154 終わりの始まり
元亀九年(一五七八年)五月末
信濃 上田城
「叔父上。本気で言っているなら叔父上の一族を根絶やしにしますよ?」
京に国清達を代わりに残して帰って来た俺の前で、幕臣で叔父である小笠原長時がとんでもないことを言った。
「義照、この話は幕府、朝廷両方からの命ぞ。織田の助命を受け入れろ」
長時は幕府、朝廷の命として織田一族の助命を命じてきたのだ。正確には朝廷(公家の一部)と幕府(義昭一派)である。
元々長時ではなく唯一説得出来るであろう仁科義勝に使者を送ったが断られてしまった為、長時に説得役が回ってきたのだ。
「叔父上。お帰り下さい。次会う時は叔父上は首となっているでしょう」
「義照!!叔父であるワシに何を言うか!それに幕府と朝廷の意向を無視するのか!」
「では、叔父上の子と孫を織田の代わりに根絶やしにしましょう!!叔父上も我が子と孫を殺されたら私の気持ちが分かるでしょう!おい!叔父上を丁重に領国から追い出せ!!」
「待て!待たんか義照!!待て~」
小笠原長時は兵士達に丁重に連れていかれる。本来なら首を落としたいところだったが叔父であるので情をかけたのである。
「さて…尾張攻めの用意は出来ているな!!」
「はっ!!全て整っております!」
昌祐は家臣を代表して報告する。昌祐も昌豊も最早止めることは出来ないと覚悟していたからである。
「三河方面から大将を大熊朝秀、副将を庵原元政、武田義信とし一万五千で攻め込め!!また、駿河甲斐の防衛を須田に、上野、武蔵の防衛は長野に一任する」
「「ははぁ!!!」」
名前を呼ばれた五人は返事をし頭を下げる。
「本隊は美濃より攻める。兵は三万。それと、先鋒として五千を先行させる。先鋒隊は原昌胤を大将とし島左近、木曽義昌を副将とする」
「「ははぁ!!」」
「香宗我部、福留!三河軍港より全水軍を率いて織田水軍を海の藻屑にせよ!!」
「御意!!!」
「出陣は十日後、六月五日とする!!遅れることは許さん!!速やかに取り掛かれ!」
「「「ははぁ!!!」」」
家臣達が一斉に広間を出ていく。そんな中、残った者達がいた。
工藤昌祐、工藤昌豊、馬場信春、保科正俊の四人だった。四人とも小さな領地の時から付き従ってくれた家臣達だ。
「揃ってどうした?」
「大殿(義照)、我らこの戦を最後に隠居する御許しを頂きたく残りました」
昌祐が代表して告げる。俺は四人を見て目をつぶる。四人と亡くなった幸隆は本当に初期の頃から付き従い苦楽を共にした者達だった。
「そうか…皆歳を取ったからな…。分かった。隠居の件認めよう」
「有り難き幸せ」
昌祐が言うと四人は頭を下げる。それを見て考えていたことを伝えることにした。苦楽を共にしてきた四人には伝えるべきと思ったからだ。
「なら、ワシから御主等には先に伝えておこう。この織田との戦が終わり三年から五年後には隠居し輝忠に家督を譲るつもりだ」
義照が言うと四人は驚く。まさか、隠居するとは思っていなかったからだ。
「大殿、何故そんなにも早く隠居されるのですか?」
「昌豊の申す通りに御座います!大殿はまだまだ意気軒昂ではありませんか!」
昌豊と信春が尋ねる。この前も弥助(黒人の男)を相手に楽しんでいたからだ。
「何、前から考えていたことだ。それに…」
俺は考えていたことを四人に打ち明けた。難しくても出来る可能性があることだ。実際、未来(現代)には成功例もある。
「分かりました。最後まで御供致します」
四人は悩むも最後には皆理解してくれた。
「済まんが頼む」
四人はその後、自身の領地に戻り準備をするのだった。
そして、
六月五日。
村上家国境の守りを残して全軍が尾張に侵攻を開始した。
一番最初に犠牲となった城は唯一三河で織田領だった三河の刈谷城の水野一族だった。
三河刈谷城
「何故だ!!何故我等の降伏を認めんのだ!!」
城主の水野信元は家臣達の前で怒鳴った。と言うのも村上軍に降伏の使者を送ったが戻ってきたのは首だった。
大将大熊朝秀の返答はただ一言。
「既に遅い。潔く果てろ」
だった。
「殿!妹君の於大様や弟の忠重殿が居られるから問題ないと言われたではありませんか!!全く話が違います!!」
「そうです!!全て殿が任せろと言われたではありませんか!!我等を謀ったのですか!!」
家臣達からの追求に信元はたじろぐ。確かに任せろと言ったがまさかどちらからも拒否されるとは思っていなかったのだ。
ちなみに、信元が送った書状は於大の方は読まれることはなく燃やされ、忠重の方は読むだけ読んだが都合のいいことしか書いてなかったので破り捨てていた。
特に於大は我が子(家康)を見捨てた信元などとうの昔に縁を切っている。
半刻後、大熊の総攻撃によって四半刻も持たずに落城、水野一族を含め家臣、兵士、逃げ込んだ民と一人残らず討ち取られたのだった。
ちなみに、水野信元の弟で家康に最後まで従っていた水野忠重は三河勢として従軍しており、刈谷城の造りを熟知していたので大熊から城攻めの指揮を預けられるのであった。
刈谷城が落城してから数日後、尾張小牧山城も攻められていた。
織田家の最前線で再建された犬山城は、先行させた原昌胤達によってすぐに落とされた為である。
攻めているのは森可成や前田利家等元織田家武闘派達だ。
仁科義勝に望みを託した可成達は義照に降伏は認められたが、条件として信忠に従う重臣か側近の首を取ってこいと言われたのだった。でなければ一族郎党皆殺しとされる。ちなみに、村上軍が通過した村群は少しでも逆らえば女子供問わず滅ぼされ、指示に従った村のみ生存が許された。それを見ている為、降伏した者達は恐怖した。そして、この小牧山城には重臣河尻秀隆と佐久間信栄等対象が多くいた為、死に物狂いで襲いかかったのだ。
「河尻と佐久間の首だ!!死んでも討ち取れ!」
「奴等(河尻、佐久間)の首を取らねば我等に明日は無いぞ!!!」
可成達元織田家武闘派は必死に小牧山城を攻めるが、信長が岐阜城攻略の為に造り信忠と秀隆が対村上の為に改築を行い南蛮人から接収した大筒まで設置されており攻略は難航していた。
この戦に参加していない織田家臣もいる。木下秀吉と明智光秀である。
二人共義照に降伏している。勿論条件付きで……。
秀吉は津島、熱田を始め尾張の商人ほぼ全てを取り纏めて降伏してきており、商人達もこちらの条件を飲むことで通常通りの商売を認められたのだ。だが、かなりの制約を受けている。
そして、秀吉は三年前に信長から養子を貰っておりその養子(於次丸)の助命も求めた。
秀吉としては実子(石松丸)を亡くしてから長く親子として過ごしてきたので情が沸いていたのだ。
そして降伏する際、義照の目の前で地面に額を擦りながら懇願し条件付きで認められる。
一つは二度と織田姓を名乗らせないこと、もう一つは織田家の主要な城を二つ制圧することとした。ただし、方法は好きにさせた。だが出来なければ全員打ち首だ。
「…畏まりました!!必ず城二つ取って見せます!!」
秀吉は暫く俯いていたが、受け入れる。その顔は何時もの人たらしの顔ではなく覚悟を決めた男の顔をしている。
ただ、手持ちの兵士が足りないので五百人だけ兵を貸してくれと言ってきた。さっきまでの覚悟は何だったのかと思ったが、たった追加五百人で城を二つ落とせるのなら安いものと思い貸し与えたのだ。
総勢千人の兵を率いた秀吉はまず木曽街道を通り那古野城へと向かう。
那古野城には弟秀長が城代としていた。
那古野城の城主は丹羽鍋丸。岐阜城の戦いで討ち死にした丹羽長秀の息子、後の長重である。ちなみにまだ八歳なので、信長の命で城代として一時的に仲の良かった木下秀長が入れられていたのだ。
秀長は秀吉の家臣だが丹羽側がこれを受け入れたのは、秀長と長秀は家族ぐるみで付き合っていたからだ。
秀長は秀吉の代理で良く長秀と共に行動(仕事)をし徹夜も多く丹羽家に泊まり込みも何度もあり、共に胃薬を愛用していてた。
ちなみに秀長は史実とは違い既に結婚しており、長秀は秀長とその妻の仲人でもあった。
那古野城に着くと秀吉は秀長に使者を送り、秀長は予定通り、丹羽一族、家臣、領民全員の助命を条件に受け入れ城を開城するのだった。
秀吉本陣
「兄者(秀吉)、助命は絶対に守って下さいよ。でなければ例え兄者とはいえ許さないですから」
「分かっとるがな。秀長安心せい!約束は守るがじゃけ」
「秀吉。あと一つ城を取れと言われたけどどうするんだ?」
木下兄弟が話していると蜂須賀小六が尋ねる。
蜂須賀は史実通り秀吉の配下になっていた。他にも前野長康、浅野長政、戸田勝隆、山内一豊も付き従っている。
「清洲城を取る」
「「「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
秀吉の発言に全員が驚愕する。織田家の本拠地である清洲城を取ると言うからだ。
「木下殿、清洲城は織田の本拠地。那古野勢を合わせてたった千三百ではとても無謀ですぞ!」
「依田殿の言う通りぞ!秀吉、清洲城なんて無理だ!頭イカれまったか!」
「そうですよ。義兄上(秀吉)。まだ、蟹江城の方がいいではないですか」
義照の命で五百人を率いて合流していた依田信蕃は反発し、小六や長政も続く。
「兄者、また何かやったのか?」
秀長は秀吉が何かやったのかと尋ねる。
「いや。じゃが、勝算はある。ワシに任せとけ!」
秀吉はそう言うと盗み出していた清洲城の縄張り図を持ってこさせ、自分の考えを披露するのだった。
他の者達も案を聞いてやってみるだけの価値はあると動き出すのであった。
明智光秀はと言うと……。
「信長様、帰蝶様……」
光秀は燃える政秀寺の目の前に佇んでいた。




