145 北条征伐
元亀八年(1577年)3月末
武蔵 鉢形城
氏邦の目の前で、城下が赤々と燃え、包囲され逃げ出せない民百姓は城に逃げようと殺到していた。
そんな本丸の本陣では誰一人口を開く者は居なかった。
そんな重苦しい本陣に一人の伝令が駆け込む。
「申し上げます。村上より書状にございます」
伝令から書状を渡された氏邦は読み肩を落とす。
「村上からは何と?」
「私と家臣全員の首で降伏を認める。それ以外は一切認めず、誰一人生かして包囲から出さぬそうだ。要するに皆殺しにすると言うことだ」
氏邦は渡された書状を他の家臣達に回した。回された書状を読み家臣達は驚き、非道だと口々にする。
「殿!こんな条件飲めませぬ!!ここはこのまま籠城しましょう!」
「左様!氏政様が必ず来られましょう!それまで耐えれば」
「馬鹿を言え!村上が上田原で使った兵器を使えば長くは保たん!それに敵は村上だけではない!佐竹も攻めて来ているのだぞ!」
家臣達は降伏か籠城かで割れる。
「最早徹底抗戦しかない。逃げ込んだ者達にも武器を渡しそれぞれの所に配置せよ」
氏邦はどうせ死ぬなら徹底的に抗うと決めた。だがこの決断は、悲劇をもたらすことになる。
村上軍本陣
「そうか。氏邦は断ってきたか」
「大殿、この鉢形城は最前線故、多くの備えがされており、力攻めでは被害も大きくなります。まず…」
義照が口を開くと業盛が城の構造を説明していく。
城の備えを聞いて、どう攻めるか悩む者が多いが既にやることは決まっている。
義照は元より鉢形城を見せしめにするつもりだった。
「孫六、茂実(望月)に準備をさせろ。全員焼き殺す」
「畏まりました。直ぐに用意させます」
「父上(義照)!それでは今後敵が降伏しなくなるのではないですか!!」
「そうです!兄上(義照)!!ここは敵を引き釣りだすべきです!!」
義照が孫六に指示をすると二人の若武者が声を上げた。
此度初陣の義照の三男照親(勝丸)と同じく初陣の末弟清勝(国千代)だ。
二人とも初めての戦だからか変に舞い上がっている。
「照親様、清勝殿。大殿はわざと皆殺しにしてこの後の戦局を優位に進めようとされているのです」
「照親、左近の申す通りだぞ。まずお前達は戦を知ることから始めろ」
義照が溜め息を吐き答えようとすると軍師の左近と輝忠が代わりに答えた。二人は周りの視線と義照の顔を見てから口を閉じ俯く。
「まぁ、初陣だから手柄を上げたくて仕方がないのだろう。だが、輝忠の言う通り戦を知りなさい」
義照はそう言うと、包囲の強化と城焼きの準備を進めさせた。
三日後。
鉢形城は阿鼻叫喚に包まれながら炎に呑まれた。
「おのれ村上め!この非道決して忘れぬぞ~!!!」
燃え盛る天守で城主北条氏邦は自害した。初め全軍で包囲を破ろうと突撃したが柵を破ることが出来ず、多くの兵を失った。そして生き残った者達と共に城に逃げ込んだが至る所で火の手が回っており最早どうすることも出来なかった。
そして、城に逃げ込んでいた民百姓は女子供問わず皆殺しにされた。
火を付けて以降に逃がした者は誰であれ打ち首と厳命し、誰もが義照が閻魔と呼ばれ容赦が無いことを知っている為、逃がそうとする者は一人も居なかった。
例外は火を付ける前に村上軍に降伏した民百姓だけである。
中には、百姓に扮した猪俣の様な武将級も居たがその者達は火を付ける直前に首を刎ねた。降伏条件は送っているからだ。
そして義照の命で捕らえられた兵士十数人が目の前に並べられた。
「さて、お主等には一働きして貰う。ここでの惨劇を北条側の全ての民百姓、国衆、城主に伝えろ。我等が行くまでに人質を差し出し降伏しなければこうなるとな。おい。握り飯をやり解放してやれ」
「はっ!お前ら付いて来い!」
取り囲んで居た兵士達が北条兵達を連れて本陣を出て行く。
「輝忠。片付けが終わった後、坊主を呼んで経を唱えて貰え。全てが終わったらお主の名で寺を立て供養し続けよ」
「分かりました…。ですが、父上の方が良いと思いますが?」
輝忠は何故自分の名前で寺を立てさせるか理解はしていたが納得は出来ていなかった。
「悪名はワシが貰っておく。ハハハ、閻魔の名は伊達ではないぞ」
義照は笑っていたが、本陣で笑みを溢す者等一人も居なかった。
それから数日、村上軍は生き残った民草が生活できるよう最低限の建て直しをした後進軍を開始した。
だが、その数日で鉢形城の惨劇は武蔵を越え相模まで広まっていた。
小田原城
「おのれ!よくも氏邦を!!」
「それだけではない!城に居た女子供まで手に掛けるとは!!」
小田原城では義照に対する罵詈雑言が飛び交った。
だが、家臣の誰もが内心では一抹の不安を持った。もしも、義照が小田原城まで来たら根斬りにされるのではと。
「それで、村上の動きは?」
「はっ。周辺の味方の城を焼きながらこちらに進軍中にございます!」
伝令の報告で氏政達は地図を確認する。次に狙われるのはどこかと。
「松山城か河越城では?」
「いや、佐竹と合流もあり得るぞ」
「それはないだろう!佐竹は綱成様が押さえられているし何より松山城と河越城がある以上、合流等出来る訳がない!」
「三増峠はどうか?駿河は穴山と小山田が足止めしておるが、彼処からは別動隊が来るのでは?」
「彼処は既に氏照様が配置に付いておられる。敵が来れば直ぐに知らせが来る」
城に居る者達から色々な意見が出された。初め、三増峠から攻めてくると考え殆どの兵を小田原城に集めたが、上野から攻められ慌てて一部の兵を武蔵に向かわせていた。
「やはり、ここは三増峠から攻め入るべきでは?武蔵には村上本隊三万五千、駿河の武田の援軍として五千を送っておる」
「確かに。美濃や北信濃を守る為に兵を割いておるから多くて五千程度。三増峠には一万も置いたままでは無駄でござるな!殿!ここは小田原城から援軍を送り三増峠から攻め込みましょう!」
「いや、ここは全軍を以て村上本隊を叩くべきだ!地の利はこちらに分があるぞ!」
「馬鹿を申せ!上田原で手酷くやられたのを忘れたのか!!野戦はあり得ぬ!」
評定は三増峠から攻めるか、このまま守るかで紛糾した。
しかし、どうするか決まらず評定は解散した。
それから数日後、
「申し上げます!!松山城の上田朝直、忍城の成田氏長、村上に寝返りました!! 」
「なんだと!!!」
村上本隊が松山城に入ったと知らせが入り北条側は驚愕した。
「他にも多くの者が村上に寝返りし、河越城より北は村上の手に落ちました!!」
松山城、忍城を含む多くの者達が北条から離反した。鉢形城での虐殺と北条が援軍を送ることが無いと言う噂が広がった為、多くの国衆が離反したのだ。
そして、武蔵で多くの者が離反した為、下総で佐竹を押さえている地黄八幡の北条綱成の軍は孤立しかけていた。
「綱成様を戻すべきでは?」
「だが、それでは里見が離反しかねないぞ!」
「それに佐竹と村上が合流すれば如何する?食い破られるぞ!」
評定はまた荒れに荒れた。
だが前回とは違い今回はどうするか決まった。
「綱成に援軍を送る。もし、村上が合流に向かえば城を出て挟撃する」
氏政の言葉で北条家の方針が決まった。氏政は援軍として弟の三郎(史実の上杉景虎)を大将に、北条綱高と富永政辰の二人を補佐に付け五千の兵を送り出した。
北条勢の兵分けは以下の通りだ。(約)
三増峠→北条氏照 一万
駿河方面→北条氏規 八千(穴山、小山田勢は除く)
対佐竹→北条綱成 一万
小田原城→北条氏政 二万五千
他(各地の城などに籠城している者)、およそ一万
計、六万六千人
北条の兵がこれ程多いのは、15歳以上の男を徴兵し集めた為である。
三国連合は
村上軍(本隊) 三万五千
別動隊(武田家への援軍) 五千
計四万
佐竹軍 二万
武田軍 二千
合計六万二千
である。
ちなみに、武田への援軍の総大将は馬場信春だが、副将は諏訪勝頼である。
元亀八年(1577年)5月
義照本陣
「釣れたが面倒だな~」
「面倒ですね~」
義照と昌祐は川の反対側にいる北条軍を見ながら溜め息を吐く。
河越城には長野業盛を大将に人質を出して降伏した者達と合わせ五千を残し、小田原城から綱成の元へ援軍が送られたのでそれを迎撃する為に輝忠を大将に昌豊、真田兄弟(幸綱、昌幸)等六千を送った為、義照本隊は二万五千弱しか居なかった。
そして北条は氏照が一万を引き連れて自分の城(滝山城)に戻り俺達を引き付ける為、多摩川を境に柵などを作り俺達を待ち受け、遅れてから氏政本隊が到着した、その数三万。
既に睨み合いから3日が経っていた。
その間、風魔から執拗に火付けや夜襲等の嫌がらせを受けたが全て孫六率いる陽炎衆が何とか防いでいた。
特に酷いのは兵糧が狙われ兵站も途切れそうになったが昌胤が全て防いでくれている。
「さて、炮烙火矢も無い。こちらから攻めれば多摩川と柵のせいで被害が大きくなる」
「然れど、それは北条も同じ。攻めては来ないでしょう」
「まぁ、輝忠と佐竹をま」「大殿~!!」
佐竹達を待とうと言おうとしたら、須田が慌ててやって来た。
「満親、そんなに慌ててどうした?北条が攻めてきたか?」
俺が訊ねると、満親が息を整えて口を開く。
「朝廷に幕府、それと朝倉と浅井が揃って使者としてやって来ました!!」
「…なんだと?」
義照は自身の耳を疑い、ただ一言溢すのだった。
そしてこの来訪は村上家だけではなく日ノ本全ての大名が驚愕する前触れとなるのであった。




