旅立ちの門出に②
ルマ市街を出て、すぐ右手に見えるのがカイロニア正規軍の練兵場だ。広大な敷地を有し、正規軍が練度を高めるために演習等を行う場所であり、民間人はもとよりオレ達傭兵にも縁遠い場所で、中に入るのは今回が初めてだった。
何の用向きで呼ばれたか、全く見当が付かないけど、オレに迷いは無かった。
最初、クレイはティオドルフ近衛軍司令の言伝を無視して、一刻も早くカイロニア公国から退去することを主張した。
クレイの言い分は、公国の重大な秘密を知ったオレ達をすんなりと国外に出すとは思えないというのが、その理由だ。
練兵場に入ったが最後、出してもらえなくなることを危惧していた。
気持ちはわかったけど、オレとしてはエクシーヌ公女やアーキス将軍のいるこの国を信じたかった。もし、欺かれたとしてもオレの気持ちは変わらないだろう。
でも、それはオレのわがままだったから、連兵場にはオレ一人で赴くと提案した。オレと併走して馬車を走らせていたクレイは怒って言った。
「お前が行くなら、相棒の俺が行かなくてどうする」
「でも、信用できないんだろ?」
「ああ、国って奴は個人の思惑で動くものじゃないからな。だが、それこれとは話は別だ。お前が信じて行くというなら、俺も当然ついて行くさ」
この話は打ち切ったと言わんばかりに、先に立って練兵場に馬車を進めた。
練兵場の入り口でティオドルフ司令の名を伝えると、受け付けた兵士が奥へと案内してくれた。他の面々も当然のようにオレの後に続く。
ヒューが付き合ってくれたのは、恐らく自分がいれば軍も無体なことはしないだろうという配慮からだと思う。
長い廊下を進み、小ホールのようなところに出ると、そこに見知った人物が立っていた。
「わしに一言もなく出発するとは水臭いではないか、リデル殿」
「アーキス将軍……」
「しかも、査問会を終えた次の日に旅立つとは思わなんだぞ」
「い、いや……おっちゃんは忙しい立場の人間だろ……声かけちゃ悪いと思ってさ」
とても、袖にする方が格好いいからとは言えない。
「いや、そんなことはないぞ。昨夜からの数日間、本来は公宮で祝賀会の予定であったが、例の一件で中止になったからのぉ。暇を持て余していたところさ」
あぁ、なるほど。
「ラドベルク殿に聞いて驚いたぞ。慌ててティオドルフ殿に無理を言い、ここへ立ち寄るように仕向けたんじゃ」
そう、ラドベルク親娘もオレ達と一緒に旅立ちたがったのだけれど、事件の関係者ということでルマに留め置かれることになっていた。
アーキス将軍が後見人となり、事態が解決するまでその屋敷に滞在することとなり、昨晩の内に宿屋から兵士に連れられて移動したのだ。
きっと、屋敷に着いたラドベルクがオレ達の出発を話したに違いない。
「事情はわかったけど、何のためにここへ?」
「別れを惜しんで、一席設けようと思うてな」
え、ごちそうしてくれんの?
思わずよだれが出そうなオレを見て、クレイがため息をつきながら、将軍に言った。
「将軍、お気持ちは嬉しいが、俺達は先を急いでいるんだ」
「なあに、時間はとらせんさ。リデル殿、奥の扉を開けてくれるかの?」
将軍に言われた通りに開けると、次の間は大きい窓がいくつもある外に面した部屋だった。
窓の外には広い訓練場が見えた。
ん……そこに誰か立っている。
目を凝らさなくてもオレにはすぐ誰かわかった。オレの知る限りあんなに大きい人物は一人しかいなかったから。
「ラドベルク?」
オレが呟くと後ろから将軍の声がした。
「武闘王は今度こそ今回の大会限りで引退するつもりだそうだ。で、心残りはないかと尋ねたところ、たったひとつだけあると言う」
オレは将軍の方へ振り返らず、黙ったままラドベルクをじっと見つめた。
ラドベルクの姿は武闘大会に出場する時のそれだった。
「本音を言うと、わしも少々心残りでな。で、一席設けたわけだが……いらぬお世話だったかの」
「いや、将軍。感謝するよ」
ホント、あんたを信じて良かった。恩にきるぜ。
不覚にも涙が出そうだ。
「まぁ、止めても無駄だから止めないが、くれぐれも怪我だけはするなよ」
クレイが仏頂面で釘を刺す。
「そう思うてな。これを用意しておいた」
将軍が差し出したのは、刃をつぶした大会用の大剣だった。確かに切れはしないけど、鈍器として十分、殺傷力がある代物だ。
見るとラドベルクは同様の物を手にしていた。
手回しが良すぎるぜ、全く。
「将軍、オレ達のためだとか何とか言いながら、ホントはあんたが見たいだけなんじゃないの?」
「おや、バレたか。否定はせんよ」
にこにこ笑いながら将軍は頷いた。
「ヒュー、あんたもラドベルクと闘いたがっていたけど、いいの?」
オレの隣に立ち、同じようにラドベルクを見つめるヒューにオレは確認した。
「構いません。事実上の決勝戦ですしね。私は既に負けていますから……」
ヒューは少し残念そうに笑って、オレを見る。オレは頷くとラドベルクに向き直った。
「リデル様、お着替えはいかがしますか?」
心配げなソフィアの問いに、このままでいいとオレは答える。
いつもの防具付きメイド服ではなく、平素な旅装束だったからだ。
着替える時間がもどかしいほど、オレは早く闘いたかった。
将軍から剣を受け取ると、そのまま外へ歩き出す。
ゆっくりとラドベルクの前まで歩き、立ち止まって見上げる。
緊張した面持ちに見えたけど、目元が笑っていた。
「ずいぶん、待たせちゃったね」
「いや、さほどのことでもない」
低く甘い声が耳に染み込む。
「じゃ、始めていい?」
楽しみが待ちきれない子どものように甘えて聞いてみる。
「構わぬが、来たばかりで準備をしなくとも良いのか?」
「あ、それもそうだね」
オレは軽い運動で身体をほぐす。
その間に、クレイ以下のギャラリー達が観戦するために外へ移動した。
オレは運動を終え、息を整えるとラドベルクの前に立った。
こうやって相対してみると、本当に子どもと大人の対戦のようだ。
でも、ラドベルクには子どもと侮るような隙は全く見られなかった。
ジラード戦以上に真剣なまなざしをしていた。
「待ってくれて、ありがとう。もう、いつでも始められるぜ」
「そうか……では、始めるとしよう」
ラドベルクは気負った様子を見せず淡々と言った。
オレもゆっくりと剣を構える。
観衆のいない決勝戦が始まった。




