大変だからだろう。
ちなみに、信濃の石高はおよそ四十一万石で今の内訳は大雑把に以下の通りだ。
村上家
およそ十五万石
仁科家
およそ四万石
木曽家
およそ四万石
高梨家
およそ四万石
武田家
およそ十三万石
管領上杉家
およそ三万石
と言った感じだ。
武田より領地は少ないのに石高が変わらないのは長野平野を手に入れているからだ。南信濃は山が多く北信濃ほど米は取れないのである。
「...父上、それって武田を追い出した後争いになりませんか?」
今は武田と言う共通の敵がいるから良いがいなくなった場合どうするのか不安だった。
父は一言、「問題無い!」と言うだけだった。
「それで、木曽からはいつ来るのですか?」
俺は諦めて聞いたら来月と言うので、「ふざけるな!」と言いたくなった。
何でも木曽が直ぐにと言ってきたからだそうだ。まぁ、孤立の木曽からしたら虎の威を借りてでも領地は守りたいからだろう。
問題は武田が何か仕掛けて来ないか心配だ。
義照の予感は当たっていた。
その頃木曽郡に武田が攻め込んでいたのだった。
時は遡り、
天文十八年(1549年)八月末
武田で木曾の話が出ていた。
「木曾の調略はどうか?」
「あまり進んではおりません...。村上と和議を結んだとは言え、その...信濃の国衆からは村上より劣ると見られているようで...。それと、信濃では我ら(武田)に反抗しようと触れ回っておるようです」
「それに、当主木曾義康が村上と頻繁に連絡を取り合っているようにございます。恐らく我らに対しての同盟を考えてるのかと存じます」
晴信としては直ぐに軍時行動したかったが陽炎衆の火付けや敗戦からの立て直しの為動けなかった。
しかも、信濃の領地では至る所で一揆の兆しが出ていたり、流言のせいで武田家臣同士で刀傷沙汰になったりと疑心暗鬼になっていた。
晴信は刀傷沙汰を起こした当事者は打ち首とし、荷担した者も容赦なく追放した。
もし無理やり出陣すれば戦に明け暮れ、民を見向きもしなかった父信虎と何ら変わりなく、反乱が起こる可能性もあった。
「仮に木曽を攻めるとしたらいつ出陣できそうか?」
晴信の質問に集まった重臣が難しい顔をした。昨年は陽炎衆の火付けによってほとんど税を取ることが出来ず、今年は凶作だったのでほとんど収穫が無かったのだ。
「正直に申しまして、民が疲弊しておりますので侵略する戦は最低二年は控えるべきかと...」
「小山田、兵糧の買付はどうなっておる?」
「はっ、他の国も不作や戦のようであまり多くは集まっておりません...。ですが六千の兵が一月動かせられる程度には集まってございます」
小山田の報告を聞いて晴信も顔を歪めた。信濃は諏訪、筑摩郡の一部、伊那郡、佐久郡の一部を治めているが今年は凶作だった。甲斐に関してはそれ以上に酷かったので冬を乗り越えられるか不安があった。
「...青田刈りをせねば危ういか...」
晴信が呟くと集まった者達も顔を渋めた。
青田刈りとは他国の地で収穫物を刈り取り自国に持って帰ることだ。
「勘助、陣立てをいたせ。今回は木曽を制圧するのではなく、青田刈りを目的とする..。半月で甲斐に戻るぞ」
「ははぁ...」
勘助は直ぐに陣立てを始めたのだった。
時は戻り、
武田は木曽郡では徹底的に青田刈りをしていた。
「残すでないぞ!これを持ち帰らなければ冬は越せぬと思え!!」
武田軍は周りの田畑にある物は根こそぎ奪っていた。
木曽福島城に篭もっている木曽義康は憤慨していた。
「おのれ!武田め!根こそぎ奪っていくつもりか!」
義康もただ黙って見ていただけではなかった。少ないながらも一戦交えていたのだ。しかし、二千対六千では手も足も出ず、敗走して城に篭もるのがやっとだったのだ。
武田軍は軍を二つに分け、城から討って出ないように出入口を塞ぐ軍と青田刈りをする軍で分けていた。
勿論、村上や仁科に救援を頼む使者を出していたが、武田兵や忍によって始末されていたのだった。
武田軍は半月かけて木曾の領地を荒らし帰っていった。
米などの作物の他に奴隷として人拐いまでしていく徹底ぶりだった。
その為木曾の領地はほとんど何も残らず、生き残った者も土地等を売り逃げ出すか、餓死する者で溢れることになるのだった。
翌月には木曾での出来事が信濃一帯や周囲の国にも広まったのだった。
天文十八年(1549年)十月
俺(義照)や父を含め葛尾城に集まった者達は武田の行為に怒りを露にしていた。
「この乱世の習わしとは言え、ここまでするとは..武田の非道を見過ごすことは出来ん!!!」
「今すぐ武田を討ちましょうぞ!!」
「そうだそうだ!!」と集まった皆が言うが、それはできなかった。
「それでは我らは幕府を無視することになります。一応和議を取り持ったのは将軍ですし...」
家臣の一人がそう言うと皆黙った。ホント、あんな糞幕府でも威光は残ってるもんだな..。
「とりあえず、美濃の寿老屋と尾張の布袋屋に粟でも稗でも良いので食べられる物を木曾に送るよう頼みました。それでも早くて十一月になるでしょう...」
俺の重臣と昌豊以外は寿老屋も布袋屋も俺の家臣であることは知らない。父上達は俺と付き合いのいい店としか知らなかった。
「相変わらず手が早いですな...」
「ホント、義照様は殿に似て決めれば直ぐに動かれますな」
「きっと、木曾から側室が入られるからであろう」
「義照様が家督を継がれたら安泰ですな~」
父の家臣達は笑いながら好き勝手に言うが止めて欲しかった。父はまだ家督については何も言ってないからだ。それに、幕府を無視していればこんなことにはならなかった。
「まだまだ、家督は譲らんぞ!それよりも、これからどうするかだ!」
義清は怒ってはいないが、これからについて話し出した。
「まず、木曾は今月には義照様に木曾の姫が側室として入られ臣従しますので、これ以上の戦は無いと思われます。攻めれば和議を破棄したことになりますし」
「しかし、配下となったとしても孤立していることには間違いありません。万が一武田が攻め込めば救援が難しいかと..」
「なれば、斎藤家と同盟を早く結ぶべきです。そうすれば孤立している木曾を助けることが出来ます」
会議はどんどん進み、何としても斎藤家との同盟を進めるべきと言う話になった。一度は流れた話だ。
確かに今ならまだ飛騨の姉小路(三木)と同盟を結んでいないので飛騨を攻めることを伝えておけば何とかなるかもしれない。けど...。
(数年後には斎藤家って義龍が道三殺すんだよねー...。悩むな~)
「では、誰が交渉に向かう?出来れば直ぐに取りまとめたい」
父が言うと皆の視線が一斉に集まった。
(まぁ、そうなるよね...。はぁ...)
「私しかいませんよね...。道三殿とは懇意にしていますし...条件は何でも良いですか?」
俺が聞くと父も承諾したので交渉役になることになった。
後日木曾から婚姻の延期を頼む使者がやって来た。武田に何もかも奪われて手に負えないらしい。しかし、婚姻すれば表だって攻めることは出来なくなると父が使者を説得し木曽の姫との婚姻は来月末になるのだった。




