『因果応報』の意味を述べなさい ③
闘技場から出ると、オレはすぐさま宿舎に戻った。早くソフィアに会って、クレイに注意するよう伝えなきゃと焦っていた。
けれども、そこにいたのはシェスタおばさんだった。
「あらあら、リデル様、いかがしました?」
「ソフィアは……?」
「ああ、それがですねぇ。ソフィアのおっかさんの具合が悪いらしく、今日も私がお世話する予定になったんですよ。で、試合はどうでしたか?」
「一応、勝ったけど……」
試合のことを思い出して少し憮然となる。
「それはようございました。それでは引き続き、今日もよろしくお願いします。それにしても、そんなに小さい体でよく、大きな男達に勝てるものですねぇ」
ほとほと感心したようにシェスタが言う。
そうか、ここで働いている人は、オレの試合について、噂を聞くことはあっても実際に見ることはできないんだ。
ということは、ソフィアもオレの戦いぶりを見ていないのかもしれない。
確かにオレの強さに関して、半信半疑なところがあったような気もする。
まぁ、自分で言うのもなんだけど、普通に見たら可愛らしい(?)女の子で、大剣を振り回して戦いに明け暮れてるように見えないもんね。
オレが自問自答していると、シェスタが何か言いたそうな顔をしていた。
「どうかした?」
「いえ。ひょっとすると、このまま最後まで私がお世話することになるかもしれないかなと思って……」
「そうなの?」
「まぁ、最後までって言っても、明後日までなんですけどね」
ああ、そうか。決勝が終わったら宿舎から出るのは当たり前か。
「それに決勝まで行ったら、勝っても負けても大会入賞者なので、明後日以降は公爵邸で寝泊りすることになりますから」
「そういや、祝賀会があるって、言ってたな」
お偉方とのパーティーなんて面倒だけど、エクシーヌ公女に会えるし、あわよくば聖石の在処もわかるかもしれない。
ただ、レオンにだけは極力会いたくないけど……。
「こんなおばちゃんがお世話じゃ嫌かもしれませんが、我慢してくださいねぇ」
シェスタが申し訳なさそうに言うので、
「いや、こちらこそお願いするよ。また、いろんな楽しい話を聞かせて欲しいな」
と告げると、シェスタの目がきらりとするのを見て墓穴を掘ったかなと後悔した。
「あ、でも、もしソフィアに会えたら、話したいことがあるので、リデルが会いたがっていたと伝えてもらえる?」
オレが頼むと、シェスタは機嫌良く「かしこまりました」と答えた。
ラドベルクとジラードとの試合は午後にあるので、オレは宿舎の食堂で昼食を済ませることにした。
たくさんいた出場者もいなくなり、オレ専用のようになった食堂で、食事をとりながらイクスのことを考えていた。
奴は聖石を知らなかった。
だから、彼のあの尋常でない身体能力はオレとは違い、聖石の力によるものじゃない。
だったら、あの人間離れした戦闘力はいったい何なのか……。
人間じゃない? シェスタの噂話をふと思い出す。
確かに傭兵稼業を続けてきた経験の中で、人にあらざるものと戦ったことがないかと問われれば、否とは言えない。
現に聖石の迷宮でも魔法によって作られた怪物と死闘を繰り広げたのはつい最近の話だ。
公都にいると、そうした存在を忘れがちになるけど、辺境に行けば、未だに魔物の類と出くわすことも多いと聞く。
イクスもそうした物の怪の一匹なのだろうか?
それと、イクスの言うオレが『自分が何者かを知らない』とは、どういう意味なのか?
オレも人間じゃないとでも言いたかったのだろうか。
考えても、よくわからない。
「あ~っ、いらいらする! イクスの奴がおかしなこと言うからだ」
オレは気分を切り替えるために、試合には早いが闘技場へと向かうことにした。
闘技場はすでに超満員だった。
今大会の事実上の決勝戦だと思っている観客も多いようだ。
武闘王ラドベルク対重量級覇者ジラード……大会屈指の好カードを一目見ようと、試合開始時間よりずいぶん早いというのに多くの人が集まっている。係員に案内され、オレはすでにVIP待遇で、試合観戦できるようになっていた。
まぁ、決勝進出を決めたのだから、そのくらいの優遇措置は武闘大会が盛んなルマでは当たり前のことだろう。
剣闘士のステータスが他国に比べて高いのは、武を尊ぶ気質がこの地方に根付いているせいかもしれない。
遥か昔、奴隷を戦わせる娯楽として発祥した武闘大会は、今ではこの地においては人気の競技であり、憧れの職業となっていた。
大会優勝者は名士であり、富と栄光を手にすることができた。無差別級はその頂点であり、そこに到達するのは並大抵ではないと言われている。
試合開始を待ちながら、自分がその頂まであと少しにいることを、闘技場の緊迫した雰囲気を肌で感じ、改めて実感した。
いろいろ思うことはあるけど、細かいことは気にしないで、前向きに考えようと思う。
試合が始まるまで、闘技場ではさまざまな演目が披露されていた。年に一度の武闘大会はルマ市民の謝肉祭の催しとしても機能している。
そのため、市民ぐるみの演目が試合の合間に行われ、市民の目を楽しませていた。
やがて、午後の試合が始まった。
闘技場の中央に相対したラドベルクもジラードも重量級以上の体格なので、小柄なオレとイクスの時と比べて迫力が全く違った。
確かに『事実上の決勝戦』の名にふさわしい対戦だ。
若さと勢いのあるジラードと円熟の極みにある試合巧者のラドベルクとの戦いの行方は、巷の闘技大会ファンの中でも意見が分かれていた。
すでにオレとの決勝戦は彼らにとって、エキシビジョンマッチ扱いのようだ。
審判の号令が掛かり、対戦が始まる。
戦いの立ち上がりは思ったより静かなものだった。
お互いが相手の出方を窺い、すぐには攻撃に移らない。
自分に有利な位置を求めて、息詰まるような駆け引きが続いた後、両者が同時に動きを止めた次の瞬間、試合が動いた。
ジラードが攻勢に出たのだ。
すさまじい勢いの突進と鋭い突きの連続がラドベルクを襲った。
並みの戦士では到底、防ぎきれないような攻撃だ。
しかし、その攻勢をラドベルクはしのぎ切ると反撃に出た。
攻守を入れ替えた剣の応酬が繰り広げられる。
ジラード……さすがは重量級部門優勝者だ。ラドベルクとここまで対抗できる男はそうはいない。
見応えのある闘いだった。
オレもイクスとの試合後の鬱屈した気分が払拭され、昂揚した気分で試合を見つめていた。
けど、長丁場になると思われた闘いは意外に早く決着がつくことになった。
力の差より、気持ちの差が勝敗を決したのだ。
ラドベルクは元々剣闘士であり、闘技場で死ぬことは当たり前のことだったし、イエナのために決勝戦に出なければならない事情も抱えていた。言わば、死んでも負けられない試合だ。
それに対して、ジラードは職業軍人であり、その本懐は他国との戦争にあり、こんな闘技大会で命を落とすことは無駄死にと言ってよい。
そもそも大会に出たのもアーキス将軍の差し金という噂もあるぐらいなので、当然士気も高くないようだ。
両者の立場の違いが、技のキレに微妙な差となって表れ、闘いの趨勢を決めた。
決勝へは、ラドベルクが進むことになった。
闘技場から出ようとしたラドベルクが、ふと顔を上げる。
特別席で観戦していたオレに気付くと、少しだけ表情が柔らかくなる。
そして、二言三言つぶやくと室内へと消えた。
声など聞こえるはずもない距離だったが、ラドベルクが何を言ったかオレにはわかった。
『決勝を楽しみにしてる……リデル』
そう確かに聞こえた。
聖石の力を借りて闘うことに疑問を感じてたけど、もう迷わない。
彼と闘いたい……理屈じゃない率直な気持ちだ。
抑えきれない衝動と言っていい。
きっとラドベルクも同じように感じてるに違いない。
自分の限界を試せる相手なんて、彼にもそうはいないと思う。
まぁ、オレも似たような状況だけど……。
それにしても、彼とイクスが闘ってたら、果たしてどちらが勝っただろうか?
もしもの話だけど、興味がわいた。
でも、明後日闘うのはオレだ。
悔いの残らない試合をしたいと思う。
オレは、闘技場に一度、目を落とし、そこで闘う二人の姿を想像して笑みを浮かべながら席を立った。




