セピア色の思い出を色鮮やかに ①
その時のことを今でもはっきり覚えている。
当時、親父と一緒にある傭兵団に所属していたオレには、しつこく絡んでくる馬鹿がいて、親父の目を盗んではちょっかいをかけてきていた。
傭兵団の副団長の弟で、『ゾルゲン』という名の全く嫌な奴だった。
団のみんなも嫌っていたが、腕が立ったのと副団長の手前、大概の横暴は見てみぬふりをされていた。
その日も頼みもしないのに、オレに稽古をつけてやると迫ってきた。
親父の稽古でメキメキ上達していたオレは、かなりの腕前になっていたけど、それでもその当時のゾルゲンに勝てるかどうか危ういところだった。
でも、オレとしては親父は別として、剣を学ぶならオレ自身が尊敬できる人から学びたいと思っていた。
それに恩着せがましい奴に借りをつくるのは真っ平だった。
「ゾルゲンさん、申し出は有り難いけど、俺は父親から手ほどきを受けているから……」
低姿勢で断ろうとすると、奴は鼻で笑った。
「遠慮するなよ。どうせお前の親父なんかに習ったところで、上達なんかしないぜ。俺みたいな天才がわざわざ教えてやろうって言うんだ、有難く思えよ」
カチンときたが、オレは黙っていた。
親父は団の中で本当は一、二を争う腕前だったと思う。でも、オレ以外にその実力を見せようとしなかった。
「何で実力を隠すんだ?」
オレが詰問すると、親父はへらへら笑って、こう答えた。
「面倒じゃないか」
親父は年齢がいっているのに役職にも付かず平団員のままだった。歳若い奴から命令されても、嫌な顔もせず雑用をこなしていた。
いや、嬉々としてやっていた節さえある。
正直、親父の気持ちが理解できないでいた。
雑用させられるのもそうだけど、今だってこんな奴に絡まれちまう……実力を見せない方が、ずっと面倒だとオレは思う。
「なぁ、リデル。いいだろ? そう邪険にするなよ、俺の気持ちわかってるんだろう」
ゾルゲンは鼻息も荒く上気した赤ら顔で、オレに顔を近づけた。
何ですと! そっちの趣味……?
「ごめん、ゾルゲンさん。俺、ノーマルなんで、そっちはちょっと……」
「安心しろ、俺もそうだ……だが、お前は別格だ」
全然、安心できないじゃないか。
「お前はな、リデル。男の癖に、時折見せる表情が妙に色っぽいんだ。何というか……そそられるんだ。たまらない気持ちにさせるんだよ。男所帯には酷っていうもんだろ」
目をぎらつかせながら、ゾルゲンが言う。
確かに男だけの傭兵団にそういうことは、よくあるって聞くけど……まさか、自分が当事者になるとは……。
「だからさ、俺と付き合えよ。悪いようにはしないぜ」
気が付いた時には、利き腕を掴まれていた。剣の腕が立つだけに、やることに抜かりがない。
これは、ちょっとやばいかも。
オレが真剣に焦り始めた時、間延びした声がした。
「あぁ~お取り込み中、悪いんだけどさ、団長さんの部屋はどこかなぁ?」
オレは助けを求める目で、ゾルゲンは訝しげな目で相手を見つめる。
射るような目で注目されて、困ったように頭を掻く青年が立っていた。
それがクレイだった。
ゾルゲンは一瞥して、若造とわかると苛立たしげに声を荒げた。
「何だお前は? 部外者は引っ込んでろ!」
オレはクレイの粗末な旅仕様の服から見え隠れする腕や脚の筋肉の付き方を見て、見た目どおりの優男でないことを見抜いていた。
「あいにく、これから部外者でなくなるんだけどな……そこの君、悪いけど団長室まで案内してくれないか?」
クレイがゾルゲンを無視してオレに話しかけた虚をついて、掴まれた腕を振りほどき、クレイに近づいた。
「ああ、いいよ。案内する」
「悪いね」
「全然」
逆に助かったよ……口に出しては言わないが、内心感謝した。
クレイがオレを伴って歩こうとすると、獰猛な唸り声が聞こえた。
「おい、お前ら、俺を無視して話を進めるとはいい度胸だな」
怒りのため赤くなった顔で、ゾルゲンが怒鳴る。
「リデル、お前はそこにいろ。動くなよ!まず、この坊やに、団の厳しいしきたりを教えてやらないとな……」
言い終わらないうちに、ゾルゲンはいきなりクレイに殴りかかった。
あぶない! オレが思った瞬間、クレイはごく自然にひょいと身をかわす。
思い切り殴ろうとしたゾルゲンは行き場を失って体勢を崩した、そこへクレイがさりげなく出した足につまづくと前のめりに転倒した。
「ぷっ……」
見事なこけっぷりに、思わずオレは吹き出した。
けど、起き上がって振り返ったゾルゲンの形相を見て、オレの笑みは消える。
怒りのあまり、赤を通り越して赤黒くなった顔でクレイを睨み付けていた。
「おい新入り、俺を本気で怒らせたようだな。後悔するなよ」
そう言い放つと剣を抜こうとする。
その刹那、クレイの表情が変わった。
人懐っこそうな瞳から、優しそうな色が消え、剣呑な光を宿す鋭い目になる。穏やかな表情が、硬質の金属のような無機質なものへと変わり、場の空気もひんやりとした冷気さながらの張り詰めたものへと変化した。
オレは、この場を支配する気配の正体にやっと気付く。
それは、戦場で幾度となく経験した『殺気』だ。
それも、息を吐くことを躊躇わせるほどの、圧倒的で純粋な『殺気』。
オレとゾルゲンは声もなく動きを止めた。
「あんた、剣を抜く気かい? …………抜いてもいいが、そうなると……俺も止まらないぜ」
剣の柄に手をかけて、クレイは無表情のまま、口元だけをニヤリとさせる。
ゾルゲンが何度も唾を飲み込むのが聞こえた。
剣の腕の問題じゃない……必ずこいつに殺される……そうなるのが確定だと思わせる何かを感じた。
クレイがゆっくりと一歩進めると、ゾルゲンは動くことを思い出したかのように後方へ飛び退くと、慌てて弁解する。
「ほ、本気にするなよ。ただの冗談さ……リデル、この人を団長室へ案内してやってくれ」
それだけ言うとゾルゲンは足早にこの場から逃げ出した。
ふっと息を吐くと、クレイは柔らかい表情に戻る。
オレは固い表情のまま、思わず感想をもらした。
「あんた、凄いね」
「あ……ん? 何で」
「ゾルゲン……今の奴、ゾルゲンっていうんだけど、それなりに腕が立つんだ。でも、あんたは歯牙にもかけなかった……ホント凄いよ」
「そんなことないさ」
照れると急に少年っぽい表情になるクレイは、先ほどの殺気が嘘のように優しく笑った。
何となく、どぎまぎしてオレは慌てて言う。
「来いよ、団長室に案内してやるから」
「あ、ちょっと待ってくれ」
オレが前に立って先導しようとすると、クレイが呼び止める。
「どうかした?」
「悪いけど、これ、返しといてもらえる?」
と言って、剣帯から剣を外すとオレに手渡す。
「ちょっ……これって?」
「うん、そこから借りた」
壁に立てかけてある何本もの剣を指して言った。
それは団員が練習用に使用する剣で、重さや長さは本物に模してあるけど、鞘から抜くとただの木剣だった。
「あ、あんた……」
「いや、俺のは借金の形に取られちゃってさ……はは」
悪びれもせず、照れ隠しのように笑うクレイにオレは呆気にとられた。
オレが絡まれているの見て、機転を利かして助けてくれたのはわかるけど、ゾルゲン相手に木剣ではったりをかます度胸は、豪胆を通り越して馬鹿のすることだと思う。
「バレたらどうするつもりだったんだよ」
「そん時はそん時さ。それに……」
「それに?」
「さっきの奴、剣は強いかもしれないが、心が弱い……」
そ、そうなのか?
「そんな奴に負けたら、女の子の手前、かっこつかないだろ?」
片目を瞑って、オレに笑いかける。
女の子……ですと?
ここにいるのはオレだけってことは……。
「おい、あんた! どこに目をつけてるんだ。俺はれっきとした男だ。馬鹿にするのも、いいかげんにしろ」
「へ?」
オレの剣幕に、驚いた顔をするクレイ。
そして、上から下まで見下ろして、呟いた。
「嘘だろ?」
その刹那、オレの全力パンチが炸裂した。




