167 火種
元亀十年(一五七九年)九月初旬
信濃に戻った後、水軍大将の香宗我部親泰に港防衛以外の全水軍を率いて毛利の安芸へ向かうよう指示を出し、数日前に三河を出航した。
村上家の全水軍の規模は
戦列艦三隻
ガレオン船二隻
鉄甲船四隻
安宅船五隻
関船、小早等その他軍船
五百隻以上
と壮大な物だが、一番の難点は鉄甲船と戦列艦の足の遅さだ。
戦列艦は二等艦に相当し砲数は約九十門とこの時代では最強クラスの船だ。
本来は港防衛が主で、侵攻で使うことはほぼない。理由は簡単で金と弾と火薬が一瞬で消し飛びかねないからである。
だが今回、毛利隆元からの情報で出さざるを得ないと感じ出航を認めた。
旗艦は戦列艦一番艦で、名前は閻王となっている。命名したのは家臣一同だ。
以前初めての鉄甲船に付けた[信濃]にしようとしたら反対意見が多かったので家臣達に名前を募集したら閻魔と閻王が多く結果閻王に決まった。由来は閻魔大王(義照)だ。
ちなみに、二番艦は天照、三番艦は建御名方となった。これも家臣達が話し合って決めた。
この名前に決まったのは諏訪大社と上田大神宮の主祭神から取り、神の加護がある船ということらしい。
罰当たりな気もするが、家臣達が新年には必ず神主を連れてきて祭事を行う程だから黙っている。
水軍大将は香宗我部親泰だが、今回は村上家の代表として弟の国清と三家老の原昌胤と重臣鵜飼照貞が同行している。
「失礼します。大殿(義照)、殿(輝忠)より直ぐに来て頂きたいと仰せにございます」
毛利家への援軍関係の仕事を熟していると利治が呼びにやってきた。
「何があった?」
「伊達家配下の蘆名が長尾家領内に侵攻とのこと」
「なんだと!!」
利治の報告に度肝を抜かれた。
蘆名家は長尾景虎の仲裁で伊達家に和睦を申し入れ、輝宗の次男小次郎が今の蘆名家当主になっている。
名前は蘆名宗盛だ。
故に、蘆名が長尾家を攻めたのは伊達の意向の可能性がある。
「輝忠!!伊達から何か申し開きはあったか!!」
「父上、まだ第一報が来たところです。それよりも長尾家から使いが向かってきています。今回は父上も同席をお願いします」
輝忠のところに乗り込むと、輝忠の周囲では多くの家臣が出たり入ったりとひっきりなしに動き回っていた。
そして輝忠は長尾家から使者が向かっているという事で同席を求めた。
暫くしてやって来たのは景勝の側近で上田衆筆頭になっていた樋口兼続だった。
「また、揚北衆か。反乱が好きだな。……それで、誰が絵に描いた?」
「恐らく、伊達…」「景勝配下であろう。兼続、ワシを舐めておるのか?」
輝忠の報告と兼続からの説明を受けて、一番最初に誰が得をし損をするか考えた。
輝忠は蘆名宗盛が二千五百を率いて越後に攻め入り占領したと言い、兼続は蘆名が北越後を占領し揚北衆の大半が寝返り、他にも家臣数人が伊達から調略を受けてか不自然な動きをしていると説明した。だが、伊達本家は動かず長尾家は既に軍を進め反撃している。
それから考えれば、蘆名は独断で攻めた可能性が高かった。それに長尾家は蘆名が来ると分かっていたとしか思えなかった。
「ワシに伊達から攻められたと説明し、仲裁の際交渉を有利に進めたいのではないか?蘆名の領地を得るためにな」
「そのようなことはありません。確かに不穏な動きがあり準備を進めておりました。今回まかり越したのは伊達を押さえて頂きたくお願いに参りました」
「ふん。いい加減反発する者を片付けたいのであろう。輝忠、伊達に使者を送っておけ。後は好きにせい」
義照はそう言うと部屋を後にする。輝忠は兼続に伊達からの弁明を聞いてから仲裁すると伝え兼続を帰すのだった。
数日後、今度は伊達から伊達実元が使者としてやって来た。
彼は、稙宗、晴宗、輝宗、政宗の四代に仕え、晴宗の弟であり成実の父親である人物だ。
伊達からは仲裁の願いに来たそうで、長尾家と交渉したいそうだ。面会した輝忠は輝宗がここ(上田)に来ることを条件に受け、まだこの地に残っていた兼続にも伝えた。
まぁ、ワシにはもう関係が無い話だ。
そして十月、伊達輝宗と長尾景勝が対面し交渉を始めた。どっちも当主が来たので期間は三日とし、初日に互いの意見と要望を出し合い、擦り合わせをして三日目には決めるとし、全て輝忠が仲裁人として取り仕切っているそうだ。
「そうか。輝宗は息子(宗盛)を見捨てられないか。この仲裁は厳しいだろうな」
屋敷で真田信尹からどうなっているか聞いている。
簡単に纏めると長尾家の要求は蘆名宗盛の首と蘆名領の割譲、伊達は越後に入った蘆名軍の撤退と輝宗の隠居を条件に手打ちとしたいそうだ。宗盛の首と領地割譲は拒否している。
「それで、調査の方は進展はあったか?」
「はい。兄昌幸が真田忍軍を使い集めている最中ですが、やはり長尾家は家臣の反乱と蘆名が攻めてくることを掴んでおりました。四月に戦の準備をしていましたが六月に越中への出陣を取り止めたのは、今回の事に対応するためではないかと兄(昌幸)が申しておりました 」
蘆名が長尾家を攻めたと知らせを受け輝忠に話を聞いた後、直ぐに昌幸に真田忍軍を使い調査を命じた。
孫六達陽炎衆は朝倉、伊達、北条の情報収集、調略で残った者以外は西側の調査を命じていた為人手が足りなかった。そのため真田に命じた真田忍軍に調査を命じていた。
「では、長尾家が裏で動いて先導していた訳ではないと言うことか?」
「少なくとも、反乱を促し蘆名を動かしたのは長尾家ではないかと……」
信尹からの報告を聞いて兼続には悪いことをしたなと内心思った。あまりの手際の良さに疑ってしまったからだ。
「そうか……なら後で兼続には謝っておくか。では蘆名自身の暴走か?あまりにお粗末だが…」
「しかし、蘆名領からかなりの往来があったようですが?」
「全く何を考えているか分からんな。引き続き調べてくれ」
信尹と話をしていると日も暮れ仲裁二日目が終わった。
伊達家宿泊地
「輝宗様、長尾家はこれ以上譲ることはありません。どうかご決断を」
「分かっている。だが……」
実元の言葉に輝宗は唸る。初日、長尾家は輝宗からの条件を全て拒否していた。長尾家からしたら当たり前の事だが輝宗は受け入れられなかった。
初日は結局内容の擦り合わせが出来ずに終わり、二日目で妥協案として輝忠が謀反人と蘆名宗盛の首か蘆名領を譲り渡し、互いに重臣の子を人質にという案を出した。
長尾家はそれなら、乗っても構わないとしたが、伊達側が内輪揉めを始めてしまった。蘆名領と言うが伊達の領地でありかなりの部分を渡すことになるからだ。
渡してしまえば伊達に従属している者達との力の差がかなり狭まってしまい、下手をすれば従属国同士が手を組み反乱を起こす可能性すらある。
「このまま蘆名領を渡せば洞の乱以上の危機が伊達家を襲います。何卒御決断を」
「いや、宗盛様の首の代わりに蘆名の重臣の首に変え、割譲は一部にすべきです。それならばどちらも守れます」
連れてきていた家臣でも意見が割れ、輝宗は決断を出せずに時間は刻々と過ぎていった。
そして、焦っているのは宿泊地に戻った長尾家もだった。
「殿、どうか落ち着いて下され。村上と伊達に知られかねませぬ」
「ッゥゥゥゥゥ!!分かっている!分かってるが……」
越後からの知らせに景勝は怒りに震え、今すぐにでも越後へ戻りたかった。
長尾家と伊達家は上田で交渉はしているが、現地では今でも蘆名、反乱連合軍と長尾軍が対峙、戦をしていた。
長尾軍の大将は河田長親、副将が直江信綱で最初は何の問題も無く進んでいた。そう、景勝が越後に居た間は…。
景勝が信濃に向かうために越後を離れた後、隠居していた長尾政景が陣に入り問題を起こしたのだ。
景勝は無駄に犠牲を出さないために出来るだけ確実に勝てる戦はして、他は膠着状態を作っていた。だが政景はその事を知らず、手を抜き裏切り者に付こうとしていると勘違いし軍を指揮しようとした。
これには河田や直江が説明したが政景は聞き入れずあろうことか長親を斬ってしまったのだ。
政景がここまで乱心したのは景虎が死んだ際、長尾家が割れ多くの者が敵対したことが原因で今回も裏切られると思い込んだのだ。
河田を斬った政景は本陣にいた直江信綱に殺され、直江信綱は政景に従っていた上田衆によって殺され、本陣は血の海になってしまった。
斬られたがかろうじて意識を保っていた長親は、異変を知られないために守りを固め、代わりの大将として春日山城の留守役になっていた斎藤朝信を連れてくるよう命じて意識を失った。本陣は争ってはいたが長親の指示通り朝信を呼び出し、それと同時に景勝に知らせを走らせ今に至っていた。
「御屋形様、明日には全て終わります。朝信様なら纏められることが出来ます。今は待つしか…」
バン!!
「黙れ久秀!……ふぅー……。今は一人にしてくれ」
「畏まりました……皆、出るぞ」
兼続は一緒にいた泉沢久秀を始め、全員を部屋の外へ連れ出し景勝を一人にさせる。
「父上(政景)…何故こんなことを……景虎様……」
景勝の声は誰にも聞かれる事無く消えていく。
村上家に越後での異変が知らされたのはまだ夜が明けぬ時だった。
そして仲裁最終日。
伊達は宗盛の首の代わりに蘆名家の重臣の首と長尾家に反乱した者達の身柄、そして蘆名領の一郡のみ渡すことを条件として提示し、長尾家が飲まなければ今回の話は無かったことにすると強気に出た。
これに対して、長尾家は伊達一門を人質に要求、ただし長尾家側からは人質は出さないとした。
輝宗はそれを受け入れ、和睦が結ばれ長尾、伊達の直接の戦は避けられるのだった。




