今がチャンスです!③
ソフィアは何を言われたのか最初は理解できず、きょとんとした顔をしたけど、次の瞬間、オレの言った言葉の意味を理解し青くなった。
「い、いけません、リデル様。そんなことをしたら、失格になります」
大会期間中、宿舎から外出するのが規約違反であることはもちろん知っている。
でも、クレイの命が危ない時に、そんなことを気にしていられない。
「大丈夫だよ、朝までに戻ればバレないよ」
「そんな……無茶です」
ソフィアが困惑するのを承知で、オレは説得を試みる。
「明日の朝は食堂で朝食をとることになっているから、朝まで部屋に誰も来ないよ。別に点呼を取っているわけじゃないし、時間までに部屋に戻れば大丈夫さ」
「でも……」
「それに、ソフィアの腕があれば宿舎に忍び込むなんて造作ないことなんだろ。現にこうやって、この部屋に誰にも気取られずに訪れることができたんだし」
「それはそうですが……」
「とにかく、ソフィアがなんと言おうとオレはついて行くから……ね、お願いだよ」
オレがすがるように懇願すると、ソフィアは困った顔をしながらも了承してくれた。
「わかりました。私にリデル様をお止めする権限はありませんので、お好きになさってください。ただ、クレイ様にお叱りを受けても私の責ではございませんよ」
「ありがとう、ソフィア。大好きだよ!」
嬉しくて思わず抱きつくと、ソフィアが真っ赤になる。
「リ、リデル様……わ、わかりましたから、お放しください」
「あ、ごめん。つい、嬉しくて」
「いえ、構いません。……それより、リデル様。イクスという人物をかなり警戒しているようですが、前の試合でリデル様に敗れ、負傷していると聞いています。そこまで危険視する相手なのでしょうか?」
イクスの底知れぬ戦闘力と何を考えているかわからない不気味さを思い出し、背筋が寒くなる。
それに、イクスの奴、クレイに会ったら、何をするかわからないし……。
でもそんなこと、とてもソフィアには言えない。
「戦ったオレが言うんだから間違いない。あいつがどんな状態にあろうと危険な存在に変わりはない。油断すると命取りになる」
「そうですか……わかりました。もう、何も申しません。すぐ、出かけられる支度ができますか?」
「今すぐ、支度する」
オレはソフィアの目を気にすることなく夜着を脱ぎ、いつもの衣装を身につけた。
クレイの買ってくれた服は明るい色ばかりで、夜襲するには派手過ぎたのだ。
まぁ、メイド服も十分派手だけど、防具がついてるし……何よりも慣れ親しんでいる。
「もう、行けるよ」
「はい、それでは参りましょう」
オレはソフィアの後について部屋を出る。
難なく宿舎から抜け出すと、ソフィアは表通りではなく入り組んだ裏路地に入った。
灯りも乏しく雑多な物が置かれた狭い路地を迷うことなく走るソフィアに驚かされる。
通常の走る速度ならオレの方がずっと速い。でも、今の状況ではついていくのがやっとだった。人通りのない道を最短ルートで走っているのはわかったけど、右や左に折れる内に方向感覚を失い、どの方角へ向かっているのか、だんだんわからなくなってくる。
ひたすら、ソフィアを見失わないように後ろについて走ることに専念した。
と、そんな努力をしばらくした後、急にソフィアが立ち止まった。
見れば、一軒の商家の裏口の前だ。
ソフィアは、周囲に誰もいないのを確かめると、裏木戸を一定のリズムで叩いた。
すると、今度は奥から違うリズムで返してくる。ソフィアが再度、木戸を叩くと、中から誰何する声がした。
「どなたでございますか?」
「御用に出た者でございます」
一瞬の間の後、するすると戸が開く。ソフィアがスッと奥へ入り込んだのを見て、オレも急いで続いた。
中に入ると、ソフィアが彼女と同じ格好をした人物に咎められているのが見えた。
声からして、年配の男性のようだ。
「何故、部外者を連れてきた?」
「部外者ではありません。クレイ様に近しい方です」
「それは承知している。では、何故ここへ……」
「ごめんなさい! オレが勝手について来ただけで、ソフィアは何も悪くないんだ」
慌てて二人の間に入り、謝罪した。オレのせいでソフィアが叱られるのは困る。
「いえ、私がご案内しましたので、私に咎があります。申し訳ありません」
「ソフィア!」
オレが否定しようと声を上げると、男は諦めたように言葉を挟んだ。
「……仕方ありません。リデル様、こちらへどうぞ」
あれ、オレの名前、知ってるんだ?
覆面の男は先に立って歩き始めた。オレとソフィアもそれに続く。
奥まった部屋に着くと、男はノックして声をかけた。
「ソフィアが戻りました。入ります」
部屋の中に入ると、丸テーブルを囲んで話し込む男達が一斉にオレ達を見た。一番奥にいた男が驚いて立ち上がる。
「リデル! 何でここに?」
クレイはソフィアの方へ視線を送る。
彼女が答えるより早くオレが弁明した。
「ごめん、クレイ。オレが無理を言って連れてきてもらったんだ。ソフィアを責めないで欲しい」
「どういうことだ? 俺は大会を頑張れって言ったはずだぞ。決勝戦はどうするつもりなんだ?」
お前が心配で手助けに来たとは口が裂けても言えない。
「イエナの事が心配で……助けたら、すぐに戻るよ」
オレがそう言うとクレイは頭を抱えた。
「あのなぁ、リデル。物事が必ず上手くいくとは限らないんだぞ。今夜中に片がつかなかったらどうするんだ?」
「その時はその時さ。決勝戦がラドベルクの不戦勝になるだけだ」
「ルマ市民の楽しみをぶち壊すつもりか?……お前は宿舎に帰れ。今ならまだ間に合う」
「嫌だ、オレも行く。もう、決めたんだ」
わがままなお姫様のようにオレが宣言すると、クレイがオレの目をじっと見た。
「どうしてもか?」
心の底を見透かすような真剣な眼差しだ。
「どうしてもだ」
オレも一歩も引かない意気込みで睨み返した。
しばらくそうしていると、厳しい視線をオレに向けていたクレイの目が急に和らぐ。
「そうか……好きにしろ」
「クレイ様!」
周りのクレイの部下らしい男達が非難の声を上げる。
それを鋭い目で制するとクレイは言った。
「リデルを救出作戦に加える……以上だ。各自、所定の準備が整い次第、作戦を開始する」
部下達は一言も反論せず、一斉に動き始めた。
ソフィアがオレの傍らに寄り添い、これからの段取りを教えてくれる。
それから幾らも経たないうちに、オレ達はダノン邸の裏手に集まっていた。
先ほどいた商家は、ダノン邸の監視用に借りた場所のようで、ダノン邸の目と鼻の先にあったのだ。
見張り兼連絡用として部下を屋敷の表側と今いる場所に一人づつ配し、残りの人員で屋敷へ侵入する手筈となっていた。
覆面の男三人と、クレイ、ソフィア、そしてオレの6人という少なさに、大丈夫か?と思わないでもなかったけど、クレイが落ち着いて指示を出しているところを見ると、信頼のおける人選らしい。
オレ達は裏門の前に集まると高い塀を見上げた。
鉤爪のついたロープを持った男が、塀に近づくのを見たオレはクレイに話しかける。
「クレイ、少し待ってて」
訝しげな表情のクレイを尻目に、一旦塀から離れると、十分助走をつけると勢い良く跳躍した。
皆が驚く中、次の瞬間、オレは塀の上に立っていた。
およそ、人間の身長の優に2倍以上はあろうという塀を易々と越えることができる自分の身体能力に、我ながら驚かされたが、平然とした顔で中庭に下りると内側から裏門を開ける。
皆を屋敷に招き入れると、クレイに「あまり驚かすな」と一言だけ苦言を言われた。




