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戦国生存記  作者: 現実逃避
114/180

114 極楽浄土

永禄十年(1567年)四月

上田城

「国清、紅葉を頼んだぞ」


「分かりました。兄上、御安心下さい。必ず越後まで無事に送り届けます」



次女の紅葉が長尾家の長尾景勝に嫁ぐ為、上田城を出発した。

引率と護衛は国清が行い、高梨政頼と合流した後、越後に向かうことになっている。


「殿、ここには私達しか居ませんから泣いても構いませんよ」


娘を見送った後、一人縁側に座っていると千と岩がやって来た。


「誰が泣くか!この戦乱の世では仕方ないとは言え、人質として娘が嫁ぐなんてやりきれたものではないな...」


娘が嫁ぐのは二回目だが、輝夜は重臣の業盛に嫁いだ為、人質としての意味合いは薄く夫婦仲も良い。たまに帰ってくるので心配は無かったのだが、紅葉は他家に人質として嫁ぐので正直胸が傷んだ。


「紅葉もきっと良き妻となり長尾家と村上家を結んでくれます。そんなに心配せずとも大丈夫ですよ」


紅葉の母でもある岩は大丈夫と言っていたが、やはり心配である。


「今はそう願うしかないな...」

俺は仰向けのまま倒れて空を眺めるのだった。


それから数日後、俺は須田満親と上泉秀胤を呼び出し三男勝丸の傅役とした。満親は片腕が動かないので武芸については上泉秀胤に一任するのだった。


そうそう、馬鹿兄だが、常陸の鹿島に残ったそうだ。やけに知らせが来ないので飛騨に拠点を移した馬鹿兄に使いを送ったら、盛勝と苦労人屋代正重がげっそりしてやって来て、事情を説明した。


常陸に渚を連れていった馬鹿兄は師匠(卜伝)が常陸の鹿島に居たこともあり、「剣聖に勝つんだ!!」と挑みまた負けてそのまま弟子として残ったそうだ。馬廻りもだ。


何故報告に来なかったと問い質したら、馬鹿兄が盛勝に送った書状を出してきた。その書状を簡単にまとめると


[連絡するの忘れてた!暫くここに残るから!義照にヨロシク!!後、家督と飛騨守護職はお前(盛勝)に譲るから好きにしろ。正重もいるから大丈夫だろうからな!]


・・・・もう、何も言えなくなり、居なかったことにした。




永禄十年(1567年)九月


暫くは周辺国も含めて戦など無く、平穏な日々を送れていた。そして、朝倉、長尾領国から門徒達が来る日になった。

その為に準備は進めており、スムーズに移動と戸籍の登録等の用意もしていた。


「殿、本願寺の下間頼照を先頭に朝倉、長尾領国にいた門徒達がやって来ました」


「そうか、頼照をここに呼べ。門徒達は予定通り仕分けて甲斐と三河に送れ」


昨年話していた門徒達がやって来たので頼照を呼び出した。


「村上様、此度は受け入れていただきありがたき幸せにございます」


「まぁ、約束だったからな。それで数はどれくらいだ?やはり女子供含めて八千くらいか? 」


俺が訊ねると、頼照は少し困った顔をして言った。

女子供を含めて三万。俺は頼照から人数を聞いて唖然とした。

流石に予定よりも多すぎるので理由を追求した。


まず、全員が一向宗の門徒で間違いない。何故こんなにも多いのかと言うと、和議を結び門徒に通達した際の移動先を先に言ってしまい、俺(村上)の領地に行きたいと殺到したのだ。なんでも、菩薩様がおり、戦が無く食事に困らず不自由なく暮らせる極楽浄土の様な国だと他国の民の間で噂が流れていたらしい。


(そんな幻想的な国があるなら俺が行きたいわ!!!てか、菩薩って誰のことか!俺(義照)か!)


それで、一度、棄教した者や一向宗門徒でなかった者が門徒と名乗り俺のところに来ようとしたのだ。


流石に、顕如も景虎も義景も激怒した。

そりゃ、顕如は苦しんでいた門徒を救おうとしたら、関係ない者が自分は門徒だと虚言をされ、 国主二人は百姓達が一斉に領地を逃げ出そうとしたら許す訳が無いだろう。税を納める者が居なくなるからだ。


その為、本願寺は必死に仕分けをした。長尾と朝倉も、一向衆と嘘を付いた者達を見つけては一族まとめて見せしめで晒し首にし、一定の期間までに嘘を認めた者達は御咎め無しとした。


三人が協力し徹底的に行ったので、初めの数より半分以下にまで減ったが、それでも完全に見分けるのは困難だった。

その為、十万人近くの門徒を振り分ける事になり、その内の約三万をうちに連れて来たそうだ。


「一気にそんだけ見れるか!!おい!鐘を鳴らし兵を集めろ!誰か孫六に陽炎衆全員を集めさせろ!」


俺は急いで兵を集めさせた。最高で一万足らずの筈が三万にもなった為、今いる者達で対応が出きる訳もなく、周辺の村々に悪影響が出るのは間違いなく、やって来た者達が狼藉や野盗になる可能性もあったからである。


上田城の鐘が鳴り響き、城下では戦が始まるのかと騒然となった。


城下にいる兵は直ぐに集まり、周辺にも伝わり続々やって来て、二刻後(約四時間後)には一万五千もの兵士が集まった。


兵士が集まるまでにも門徒達はやって来て、最初に対応するために集めていた者達だけでは対応が追い付かなくなっていた。


その為、やって来た門徒を二ヶ所に分けた。俺の予想は当たり、やって来た者の中で盗人が出たのだ。幸い陽炎衆の監視下で起きたので即座に捕らえられたが監視下を抜けられるのも時間の問題だった。


なので、頼照に門徒に百人一組を作らせ一人でも逃亡や罪を犯せばその組全員を死罪とすると伝えさせた。連帯責任にすることで管理しようとしたのだ。


一定の効果は得られたが、やはり盗みを犯そうとした者や逃げ出そうとした者がおり、一緒の組の者達に半殺し、もしくは殺されると言う問題が起きてしまった。

しかし、今は仕方無しと割りきった。


兵士達が集まってからは監視を強化して徹夜で続きをしていった。やはり数が多すぎるので、甲斐と三河だけでは捌ききれず、上野や信濃にも新しく村を作るしかなくなり、山の麓の未開発の地に割り振ることになるのだった。


割り振りと移動をさせるのに、結局十数日かかり、その間、難民キャンプの様な状態となり、周辺にもかなり影響がでてしまった。また死者は五百人程度が出てしまった。大半は組内での喧嘩や罪を犯そうとした者が殺されたのが原因だった。



永禄十年(1567年)十月

上田城


「やっと捌き終わったが・・二度と御免だ」


「殿、それぞれ送った土地に監視として駐屯地の設置と兵士達の配置も終わりました」


俺は大量の書類が終わり疲れ果てた。他の文官達も同様で皆疲れてやつれたりしていた。


「取り敢えず、全員に5日程休みをやる。交代しながら休日を取るように」


俺が命令すると全員が頭を下げて広間を出ていった。俺も疲れたので暫く休むことにしようとしたが、今度は伊達から使者がやって来たので、会うことになった。

(・・・休みが欲しい...)



朝倉、長尾領の一向宗門徒大移動は多くの土地に影響を残した。

一向衆達の割り振りは大まかに以下の通りだ。


村上領→約三万

長島→約三万

石山本願寺→約二万

毛利領→約一万

その他(複数)→一万未満


移動で一番被害を受けたのは尾張織田家であった。

三万もの一向宗門徒が長島に向かったが、着くまでに門徒が尾張や美濃で野盗になったり盗みや強姦等を行い荒らしたのだ。信長は勿論知らせを聞いて兵を送り対応したが、それまでの被害が大きかった。


次に山城や丹波だ。

朝倉は兵士を出し、領地から出るまでは監視をしたので領地での被害は無かったが、追い出した先の丹波や山城では餓死者や盗賊に身を落とす者が出た。顕如は門徒に炊き出し等を行い、何とか石山本願寺まで辿り着かせたのだった。


その後は石山本願寺を拡張し、来た者達が生活出来るよう働き口や土地を提供(貸出)するのだった。


村上に向かった者達の場合、越後や越中と直接繋がっており、義照も迎え入れる準備を進めていた為、他の所の様な大きな被害は無かった。


ついでに、罪を犯せば誰であれ閻魔(義照)に地獄に送られると言う迷信も流れていたのも要因の一つだが、義照がこの事を知るのは更に先の話である。




場所は変わり安芸の吉田郡山城で、一人の老人が三人の息子を呼び集め密談をしていた。


「尼子を滅ぼし、京の東福寺にいた尼子の遺児を安芸の寺に連れてくることが出来た。これで、尼子の残党が蜂起をすることは無いであろう。知らせてくれた村上には感謝をせねばなるまい」


「しかし父上。何故村上は尼子の遺児の事を知っていたのでしょう?尼子の家臣達はこちらが言うまで頑なに口を開かなかったと言うのに。それに何故その事を我等に伝えたのか..」


「兄上、村上は多くの忍を抱えておると聞きます。恐らくその者達が情報を得たのではないでしょうか? 」


「村上か。俺は今張遼とか言う奴と手合わせしてみたいものだな!」


老人が言うと三兄弟もそれぞれ意見や考えを言った。


「隆景の申す通りじゃ。世鬼が言うに鉢屋衆ではない忍が領内にいたそうじゃ。暫く監視したが領地を出て九州に向かったようじゃがな。あれが村上の間者としたら、村上が多くの事を知っていても不思議でもないじゃろう」


「だが父上、それなら村上が我等のことを調べていても可笑しくないのではないか?兄者が一向衆の門徒を受け入れたが、紛れ込んでいる可能性が高いのでは?」


「元春の言う通り、ワシは紛れ込んでいる前提で準備をしておる。それに断れば、安芸にいる門徒が一揆を起こすかもしれん。家臣達の中にも門徒は多いしな」


隆元も初めは受け入れるつもりは無かったが、安芸は門徒が多く、家臣達の中にも門徒が多く居た為、受け入れざるを得なかった。


そう。集まっている四人は毛利元就、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の親子だ。


「さて、村上に御礼の手紙くらい書かねばなるまい。誼を通じておいた方が良いだろうしな。しかし、ワシに直接会いたいとは、ワシに会ってどうするのか?」


「父上は村上についてどう思われておるのですか?」


隆元の質問に元就は少し考えた。


「そうじゃの…噂と手紙でしか分からぬが、ワシと似ておるかもしれぬな」


「それは、父上のようにくどくどぼやきが多いと言うことでしょうか?」


「これ元春!誰がぼやきが多いじゃと?ワシは御主等のことを思って言っておるのに....御主は~」


元春のせいで、三人は暫く父(元就)のぼやきに付き合わないといけなくなった。

ぼやきが終わると、溜め息を付いて話し出した。


「初めは、亡き義興殿(大内)や経久殿(尼子)のように天下を狙っておると思うておった。実際何度も上洛し、幕府や朝廷とも関係を深めておったしのぉ。じゃが、此度の逆賊三好の討伐と亡き公方様の弔い戦では、集まった大名達の中で一番早く帰国しておる。それに、将軍より管領職を与えられたが、断って七ヶ国守護を望み、その職に就いた。何故だと思う?」


元就の問いに三人は考えだし、一番最初に隆景が答えた。


「父上は村上が幕府から距離を取ったとお考えですか?守護職になったのは、統治する名目としつつ独立し自由に動くためと?」


「そうじゃ、天下を望まず他国に侵されずに国を、民を守ろうとしたのじゃろう。ワシも天下を競望するつもりは無い。毛利は元々小さな国人領主の一つじゃった。それが今では周防、長門、石見、安芸、出雲、備後、備中、伯耆、美作、因幡を抑えておる。ワシはこれ以上は望まぬ。後は隆元、御主が毛利家を引っ張って行くのじゃ。元春、隆景、御主等も隆元を支えて行くのじゃぞ。三人兄弟の仲が悪くなれば毛利家は滅亡すると思うようにな」


元就はそう言うと三人の顔を見た。以前、隆元が死にかけてから三人は協力するようにはなったが、前のようにいがみ合ったりしないか不安もあった。


「しかし、手紙には会って話してみたいとあったが、ワシも一度会うてみたいのぉ」


「村上が父上に似てるならぼやきが始まって長くなるだろうな。なぁ、兄上(隆元)」


「元春兄上、黙っていてい下さい。父上に聞かれでもしたら...」


「そうだぞ元春、また長いぼやきと説教が始まるぞ」


元就がどんな人物だろうと考えている側で、三兄弟は顔を会わせて小声で話し、元春を黙らせた。


「御主等…全部聞こえておるぞ。全く何故こういう時には意見が合うのか…」


だがその小声は元就に届いていた為、またぼやきと説教が始まるのだった。


この作品の毛利元就のモデルは某大河ドラマです。

どうしても頭の中から離れなくて…


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― 新着の感想 ―
[一言] 長島に3万は無茶な数字と思う 既に3万近い人口があった様だしキャパが無いかと それなら石山に5万の方がまだマシかな 周辺国主も本願寺とは持ちつ持たれつだろうし まあ。でもー。それで天正大地…
[一言] 大河の毛利元就懐かしいw あれ面白かったな~
[気になる点] 隆元が延命した世界線だったか 大河のイメージからの脱却は…サービス終了してるけど、ソシャゲの戦国プロビデンス(R指定のほう)がオススメかと。
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