再度のご案内をお知らせします!②
オレが呆れ果てているうちに、イクスはすたすたとオレ達の間を通り過ぎて、ゾルゲンのいる場所まで歩を進めた。
そして、振り返るとオレに向かって話しかける。
「ところで、リデルさん?」
「何だよ」
何気なく問われたので、言葉を返しながら無防備にイクスを見る。
そのとたん、奴の目だけが赤く輝き、吸い込まれるような感覚がオレを襲う。そして、輝く赤い目だけ残して周りが暗転する。
な、なんだ……これは?
気がつくと身体が石像のように動かなくなっていた。
かろうじて顔だけは微かに動かせるけど、その他は指一本動かせない。
「な……にをした?」
苦しげに声を絞り出すとイクスはにこやかに説明する。
「いえ、試合の時のように貴女に自由に動かれると、少し面倒なのでしばらくそうしていてくださいね。大丈夫、無理に動かそうとしなければ、命に別状はありませんから」
「イクス……お前……絶対、許さないぞ」
「まぁ、話すのは自由なんで、そこで成り行きを見ていてくださいね」
意地の悪い笑顔を浮かべると、クレイの前へと移動する。
「君がクレイですか。なるほど、いい男ですねぇ。リデルが夢中になるのも頷けます…………ところで、君に素敵な提案があるんです」
にこやかに話しかけるイクスに、クレイは警戒しながら黙って先を促した。
「この部屋の奥に君たちの侵入目的であるラドベルクの娘さんが囚われています。君たちには一切、手を出しませんから、安心して連れ帰って良いですよ」
「か、勝手なことをするな!」
ゾルゲンが騒ぎ立てるけど、無視してイクスは続けた。
「ただし……その代わり」
イクスの目がすうっと細くなる。
「リデルさんをこの場に残していってもらいます」
なんだとぉ!
イクスの奴、なんて交換条件を出すんだ。
顔があまり動かせないので、無理矢理、視線だけをクレイに向けると、クレイは落ち着いた表情をしていた。でも、目がめちゃくちゃ怒っている。
「悪いが、俺はわがままでね。欲しいものは両方とも手に入れる性格なんだ」
言いながら、剣をイクスに向けると攻撃の間合いを計り、臨戦態勢をとる。イクスと一戦を交える気のようだ。
「せっかく生き残れる機会をあげたのに……残念です」
大きく嘆息するとオレへと確認した。
「リデルさん、死刑執行のサインをしたのは彼の方だったと忘れないでくださいね」
まばたきする間に、イクスの雰囲気が変わった。
何て表現すればいいのだろう?
安全な檻の中で大人しくしていた猛獣が、いきなり襲いかかってきた時のような純粋な恐怖。
イクス自身に変わったところはないのに、周囲に底冷えする殺意が浸透し、不満をもらしていたゾルゲンも口を噤んだ。
「さて、どこからでもかかってきて良いですよ」
イクスが挑発すると、クレイは間合いを詰めた。
次の瞬間、目にも留まらない一撃をクレイが放った。
オレを除いた無差別級出場者に比べても遜色のない速さだった。
やはり、出場していたら必ず上位に食い込んだだろう。
でも、それじゃイクスには通用しない……。
クレイの一撃を難なく避けると、反対にすっと前に出るとクレイの皮鎧の左胸に軽く傷をつけた。
クレイが続けざまにもう一撃を放つと、それも苦もなく避けるともう一度同じところに傷をつける。
お互いが距離をとると、クレイの左胸に綺麗な十字傷が刻まれていた。
自分の胸につけられた傷を見下ろしてから、無言でイクスを睨む。
「まだ、やりますか? 実力の差はハッキリしてます。どう見積もっても勝ち目はありませんよ」
「……あいにく計算は苦手でね」
再び、剣を構えながらクレイは答える。
「イクス、止めてくれ。クレイを死なせたら、オレは一生お前を憎むぞ!」
オレが叫ぶと、イクスは嬉しそうに言った。
「それで、いいんです。ボクは貴女に愛されたいなどと思っていませんよ。憎まれても構いません。ボクが欲しいのは、貴女の心でも身体でもありません。貴女の魂なんです。魂の結びつきは正でも負でもいい、強い感情のやりとりがあれば深まり、それが必ず次の世代に大きな影響を及ぼすのです」
言ってる意味はわかんないけど、とにかくクレイを生かすつもりはないってこと?
「い、痛っ!」
オレが無理矢理、身体を動かそうとすると激痛が走った。
「おやおや、無理すると命の保証はできませんよ?」
「うるさい! クレイはオレが守る……」
「……リデル、あまりオレを見損なうな。任せておけ」
クレイがイクスに目を合わせたまま静かに告げる。
「でも、クレイ……」
「いいから、そこで見てろ」
「うん」
そうは言っても状況は変わらない。
クレイ、どうするつもりだ。
クレイは先ほどと同じ構えを見せ、ゆっくりとした動きから、瞬時に間合いを詰めると息も着かせぬ連続攻撃を繰り出した。
気迫のこもった斬撃は、たとえ名のある剣士でも、簡単には防げないと思わせるほどの苛烈さだった。
けれど、それも先ほどと同様に決してイクスの身体に到達することはなかった。
「わからない人ですね。そんな攻撃、何度繰り返しても無駄だと教えてあげたというのに……全く仕方ないですね」
イクスはクレイの斬撃を無造作に避け、再び胸の傷を増やそうと、剣を突き出した。
クレイはそれを狙っていた!
一歩踏み込むことにより、敢えて胸にイクスの剣を受け、身体を左に回転させることで剣の威力を受け流し、さらに左の脇でイクスの剣を押さえ込んだ。
胸から脇下にかけて斬られることになるが、それによってイクスの動きを封じた上で、右手の剣で相手の首筋めがけて鋭い突きを放った。
やった!
今度の一撃は確実にイクスに致命傷を与えた筈だ。
クレイのダメージも大きいが、捕らえきれない相手に一撃を与えるには有効な手段だ。
「敗因は……」
首筋にクレイの剣を受けたイクスがぼそりと言う。
「手に入れたテリオネシスの剣をリデルさんに譲ったことですね」
そう言ってにやりと笑うと、クレイに突き立てている剣にさらに力を入れる。
「ぐっ……」
クレイの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
ば、馬鹿な……何で生きてるんだ?
普通の人間なら確実に死んでいる一撃なのに……。
「残念ながら、魔法の剣ならともかく、ただの剣ではボクに傷一つつけることもできませんよ」
クレイが剣を戻すと、イクスの言う通り、首筋には傷一つなかった。
イクス……お前は、いったい何なんだ?
突き刺した剣をクレイから引き抜き、イクスが後方に下がると、クレイはがっくりと膝をつく。
見る見るうちに衣服が血に染まる。
クレイ――――!
目の前で起きていることが信じられない。
今まで、どんな激戦であろうと、クレイが死ぬだなんて思ったことは、一度もなかった。
いつも、力強くてどんな時でも頼りになるオレの相棒……。
けど、今のクレイは膝を折り、手を地につけ、苦しい表情を見せながら、顔を上げてイクスを睨んでいた。
クレイのそんな姿、見たことなかったし、見たくなかった。
視界がぼやけるのを感じて、自分が涙を浮かべているのに気付いた。
このままじゃ、クレイが死んじゃう。
そんなの嫌だ。
オレはクレイを失いたくない。
今なら素直に言える。
男とか女とか関係なく、オレはクレイのことが好きなんだ。
だから……。
「イクス、 待ってくれ! お前の言う通りにするから、クレイを助けてくれ」
オレが叫ぶように懇願すると、イクスは困ったように返答する。
「ボクはそれでもいいんですが、彼が納得しないようですよ」
見るとクレイは剣を杖代わりに立ち上がろうとしていた。
「クレイ……」
かろうじて立ち上がると闘う姿勢を示した。
「どうやら、死んでも貴女を渡さないつもりのようですね」
呆れて苦笑するイクスが動く前に、クレイの前にゾルゲンが立ちはだかる。
「こいつのとどめは俺が刺す。今まで散々、世話になったからな」
ニヤつきながら黒い剣を振り上げた。
クレイ!
顔を背けたくても、身体が動かない。
目を閉じることはできたけど、怖くて目が離せなかった。
手を伸ばして助けたい気持ちで胸が張り裂けそうだ。
やめてくれ……クレイを殺すのだけは。
オレができることなら、何でもする。
この身体だって惜しくない。
だから、お願いだ…………。
クレイの命を……。
そんなオレの気持ちに関係なく、無情にもゾルゲンは剣を振り下ろした。
――――――その時。
二人の間に割って入る人影があった。
クレイを守ろうとゾルゲンの前に身を投げ出した彼女は、肩口からゾルゲンの黒い剣で袈裟斬りにされた。
「ソフィア!」
クレイとオレが同時に叫んだ。
「……クレイ様、逃げて……ください」
そう言うとソフィアはゆっくりと崩れるように倒れた。
床に血だまりができる。
ソフィア…………。
はにかむ優しいソフィアの笑顔が、目に浮かんだ。
その瞬間、オレの中の何かが音を立てて壊れるのを感じた。
「ちっ、余計なことをしやがって、後の楽しみが減っちまったぜ」
倒れたソフィアを見下ろしながら、ゾルゲンが吐き捨てるように言う。
「まぁ、いいか。もう一人上玉が残ってるからな……」
とニヤニヤ笑いながら、オレを見てぎょっとした顔になる。
「な、なんだお前!」
そう言われても困る。
オレ自身、何が起こっているのか、よくわからないんだから……。
身体の奥から沸き起こる何かに翻弄され、ともすれば気が遠くなるのを必死で堪えていた。
やがてそれは、身体の中に納まりきれず周囲に溢れ始める。
手や足……身体全体が光っているみたいだ。
光り始めたオレを中心に光が広がる。
質量を持った光の奔流だった。
ゾルゲンの持った魔剣ベラドリアスがその光に触れると、たちまち砂のように崩れ落ちる。
恐怖に満ちた顔で部屋の隅まで後ずさるのが見えた。
イクスはと見ると、溢れる光を身に受けながら満足そうな表情でオレを見つめていた。
不思議なことにイクスの身体は徐々に薄くなり透けていくように見えた。
「いいですかリデルさん、貴女の存在そのものが奇跡なのですよ」
またいつかお会いしましょう、と言い残すと、すーっと姿を消した。
その瞬間、充満した光が爆発した。
オレはかすかにクレイが呼ぶのを感じながら、意識を手放した。




