134 朝倉家の躍進
元亀六年(1575年)5月
越前 一乗谷
「さぁ!皆の者!今宵は大いに食って呑み合おうぞ!!」
「「ははぁ!!!」」
一乗谷では盛大に宴が広げられていた。と言うのも、丹波を支配下に組み入れ、丹後を力攻めで制圧したからだ。
何故、織田が制圧するのに手間取った丹波が朝倉の支配下に入ったかと言うと将軍の御威光と管領と言う肩書きのせいだった。
丹波は元々前管領細川晴元の膝元であったが、晴元が朝敵になった為、無法地帯となっていた。一応三好家が一時的に、大部分を制圧していたが久秀の弟である内藤宗勝が討ち死にして以降、再度国衆同士が争う無法地帯に戻った。
朝倉は義昭から丹波を治める許しを得て、従う者には飴をそうでない者には調略と暗殺を駆使したのだ。
その影には三好家でも暗躍していたある男が関わっていた。
そして丹波が済むと適当な理由を付けて丹後に攻め込み制圧してしまったのだ。
史実では暗君などと言われることもあったが外交に関しては戦国時代においてトップレベルの外交を行っていた。
北は出羽安東家、南は薩摩島津家と手広く行っており、一乗谷はルイスフロイスが日本において最も高貴で主要な国のひとつであるとまで残していた。
そして、今の義景は史実のように閉じ籠もることはなく、君主として立派に政を行い、朝倉宗滴以上の繁栄をもたらしていた。
領地は越前約50万石、加賀約18万石、丹波26万石、若狭8.5万石、丹後11万石
計約114万石にまでなっている。
ちなみに現在百万石以上の大名はこんな感じである。(おおよそ)
村上家→207万石
北条家→168万石
毛利家→157万石
幕 府→143万石
朝倉家→114万石
長尾家→102万石
「殿!次は播磨ですか?それとも但馬ですか?」
「次は美濃だ」
宴は盛り上がり、皆酒に酔いだしていたが一人の家臣の質問に義景が答えるとピタリと静かになった。
「殿、それは村上ですか?それとも織田ですか?」
「織田じゃ」
ほっ.....
義景の言葉に殆どの家臣が安堵した。
村上と戦は正直避けたかった。単純に石高だけ言っても倍近いからだ。
「何を静まり返っておる?織田が終われば村上ぞ」
「お、お待ち下され!!村上は長尾家、北条、佐竹、武田、伊達、織田と同盟を結んでおります!!それに、北畠との盟約を交わした際に北畠は村上との戦に援軍は送らぬとしたでは御座いませんか!」
「そうです!それに長尾家は長年村上と同盟を結んでおります!こちらに付くことはありませんぞ!!」
「それに、村上と織田との間で婚姻同盟が行われたではありませんか!!織田を攻めれば村上が出てきますぞ!!」
家臣が一斉に反対や懸念を言い出したが、一人考えが違っていた。
「村上が来るのは、織田が従属か臣従した時か美濃が落ちた時だ」
男の発言に皆の視線が集まる。
「それはどういうことか?納得の行く説明をしてくれるのだろうな?斎藤殿...」
男の名前は斎藤龍興。元美濃守護で斎藤家当主だったが、織田に稲葉山城を落とされて長島に逃げていた。
龍興は長島に逃れた後、織田を滅ぼしたい為に三好家に入り、四国同盟(三好、一条、河野、大友)を纏め上げ、長宗我部を滅ぼし、京に上り三好家と幕府の和睦を纏め上げたのも龍興だ。
長島に逃れてからは今までの様な生活を送る事はできず、泥水を啜ってでも生きてきた。
信長に国を奪われ、義照に見捨てられた事でやっと精進し始めたのだ。
それからの弛まぬ努力があり、ここまで大きな成果を残せた。そして、今回朝倉に来たのは朝倉が織田と戦を望んでいると知ったため三好家を離れ朝倉に来たのだった。
「義照はタダでは戦をしない。義照に貸しを作るか、父上(義龍)の様に互いに兄弟のように信頼していない限りな。だから爺様(道三)は美濃を手土産に織田との仲立ちをした」
「ふん!同盟を切られたお主が言うか。蝮(道三)に見限られ、家臣に裏切られ国を失ったお前がな」
景鏡が悪態を付きながら言う。
何人かはクスクスと龍興を嘲笑った。
「・・事実だから、反論はせん。村上が婚姻同盟したとはいえ、織田は一度同盟国を裏切っている。そんな大名に義照は娘が居ようが援軍を送ることはない。恐らく娘を出したのは織田を乗っとる為だ。織田の血筋を持った孫が産まれれば、信長と信忠を始末して当主にして後ろで操るつもりだろう」
「だが、それをどう証明する?お主の想像でしかあるまい!」
景鏡に言われ、龍興は黙るしかなかった。今話したのはあくまで自身の予想でしかなかったからだ。
「まぁ、静かにせい。織田を攻めるのは来年じゃ。北畠も用意が出来よう。さぁ!今宵は祝おうではないか!」
義景はそう言うと周りも再度宴が始まり騒ぎ始める。
だが、龍興は内心悔しさと答えられなかった情けなさで一杯だった。その為、酒で忘れようと一人呑みふけるのだった。
だが、龍興の心中を察する者もいた。重臣山崎吉家と当主朝倉義景だった。
後日義景は龍興を呼び出し、村上へ使者として向かい義照の心中を探るように命じるのだった。
義景が大喜びしている頃、大いに不満を持っている者がいた。
14代将軍、足利義昭だ。
「三淵、最近朝倉の態度が大きくなっているがどういうことか!!ワシが将軍であろう!なぜ、丹後を攻めた!!」
「上様。丹波の件を上様が御許しになられたのも原因の一つかと。一応丹後については聴聞の使者を送るべきでしょう」
(はぁ...だからあれ程丹波の統治を朝倉に任せるのは反対したのに...)
三淵は朝倉が丹波を治めることに猛反対した。畿内で大物勢力が出来れば、先の三好家と同じになってしまうからだ。
だが、丹波が纏まり穏やかになれば京は益々磐石になると義昭は考え認めてしまったのだ。
そして、朝倉は丹波を治めると黙って丹後に攻め込み自領としてしまった。
「・・・決めた。ワシは決めたぞ!」
「何をですか?」
「各地の大名に密書を送り朝倉を討てと命ずるのだ!」
「・・は?な、なりません!!そのようなことしては朝倉が攻め寄せてきますぞ!!」
義昭の発言に、三淵は呆気に取られたがすぐに我に返り反対した。
「三淵殿、何を案ずるか!朝倉の背後には副将軍様(景虎)がおられる!必ず上手くいく!」
「そうじゃ!!それに管領代(長政)もこちらに付く筈だ!」
幕臣達の中には義昭に賛成する者も出た。と言うのも、元摂津の派閥の者達で三淵達から冷飯を食わされており、義昭からの好印象を得ようとした為だ。
冷飯を食わされているのは摂津の元で好き勝手にした為で自業自得である。
ちなみに、三好家と幕府の和睦の時も大いに賛同している。・・・裏で三好家から大金を貰って....。
「副将軍様が動かれるとは思いません!それに、浅井家は朝倉と縁が深う御座います!どうかお考え直しを!!」
三淵は必死に反対するが義昭は意見を変えず三淵に出ていくよう命じ、朝倉討伐の書状を各地に送るため書き始めたのだった。
元亀六年(1575年)5月中旬
上田城
「ふむ。確かに名門朝倉に取って慶事であるな。分かった。管領様(義景)と御子息殿に盛大な祝いの品を送らせて貰おう」
「畏まりました。我が主に伝えます」
書状を読み終わった義照は使者として来た二人に答える。
どちらも見知った顔である。
書状の内容としては、義景の嫡男阿君丸が元服するので招待されたのだ。
次期管領と言うのもあるからだろう。
「さて、用件はそれだけではあるまい。・・・前とは違い落ち着いた服を着ているな。龍興」
やってきた使者とは朝倉家重臣、山崎吉家と斎藤龍興だ。龍興と初めてあった時は赤を主体としたド派手な服装だったが、今は黒を主体とし、多少黒っぽい赤が混じった服装で落ち着いていた。
道三や義龍が好んでいた色合いだ。
「あの頃は若輩だった故.....」
木曽谷城での会見の時とは比べ物にならないくらい立派になっていた。
(あの頃に今の半分くらい立派なら同盟を継続していたのにな...)
「しかし、四国での同盟に幕府と三好家の和睦を纏め上げるとは大したものだな。人前でおどおどし、口を開けば小言ばかりで何を言っているか聞こえなかったお主が」
「お恥ずかしい限りで」
「話が逸れたな。何が目的だ?」
「話す前にお人払いを...」
龍興は話す前に人払いを要求し、周りの家臣からは批判の声が上がる。中には誹謗中傷もあった。
だが、龍興は周りを一切気にせず俺(義照)だけを見ていた。
「・・・輝忠と重臣以外は下がれ...」
「「大殿!!」」「父上!!」
俺が龍興の要求に応じたことに輝忠や家臣達は驚くも広間から出ていった。
使者の山崎も出ていこうとしたが残すよう言われ座り直す。
こちら側で残ったのは
嫡男 輝忠
三家老
工藤昌祐、須田満親、馬場信春
重臣
長野業盛
出浦昌相(出浦清種の子)
真田幸綱(真田家当主)
鵜飼孫六(二代目)
保科正俊
原昌胤
である。
重臣は他にも、工藤昌豊、日根野弘就、庵原元政、佐野昌綱、大熊朝秀がいるがそれぞれ領地に居るため、この場には不在だ。
「さて、人払いはしてやった。先に言っておくが以前は親友(義龍)の子だから見逃したが今回容赦はせぬぞ」
「はい。では...」
龍興は木曽谷城での会見以来14年ぶりに義照と交渉に挑んだ。
前回と違うのは、当主ではなく一介の家臣であり、身の保証や手心はないと言うことだ。
そして暫くして、斎藤龍興と山崎吉家は無事に越前へと帰路に着いた。
「大殿、あんな密約をして宜しかったのですか?」
「構わん。どちらに転んでも美濃を奪うことは出来る」
「・・・建前は分かりました。それで本音は?」
「あいつ(義龍)の息子がどこまでやれるか見てみたい。あれだけの事を言ってのけたのだからな。出来なければ約束通り俺が殺す」
昌祐が聞いてきたので答えたが、古参は溜め息を付き、若手はどう反応していいか分からず困り果てる。
そして、輝忠は....。
「父上。私は父上の考えに賛同できません!妹の奈美を織田家に嫁がせたばかりですよ!裏切りではないですか! !」
輝忠は終始反対した。密約は織田を裏切り、妹の奈美を危険に晒すからだ。
「輝忠、当主とは清濁併せ呑まねばならん。この乱世、正道ばかり追い求めてはその先にあるのは破滅ぞ!当主となるなら、自身は汚名を被ってでも民の暮らしを守ることを考えろ」
「つっ!..しかし、父上!父上がしてい ることは武田と同じことですぞ!!」
輝忠はそう言うと出ていってしまう。
「はぁ……武田と同じか....」
義照の心に息子から言われた言葉が深く突き刺さる。
武田のような事はしないとやってきていたつもりだったからだ。
その後、密約の事は他言無用とし、皆いつもに戻るのであった。




