訳ありの男とオレ③
「だから、不可抗力と言ったでしょう?」
部屋の前まで戻ると、忙しいと言っていた筈のヴァルトが誰かと口論しているのが聞こえた。
「他に選択の余地はなかったのです。貴方にだって状況はわかるでしょう。それにこれ以上の適役が今から見つかるとは、とても思えません」
「いくら、サグレスを倒したからと言って、実力もわからない者を王位戦に出すなど、正気の沙汰ではありませんな」
ヴァルトは相手の立場を尊重して話していたけど、かなり辟易しているようだ。
一瞬、躊躇ったけど、自分の控え室なので入るより他なかった。
「……や、リデルさん、首尾は上出来だったようですね。ここからでも観客の盛り上がりが伝わってきましたよ」
オレに気付いたヴァルトが、これ幸いと会話を打ち切って話しかけてくる。
でも、オレは予想外の人物の登場に言葉もなくヴァルトの相手を見つめた。
「リデル……? リデル・フォルテさんですか?」
オレに気付いたヴァルトの相手も驚いたようにオレを見る。
少し白髪が混じり始めた頭髪に髭を蓄えた細身のナイスミドル……。
「ジェームスさん」
そこに立っていたのは、オーリエの従者ジェームスその人だった。
「何でここに?」
オレは驚きながら、仮面を外した。
「貴女こそ、どうしてこのような場所に……ヴァルト君! 君が適役と言っていたのはこの方か?」
「その通りです、ジェームス殿。彼女なら実績もあるし、闘士としても華があります。これ以上の適任者はいないでしょう」
ヴァルトの返事を聞き、暫し考え込む。
「悪いが、ヴァルト君。私は反対だ」
えっ、何で?
積極的に出場したい訳ではないが、明確に否定されるとは思わなかった。
「何故です? ジェームス殿」
ヴァルトも意外だったようで、理由を尋ねた。
「本人を目の前に非難の言葉を述べるのは心苦しいが、私はこの方に、そもそも武闘大会の類に出てもらいたくないのだ」
最初に感じたジェームスがオレへと向ける敵意は、やはり錯覚ではなかった。
「ジェームスさん、どうして?」
理由もわからずに嫌われるのは、さすがに気分が良くない。
「私も知りたいですね」
納得しかねる様子のヴァルトも同様に訊く。
二人に問われて、ジェームスは少し躊躇った後、はっきりと明言した。
「リデル・フォルテ、貴女が神聖な武闘大会を汚したからだ」
その言葉の意味を、オレは即座に理解した。
彼が言っているのはルマの武闘大会でのことに間違いない。
ラドベルクの娘を救出するために、オレはルマの武闘大会の決勝戦を無断で欠場した。
しかも、表彰式では暗殺を阻止するために大立ち周りも演じた。
真相を知らない、武闘大会を愛する人々が不快に思うのは当然のことと言えた。
けど、近衛司令ティオドルフと約束した手前、言い訳はできない。
そもそも、そんなかっこ悪いことできやしない。
「私も長い間、ルマの武闘大会を見てきたが、決勝が行われなかった例は過去に一度もない」
吐き捨てるようにジェームスが言う。
「いや、確か……過去に一度だけ、あったような」
ヴァルトが言わなくてもいいことをわざわざ補足する。
「……過去はともかく、そのような心根の人物が今回の王位戦に出ることに私は賛成しかねる」
ジェームスが強い言葉で反対すると、ヴァルトは冷ややかに応じる。
「それは聞けない相談ですね。確かにグレゴリ傭兵団は王位戦の有力なスポンサーであり、優秀な剣闘士も斡旋してくれていますが、その要求は呑めません。もう、その段階ではないのです。今回はこちらのやり方でやらせてもらいます」
二人とも沈黙して睨みあう。
オレの話をしながら、当の本人のオレが蚊帳の外だなんて……。
「ジェームス殿のお気持ちもわかりますが、本当は深い事情があったのかもしれませんよ。リデルさん、どうなんですか?」
突然、ヴァルトが睨みあいを止めてオレに話しかけてくる。
おい……いきなり、オレに話を振るなよ。
「いや、何も言うことはないよ。オレとしては出場するかしないかは、そちらの自由だし。どちらでも構わない」
元々、不可抗力だからね。
「わかりました。ところで、リデルさんはこんな噂を聞いたことがありますか?」
急に話を変えられ、オレもジェームスも面食らう。
「武闘大会の裏で公子暗殺が計画されていて、何者かの活躍で阻止されたって話なんですけど……」
ニヤニヤしながらヴァルトが言う。
オレは絶句した。
ヴァルトはこの国の裏社会のトップに近い人物だ。
裏情報を正確につかんでいるのは当然の話だろう。
オレが上手い言い訳を考え出せず沈黙していると、ジェームスがヴァルトに詰め寄った。
「ヴァルト君、その話は本当か?」
「さあ、あくまで噂ですがね。ただ、表に伝わっていることだけが真実とは限らないことを貴方だって、よくご存知でしょう?」
じっと考え込んだジェームスは、オレに向き直ると射抜くような目でオレを見つめた。
オレは、ごく自然にその視線をまっすぐ受け止める。
まあ、疚しいところは、何もないから目を逸らす必要もないし……。
ジェームスは一つ頷くと、オレに向って深々と頭を下げた。
「今までの非礼をお詫びしたい。申し訳なかった」
「オレは否定も肯定もしてないよ。それにあんたに謝られること、された覚えはないし」
慌ててごまかしたけど、ジェームスはオレの目をまっすぐ捉えて放さない。
「あれだけの事件を起こした貴女が、ルマ追放の処分だけで済んだことを、いささか腑に落ちないとは思っていた」
え、オレ、知らない間にルマから追放されてたんだ……。
「今の話で合点がいった。グレッグ団長は便りで、貴女の戦いぶりや人となりを絶賛していた。だから、あの事件についてだけは、ずっと疑問に感じていると書かれていた……」
「ごめん。それ以上は何も話せないんだ。男と男の約束だから」
「男と男?」
「い、いや、それくらい重要な約束なんだよ」
あぶない、ぼろを出すとこだった。
「では、ジェームス殿。リデルさんの王位戦出場に異存はありませんね」
「異存はない。しかし、黒の闘王は強い。必ず、勝ってもらわねば計画が……」
計画……?
「その点は抜かりありません。そもそも、貴方が用意して下さったサグレスでさえ黒の闘王に勝てる見込みは薄かったでしょう。リデルさんに代わったところで、たいして違いはありません」
「どういう意味だ、ヴァルト君? 最初の話では、サグレスなら大丈夫だ。必ず、黒の闘王の正体を露見できると言ったではないか」
黒の闘王の正体だって?
「確かに申しました。ただ、ジェームス殿の仰るのは、サグレスが黒の闘王を倒して、その勝者の権利として仮面を剥ぎ取り、正体を明かすという算段ですよね」
「その通りだが、違うのか」
「ええ…………ところで、リデルさん、貴女は試合中にあの竜の仮面へ剣を当てることは可能ですか?」
「大打撃は無理だろうな、頭部は一番防御の堅い部位だから。でも、掠るか当てるだけなら、可能だと思う」
「それで、十分です」
「どういうことだ?」
ジェームスの目付きが鋭くなる。
「彼の仮面に仕掛けを施しました。剣が当たれば仮面が壊れて尊顔を拝することができるという寸法です」
「なんだと」
ジェームスの表情が驚きと怒りに染まる。
「始めからそのつもりでしたよ。黒の闘王は強い……強すぎます。あれでは賭けにならない」
ヴァルトがうんざりしたように言う。
「ジェームス殿、利害は一致してるじゃないですか。貴方は彼の正体を公にしたい……私は彼に引退してもらいたい。問題はありません」
怒りをこらえるように、ジェームスは黙り込む。
「問題あるよ」
不意に口を挟んだオレに二人が驚いて目を向ける。
「さっきから、当事者のオレ抜きでよくもまあ、陰謀めいた話をぺらぺらしちゃってくれるね。大概にしろよな」
「貴女が知らなくていいことですから」
ヴァルトがさっくり無視しようとする。
「言っとくけど、洗いざらい話さないとオレ、王位戦でないからね」
オレの申し出にヴァルトが顔色を変える。
「な、何ですって!」
大体、突っ込まれたくなかったら、こんな話、別室でしろよ。
ここまで意味深な会話されて、知らん顔ができるわけないだろ。
「私はそれでも構わん。この際、今回は諦めてもいい。サグレスが欠場した時点で計画は頓挫したと考えるべきだ」
今回の方法に不満なジェームスが早々と方針を変えた。
「し、しかし、既に契約が成立していますし……」
「試合前に判明した試合続行不可能の体調不良等は免責条項だったよね」
「そ、そんな……」
追い詰められたヴァルトが眉間に皺を寄せて考え込んでいると、部屋の外から声がする。
「『白き戦姫』様、出番が参りました。お急ぎください」
「……って、言ってるけど、どうする?」
オレがもう一度念を押すと、ヴァルトは渋々と頷く。
「わかりました。時間がないので、かいつまんでお話しますよ」
オレが了承すると、早口で説明を始める。
「私は、この闇闘技場の運営を任されていますが、オーナーではありません。実質上はオーナーと言ってよい立場にいますが、厳密に言えば違います。先代が亡くなられた後、お孫さんが跡を継いだのですが、名前だけとはいえ、オーナーであることに変りありません。そして、その後継者の後ろ盾になっているのが、件の『黒の闘王』という訳です」
ふと、疑問に思って尋ねる。
「一剣闘士にそれほどの力があるとは思えないんだけど」
「そんなことはありません。帝都での彼の人気は凄まじいものがあります。しかも、先代とは親しい間柄であり、闘士というよりオーナーの片腕的な存在だったと言えるでしょう」
「それはわかったけど、負けたからといって引退するとは限らないし、逆に引退したら、運営幹部になって、ますますオーナー側が強固になるんじゃない?」
今回の一件はどうやら、闇闘技の興行にまつわる裏社会の権力闘争といったところか。
「それは大丈夫です。彼の正体さえ明らかになれば……」
ヴァルトの返答に重なるように、ドアを激しく叩く音がした。
「すみません。時間がないので、すぐ出てもらえますか?」
切羽詰った会場係の声が聞こえた。
「わかっています。今、お連れしますから、少し待たせてください…………リデルさん、詳しい経緯は試合後に必ず話しますから、今は試合に出てもらえませんか? お願いします」
ヴァルトが深々と頭を下げる。
試合後に仔細がわかったところで、後の祭りのような気もするし、ジェームスの計画も不明のままだ。
けど、それを聞いたからと言ってどうなる。
闘技場に立てば、裏で行われていることなど関係ない。
全力を尽くして相手と闘うだけだ。
それにオレ達の闘いを待ち望んでいる観客の期待も裏切ることになる。
ヴァルトの申し出にオレはゆっくり頷くと、ジェームスに向き直る。
「なぁ、ジェームスさん。あんたが納得できないのは、姑息な方法を使って目的を果たすことなんだろう。だったら、ガチの勝負でぶっ倒して仮面をひん剥く分なら、問題ないってこと?」
オレが不敵に笑って言うと、ジェームスは一瞬、目を丸くするが笑みを返してくる。
「もちろんだ。それなら、何も文句はない。ぜひ、お願いしたい」
「わかった、任せとけって」
そう請け合うと、オレは手際よく仮面を付け、外からの声に促されるまま部屋を出た。




